“対抗文化とアクティヴィズムをつなぐオルタナティブなメディア”をうたう
ALT(オルト)vol.3・4(98.1.1.発行)より


ロフトプラスワンの襲撃事件


内ゲバ主義者の本性をさらけ出した
ブント(旧戦旗・共産同)への批判

文=端樹 純




 7月16日、東京・新宿にあるトーク居酒屋「ロフトプラスワン」において、当日のイヴェント主催者だった佐藤悟志氏に対して、「ブント」(旧戦旗・共産主義者同盟)メンバーと思われる10数人の者らによって殴る蹴るなどの暴行があった。事件に先立つ8日、「飛翔主義と若者の俯迎」と題する、ブント代表の荒岱介氏と新右翼代表の鈴木邦男氏の参加するイヴェントが開かれていた。佐藤氏はロフト店内でブント批判のビラをまいており、ブントの参加者や荒氏からも激しいヤジが飛んできたという。ブントの襲撃が、その時の報復であることは、ブント機関紙「SENKI」紙上での「犯行声明」からも明らかである。
 佐藤氏のビラは、「『左翼自由主義史観』の跳梁を許すな! 第二よど号=しょせんは塩見系 ニセブント・サークル集団 左翼KKC=日向一派を迎え撃て! 荒岱介(あらたいすけ)弾劾人民裁判に全ての活動家は結集せよ!」というタイトルに始まり、「政治結社『青狼会』総統、反共突撃隊『ファシスト・インターナショナル』突撃隊長、売春の自由党事務局長、共産主義者同盟・赤軍派最終議長、ブント清算事業団管財人佐藤悟志」という肩書きが並べられている。
 だが、「挑発的」で「エグい」のは題名や見出しぐらいで、本文は、荒氏の著書や「SENKI」の引用と反論による、真っ当な批判である。そして、佐藤氏が批判の力点をどこに置いたのかは、次の記述からうかがえる。

 荒 「たとえば「帝国主義打倒、スターリン主義打倒」とかいうスローガンにしても、結局それはたとえばそれを言っている党派の権力の樹立しか意味しない現実があるわけです。そしてまさに、そういう在り方がいまだに市民社会では共産主義とか社会主義運動なのだと思われています。
 そんなのは御免だ。それはもうノーだと民衆はなっている。そんなことならまだ自分が儲ける可能性があるブルジョワ社会のほうがいいとなっている。共産主義=「共産党一党独裁」は批判と怨念の対象であり、物凄くマイナスのイメージになっています。」(216頁)
 佐藤 それは、そうしたイメージを持つ市民が無知で愚かなのか。それとも本当に「共産主義」にはそうした在り方しかないのか。
 もし「党派の権力の樹立」を意味する以外の共産主義が、存在しないのだとしたら、そんな共産主義だの社会主義だのをさんざんに賛美し宣伝した荒岱介の罪業は計り知れまい。この地球上から共産主義体制が残らず消滅する日まで、反共主義者として全力で戦い抜く以外に、自らの犯した戦争犯罪を償う方法はないだろう。
 もし「党派の権力の樹立」を意味する以外の共産主義があるのだと言うのなら、「共産主義」だの「帝国主義打倒」といったスローガンを保持したままで、違う在り方とやらを責任を持って発生させることこそが、そうしたスローガンを口走った人間の義務であろう。

 荒 「Aさんが言ったような「帝国主義打倒」とかみたいに、何との関係でやっているのかがわからなければ困るというのは、アンチテーゼ型の考え方だと思う。」
 司会「この間の組織的な討論の中で、どう帝国主義を打倒しようかといった討論はあまりやってきていないですね。」「今はそんな論争はほとんど実際上の意味がなくなっています。そのリアリティから発想すべきだと思います。」「Aさんに言いたいけど、「帝国主義の打倒」とか「スターリン主義の克服」とかのほうが、よっぽど左翼の世界でしか通用しないスローガンじゃないですか。」(221〜226頁)
 佐藤 その「アンチで」「リアリティがなく」「通用しない」話を実現するために、一体どれだけの人間が、逮捕され、投獄され、頭を割られ、職を失い、給料やボーナスの大半を上納し、家族を泣かせ、歯を折られたり骨を折られたり、頭がおかしくなって四六時中公安に尾行されていると訴えて精神病院送りになったり、全身に油をかぶって焼身自殺したりしたか。荒岱介が忘れることは許されまい。その犠牲を、あたかも分別ゴミでも出すかのように笑って投げ捨てる「知的共同体」の主催者荒岱介に、昭和天皇の戦争責任を云々する資格はカケラもない。

 そして、佐藤氏はブントに対する判決を下す。

「1 日向一派はブントの偽称をやめ、『わくわくネットワーク・やんぐ埼玉』を名乗れ」「2 荒岱介は今までにダマシとって自分の名義にした全資産を、福祉施設に贈呈しろ」「3 荒岱介は共産主義者=マルクス・レーニン主義者だった過去と戦争責任を償うため、日米帝国主義に謝罪し、反共活動に邁進しろ。」

 最近のブントの路線転換には私もあきれかえっている。かつて「自分たちが最も戦闘的」などと偉そうに言ってきた党派が、いまや「ラディカルな共同性」だの「エシックスの挑戦」だのと言って、「スターリニズムを超える社会主義」まで古参活動家もろとも投げ捨てる。政治運動もろくにやらず、哲学講座や格闘技大会、料理大会で若者を動員するなど、マルクス主義的な党概念とはかけ離れた宗派集団と化している。共産主義など可能性がないというなら、それこそ佐藤氏の言うようにすれば? まあ、ブントはALTですら「アンチ」で「リアリティのない」左翼メディアだと思っているだろうが…。
 また、「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」が発足したことにより、ブントは「SENKI」紙上で数回にわたって反論を行ってきた。最近、「共同声明」側から再反論のビラが出されたが、この中になかった視点を追加しておきたい。
 たとえば、「SENKI」の文中で、なぜか漫画家の玄田生氏の名前が降ってわいたように何度も登場する。そして、「ロフトプラスワン内外での玄田氏による粗暴な言動やふるまい」、「佐藤・玄田ら元秋の嵐メンバー」と、ふたりが秋の嵐という反天皇制グループにいた過去を執拗なまでに強調する。だが、ブント批判のビラまきは佐藤氏が単独で行ったことであり、玄田氏は関係していない。
 ブントは、あえて玄田氏の名を登場させ、「粗暴な言動」を書き立てることで、佐藤氏までもが同様の存在であるかのような描き方をしているのだ。だが、それでも足りないようで、ほとんどは論証ぬきのフレームアップ。しかも、自分たちの暴力は「血気盛んな若者」が「つい手が出た」などと正当化しておきながら。
 「SENKI」の論法は、まさにスターリニストの常套手段そのものである。その上、声明の賛同人まで名指しで攻撃している。こうしたブントのやり方は、賛同人を「獲得すべき人民」としてでなく「敵の仲間」とみなす重大な反労働者的・反人民的行為でしかない。
 また、佐藤氏が「ファシスト」を自称していることも襲撃正当化の根拠にしているが、「青狼会総裁」などの肩書きは、すべて佐藤氏がひとりで名乗っているパロディの類である。むしろ、先ほど引用したビラの一文からも分かるように、かつての戦旗・共産同活動家であった佐藤氏が、現在のブントに対する怒りをぶちまけたというべきなのではないか。
 逆に言えば、事件の発端となったイベントである荒氏と鈴木氏との対談について、ブントはどういった原則の下に参加したのか? マスコミを宣伝媒体に使い、左右両派との幅広い交友関係を売りに、「柔軟な新右翼」を印象づけようとしている鈴木氏である。この対談が、社会的にどう機能するか分からないはずはない。しかも、佐藤氏が数10枚コピー印刷しただけのビラと、鈴木氏のメディアでの言説のどちらが大衆的な影響を与えているかは分かりきったことだ。
 それでもなお、鈴木氏は対話の相手で、佐藤氏は襲撃対象というなら、有名人に媚びを売るブルジョア的倫理観に染まりきっているとしか言いようがない。あ、そうか、ブントはもう社会主義者ではないんだっけ。「週刊SPA!」で荒氏と野村秋介氏の「獄中同志」ぶりが書かれていても反論ひとつしないし。左翼スターリニストから親ファシストへの転向ともいえるが、結局、スターリニストを超えられなかったのはブント自身なのでは?