賣笑婦及花柳病
(その二)



賣笑婦及花柳病
氏原佐蔵著
東京:警察協会, 1926.7


第一次大戦後の欧州各国の歓楽街・娼館の現状レポートの部分から面白いところをいくつか抜き出してみる。


 余がウヰン滞在中カツフエー・ヨコハマとて、純日本式カツフエーが開店するとの、廣告ビラを辻々で撒くものがあつたので、好奇心に驅られて一見したが、竹細工の家具を並べ浮世繪を壁に装ひ、岐阜提灯を吊し、見るにも堪えないような友染模樣の服装をした賣笑婦の居るカツフエーで、寧ろ妓樓に近いものであつたのは甚だ不快であつた。 (p.9)

チエツク・スロヴアキア國
新興國たる同國の首都プラーグ Prag (Praha) は舊墺國領であつた關係より、賣笑婦の状況も概してウヰンに似てゐると感じた。(中略)

此所にもカツフエー・ヨコハマと稱するものがあり、地下室でウヰンの夫れよりも廣く、或は朱塗樓門の如き建物、扇額、浮世繪、提灯等低級なる日本趣味を加へ、小さく室を仕切つて居る。斯くして日本の表徴と賣笑婦とを結び付けてあるのは、旅行者にとつては決して快いものではなかつた。(p.11)

「横浜」という地名が20世紀初頭の欧州でちょっとしたエロのシンボルといて用いられていたらしい。

チェコスロバキアは当時、オーストリアから独立したばかり。プラハの歓楽街もオーストリアの強い影響下にあったと思われる。そのウィーンとプラハにどちらも「カフェ・ヨコハマ」があったというのが面白い。当時のオーストリア人にとっては「ヨコハマ」という地名が劣情をそそるものであったらしいのだ(もしかすると同一資本のチェーン店だったのかもしれない)。港町というものには娼館がつきものだから、横浜に立ち寄った船乗りの話がヨーロッパ中に伝播していたのだろうが、オーストリアでは「ヨコハマ幻想」が特に強かったのだろうか。

このカフェーの娼妓の人種・国籍については書かれていないが、特に何も書かれていないの見ると日本人乃至アジア系の女性ではなく白人だったのだろう。とすると、「友染模樣の服装をした(白人の)賣笑婦」なんてのは確かにちょっとした倒錯趣味をそそるものがある。

 筆者が、「日本の表徴と賣笑婦とを結び付けてあるのは、旅行者にとつては決して快いものではなかつた。」と述べているのが、一昔前の日本でも「トルコ風呂騒動」がありましたが、あの時のトルコ人も似たような気分だったのでしょうな(「トルコ風呂騒動」はこちらを参照)。

 

伊太利亜
概括的に述ぶれば賣笑の代償は不定であるけれども佛國殊に巴里に於けるものと比較すれば大差がなからうか、唯だ盗癖の多き國民性であるが故に、妓樓とか或は娼婦と同行するに際し盗癖による損失は殆んど當然であつて、何等警察的には取締られた所がないと云ふも過言ではあるまいとのことである、餘談であるが、余は羅馬第一流のホテル・エキセシオールの自室内で、しかも錠を下してゐながら盗難にかかつたことすらある。 (p.14)

イタリア旅行ではスリ・置き引きに気をつけろ、とはよく聞く話。これはもう昔から変わらないようで、「妓樓とか或は娼婦と同行するに際し盗癖による損失は殆んど當然」とまで言い切っているところが笑える。確かに「盗癖による損失はほとんど当然」な国なんだったら、盗まれても文句は言えませんわな。しかも「警察的には取締られた所がない」。


英國
英國人に對し英國に賣笑婦があるかと問はゞ、彼等は質問者の非紳士的行爲を冷笑し質疑に就てはこれを黙殺するであらう。然らば英國には斯樣な婦女はないかと云ふと決して然らずと答へざるを得ない(中略)

 倫敦の夜景を探らうと繁華の地ピカヂイリイ・サーカス Piccadilly Circus に足を運べは、紅粉脂黛の婦女が如何に異性を求むるに急であるかを痛切に感ずるであらう。更に是を中心としてレゼント・ストリート Regent Streed を經てオツクスフオード・サーカス Oxford Circus に至るまでの歩道を辿らば、日本人で此種婦人の挨拶を受けず、若くは其の誘惑を蒙らざるものは稀であらう。其の他斯る場所を擧ぐれば寧ろ多きに苦しむことと思ふ。而して彼等が嫖客を求め得れば、相携へてホテルの一室に入ること、大陸方面と異ならない、但し彼等の活動し得べき街路は嚴に定められてある。若し默認區域以外で男女相語らひ、互に誘惑しようとするが如き怪しい行爲ある者を巡査が見出したとせば、該巡査は靴音高く彼等に迫り來り、互に尚ほも離れざれば一層近づき、彼等が其の場を立退くのに相携へて去らうとせば尚ほ追求し、互に相離れるか、又街娼の默認區域内に立去るまで尾行するが之を拘引するようなことはない。斯る點の要領を得た警察取締法は、英國式を發揮して遺憾ないと思はれることである。(p.15)


ジャック・ザ・リッパーの事件(売春婦の連続惨殺事件)があったのが1888年。その後20年足らずでロンドン中の売春婦が一掃されるなどということは考え難い。とすれば、著者の問い「英國人に對し英國に賣笑婦があるか」と尋ねること自体がナンセンスなのであって、「彼等は質問者の非紳士的行爲を冷笑し質疑に就てはこれを黙殺するであらう。」というのは、別に「そんな下劣なものは英国には存在しない」という意味ではなくて、「そんなことは聞くのも野暮」と言っているにすぎないのではないか。

おそらく、当時の日本には「英国は紳士の国・品行方正な国」というステレオタイプが強かったためにこのような記述になったものであろう。

ただ、「斯る點の要領を得た警察取締法は、英國式を發揮して遺憾ないと思はれる」という点には同意。売春を許可するか違法とするかははっきりさせずに、許す場所を暗黙の了解で決めておき、警官などの無言の圧力でその場所に閉じ込めておくというコントロールの仕方は、いい悪いは別にしても大人のやり方のように思える。さすがは憲法を成文化しないだけのことはありますな。

 欧州各地の妓楼を見て、筆者が気づいた点が、娼婦の国籍・人種構成だった。


ロンドンのレゼント・ストリートを中心として活動する婦女の群にアイルランド生れや大陸の渡者が多く、パリのオペラ附近を泳ぎ廻はるかゝる婦女の中に、スペイン・イタリー・又は東歐諸邦生れのものがあり、ウヰンのリングを彷徨するものゝ中にバルカン諸國からスラヴ系の婦女が少なくなく、ベルリンのフリードリツヒ・ストラツセーをさまよふものにスラヴ系の女の多いことなどは漂浪する斯る婦女の移動範圍が窺はれる。 (p.40)


で、これを見ていて何かに似ているなぁと考えたら、ハタと気づいた。ヨーロッパのサッカーチームの選手構成に似ているのである。「パリのオペラ附近を泳ぎ廻はるかゝる婦女の中に、スペイン・イタリー・又は東歐諸邦生れのものがあり」とあるが、ここだけをちょっと逆転させて「マドリード・ミラノを泳ぎ廻はるかゝる婦女の中に、フランス・又は東歐諸邦生れのものがあり」と変えれば完璧だ。イングランドのプレミアリーグでは、ロイ・キーンを始め多数のアイルランド選手が活躍しているし、ドイツのブンデスリーガでは、ニコ・コバチなど東欧諸国の選手が多い。スペインのリーガエスパニョーラ・イタリアのセリエAなどのトップリーグでも東欧の選手はよく見かける。

ヨーロッパにおける人の移動に関わる条件は、地理的・経済的・文化的に見て20世紀初頭と現在できわめて似通った状況にある。ドイツ・フランス・イングランドはヨーロッパの当時も今も強国であってスペイン・ポルトガルはそれらに少し劣り、東欧のスラブ系の国々はさらに劣る。鉄のカーテン時代、ソ連の強固な指導の下で東西ヨーロッパ間の人の移動は制限されていたが、それがなくなった今、20世紀初頭のヨーロッパ情勢とほぼ同じ状況下で人は移動する(伝え聞くところによるとベルリンやハンブルグの歓楽街では、東ヨーロッパからの売春婦が多数流れてきているらしい。欧州の風俗界も旧に復したようだ)。お金で売り買いされるという点では、娼婦とプロスポーツ選手は同じであって(特にECによるボスマン判決以降、選手の売買がより国際的になった。ボスマン判決についてはこちらを参照)、そうなれば各国のサッカーチームの選手の構成が、20世紀初頭の売春婦の構成に似てくるのも当然と言えば当然と言える。

その中で、20世紀初頭は一大娼婦輸入国だったフランスがサッカー選手輸出国に変貌しているところが面白い。国内でサッカー人気がそれほど高くないというのも理由だろうが、経済面での地盤沈下が少し現れているような気もする。また、輸出されているサッカー選手の多くが、アフリカ系などの移民(ジダンが典型)であるところを見ると、貧困から脱出する手段の一つとしてプロスポーツが好まれている面もあるようだ。


(四)婦女賣買
Madchenhandel 妓樓或は遊廓制度の存立と相關的であつて、離るべからざるは此の婦女賣買である。之が起源は古いが近世に於ける原取引地は北歐或は東歐地方が主で特に舊墺國及びドイツ人の手で供給された爲に、此のメーチヘンハンデルと云ふ言葉は殆んど世界共通語となつた。又最近アメリカ大陸に向つて其販路の手が擴がるに至り白奴 White Slavery の賣買問題が、世界の視聽をそば立てるに至つた。(中略)

斯る手段をとつてゐる惡徒は世界各國に亘り相聯絡して魔手を伸ばして網を張り一台團體を組織し、秘密結社の大規模な株式會社的のものが成立して居り、世界各國の隅々までも其の大都市には事務所が設置されてある。夫れで此の誘惑の網にかゝつた婦女は暗より暗に轉々商品たる一荷物として運ばれて行くのであつて、其主なる供給地は東部ヨウロツパ即ちガリシヤのユダヤ人とか、ヒンヅスタン人種とかの未開に近い邦國の若い婦女子や、其他東歐諸邦の田舎農村の處女を巧に誘惑して、彼等があこがれてゐる大都會殊にパリへと誤魔化されて誘ひ出され、途中から婦女賣買團の手により國境を越え或は海港に伴はれ否應なしに甲より乙にと轉賣されて歐洲のみならず兩米・豪洲・アフリカ其他世界各國にと轉々送り出されて行くのであつて、彼女等の運命は小説よりも更に數奇なるものである。而して買出の手先きは獨・墺・和蘭等の諸國人が多い。更に誘惑される婦女は歐洲未開國のものに限られず、東洋の婦女もアルゼリアやエヂプトの女も亦此の取引の商品となるを免がれない。米大陸に於ける大市場は、ニユーヨークであつて歐洲諸港より荷物の如く集まり來る婦女は、ニユーヨーク大取引所の手から兩米各國に轉送されてゐた。しかし最近は南米の方にも大取引所が出來てアルゼンチン國の妓樓の如きは一大需要地となつた。何にせよ遊廓や妓樓の存する所其樓主が所謂玉たる婦女を次から次へと抱へようと買取るので之に供給せんが爲の婦女賣買團の跋扈は已むを得ないことであり、其の爪牙にかゝつた婦女は彼の昔黒奴が安い金錢によつて賣買されたよりも一層慘酷に取扱はれ、生きたる肉の屍となり其肉に白粉と香水とを塗り、肉に飢えたる者の獣慾の相手となつて糜爛し行くのである。地上を照す永遠の神の愛と恒久なる攝理は疑もなく正理公道の上を照すが、其の神を恐れず罪惡に生き、惡魔の手先を務むる人々によつて、無垢の少女が肉の犧牲となつて亡び行くのは實に何んと慘ましいことであらふ。(p.43-44)


「其の爪牙にかゝつた婦女は彼の昔黒奴が安い金錢によつて賣買されたよりも一層慘酷に取扱はれ、生きたる肉の屍となり其肉に白粉と香水とを塗り、肉に飢えたる者の獣慾の相手となつて糜爛し行くのである。」という文がいい。「生きたる肉の屍」が「糜爛」するというマガマガしさが堪らない。

国際婦女売買組織の様子だが、これについては筆者自身が調べたものではなく、何かの資料の孫引きのようであり、どこまで信用していい内容なのかよく分からない。なんとなく、1920年代ハリウッドの連続活劇映画のストーリーのような感じもする。まあ、実際に国際的に暗躍する女衒の団体がいたのは確かなのだろうが、「而して買出の手先きは獨・墺・和蘭等の諸國人が多い。」と断定するだけの根拠があるのだろうか。他の国の連中も多数絡んでいたのではないかと思われるのだが。

上述したが、欧州の風俗界に再び東欧の婦女が行き渡っているところを見ると、この手のインターナショナルな女衒団の暗躍は未だに続いているようである。

 しつこくサッカーネタを絡めると、アルゼンチンは娼婦の輸入国であったと文中にあるが、現在はフランスと同じようにサッカー選手の一大輸出国である。これについてはフランスよりも説明が容易で、なんといっても経済情勢の悪化によるものであろう。第二次大戦前までは、食料品や原料の輸出などで南米の大国(ブラジルやアルゼンチンなど)は欧州とタメをはれるぐらいに経済力があったのだが、第二次大戦後はしだいに国力を落とし、ここ数年の通貨危機でアルゼンチンは壊滅的な経済状況になってしまった。こうなってしまえば売れるものはなんでも売らざるを得なくなる。ヨーロッパのサッカーチームのスカウトの目にとまれば20歳前後若手でもどんどん移籍してしまうようになってしまった。お隣のブラジルでは経済状況はアルゼンチン程には危機的ではないが、それでも欧州との経済格差から選手の流出は止まらない。

先日、「SKY PerfectTV」内の「J SPORTS」のサッカー中継を見ていたら、解説の向笠直さんが「昨年(2003年)、ブラジルから600人程の選手が海外に移籍した」と言っていた。2003年は特に流出が激しかったらしいが、近年では毎年コンスタントに数百人の選手が国外に渡っているらしい。これだけの数の選手が海外に言っても国内リーグを運営できるというところが逆に凄いところではある。

 最後は、国際女衒団の話からサッカー選手の移動の実情に話が脱線してしまったが、今回はここまで。

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