賣笑婦及花柳病
(その一)



賣笑婦及花柳病
氏原佐蔵著
東京:警察協会, 1926.7


 本書は、主に社会衛生の観点から売春行為について述べられたものである。著者は衛生行政に携わる医者らしい。「氏原佐蔵」の名前でgoogle検索をすると、いくつかのページがヒットするが、(どれも興味深い内容だった。例えば、「社会問題としての売買春----社会科学の言語論的転回をふまえて----」など)それらによると、「内務省衛生局技師」あるいは「内務省衛生局員」などと書かれている。この本が「警察協会」から出版されているのも、著書が内務省の官僚であることを考えれば納得がいく。なお、老婆心ながら付け加えておくと、本書のタイトルにある「花柳病」とは「性病」のことである。

 まずは序文の紹介から。

 賣笑婦は人類社會に纏綿する悼ましき實在である。國家が法規上に於ける公娼制度を廢止するも、賣笑婦は依然として影を潜むるものではない。賣笑行爲は人道上許すべからざる惡徳には相違ない、然るに古來國家主権者の威力も、聖賢の威徳も之を撲滅し、又馴化する能はず、今や其の罪惡と戰はんが爲に國際聯盟の問題として、全世界の力を擧げて之に當らねばならないような實情にまで立至つてゐる。

 クリスト教は一夫一婦の制を主張し、貞操觀念を嚴格に教ゆるも、クリスト教國民の凡庸なる日常生活に於ける眞相は如何、吾人は不幸にしてヒンヅー教の寺院に仕ふる賣笑の巫女を罵る元氣を失ふものである。

 國家にも、宗教にも夫々傳統的民族の反映が豐かである如く、賣笑婦の制度にも人種と民情による相違がある。又彼等が淪落し行く徑路にも種々なる涙の歴史を伴ふものである。吾人は彼の犯罪醫學の大家ロムブロゾーが、賣笑婦には先天的の體質があり、殆んど悉く低能者なりと評し去るほど、單純には考へ得るものではない。

 誰か自ら好んで淪落の深淵に沈み、肉に飢えたる異性の飽くなき爪牙に玩弄されて快とするものがあらうか、吾人は茲に至る社會的ミリユウーを考察せざるを得ない、一度び貞操を蹂躙されたる女性は弱い。次から次へと接し行く不倫なる男子の爲に絶えず花柳病の襲撃を受け、靡爛した彼等は此の病毒の仲繼所として、更に新らしい相手方に感染せしむる禍源となり、斯くて賣笑婦と花柳病とは常に因果關係を有するに至るものである。世人はあまりに賣笑婦のみを攻むるに酷であり、彼等を生んだ社會組織の缺陥を反省するの寛に失するは、余の甚だ遺憾とする所である。

 賣笑婦と花柳病に關する著書の出版されたるもの極めて多く、何れも當代に於ける權威である。然るに純然たる社會醫學者又は衛生行政の一端に携はる俗吏として、臨牀醫學者 所謂社會改良家との意見の中間に立ち、賣笑婦と花柳病との社會問題に付き論述せるものは未だ尠ない。余やもとより淺學短才其の任にあらずと雖も、現地位に在りて斯る調査研究に携はること十有餘年に亘り、殊に歐洲大戰後官命を帶びて歐米各國を遍歴し、之等に關する眞相を探り、又は資料の蒐集に努め、歸朝後も新材料を得る毎に整理して社會に質ふところがあつた。爾來今日に至るまで堆積した舊稿を系統的に編纂し、且つ足らざるを補ひ漸く之を脱稿した。顧みれば尚ほ不備の點のみ多く、衷心頗る忸怩たるものがあるけれども、過去十年間の苦心の結晶と思へば容易に捨て難いものがあり、竟に意を決して之を上梓するに至つた次第である。

 叙して茲に至れば春宵徒に更けて、月もなく風もなき窓外に咲き亂れた染井吉野の櫻花が、二片、三片ちらほらと硝子戸を打つては、音もせで散り行くのがほの見える。之れ恰も白奴賣買に取引され異國にさすらふ淪落の女が、名もなく暗に消え失せる運命を物語るにも似てゐる。社會の罪に連座して、冷たい涙の裡に葬られ行く彼等に、手向けの花としては或は應はしい情景であらう。しかし吾人は一掬の涙もなく之を看過することを許されない。然り散り行く櫻の梢にはやがて若葉も芽ぐみ、枝には何時か實も結ばれるであらう。若し彼等に靈の存するあらば、余が捧ぐる無名の努力と饗應して、社會に何等かの衝動を輿へ得ることもあらう。凡俗なる人間の眼に映じたる賣笑婦竝花柳病觀が多少なりとも識者に問題を提供することを得ば、寔に望外の光榮である。

 本書の出版に關し特に厚配を忝ふせる松村警保局長及高橋内務書記官に深甚の謝意を表するものである。

 大正十五年四月十二日の夜半
小石川林町の寓居に於て  著者 

 戦前の書籍には、「美文調」が唐突に表れる。この「産業ロック推薦図書」で以前に扱った本でも、そんな美文をいくつか紹介した。この序文もその格好の例だ。「叙して茲に至れば春宵徒に更けて、月もなく風もなき窓外に咲き亂れた染井吉野の櫻花が、二片、三片ちらほらと硝子戸を打つては、音もせで散り行くのがほの見える。之れ恰も白奴賣買に取引され異國にさすらふ淪落の女が、名もなく暗に消え失せる運命を物語るにも似てゐる。」なんて文章が、社会科学の実用書の序文に出てくるところが泣かせる。こういった「美文調」は当時、尾崎紅葉や永井荷風といった文豪の占有物でなかったのである。仮に今、「虚妄の日本経済−復活は本当か?」などというビジネス書があったとして、その序文に

「叙して茲(ここ)に至れば春宵徒に更けて、月もなく風もなき窓外に咲き亂れた染井吉野の櫻花が、二片、三片ちらほらと硝子戸を打つては、音もせで散り行くのがほの見える。之れ恰(あたか)も虚妄の繁栄に躍り真の反省を忘れた企業家が、名もなく暗に消え失せる運命を物語るにも似てゐる。」
などととあったとすれば、「この著者は何か悪い宗教でも入ってるのか?」とでも思われるのがオチ。

 文中「白奴」とは、「White slave」の直訳。もともとの英語での意味は、「(外国へ売られる)白人売春婦」の意味であるが、著者は特に「白人女性」に限定せずに「海外へ売られる売春婦」の総称として用いているようだ。また、「彼の犯罪醫學の大家ロムブロゾーが、」とあるが、おそらくこれは「ロムブローゾ」の誤植だと思われる。ロンブローゾといえば、言うまでもなくイタリアの犯罪学の泰斗。なんでも遺伝的な問題で犯罪現象を片付けようとしたことで有名。

 本書で特に興味深いのは、第一次大戦後の混乱した歐洲での風俗の一端が覗けるところだ。序文でも触れられている通り、著者は官命によって欧州の売春行為の実態の調査に赴いている。やはり、大戦後の驚天動地の欧州での現地の見聞が読めるのは興味深い。

 では、欧米では売春婦に対していかなる施策を為してきたのか。まず歴史的な概観の紹介。

仏國は一五六○年ルイ十四世の治世に於て、全國の所謂妓樓 Bordelle を廢止しようとするの政策を斷行したが、以外にも反つて私娼が各地各所に無數瀰蔓するの結果を來した。更に同王は花柳病豫防の必要上兵士をして現行犯の賣笑婦を捕へしめ、其の耳をさへ切除するの暴虐を敢てしたが夫れですら成功を敢むることが出來なくして徒勞に終つた。

 墺國ではカール五世の治下で一五三○年に彼の二十箇條より成る警察命令を發し、賣笑婦に對し苛酷極まる刑罰を科し之が撲滅を企たけれども成功せず。其の後有名なるマリア・テレジア女王も賣笑婦に對し嚴重なる取締を行つたけれども、何等効果なき撲滅策を試みたりとの嘲笑を買ふに過ぎなかつた。

 獨逸は伯林の事蹟に就て觀るに一六六七年妓樓廢止に關し嚴重なる命令を發したが、一七○○年に至り遂に之を緩めねばならないようになつた。其の所以は正婚の婦人・未婚の處女の間に花柳病が非常に多く浸淫するの慘害を認めざるを得ないように立至つたが故である。其後一七六九年には公共的建築物内に於ける賣笑を禁じ、同時に『妓樓に對する警察取締令』 Polizeiliche Regelment fur die Bordelle. を發したが、しかも賣笑婦の影は之を潜むることなくして今日に至つた。

 英國の如き所謂紳士國では賣笑婦の問題は之を話題に上すことをも耻とする程の國柄であるけれども一一八○年ヘンリー二世以來の努力も未だ其の効果を認められない。

 日本に付て之を見るも徳川幕府が江戸で幾度か賣笑婦取締或は追放に就て努力したが、飯上の蠅を掃ふよりも困難であつたのは實に當然である。又近く大正の今日私娼撲滅の方法を講じたこともあつたようだけれども、其の結果たるや、佛國の夫れの如く、或は又之を所在に散蔓せしめたに過ぎないとの冷評をさへ受くるの結果に終つた。
(p.2-3)
 コロンブスが新大陸から恐るべき新性病「梅毒」を持ち帰ったことが、欧州の売春取締制度の確立に対して大きな影響があったことは想像に難くない。上記に拠れば、オーストリア・フランスでは16世紀中ごろから大規模な売春取締を行ったとのことであるが、これはヨーロッパへ梅毒が伝わってからほぼ50年後のことである。

 厳格な売春禁止令がことごとく失敗に終わって、次に考え出されたのは売春を公的機関の管理下に置くというものだった。以下再び引用。

(五)賣笑婦取締 賣笑婦は前述の如く妓樓に在つて公然と客に接するものと、街路其の他カフエー、寄席、劇場等に客を擁して同行するものと、媒合宿に落合ふものとある。之等の中で風俗警察或は衛生警察的取締の下に置かれた所謂登録娼(公娼)と、登録をせず警察眼をくゞつて賣笑行爲を常習とする私娼とがある。

賣笑婦取締に付て法規を制定したことに關しては歴史的沿革があるけれども、近世的立法の範となつてゐるのは佛國であつて、他の歐洲各国は其後之に傚ひ法規を制定し其の下に賣笑婦の取締を行ふことゝなり、之が爲に賣笑婦の登録制を採るに至つた。此の登録された娼婦なるものは、吾國の公娼と異る所なく、居住の制限、自由の束縛等があり、強制檢診を受けねばならぬ義務もある。
(p.45)
文中にある通り、欧州における近代的な売春取締法はフランスに端を発した。その要点は、売春婦を登録制にして売春行為を認めることと引き換えに、性病の強制検診を義務付けたり居住場所を制限したりと自由の束縛を強いるというものであった。売春を管理する側の問題意識としては、売春行為の人道的な問題もさることながら致死性の病である梅毒を始めとする性病の流行を抑えたいという動機のほうがより強かったであろうと思われ、その意味ではこの公娼制度は上手く機能したために、この取締法はヨーロッパに広まっていった。

 ヨーロッパの売春管理制度が江戸時代の日本のそれと異なっているのは、売春婦個人個人を登録制にして官許した点にある。我が国では売春宿の営業場所を限定したが(吉原・新町・島原のみ。他の岡場所等は本来違法だが、黙許していた)、娼婦を個別に登録してはいなかった。

 作者による売春の現状に対する総括は以下の通り。

其三 結語

一、賣笑婦撲滅政策を斷行しようとして未だ曾て成功した歴史なく、又國家が法規の形式上賣笑婦を公認せざる邦國にも賣笑婦は更に多數に實在する。

二、一般に民度高く個人の収入は能く其の高尚なる娯樂心を滿足せしめ且つ慾望を充たすに足り、社會的缺陥が少なくして生活難も尠ない邦國ほど賣笑婦の表面に現はるゝ數も少ない。

三、賣笑婦に客の自由撰擇權が保留されありと稱する、散娼制度以外に吾國の遊廓制度に類似せる、妓樓の今日尚ほ存する國は決して少なくない、加之婦人小児賣買の罪惡は世界至る所に實在する。

四、何れの邦國にも賣笑婦は存在する、而して其の表面に露はれる状況は、恰も其の國々に於て共同便所を標識する態度と符節を合するようである。即ち吾國の如く公々然と示すか、米國等の如く隱し盡くすかの問題であり、且つ其の共同便所は掃除が行届いた清潔なるものか、又は放任された不潔のものかの別があるにすぎないのであらう。

五、實際問題として便所の如き不淨物は外來者の注目を惹き難く、不快の念を起さしめないような場所に置くべきものであつて、個人の家なれば裏面、都市なれば目立たざる所に設くべきものであらう。之を故意にノートル・ダム寺院又はニコライ會堂式に、衆目を惹き易い場所に公々然と設置するするは考慮の餘地がある。又共同便所は清潔に保持し使用者に供給すべきものたるべく、賣笑婦取締に對する政策も亦現状に於ては此の範圍を出でないであらう。

六、ピユーリタニズム即ち清教徒主義は神國建設上の最高理想であらふ、しかし、凡人のみの集合體である人類社會の最も醜惡なる暗黒面の現實たる賣笑婦の問題に關し、超人間主義の理想境實現を旗幟とし、民度の水平線上に船を進めてゐる行政官の態度を批難攻撃せんとするは、宣戰布告の對手方を見誤り、自己の無力を顧みず他の非違をなじらんとするものではあるまいか。 七、要之に賣笑婦は性慾本能的に醜惡なる人間社會上の蠅である、汚穢なる人間の醜骸の存する所、永遠に賣笑婦も生存し行くであらふ。
(p.23-24)
 文中、『邦國』は「くに」と読むらしい。ルビがないので読みが分からず、最初は「邦人」と同じように「ほうこく」とでも読んで「我が国」の意かとも思ったが、それでは文章の意味が通らない。意味から見て、単に『くに』と読むとすっきりした。また、『散娼制度』という見慣れない言葉があるが、これは妓樓や遊廓といった場所に常駐せずに客を引く娼婦のことらしい。「街娼」と言えば今でも意は通ずるであろうか。

 「汚穢なる人間の醜骸の存する所、永遠に賣笑婦も生存し行くであらふ。」と聞くと、まあ有りふれた結論と感じられるが、「何れの邦國にも賣笑婦は存在する」と強調している点を見ると、当時は「西欧諸国では日本のように遊廓などなく売春婦がはびこっていないはずだ。顧みて我が国の現状が嘆かわしい」と思う人が結構多かったためにわざわざ書き入れたのではないか、とも思われる。大正のころであれば洋行する人など極めて限られていただろうし、各国の状況をよく知らず、とりあえず「西欧諸国と比べて我が国がこんなに遅れている」と叫ぶ人が多いのは、今昔問わず変わらない我が国の傾向でもある(自戒も込めて)。

 共同便所を妓樓の比喩として用いるというのも、よく見られる記述であるが、しかし「便所の如き不淨物は・・・ 都市なれば目立たざる所に設くべきものであらう。之を故意にノートル・ダム寺院又はニコライ會堂式に、衆目を惹き易い場所に公々然と設置するするは考慮の餘地がある。」ノートル・ダムのような共同便所、ないし遊廓があったら逆に見てみたいもんだ。

 「其の國々に於て共同便所を標識する態度と符節を合するようである。即ち吾國の如く公々然と示すか、米國等の如く隱し盡くすかの問題であり、」とあるが、共同便所の表記については、別に詳細が記述されているので引用する。

 要之純理上よりせば斯る婦女の存在を許すべからざるは何等異論のない所である。又國家爲政者の權力を以て撲滅しようとせば理論上可能であるべき筈である。されど古今東西の歴史は其の軌を一にする、即ち曰はく『成るべくしてならない』と。恰かも都市に於ける不潔、悪臭の發散所なる共同便所の全廢を理想として計畫したものすら生じたが、是亦た反つて全都市を不浄化するの失敗に終らうとしつゝあるのと同樣である。

 吾國の現状では共同便所の所在を標示するに明かに『便所』とし、其の下には W.C. と併べ書きし、外國人に對して素直に之を示してある、東洋の各開港場では今日尚ほ W.C. の字を用ひてゐるけれども、歐洲に入れば自ら異つて、例へば佛國では『手洗場』 Toirette を慣用し、若くは紳士、淑女即ち Messieurs, Dames 又は單に男、女 Homme, Femmeを以て標識してある。瑞西は佛語地方では佛國の形式を採つてゐるが、獨逸語系の地方にては紳士、淑女 Herren, Frauen の字を用ゐ、墺國・獨逸等も若し標示する場合には多く此の Herren, Frauen を以てする。英國に入れば『化粧室又は手洗場』 Lavatory の語を使用し、時ありてか紳士、淑女即ち Gentlemans, Ladys 又は稀に男・女 Man, Woman を以てする。然るに米國では所在を暗示すべき標識を缺ぐのを常とし、且つ其の都市より共同便所の影を没せしめようとすることを理想としたかの如く、在來設けられた所でも全く之を標示しない、殊に新しく發達した都市例へば桑港の如きにては、獨立せる共同便所を備へないのを誇とするではないかと思はるゝ程である。しかも都市に共同便所を缺ぎ或は之に代るべき設備のない場合には、夜間又は早朝街路を逍遙して見ると、汚穢排泄物等による不潔實に意想外である。要するに便所と明記するも、或は男・女とするも、將た手洗場、化粧室と言葉を飾るも、又全く之を標示しないとするも、夫等は表面の問題で事實は人類の生存する所、尿屎の排泄を見ずとのことは信ぜられない、公娼と云ひ、私娼と云ひ、或は集娼・散娼と稱し、又斯るものゝ存在を認めないと號するも、畢竟表面を修飾する策略に過ぎない。
(p.2-3)
米国の例が目を惹く。便所の存在を明らかにしないというのである。「桑港の如きにては、獨立せる共同便所を備へないのを誇とするではないかと思はるゝ程である。」というのもナカナカにすごい(桑港とはサンフランシスコのこと。念のため)。

 この公衆便所に関する記述を、上記の筆者による「結語」にある、次の部分「何れの邦國にも賣笑婦は存在する、而して其の表面に露はれる状況は、恰も其の國々に於て共同便所を標識する態度と符節を合するようである。即ち吾國の如く公々然と示すか、米國等の如く隱し盡くすかの問題であり、」をつきあわせると、米国では売春の存在を徹底的に隠そうとしていたらしいことが分かる。ただ、米国の国土は広く州ごとに大きく法律も異なるので、全米で同じ傾向であったかどうかはよくわからない。西部劇映画や米南部を描いた映画ではよく売春宿も登場するし、筆者が東部の大都会や西海岸の新興都市の視察の結果だけを勘案して書いていることなのかもしれない。ともあれ、第一次大戦後のいわゆるRoaring 20's やJazz Ageと呼ばれる放埒の時代以前の米国の様子が垣間見られて興味深いことは確かだ。

 さて、社会衛生の観点から見るとそれなりにうまく機能していた欧州の公娼制度であるが、20世紀に入って崩れ始める。

(六)大戰の影響 歐洲大戰は一大社會的革命を齎らしたと共に、上來屡延べたる如く、此の賣笑婦制度上にも著しき變化を來した。(中略)

例を戰禍の最も甚しかつたドイツの國情にとるに、大小の都市に於て女中奉公をしてゐたものや、裁縫や又女店員などは戰禍の影響による物價の騰貴に反し、殆んど停止的な一定の低格なる報酬のみの斯樣な仕事では物質的に到底滿足するを得ず、加之異性の缺亡による身神上の空虚感は、不貞操行爲の裡に驅つて、同時に不正な物質的缺亡を補はんとするに至つた。戰爭の始まつた年の暮にフランクフールト・アム・マイン市の職業紹介所の發表によれば、前月中一ヶ月間に同市風俗警察取締の手に拘束されたものは二二六名であつたが、實に其中の九八名即ち二分の市は勞働婦人であつた。當時彼等が生活の爲に要する一日の最低標準額は一マルク二十五ペンニツヒであつたが、彼女等が勞働による所得は平均一日マルク半から一マルク八十ペンニツヒに達してゐたので、當時は單に給料で生活を支ふるに足りないから、賣笑を敢てしなければならないと云ふまでに問題は切迫してゐなかつた。然るに年と共に遂に彼等のみならず、堅實を以て自負してゐた中流以下の婦女子まで、眞劍に食を得て生きんが爲に其顏と良心とを覆うて、貞操を金錢に代へねばならない苦境に陷つた。無論斯樣な場合に風俗警察取締令による常習的賣笑婦として登録する如きは、想像だに及ばない所であつた。

 他面常習的賣笑婦として既登録濟の連中にとつては、此の雪崩れ込む素人的急變の賣笑婦の簇出によつて、次第に壓迫を蒙り生活上の脅威即ち収入の減少を來すようになつた。加之若し彼等が法規に違反した行為が有つた時は、遠慮なく檢擧される。斯くては其の生活上の問題であるから互に相糾合して賣笑婦の組合即ち團體を作る必要があるとし、一九一四年の一月にベルリンに中央事務所を置き其の事務長名を以て全國の賣笑婦に對し印刷した趣意書を配布し、入會金と會費とを徴収し夫れを事務費に充て、賣笑婦の地位擁護に付て活動する所があつた、しかし歐洲の天地を通じて急迫した事情は單にかゝる微力な運動では支ふる能はず、遂に登録娼婦も其藉を離脱するものが續出し、彼等は一時の出來心的なる賣笑行爲者と競爭して男性を捕え、譬へ不正なりとも生活に必要なる生きんが爲の資を得ることにあせつた。されば大戰第五年には歐洲各国殊に交戰国では何れも公娼即ち登録娼の數は著しく減少し、(以下略)
(p.46-47)
戦争による経済的困窮が、素人の売春産業への流入をもたらし、その結果私娼が増加しそれまで公娼であった玄人も、何かと制約の少ない、より身軽な私娼へと転向していく。確かに分かりやすい説明である。しかし、第一次大戦による困窮だけが公娼の減少の原因ではないようなのだ。

然るに時勢の變遷は登録娼の數を年と共に逓減するに至つた。例へばドイツのベルリンでは一九○三年乃至一九○七年間に於て 三、七○七名より 三、六九二名に減じたが、其中でも一九○五年には著減して 三、一三五名を示した。又ハムブルヒでは同上年間に、一、二六六名より九二○名に下つた。ミユンヘンでは被取締娼婦は二四八名より一七五名に減じた、其他同國内の各大都市の統計もあるが之は省略する。要するに大戰前までは此の登録娼の年と共に減少することは殆んど各國共通的であつたが、大戰に際し又戰後社會組織の動搖に伴ひ一層登録娼の數を激減し、驚くべき私娼の跋扈を見るに至つた。
(p.45)
実は大戦前から公娼が減少傾向を見せていたのである。何故だろうか。別に、社会全体の品行が向上して紳士達が娼婦を買わなくなったからではないようである。どうも、公娼達の商売の場所たる妓樓が衰退していったことに原因があるようだ。

 要するに何れの妓樓でも、其中の娼婦は所謂『抱えへ妓』であつて、金錢を以て賣買された白奴である。故に樓主に對しては絶對的に一奴隷たるに過ぎない。即ち歐洲に於ても今日尚婦人賣買が行はれてゐる。而して此の妓樓の中に閉ぢ籠められ、極端に自由を拘束されて世間と隔絶し、飽くなき荒んだ男性獣慾遂行の對手として、年月を送つてゐる賣笑婦は、其の素質惡く、乾燥無味で下品なることは甚しいものであつて、之は少しも吾國の遊廓内の娼妓と異らない、殊に前述の街娼などとは比較にならない程の差であるので、漸次世間と没交渉に傾き、時勢の流れの外に置かれ勝なので、歐洲に於ける遊廓や妓樓の數は自ら年と共に逓減する。即ちパリでは一八四一年には百二十萬の人口であつたに對し、二百三十五軒の妓樓と一四五○名の登録娼があつたが、一九○○年にはパリ及其周圍三百六十萬の人口に付き四十八の妓樓と五○四名の娼婦があるに過ぎなかつた。露國のペトログラードの妓樓數は、一八七○年と一八八八年とに於て二○六軒より六五軒に減少し、ドイツのハムブルヒでは一八五○年より一八六七年に於て一二四軒より九十六軒に減少した。其後の統計も引續き逓減し、殊に大戰以來更に激減し或る年の如き實質上の事實を除外すれば、表面僅に妓樓の形骸を留むるのみと云ふ有樣となつた。
(p.42-43)
「自由を拘束されて世間と隔絶し、飽くなき荒んだ男性獣慾遂行の對手として、年月を送つてゐる賣笑婦は、其の素質惡く、乾燥無味で下品なることは甚しい」「漸次世間と没交渉に傾き、時勢の流れの外に置かれ勝」といった理由が妓樓の衰退の原因としてあげられている。とはいえ、こういった妓樓の娼婦の傾向はもともとのものであって、19世紀後半から20世紀初頭にかけて急に娼婦が「乾燥無味で下品」になったわけではあるまい。とすれば、客側の男性の意識に何らかの変化が生じてこの「乾燥無味で下品」な娼婦を受けいれ難くなってしまったと考えてみるべきだろう。その変化とはどのようなものだったのだろうか。

 興味深い問題ではあるが、到底私の力の及ぶ範囲ではなさそうでもある。思いつくままに書いてみると、19世紀のヨーロッパの政治的経済的な他を圧倒する成長により、売春宿の得意客である貧困層にも有る程度の余裕ができて、単にセックスさえできればよい、というだけでは満足されなくなってしまったためかもしれない。さらに穿って言えば、19世紀になって写真や映画の発明によってポルノグラフィーが飛躍的に発達し、また都市生活者がアパートメントなど個室をもてるようになったため、手っ取り早く自慰で性衝動を抑えられるようになったというのはどうだろうか(ヴォルター・ベンヤミン受売りの感あり)。そういった変化によって、客が娼婦に求めるものが即物的な性行為だけではなくなってしまって、せっかくなけなしの金を払って娼婦を買うのだから「乾燥無味で下品」でない、ちょっとした気の利いた会話なども客が要求するようになったというわけだ。

 ベンヤミン風の考察の後は、御大バタイユを引っ張り出してみよう。「エロティシズム」の中で、次のような記述がある 。

近代の娼婦は羞恥心を自慢にし、羞恥心のなかに埋没し、そこを臆面もなく転げ回っている。(中略)

通常、男は、掟が自分の身において侵犯されるという意識を持つことができない。それだから男は、たとえ演じられたものであっても、女の狼狽を期待している。女の狼狽がなければ、男は侵犯の意識が持てないのだ。演じられていようとなかろうと、羞恥心によって、女は禁止と合体する。その女の内部で人間性を築いている禁止と合体するのである。たしかに現代は、こうしたことを無視する時代になっていきている。だが銘記しておくべきなのは、羞恥心のおかげでこそ禁止は忘れられないでいるのであり、羞恥心があるからこそ禁止の乗り越えが、禁止への意識のなかで生起しているのである。羞恥心が完全に消えているのは、唯一、低俗な売春においてだけなのだ。(※)
ちょっと誤解を招きそうな部分があるので補足しておくと、引用末尾にある「低俗な売春」だが、バタイユは全ての売春が低俗である言っている訳ではなくて、「聖なる売春」と「低俗な売春」という二種類の売春を想定しているのである(詳しくは「エロティシズム」を直接参照してください)。バタイユのこの文を読んだ上で、「自由を拘束されて世間と隔絶し、飽くなき荒んだ男性獣慾遂行の對手として、年月を送つてゐる賣笑婦は、其の素質惡く、乾燥無味で下品なることは甚しい」の部分を再度考えてみると、当時の男性客が欲していたのは、すれっからしの娼婦達しかいない妓樓では味わえない「女の狼狽」であったのだろう。客の側で既に「いかにも売春婦らしい売春婦」よりも「一見売春婦に見えない売春婦」を好む傾向が培われていた上で、第一次大戦による私娼の跋扈が起こったのである。


墺國 墺國の事情を述べるには、ウヰンの現況を語れば足れりと信ずる、當時のウヰンで賣笑婦が如何に跋扈しつゝあつたかは殆んど言語に絶し、認許されたる娼婦は帝政時代には二千に上つたが、共和制となつてから是等壓迫された階級ほど反撥し、斯樣な人權を拘束する警察取締に服するの義務がないと稱し、公娼數激減し、其の數以上に私娼は激増した。されば街娼は甚だ多く、妓樓も尚ほ存在してゐる(中略)

是等の大部分は勿論職業的娼婦で且つ其の幾分は公娼である。その公娼は客の請求によつて檢診證(ウンテルズツフングスカルテ)Untersuchungs-Katre. の提示を拒むことは出來ない。某邦人の直話によれば、其の對手となつた婦女の身分は某大學講師の妻女であつて、夫の承諾を得て生計を内助せん爲め賤業に沈んだとて、顏を掩ふて涕泣したとの悲慘なものすら有つたとのことである、斯る種類の私娼或は臨機的賣笑婦として帝政時代には相當名聞のあつた良家の婦女も少なくないようであり、甚しきは大學病院の看護婦であつて衣食の資を補はんが爲め賤業に出るものありとさへ噂された(中略)
(p.8-9)
「一見売春婦に見えない売春婦」ストーリーの王道といえば、やはり「零落の女」にトドメを刺す。世界中の売春宿で、一体何度「君はこんなところで働いている女には見えないね。」という意味の言葉が発せられたことであろうか。小説や映画の中ででも枚挙に暇がないはずである。風俗へ行って、女の子に「君のような子が、こんなところでいつまでも働いていてはいけない」などと説教した上で、しっかり一発抜いてしまうオヤジ、なんてのも、「君はこんなところで働いている女には見えないね。」の一変種だ。上記の「顏を掩ふて涕泣した」「某大學講師の妻女」の話もその典型的な例で、恐らく「某邦人」が、「君はこんなところで働いている女には見えないね。」などと話かけ、女が我が身の上話を話し出したものであろう。

 ただ、ちょっと意地悪な見方をすれば、売春婦の話を全て鵜呑みにするのも考え物である。落語の廓話を聞けば、女郎が舌先三寸で客に入れあげさせる件など日常茶飯事であるが(そのたくましさがまた素晴らしいのであるが)、その伝でいけば、上記の文中の大学講師の妻女の話も怪しいといえば怪しい。「臨機的賣笑婦として帝政時代には相當名聞のあつた良家の婦女も少なくない」あって、時代背景を考えれば確かに多かったのであろうが、こういう話はあくまで自称であって実際のところ目の前の娼婦の語る話がどこまで本当かは分からないのである。

 虚実は別にして、娼婦が「売春婦でない自分」の話をするのは何故だろうか。それは、客が「君はこんなところで働いている女には見えないね。」などと問いかけるからである。では、何故に男は売春宿で「君はこんなところで働いている女には見えないね。」というセリフを使いたがるのか。

 男性客にとって、現在対峙している娼婦は、彼女が近代の低俗な売春制度下の娼婦である限り、「羞恥心が完全に消えている」存在でしかあり得ない。娼婦と客とは金銭取引によって性交渉を行うのであるから、そこには「狼狽」や「羞恥」の存在する余地はない。そのために彼は「侵犯」の意識を持つことができないのである。そこで、彼は目の前の娼婦が、「娼婦ではない存在でもある」ことを確認しようとする。「君はこんなところで働いている女には見えないね。」という問いかけは、目の前に立っている女性について、まだ売春婦になっていなかった過去を探求すること、あるいは日常において娼婦らしからぬ生活をしている姿を追い求めることに通ずる。

 「娼婦ではない存在でもある」ことを確認したところで、現実に彼は金銭取引によって性交渉を為すのであるから、その性行為自体によっては「狼狽」や「羞恥」を得ることはできないことには変わりはないのである。その代わりに、彼は売春婦でない女が売春婦になる瞬間の狼狽・羞恥を想像する。女から身の上話を聞き、売春婦でないその女の姿を想像した上で、実際には売春婦であるところのその女を抱き、なけなしのファンタジーを総動員して「侵犯」の意識を奮い立たせるのだ。「夫の承諾を得て生計を内助せん爲め賤業に沈んだとて、顏を掩ふて涕泣した」とは、バタイユの言う「女の狼狽」そのものではないか。ただし、この狼狽は男との性交渉そのものに対する羞恥から出でたものというよりも「かつては某大學講師の妻女というおよそ娼婦などとはかけ離れた世界に生きていた女が、現在は金で客に買われていること」に対する狼狽なのである。これは本来の性における羞恥・狼狽とはズレたものであるかもしれないが、客はこの狼狽にとりあえずは満足して帰っていく。

 売春について19世紀後半に顕著になった傾向 ----公娼から私娼への客の嗜好の変化。「一見売春婦に見えない売春婦」がより好まれること---- に関して、バタイユを経由して話がかなり脱線してしまったが、この時代に強まった羞恥・狼狽に対する欲望は現代にもよく見られるもので、例えば有名大学の学生であることをウリにしたAV女優などは「およそ娼婦などとはかけ離れた世界に生きていた女が...」という驚きによって男性のファンタジーをくすぐろうとする戦略の格好の例だろう。また、いわゆる「東電OL殺人事件」があれだけ世間の耳目を集めたのも、この手の欲望を抜きにしては語れない。その意味で、21世紀初頭に生きているかなり多くの男性は、「自由を拘束されて世間と隔絶し、飽くなき荒んだ男性獣慾遂行の對手として、年月を送つてゐる賣笑婦は、其の素質惡く、乾燥無味で下品なることは甚しい」として妓樓の公娼を嫌った19世紀後半の男性と類似した性的な想像力を共有しているのではないかと思われるのである。


ジョルジュ・バタイユ著, 酒井健訳. エロティシズム. 東京, 筑摩書房(ちくま学芸文庫), 2004.1, pp.228-229
つい最近でた新訳で、かつての澁澤龍彦訳よりはるかに読みやすいです。


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