ニセ元首相の顔少年法について

少年法について

 神戸の小学生殺害事件において、14歳の少年が容疑者とされたことは、誠に大きな衝撃を我々に与えました。少年犯罪史上希に見る程の残忍、かつ異様な事件であり、この容疑者の少年の心の奥までが丹念に調べられなければ動機面を含めた本当の解明に至ることはないでありましょう。そして、恐らくはわが国の教育制度に対して深く反省が求められることになるでしょう。

 また、この事件に関して、いささか遺憾の意を覚える事態がありました。一部マスコミの暴走と申しましょうか、この容疑者の少年の実名と顔写真が掲載されたとのことであります。「少年の保護育成を図る」という少年法の根本意義をまさに踏みにじる行為と申せましょう。確かに現行の少年法に対し、「刑罰が軽すぎる」といった批判があることは承知しております。また、少年による犯罪の被害にあわれた方、また被害者の家族からの不満に対して、真摯に受けとめねばならぬとは感じております。だが、現在のようにあまりに感情的に犯罪に対する憎しみが高まっているときに、その場の勢いで法律を改正してよいのだろうか。拙速に事を運ぶには、あまりに大きな問題ではないのか。「少年の保護育成」とは長い目で見れば、わが国、日本の将来の姿を決めるといってもよい、大変重大な問題なのであります。

 少年法により、少年によって犯された犯罪が、成年者により犯罪よりも比較的に軽い刑罰しか与えないように規定されているのは、勿論少年法の基本理念としてうたわれているように未成年者を保護育成し、更正させる為でありますが、そこにはまた未成年者の責任能力に対する配慮が働いているのであります。まだ義務教育を終えてもいず、選挙権も与えられていない少年に対して、彼の全ての行動の責任を彼個人のみに、つきつけることができるでありましょうか。私の敬愛する、かのフリードリッヒ・ニーチェはいささか極論のようにも感じられますが、このようにいっています。


だれも自分の行動に対して責任がなく、だれも自分の本質に対して責任がない、裁くことは不公正であるのに等しい。このことは個人が自己自身を裁く場合にもあてはまる。この命題は日光のように明るい、それなのにここではだれでもむしろ影や非真理の中へ退きたがる、結果が恐ろしいので。(人間的、あまりに人間的I 命題39)
ニーチェは、未成年者だけでなく、あらゆる人間が自分の行動に対して責任がない、と言っているのでありますが、ニーチェの言うように、私もその結果が恐ろしいので人類全てにこの命題を当てはめるかどうかにはためらいがある。それはおくとしても、少なくとも、法的に自己の責任を取りうるとされる成年者ではない少年に、犯罪の責任を認定し厳罰に処すことが果たして許されるであろうか。私はそれは許されないと思うのであります。

 こう考えてみますと、未成年者に対する刑罰をめぐっての紛糾の原因は、未成年者については、あらゆる自己の行為に対する責任能力を法律的には認めていないのだ、ということが巷間に衆知徹底されていないところにあると申せましょう。そして、未成年者による犯罪行為によってときどき世間に姿を表す「少年法」によってのみ、未成年者の無責任性が顕示されるために世間にあらぬ誤解が生じるのであります。私は、「未成年者を保護育成と更正」という少年法の理念を進めるためには、「未成年者の自らの行為への無責任性」を少年法の枠内だけに限定せず、あらゆる未成年の行為に対して適用していくことが必要であろうと考えます。そのようにして初めて、社会全体が未成年者の無責任性について正しい認識が得られる筈だからです。

 少年法の理念にそってみれば、少年の犯罪行為は彼のみに原因を求められるのでなく、少年の家族環境、所属する学校、そして地域、また広く社会全体に原因を求められるべきです。犯罪を犯した少年の身元や外見を明らかにすることを少年法が禁じているのは、まさに、ある少年の行為の原因を彼個人に特定することを防ぐ為なのであります。であるならば、犯罪以外の未成年者のあらゆる行為に対しても同様の処置がとられてしかるべきではないでしょうか。例えば、スポーツを例に取ってみれば、バルセロナオリンピックにおいて、未成年者であった岩崎恭子さんが金メダルを取りましたが、彼女の行為は一体、彼女のみに責任があったのでありましょうか。神戸の小学生殺害事件と同様、彼女個人だけでなく、家族環境、所属する学校、所属するスイミングスクール、そして地域、また広く社会全体に責任が負わされるべきではないのか。もし、彼女がもう少し違った家族とともに生活し、違った学校、違ったスイミングスクールに通っていたとしたらどうだろうか、あのような前例のない行為を貫徹することができただろうか。あの当時ほとんどのマスコミが彼女を実名で報道し、顔写真を修正もせずに掲載していましたが、今考えてみれば、それは今回、新潮社が小学生殺害事件の容疑者の実名と顔写真を公開したのに匹敵する程の非人道的な行為ではありますまいか。

 よってわれわれは、少年法の理念を守り、より深めて行くために提案します。未成年者に関する報道にあたっては、すべからく身元や外見を明らかにすることを禁じることを。このことが遵守された曉には「少年犯罪に厳罰を」といった誤った応報主義は影を潜めることでありましょう。


報道に関してのガイドライン(参考)
未成年者のスポーツ報道ガイドライン
 (実例:高校野球西東京地区予選・東海大菅生-創価)

 同点で迎えた三回裏、創価は、少年Aの二塁打に四球と犠打を絡めて作った二死二、三塁の好機に、捕逸と暴投に乗じ、2点を奪ってリード。六回には、少年Bの右前打を足場に、少年Cの適時二塁打と少年Dの犠飛で2点を加えて突き放した。
 東海大菅生は初回に少年Eの適時二塁打で先制、三回には併殺の間に1点を加えたものの、八回、二死満塁の好機に一本が出なかった。
未成年者の芸能報道ガイドライン
 (実例:COMING CENTURYインタビュー)

V6進行形の恋を語る Vol.1

COMING CENTURY
IN
SERIOUS LOVE

真っ正直な少年A、憂いの少年B、一途な少年C
僕たちのリアルな恋

 少年A、17歳。少年B、17歳。少年C、16歳。憧れだった恋がグッと身近になり、たくさんの思いを経験する年頃。私たちと同じように、カミセンの3人にもそんな時期が訪れているようだ。いったい彼らは今どんな「気持ちを抱えているのだろう。「今日は語りますよ!」という少年Cの言葉どおり、恋愛に対する正直な思いを3人が熱く深く語ってくれた90分。加速度をつけて突っ走るカミセンの、リアルな恋愛模様が見えてきた---。(中略)

--- では最後の質問です。別れた女の子と、友達に戻ることはできますか?
少年A できません。(キッパリ)
少年B 別れ方によるよね。だって、いろいろあるじゃん。お互い嫌いで別れたわけじゃないんだったら、また友達になれるだろうし、少年Cは?
少年C 友達にはなれると思うよ。むこうが望むならね。
少年A ヒョー、ヒャーッ。(一気に少年Aくんのテンションアップ。少年Cくんのマネして)「むこうが望むならね」。これはなかなか言えないよ、コノヤロー(笑)。
少年B 今、俺、江頭の気分。あばれてー(笑)。
少年C 悪いけど、俺に恋を語らせたらすごいんです(笑)。
少年A ちょっと、今日、かなり中身濃いよー、JUNON(笑)。

******************************
戻る