産業ロック製作所推薦図書

變態性慾心理 その2

變態性慾心理
Krafft-Ebing, R. v. 著.
黒澤 良臣 訳.
大日本文明協會第二期刊行書第二十四巻
東京:大日本文明協會, 大正2年.

寸評
「變態性慾心理 その1」では、参照した"Pshychopathia sexualis"のドイツ版とアメリカ版の書誌事項を記載していなかったので、ここに書いておく。

ドイツ版
Psychopathia Sexualis mit besonderer Berucksichtigung der contraren Sexualempfingund : eine klinische- forensische Studie / von R. v. Krafft-Ebing. - sievente vermehrte und theilweise umgearbeitete Auflage
Stuttgart : Verlag von Ferdinand Enke , 1892
ix, 432 p. ; 22 cm


アメリカ版
Psychopathia Sexualis with especial reference to the antipathic sexual instinct : a medico-forensic study / by R. v. Krafft-Ebing ; english adaptation of the twelfth german edition by F. F. Rebman
New York : Physicians and Surgeons Book , 1924
xiii, 617 p. ; 22 cm

以下、ドイツ版アメリカ版という時はこれらの本を指すこととする。 日本の訳書は伝統的に原書の書誌事項をおざなりにしか記述しないものが多いが、 この「變態性慾心理」もその例にもれず原書のどの版から翻訳したかの記述がない。 が、ドイツ版(第7版)にはなくてアメリカ版(第12版)にある症例が載っているので、 かなり後の版からの翻訳だと推測される。

それでは、症例の報告に移るとしよう。


第四章 性慾病理学(神經性及精神性總論)
・色情過敏(病的に亢進せる性慾)

Z氏、三十六歳、校長、七人の子女を有す。十二年前結婚。彼の自白に據るに、 女生徒に對して教授中、教壇にて手淫をなせり。 彼は前夜平日より多量に飲酒せり。 授業時間の少し前に、豫て其美貌を賞し居たる少女を見、一種の憂悶を感じ、 熱烈なる淫火に襲はれ、遂に堪ふる能はずして少女の陰部に觸れたるに直に射精せり。 今や自己の地位、淫猥なる行爲を自覺し、甚だしく狼狽せり。 右の色慾感動中の意識の溷濁及び追想の缺陥は證するを得ざりき。
彼の前生涯は毫も非難せらるべきものなかりしを以て、裁判官は彼の行爲を病的要約の下に行はれたるものならんと想像し、鑑定に附したり。(p.82)


一読したところは、「教壇でせんずりこくとはすげえ度胸だ」と思うのだが、 よく考えてみるとなんだかおかしい。 教壇で黒板を背にして教えている先生が急に手淫を始めるだけで教室はもうパニック状態になっていると思われるのだが、先生はそれから、「豫て其美貌を賞し居たる少女」の陰部を触り、射精したというのである。 いくらなんでも、そこまではできないような気がする。 その思われ者の少女は逃げなかったのか?それに、少女の陰部に触れたら射精した、 というのなら、それは厳密な意味での手淫ではないではないか。

疑問に思ったので、アメリカ版をあたってみた(ドイツ版にはこの症例の報告はなかった)。


  Z., 36 years of age, father of seven children, president of school, confessed that he committed masturbation in school whilst sitting at his desk which, however, prevented the act being seen by the pupils as it was encased all around. He drank more than usual on the preceding evening, had been provoked to anger before going to school, and had been excited by the sight of some very pretty girls attending his lecture. This produced a violent erection and led to masturbation. After the act he became conscious at once of his compromising position, but he thought that the pupils had not noticed his excitement had helped him to regain self-possession.(p.74)
かなり、日本語訳と異なっていることがわかる。 英文のほうでは、周りを完全に囲む机に座って授業をしていて、その中で手淫をしたことになっている。 当然、外側からは彼が手淫をしているかどうか見えない。 また、少女の陰部に触れた、という記述は全くない。 「豫て其美貌を賞し居たる少女を見」も、英文のその部分を訳すと「彼の授業に出ている幾人かのとてもきれいな少女たちを見て」であってかなりニュアンスが異なる。 前者では、「以前からおもいつめていた一人の少女をみることによって」という感じだが、後者では、少女が "girls" と複数形になっているから、ある一人の特定の少女をさしているのではないのである。

どうも、読んだ感じでは英語訳のほうが原文に近いだろうと思われる。 可能性としては、英語訳と日本語訳では、もとにした原書の版が違うため、両方とも間違いでないとも考えられるが、まあ、日本語訳のほうが、いい加減に訳したというのが真相だろう。 もし、日本語訳に従うなら、現場の状況を平たく言い直すとこんなものである。

  教壇にたって授業をしていた36歳のおっさん教師が、以前から一方的に惚れて思いつめていた女生徒の顔を見た瞬間に興奮のあまり頭のタガがスコーンと飛んで、ズボンを脱ぎパンツを脱ぎ左手で落ちてくるワイシャツの裾をたくし上げながら右手で性器をしごく。 さらに、あろうことか、かの意中の少女のもとへ教壇から駆け寄り、羽交い締めにしてスカートをまくり上げパンティをずりおろし、性器に触れた瞬間に怒号とともに射精するにいたる。

これでは人間ではない。鬼だ。

それにしても、「一種の憂悶を感じ、熱烈なる淫火に襲はれ」という文はいい。 ”淫火”とは、この訳者、なかなか詩人ですな。

(以下次回)




目次へ戻る

Industrial Rock & Roll Productions 1997
s-muraka@t3.rim.or.jp