産業ロック製作所推薦図書
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變態性慾心理 その5

變態性慾心理
Krafft-Ebing, R. v. 著.
黒澤 良臣 訳.
大日本文明協會第二期刊行書第二十四巻
東京:大日本文明協會, 大正2年.


 一応、この變態性慾心理シリーズは完結したのだが、「その3」の黒手フェチに関して、参考文献を紹介されたので、シリーズの補遺として紹介しておく。


書名/著者: 境界侵犯:その詩学と政治学 /
      ピーター・ストリブラス、アロン・ホワイト著
      ; 本橋哲也訳
出版: 東京 : ありな書房, 1995.3
形態: 326p ; 22cm
原書名: The politics and poetics of transgression
注記1: 文献目録: p293-317
ISBN: 475669537X

 紹介者は、以前にも黒手フェチに関して投稿してくれた紀要製作所員である。

 「變態性慾心理 その4」で、私は

よく考えてみると確かに紀要製作所員の言うように「凡庸なファンタジー」であるという意見に反駁する論拠を持っていないことに気づいた。なにしろ、勝手なこちらの印象だけで「黒く塗った女の手を鏡にうつして見る」フェチストは世の中には他に存在しないと決めつけているだけなのだから。
と書いたのだが、この「境界侵犯」という本によれば、黒手フェチは19世紀のブルジョワどもにはありふれた現象だったらしい。「反駁する論拠を持っていない」どころか、単なる事実誤認だったわけだ。いやいや、失敬失敬。

 この本で紹介されているのは、Arthur J. Munby という19世紀後期のイギリスを生きた男のケースである。


彼(Munbyのこと。紹介者注)は日記や写真で、炭坑婦、ごみ集め、泥棒、「黒んぼ(原文のまま)」、そして煙突掃除婦といった女性たちの姿を記録しつづけた。しかし彼がとりわけ詳細な記録に残したのは、自分とハンナ・カルヴィックとの関係だった。彼女はどんな仕事でもする女中で、マンビーがひそかに結婚していた相手でもあった。彼の日記や写真は、床や敷石を磨き、袖をたくりあげて腕も顔も黒く汚れたハンナのイメージに固執する。(p.212)
と、變態性慾心理の黒手マニアとほとんど同一人物ではないかという趣味趣向である。やはり、黒手マニアは存在していたのだ。現在では、さしものヨーロッパのブルジョアといえども子育てまで女中に任せきり、というのは少ないだろうから、19世紀よりも人数は少なくなっているだろうが、きっとまだ黒手マニアは存在しているに違いない。大変な見当違いだった。紀要製作所員さん、蒙を啓いていただき有り難うございました。

 このコーナーは、「變態性慾心理」紹介の補遺として、「境界侵犯」を扱っているので、詳しい紹介は避けるが、これは大変面白い本である。特に、カーニヴァルへの抑圧とフロイトのヒステリー分析を階級としてのブルジョワの行動規範の観点から分析する、第5章 「ブルジョワのヒステリー、そしてカーニヴァレスク」は圧巻である。ただ、この第5章の終わり近くに、


 よって、『アンチ・オイディプス』におけるドゥルーズ/ガタリの次のような言葉は、間違いだと言わねばならない。彼らは「精神分析医は、びっくりしている無意識の真ん中にサーカスのテントを立てる。それは野原や工場の中に立つ本物のP・T・バーナムのサーカスなのだ」と述べている(ドゥルーズ/ガタリ、1983年、298-9頁)。見世物師やサーカスに惹きつけられるのは、分析医ではなく患者の方だからだ。(p.256)
とあるのだが、この『アンチ・オイディプス』の言葉が必ずしも間違いとは思えない。 というのは、ヒステリー患者の症例は、精神分析医の手によるものしか我々には残されていないからである。 ブルジョワの階級規範にどっぷりはまったフロイトを代表とする分析医たちが、了解不能な個人を分析しようとした時に、無意識的にカーニヴァレスク的な概念を投影しつつ分析した、という可能性はないだろうか? もしそうだとするなら、「びっくりしている無意識の真ん中にサーカスのテントを立てる」というのは正鵠を得ていると言える。 見世物師やサーカスに惹きつけられるのは、患者ではなく分析医の方だからだ。



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