産業ロック製作所推薦図書

變態性慾心理 その1

變態性慾心理
Krafft-Ebing, R. v. 著.
黒澤 良臣 訳.
大日本文明協會第二期刊行書第二十四巻
東京:大日本文明協會, 大正2年.

寸評
変態本の老舗といえば、やはりクラフト-エビングの"Pshychopathia sexualis"にとどめをさすといっても過言ではあるまい。 しかし、高名な本であるに関わらず、日本語訳の本はとんと見かけない。 屹度、今出版すれば、その古色蒼然たる変態観によった豊富な事例がそこそこ人気を呼ぶと思うのだが。 仕方がないので、筆者は古い英訳本などをときどき覗いては、愉快な事例の一端に触れていたのであった。 が、先日古い訳とはいえ、日本語訳本を見つけたので、事例の報告を中心に何回かに分けて紹介することとする。


第四章 性慾病理学(神經性及精神性總論)
 ・色慾違期症 解剖的及び生理的機轉の時期以外の色慾
   二 老年期に於て再び喚起する色慾

 X氏、八十歳、身分高き者、精神病的遺傅あり。 元來色情的、且、刺戟性なり。(中略)

 一年前より老耄性癡呆の徴候を呈し、健忘症となり、既往の事柄に關して十分なる追想をなすを得ず。 且、時日の指南不十分となれり。十四ヶ月前より、奴僕、殊に若き園丁に對し眞正の戀愛を傾けたり。 愛人には夥しき贈物をなし、家人及び使用人には愛人をば大に尊敬して遇すべきを命ぜり。 此老人は愛人との會合を燃ゆるが如き熱情を以て待ち、而も愛人との享樂を他から妨げられざらんが爲めに、家族を遠ざけ、二人のみにて數時間一室に閉居せり。 室の戸の再び開かれたる時は老人は甚だしく疲勞して、牀上に横たはり居れり。 老人は此愛人の外、時々、他の奴僕とも同衾す、主として相互手淫を試みたるなり。 (p.67)


いやはや、おそるべき八十歳ではある。 「愛人との會合を燃ゆるが如き熱情を以て待ち」といういささか古びた詩的表現も、變態本の持つひなびた味わいをいや増しているといえよう。 しかし、八十のじじいの相手を数時間も勤めなければならないとは、もし若き園丁の立場にあったらと想像すると、戦慄を禁じ得ない。 相手は時間の感覚を失った痴呆老人なのである。よく、ボケ老人がさっき食事をしたのを忘れてすぐお腹空いたと騒ぐという話を聞くが、それと同じような調子で手淫を求めてくるわけだ。 これは恐ろしい。

 中に、

「十四ヶ月前より、奴僕、殊に若き園丁に對し眞正の戀愛を傾けたり。」
という一文があるが、1924年のアメリカ版では、
"For fourteen monnths it was noticed that he manifested affection for certain male servants, especially for a gardener's boy."(p.60)
だし、1892年のドイツ版でも、(以下、独文はウムラウトを外してある。)
"Seit 14 Monaten bemerkt man an dem alten Herrn eine wahre Verliebtheit gegenuber einzelnen mannlichen Dienstboten, namentlich einem Gartenerburschen."(p.42)
だから、「眞正の」というのは、いささか勇み足の訳だと思われる。 しかし、八十の痴呆老人が少年に「眞正の戀愛を傾け」たというイメージが与える効果を考えてみれば、こういう勇み足の訳はむしろ歓迎したい。

第四章 性慾病理学(神經性及精神性總論)
 ・色情過敏(病的に亢進せる性慾)

P氏、男、五十三歳、既婚。遺傅的素因はなきが如し、ただし祖先中、癲癇に罹れるものあり。 彼は中等の酒客なり、早老の徴候なし。彼の妻の談に據るに、P氏は二十八歳の時結婚し、爾來、色慾過敏にして、淫力強勢、夫妻間の關係のみにては不足なり。 又交接に際しては動物的にして、甚だしく猛烈、全身を振はし、鼻を鳴らす。而も夫婦關係は妻に取りては苦痛なりき。(中略)

結婚後、妻の妹を姦し、一兒を舉げ、母子共に自家に引き取れり。 斯くして家に二人の妻あることとなれるが、彼は寧ろ義妹の方を愛したり。 而も妻は之を一の不幸として忍耐せり。年と共に淫好のみ旺盛を極め、性慾は消褪せり。 交接後往々手淫を行ひ、其際、妻が目前にあるも意とせざりき。 彼は十六歳の處女に猥褻なる行爲をなし、且、交接を挑めり。後、彼は自身の私生兒に對しても同様のことを試み、爲めに彼は遂に精神病院へ送らるるに至れり。(後略)(p.79)  


この症例で最も気にかかるのは、やはり「爾來、色慾過敏にして、淫力強勢、夫妻間の關係のみにては不足なり。又交接に際しては動物的にして、甚だしく猛烈、全身を振はし、鼻を鳴らす。」という点だろう。 「色慾過敏」者が「交接に際しては動物的にして、甚だしく猛烈、全身を振は」すのは理解できる。 さもありなんという感じ。しかし、「鼻を鳴らす。」とはどういうことか。 なんだか、いびきのような音を鳴らしながら迫ってくるということなのだろうか。 あるいは、豚の鳴き声のような音を出しながら迫ってくるということだろうか

ちなみに、1924年のアメリカ版では、

"During coitus he became quite bestial and wild, trembled all over with excitement and panted heavily."(p.73)
となっている(1892年のドイツ版ではこの症例は紹介されていない)。 "pant"という動詞を辞書でひいてみると「あえぐ、息切れする、激しく動悸する」とある。 確かに、あえいで息切れし、激しく動悸すれば、結果として鼻が鳴ることもあるだろうが、鼻を常に豚のように鳴らしながら迫る、というのとはかなりニュアンスが異なると思うのだが。

また、日本語訳では、次の文は「而も夫婦關係は妻に取りては苦痛なりき。」とあっさり書いてあるが、1924年のアメリカ版では、

"This nauseated the wife who by nature was rather frigid and rendered the discharge of her conjugal duty a heavy burden."(p.73)
とある。ここで、"frigid"を、ズバリ「不感症」と訳してよいのか、「冷たい、冷淡」ぐらいに訳せばよいのか、筆者の英語力ではにわかには判断しかねるが、要するに、「日夜、暴力的に、鼻を鳴らしながら性行を強要するため、それでなくても不感症気味の女房はすっかり夫婦生活に嫌気がさしてしまった」ぐらいの意味だろう。 しかし、例え不感症でなかったとしても、「交接に際しては動物的にして、甚だしく猛烈、全身を振はし、鼻を鳴ら」された日には、腰がひけてしまうのは当然だ。

(以下次回)




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