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~「妖星ゴラス」雑感~
東宝SF最高傑作を再評価する



唐突ですが、私、「妖星ゴラス(1962)」って好きなんですよ、実は。この間も久々にビデオを観直して、改めてその魅力を再認識しちゃった訳です。

東宝特撮シリーズ全体を眺めてみても、多分ゴジラシリーズより好きだと思います。いやぁ、こういう書き方しちゃうと、なんか誤解されちゃうかも知れないけど(いやはや…)。ゴジラシリーズがどっちかって言うと感性っていうか、本能的な部分で楽しむ作品群だとすると、「ゴラス」は理性で楽しむ作品じゃないかと…大体、東宝のSFシリーズって、基本的にあんまり小難しい理屈はこねない作りになってると思うんですが、殊「ゴラス」に関しては、大元に「地球ロケット化計画」(ちなみに「ゴラス」のシナリオ検討稿タイトルは何と「地球大改造」でございました)ってトンデモな大風呂敷があるワケで、その辺をもっともらしい雰囲気で支えなきゃいけないって理由もあって、東宝特撮の中でも屈指のハードタッチになってますね。他の作品に比べても、はるかに足元を固める様な考証ゼリフが多いし。今にして思えば制作側も、この破天荒なアイディアが観客に一笑に付されてしまう事だけは避けようと、極力真面目に緊迫感を盛り上げる作りにしたんでしょうが、結果、気持ちいい位大マジでウソをつく、突き抜けた到達感が、そのメリハリ度に於て、一連の東宝SFシリーズの中でも最高峰と思える作品に結実したんだと思う訳です(ちょっと理由が屈折してる気もするけど…)。

それに「ゴラス」って、脚本的な練り込みっていうか、映画全体の構成に気を使っている点でも突出した作品じゃないでしょうか。またまた語弊があるかも知れないですが、大部分の東宝特撮作品って、頭っからラストまで、一本の大きな物語の流れがズーッと流れて行く様な構成になってる作品が殆どで、確かに話の展開は明快ではあるんだけど、反面、ストーリーが単調になってしまう弱点もあると思う訳です。そういう東宝特撮の中にあって、物語の筋運びの部分に重点を置いた脚本って他には「空の大怪獣ラドン(1956)」の前半部分(冒頭~ラドン誕生まで)位じゃないかと思いますね(双方とも脚本は木村武氏。但し「ラドン」は村田武雄氏と共同脚本。)。

「ゴラス」の場合、理詰めで構成され、シチュエーションで制限を一杯つけて、それによって登場人物を追い込み、危機感を盛り上げるって脚本、演出が全編を通して貫かれていて、どっちかっていうと情緒的な部分に重きを置く、日本映画全般の作劇傾向からすると、かなり異色な作品だと言えるんじゃないでしょうか。中でも、冒頭の隼号遭難のシークエンスって言うのは、特撮、本編の融合を含めて、東宝特撮映画が到達した、一つの頂点じゃないかと思う訳です。あの部分だけとってみても、伏線張りまくりですしね。バラバラと細かく蒔いた描写がやがて一つの事実を指し示し、あたかもゴラスの引力に引かれるが如く集まって行く様子は、息をのむ様な緊迫感があります。もう「ノッてるな」っていう感じです。

ただ、あのシチュエーション、現実的にはああいう状況の場合、惑星の引力を利用して推進力を得る方法(惑星探査機が燃料を節約するために実際に用いたりしてるそうですが…つまりゴラスに向い、ゴラスを霞める様に進路をとる)で脱出可能ではないか?という声もあるらしいんですが、ドラマチックな演出効果を考えると、あれはあれがベストでしょうね。

その他にも、この作品はドラマ演出での充実度が高く、隼号遭難の報を受けて、木南法務大臣(小沢栄太郎)が関総理(佐々木孝丸)に詰め寄るシーン、カプセル1号がゴラスに接近を試み、金井達麿(久保明)が激しいショックを受けるシーン(本編と特撮の目くるめくカットバック!)、その金井がテレビ映像のゴラスを観て記憶を取り戻すシーン(テレビ画面からゴラスが飛び出してくる演出が凄い!)、ゴラスと地球が間一髪で擦れ違う瞬間の演出(擦れ違った後、不安なテーマと共に遠ざかるゴラスの姿を捉えたカットの余韻!)等々、凄まじいばかりの演出の魔法が繰り広げられます。

音楽とドラマのシンクロ具合も凄く、石井歓氏のアップテンポな音楽は、タイトルバックから観客のハートをワシ掴み!石井氏の音楽は、御大伊福部氏のものと比べても、映像とのシンクロに主眼が置かれた作りになっている様で、音楽と映像の相乗効果が更に緊迫感を盛り上げるという理想的な展開を、この作品は見事に体現してます。音楽がこんなに気持ちよく映像を支えてる作品って、実は伊福部氏の担当作でもあんまりない気がしますね。どちらかというと、伊福部氏の作風は余り音楽を突出させず、その場の雰囲気を盛り上げるって感じですからね。

「ゴラス」は全体通して見ると、そこここに感じられる社会主義的な雰囲気に、確かに時代を感じさせる部分もなくはないですが(「おいら宇宙のパイロット」とか南極基地建設で描かれるドラマとか…そう言えば、「バンザイ!」ってのも最近殆ど聞かなくなりましたね。)、あのポジティヴで理想主義的な世界観っていうのは、今の日本では決して描けないものでしょう。その意味では、ああいうドラマを描き得た当時の日本に、ちょっと嫉妬を感じてしまうのですが…

ただ、エンターテインメントとは言いつつも、科学考証が前面に出すぎたストーリーが災いしてか、当時の興行成績はあまり芳しくなかった様です。結局A級スケールのSFシリーズはこの作品が最後となり、実質的な後継作品といえる「海底軍艦(1963)」はぐっとスケールダウンしてしまいました。変身人間シリーズの「マタンゴ(1963)」、単独新怪獣の「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」も興行的には成功とは言い難く、東宝特撮は怪獣対決に作品の主体をシフトせざるを得なくなって行きます。結果としてこの作品が東宝特撮黄金期を締めくくるきっかけとも言える作品となってしまったのは何とも残念ですね。只、「ゴラス」に於て日本の特撮映画が、これだけのドラマ演出、特撮と本編の融合、高度な作劇をなし得たという事実は、私にはとても幸せな事だったのです。


1998.01.03 

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