「見えない大学本舗電脳分校」電子掲示板から 《投稿5》RE:755.768 



 恥知らずに必要なのは、恥を知ることだ。  





[ NO.0788 ] [ 98/03/08 12:18:24 ]  [ 投稿者:佐藤悟志(青狼会) ]
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RE:755.768 恥知らずに必要なのは、恥を知ることだ。


 もう一つ、大滝氏の主張の重要な問題点を指摘しておきます。大滝氏は、「かつて寝食を共にし、大袈裟に言えば共に死地をくぐりぬけた仲間です。そして理由はどうあれ一度は守ると誓った旗を捨てたわたしが、そこにとどまり、苦闘を続ける彼らに敬意を表するのは当然のことじゃないですか。」となどと書いています(768)。

 しかし我々はかつて、アジアに出征した日本軍の兵士たちに、生体実験や慰安婦狩りなど自らの行いを告白し、懺悔するように迫ったのではなかったですか?。彼らにとってまさしく「寝食を共にし、共に死地をくぐりぬけた仲間」を、そして「理由はどうあれ一度は守ると誓った旗」を、裏切り、切り捨てるように要求したのではなかったですか?。何と言って迫ったか、忘れてしまいましたか?。たとえ仲間が大事であろうと、悪いものは悪い、侵略は侵略だと。自分がどれだけ献身を尽くした対象であろうと、自分の人生の全てをかけて積み上げてきたものであろうと、それが731部隊や侵略軍であるなら、直ちに謝罪して全てを告白し、自らの戦争責任を取って償えと。そして、彼らが自らの全人生を否定して懺悔した、その話を利用し、持ち回り、営業ネタに最大限に活用して、運動展開や組織の拡大に役立ててきたのではありませんか?。「彼らも苦闘したんだ」「彼らはそこにとどまり続けている」などと言って免罪したことが、一度でもありましたか?。私は、今、因果応報という言葉をつくづく思い出しています。あるいは、戦争責任は他人事ではないことを、つくづく噛み締めています。ここで我々が、自己保身やら世間体、「かつての仲間」やらを心配して自らや自らが所属した組織に対する批判を手控えることがあれば、我々は、皇軍兵士に対する追求を全て撤回しなければならないでしょう。

 ましてや大滝氏のように、「革共同からの戦争宣言を受け、天皇主義右翼からは本部にダンプで突っ込まれたりナイフで襲いかかられたりという経験をしてきた」のだから、「大衆討論の場で素手で殴ったなんてのは「若いのは血気が盛んで」くらいのものだ」などという言いわけ(755)をしていて、どうして捕虜殺害や慰安婦狩りを非難できるでしょうか。戦争で大変だったら何をしてもいい?。血気盛んな若者だったらしょうがない?。「左翼を知らない人にはピンと来ないかもしれませんが、今回の事件は「組織的なテロル」と言うにはあまりに稚拙すぎます。」などという大滝氏の言い草(755)は、「戦争を知らない若造には分からないだろうが、戦場では略奪も強姦も当たり前なんだよ」と開き直る旧軍人のジジイの言い草と 同レベルの、戦争責任を追求する上ではむしろ有害な言説です。「左翼」も「戦争」も、知らない人間の感覚の方がマトモなのです。

 問題は、大滝氏の「個人的な思い入れ」がどこにあるかでも、「荒さんをはじめ具体的な人間の顔が浮かんじゃう」かどうかでもありません。「ブント」の主張が良いか悪いかであり、佐藤の批判が正当かどうかです。もちろんその基準は、左翼的物差しでもレーニンの言葉でもなく、強いて言えば今現在の市民社会の常識、一般市民が生活していく上での規律や道徳、過激派ではない普通の人間が最低限安心して生きていくためのルールに照らすべきでしょう。またその判定は、公共空間での対話や討論、例えば「ロフトプラスワン」や「掲示板」上のような場所で、不特定多数の市民にアピールし、その支持の如何によって為されるべきであり、そして判定されたという執行を以て両当事者は満足するべきでしょう。特定の政治党派が勝手に判定を下して刑を執行したりするのを容認するなら、法治国家とも市民社会とも呼べない世界に、我々は再び引き戻されることになるでしょう。



 最後に、大滝氏の個人的な問題に触れておきましょう。大滝氏は、佐藤が組織を離れていく過程で、「党派的な理論への批判を超え、韓国民衆への連帯とか、差別・抑圧への怒りとか、つまりはそもそも左翼活動へ参加していった原点の様なものさえ次から次へ否定して行く姿に唖然としたものです。」「その彼が今も活動を続け、ついにはあのような政治的立場に至っていたとは・・・。」などと書いています(755)。
 しかしその大滝氏は、自分は「戦旗の元メンバー」「守ると誓った旗は捨てました」「戦旗OB」などとヌケヌケと語ります。「わたしは恥知らずでタフであったが故に、こうしてのうのうと市民生活を送っています」(755)などと、むしろ「タフで恥知らずな」自分を自慢するかのように誇らしげです。「韓国民衆への連帯」も「差別・抑圧への怒り」も、「つまりはそもそも左翼活動へ参加していった原点の様なもの」を「次から次へ否定して行く」ことなしに、あなたは一体どうして「OB」になれたんですか?。

 少なくとも当時の自分にとって「戦旗・共産主義者同盟」は、大袈裟に言えば左翼運動が勝利する唯一の可能性でした。だからその唯一の希望たる党が信頼できなくなったとき、自分にとっては差別も抑圧も、三里塚も侵略戦争も、どうでもよいことになったのです。だってどうせ勝たないんだから、何をしたってムダでしょう?。

 当時の未熟で蒙昧な私は「差別・抑圧への怒り」を表現する回路を党以外に創出することができず、そうした回路があると発想することすら出来ませんでした。だから私は、「左翼活動の原点」みたいなものを持ち出して党活動への邁進を迫る大滝氏ら神奈川地区幹部に反抗する方法を、「すべてを投げ捨てて逃亡する」以外に持ち合わせていませんでした。党に対する批判を直感的にしか得られていなかった私は、「差別や抑圧を問題にする立場」と「党に所属する活動家でいること」の違いを、他人にも自分にも説明することが出来ず、そのために、差別を問題にする立場を維持するために党に縛られ続けるか、それとも党から逃げ出すために「差別や抑圧の問題」も投げ出すか、どちらかを選ばなければならない状況に追い込まれていったのです。当時の私は、結局、後の方の道を選択しました。

 今にして思えば、それは馬鹿馬鹿しい選択肢設定でした。「差別や抑圧を問題にするなら党に居続けなければならない」、「党から離れるならばもはや一切政治に口を出すことはできない」「政治的に意義のあることは為し得なくなる」などというのは、それこそ「教団を離れたら地獄に堕ちるぞ」という恫喝と同程度、同じレベルのデマゴギーであり、「教団」の経営者にとってのみ有益な迷信にしか過ぎません。否むしろ、現在の「ブント」のテイタラクを見れば、党に居残り続けることの方がよっぽど差別的で犯罪的な行いであることは、党や「左翼性」にすがらなければ生きていけない依存症患者以外には自明のことです。例えば荒岱介は今、「女は母親になってはじめて主体的になれる」「お母さんは娘っこより高次な存在」などと「母性神話」を吹きまくっています。(「左翼思想のパラダイム・チェンジ」の59〜90頁「民衆を導く自由の女神だぞ」参照)。こんな説教を集めた本を売り歩く「ブント」活動家が、女性差別者以外の何であるのか。(ちなみにこの点は、「ブント」の同伴知識人である山崎カヲル氏によっても批判されています。 http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Works/ara.html 参照)。「アウシュビッツの飢えた囚人を救おう」などと宣伝して、集めた金をナチ党本部に送り届けるような食糧援助が、北朝鮮人民に対する明確な敵対以外の何であるのか。そうした行いを公然と開き直る「ブント」に所属し続ける行為は、まさしく「犯罪」以外の何物でもありません。86年当時の私の直感の正しさが証明されたことは嬉しく思いますが、あのまま党から離れられなければどうなっていたかと思うと恐ろしくも感じます。

 しかし大滝氏は、私と同じようには考えていないようです。私が見ると吐き気を催してしまう、「はだしのゲン」の町内会長の立ち居振る舞いのような「路線転換の大きさやその過程」に対しても、「そこに大変な苦闘があり、相克・葛藤があった事は容易に「想像」が付きます」などと大仰に褒め上げて見せます(768)。そのくせ「のうのうと市民生活を送っている」自分がそこに戻る気がないにもかかわらず、「佐藤の姿には唖然とした」などと、まるで自分は今も昔も変わっていないかのように語っています。本当に変わっていないんですか?。「韓国民衆への連帯とか、差別・抑圧への怒りとか、つまりはそもそも左翼活動へ参加していった原点の様なもの」を「次から次へ否定しない」ことと、「一度は守ると誓った旗を捨てて」「のうのうと市民生活を送る」ことが両立可能なのだとしたら、そもそも大滝氏が指導し扇動した「戦旗・共産同」運動とは一体何だったのですか?。ボーナスを全額上納したり、毎日職場の行き帰りで尾行まきをしたり、せっかく合格した学校や職場を捨てたり、逮捕されたり機動隊に前歯を折られたり、刑務所に何年も入れられたり、指名手配になっていまだに潜伏生活を送ったりなどというそれこそ文字通りの「苦闘」を行うことなしに、「韓国民衆への連帯とか、差別・抑圧への怒りとか」を体現することが可能だというのなら、ではそれらの「苦闘」は一体何の為だったのか!。赤石印刷(「ブント」の経営する会社)が土地を買うため?。赤石印刷がビルを建てるため?。赤石印刷がドイツ製の最新鋭印刷機を購入するため?。衣食住の心配のいらない荒岱介が、そのうえ鉄砲玉をハベラセルため?。

 大滝氏が「市民生活」と「韓国民衆への連帯」を「両立」していると言うのなら、「のんきに市民生活など送っていては韓国民衆連帯はありえない」などと他人を追いつめた自らの過去に対してご説明いただきたい。「両立」していない、つまり「韓国民衆への連帯」など忘れたというのなら、それでいながら政治に口を出す、自らの現在の政治的立場についてご説明いただきたいと思います。(例えば、実は佐藤と同じファシストなのだ、とか)。




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