奥樣と孃樣
(その二)



奥樣と孃樣
池田錦水著
東京:大学館, 1902


 前回に引き続いて「奥樣と孃樣」の紹介。今回は「孃樣」篇である。奥樣篇と同様に「孃樣」という言葉が何を指しているのかを明らかにしておこう。

孃樣とは社會の最高階級に在る處女である。一に令孃と言ふ處の、上流社會の處女である。ひい樣と呼ばるゝ者も亦その中に含まれてゐるので。

世にある處女の區別を視るに、娘子(むすめッこ)、孃さん、お孃樣の三種に過ぎぬのであるが、その孃さんなる者は、奥さんに對するものであつて、奥さんの子が即ち孃さんであるのだ。言ふまでもなく這(こ)は中流社會の處女なのである。而してそのお孃樣なるものが、即ち奥様に對するものであつて、奥様を母とする娘なのだ。奥樣に令夫人の名稱あるが如く、亦この孃樣も一に令孃と呼ばるゝ者であつた、所謂孃さん以上の高地位にある處女なのである。

孃さんと孃樣、その間僅かに一字の相異、頗る擬(まぎ)らはしくはあるが、實體に至つては尠からざる差異あつて、奥樣と奥さんと其間距(へだた)る事甚だ遠きが如くに、これ亦然りであるのだ。(中略)

孃樣とは上流社會にある處女であつて、一に令孃とも言ふ。それなので、ひい樣なる者もその一部分なのである。

これを令孃と言はずして、孃さんと甚だ擬(まぎら)はしき孃樣なる名稱を採つたのは、令夫人を奥樣とした如く、唯俗耳に入り易からんを欲して、平く碎いて斯く言つたので、且つは奥樣なる名稱と相對せしめんとしたに止るのだ。
(p.123-125)
この本でいう『孃樣』とは、上流階級に属する若い娘を指す。社会階級の点で見ると、前回の奥樣篇で用いられていた『奥樣』という呼称に対応したものである。筆者が断っているように上流階級の若い女子に対して、当時一般的には「令嬢」という語が用いられていたようで、「孃樣」という言葉はあくまで筆者が「奥樣」という言葉と並べて座りがよい、という都合で選んだものであるらしい。平成の今の世でも「令嬢」は一般的な語であるし、嬢様に敬称の「お」をつけた「お嬢様」ということばは使われるが、「嬢様」という語は聞かない。

 「奥樣」篇では筆者の奥様連への(私怨かとみまがう程の)毒舌が炸裂していたが、この「孃樣」篇ではこの舌鋒の鋭さが少々鈍っているようだ。筆者自身がこのように述べている

孃樣等よ、孃樣等にして唯この『孃樣』の篇のみ讀んだ者は、或は吾が言を以て禮を知らざる事甚だしき讒誣となすであらうけれども、『奥樣』の篇をも併せ讀みたる者は、吾の奥樣に薄くして孃樣に厚く、奥樣以上の者として今の孃樣を褒め賞(たた)へたのに、孃樣等喜ばずや。孃樣等感謝せずや。能く本書の前に叩頭せざるを得るか。

然れども孃樣等よ、吾は奥樣等とひとしく孃樣等にも亦何の恩怨ある者では無い。何ぞ故(ことさら)に孃樣等を賞(たた)へやうや、孃樣等を褒めやうや。吾に孃樣等を高うするの所以なく、吾に孃樣等に阿(おもね)るの原由(げんゆ)は無いのである。然らば賞すべきものあるが故にこれを賞し、褒むべきものあるが故にこれを褒めたのであるか、否な吾が孃樣等を賞したのは賞したのでは無いのだ。褒めたのではないのだ。

吾が言は唯比較的の言である。奥樣と比較して奥樣以上のものであると言ふに過ぎぬのである。世間一般の處女等に比較して、それ以上であると説くまでなのである。比較的の者を以て、直ちに賞賛の辭としてこれを喜ぶ勿れ、爲めにする處ある阿諛の言として吾を疑ふ勿れ。
(p.205-206)
孃樣に対して、それほどの苦言を呈さないのは、相対的に見て奥様連中に比べればまだマシだからという訳だ。それにしても、「孃樣等喜ばずや。孃樣等感謝せずや。能く本書の前に叩頭せざるを得るか。」と、そこまで言うか。

 数は少ないながらも嬢様を責める部分があるのだが、その文中においてもそこに奥様に対する非難を含めずにはいられないならしい。

爾く彼等(嬢様を指す・・・引用者注)は世間に付いて殆んど全く何にもを知らぬのであるが、強いて彼等の世間的知識を求むれば、軍人なる者は何時戰爭で死ぬかも知れぬ者だが男らしい者、藝妓やお酌の服装は賤いもの、自己等は社會の上層に位ゐするもの、不運な人や働きのない人は上等な生活の出來ぬ憐れむべきもの、絢爛(きらびや)かな、美しい服装をした者は知識あり金錢ある立派なお方、巡査は世の安寧秩序を保護して呉れる有難い者、自殺をする者は常識を缺いた馬鹿者、砂糖は甘いもの、醤油は辛いもの、鰹節はだしの出るもの、位ゐな事である。然り彼等の世間的知識はこんなものである。これが世間的知識と言ふべき程のものであらうか。否、常識ある者なりせば三ツ兒も猶知れる斯の如きを彼等の世間的知識と言はねば、他に彼等には世間的知識らしいもの無きを奈何せんだ。(中略)

孃樣をして斯くの如くに至らせたるその罪は、孃樣自身にあるのでは無くて、今日の奥樣なる人にあるのである。親の身の奥樣が、その子の孃樣を餘りに可愛(いとし)がり過ぎ、餘りに赤兒視して、而し又甚だその子を信ぜざるが爲めなのだ。可愛(いとし)がり過ぎるが爲めに、これを甘やかし、赤兒視するが爲めに、これをちやほやし、信ぜざるが故にこれを放任し得ぬのであつて、終に孃樣等をして所謂世間視ず、世間知ずにして了つたのだ。孃樣にして世間視ず、世間知ず即ち世間的知識皆無の汚名を着るを心地好からずとせば、須らくその罪をならして奥樣を責めて可なりであらう。
(p.131-133)
ま、確かに子供の教育に親の責任が大きいのはその通りなのだが、「奥様篇」での奥様糾弾の声の大きさを考えるに、「須らくその罪をならして奥樣を責めて可なりであらう」と書かれると、『電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、一から十まで何事も「奥様」が悪い。いやそうに違いない!』とこめかみに青筋をたてている筆者の姿を思わず想像してしまう。

 引用者としては、筆者の「まったく近頃の若い娘は!」という悪態を抜き出しておいて、現代の「まったく近頃の若い娘は!」論調の文章と比較して、今昔で変わったところ変わらないところを列挙していこうという思惑があったのだが、見事にアテが外れてしまった。仕方がないので、以下は嬢様連の当時の風俗の描写を中心に抜書きすることにする。

華族女學校に在るか、或は華族女學校を卒業したものは、彼等孃樣の最も多くであつて、中には府立の高等女學校に業に從ひつ〃あり、若しくは業を卒へた者もあらう。又或る平民主義なる父を持た孃樣で、お茶の水に通つてゐる者も有る。で、彼等は尠くとも中等教育を受けつ〃あり、中等教育を受けた者ばかりなのである。是れ世の所謂孃さんや娘子(むすめツこ)等に比して、月鼈霄壤の差ある處で、奈何に孃さんや娘子(むすめツこ)等が今の孃樣を以て、赤兒育ちの世間知らずと言ふとも、孃樣等が學術的知識ある程、彼等は世間的知識を有してゐぬのであるから、孃樣はその地位のみならず、その知識に於ても孃さん娘子(むすめツこ)等に優れる事少々にあらざるものである。(中略)

が、惜しむらくは今日の孃樣の教育は唯形式ばかりである。今日の孃樣等は唯形式に教育を受くるまでなのだ。成程中等教育若くは中等教育以上の教育を受けたであらう。が、その教育の實質を収める事は、彼等に於ては出來ぬのである。

元來日本の教育の試驗制度が、學生をして甚だ對試驗學問に專らならしめ、學校教育は唯形式のみに流れて、業を卒へたる學生の實力に乏しく、實世間に立つて其教育を運用する事能はざるに至らするのは、是れ洵(まこと)に憂ふべき大弊風であるのだが、孃樣の學問は、普通學生以上に尚ほ形式的なのである。幵(そ)は彼等に學術の必要が、今日の社會の状態では、然程に認められぬからで。
(p.135-137)
ここで面白いのは、「元來日本の教育の試驗制度が、學生をして甚だ對試驗學問に專らならしめ 〜 是れ洵(まこと)に憂ふべき大弊風であるのだが」の部分。こういった日本の教育制度への問題意識(紋切り型と言うべきか)は、今現在でも広く共有されているものであるが、近代教育制度の黎明期から既に言われていたとは興味深い。もともと当時の先進国の西欧文明に追いつこうという目標にそった教育制度なだけに、詰め込み教育・試験重視教育になるのも仕方がなく、実際教育制度にその弊害があらわれていたのも事実なのだろうが、この紋切り型問題意識の発生は、そのような実害自体よりも「自国の制度を欧米と比較して、劣っている点を指摘するとカッコよく見える」という風潮によるものが大なのではないだろうか。

吾は彼等の希望に付いて、種々なる方面からその觀察に着手して、終に得た處のものは以下記すが如きものである。

一日兩箇の孃樣が、親しげに相携へて華族女學校への通學の途次(みちすがら)、打微笑みつ〃相語る處を、その尾に從ふて聽けば斯うであつた。

『妾(あたくし)ね、本當に何ういたしませう。』
『何故。』
『でもね、若し妾、年齒(とし)を老つた方から貰ひに來たらば・・・』
『あら、可厭(いや)だ、オホヽヽヽヽヽヽヽ。』
『妾、若し其樣(そんな)事が有つたらばと思つて、心配してゐますのよ。』
『だつて、お年齡(とし)めした方は可愛がつて下さるんですつて。だから可いぢや御座いませんか。お行て遊ばせよ。』
『其樣(そんな)意地のお惡い事を有仰るものぢやありませんわ。』
『あら、何故。』
『でも妾、何うかして若い方から貰ひに來て呉れ〃ば可いと思つて、平常(ふだん)祈つてゐるんですものを。』

と唯これだけではあるが、何とこれが甚だ興ある言ではないか。
(p148 - 149)
嬢様の会話の可愛らしさはともかく、「一日兩箇の孃樣が、親しげに相携へて華族女學校への通學の途次(みちすがら)、打微笑みつ〃相語る處を、その尾に從ふて聽けば斯うであつた。」はかなりアヤシゲな行動だと思われるのだがどうだろう。今なら、さしずめストーカーか、変質者といったところか。

吾は筆序(ふでついで)に茲(ここ)に孃樣方の頭髪に付いて少しく言はう。それに依つても彼等の嗜好の多少を窺ひ得られぬでもあるまいから。

素と大名華族、公家華族の家庭には、女髪結なるものは出入しなかつたのであるが、此頃に至つてはその出入を許した家も追々に殖へて來た樣子で、華族女學校の生徒等の間にはいつも唐人髷が最も多く見られるのである。が、何う視ても素人結びの如くで、根の尠(すくな)からず上つた、髢(たぼ)を長く、鬢と共にフワツと出して、前髪は若き程大きく取り、髷は何れも小さきを好み、視るからに上品なるが流行するのである。

中には態々(わざわざ)意氣がりて、藝妓(げいしゃ)雛妓(おしゃく)の風を眞似る者のないでもないが、彼のお方はいやらしいのね、と忽ち噂に上せられて、いやしめられ、爪弾きさる〃に過ぎぬのだ。

束髪も亦可也に多くはあるが、夜會結びと言ふは誰一人結へる者なく、稍や意氣に見ゆる傾きがある爲めか、全く彼等の間には視られぬのであつて、今は概ね前髪を耳の後ろよりとりて、極めて大くフワツと脹らし、稍や根を下げ加減に、入毛などは一切用ゐず、大抵は自毛ばかりで小く、エス卷と稱するのに結び、又さなくばわざと亂れ掻きに、洗ひ髪のま〃を手束(てつか)ねのやうなる、一種俗氣を離れたるに結ぶのが流行しつ〃ある。それが甚だ高尚に見ゆるからであらう。

リボンを髪飾となす事、今は餘りに有り觸れて賤しくも見ゆる處から、彼等の間には追々に廢り行きて、此頃は花束を一輪、枝のま〃折りての簪(かざし)最も多く見られ、這は彼等にしてその名を知らぬものなき、銀座の關口屋と言ふに賣れるを好み、何れも態〃其處へと買ひに出掛けるのである。
(p.162-164)
髪型については次のようなページを見つけた

日本女子の髪型の歴史

このページに束髪などの画像がある。上記の引用文の中で言うと、唐人髷は和風の髪型、束髪・夜會結びは洋風の髪型のようである。残念ながら文中の「エス卷」とはどのような髪型なのかは分からなかった。

「素と大名華族、公家華族の家庭には、女髪結なるものは出入しなかつた」とあるが、明治以前は結髪はどうしていたのだろうか。おつきの人が全て世話をしていたのか。また、「此頃は花束を一輪、枝のま〃折りての簪(かざし)最も多く見られ」というのも数年前、花飾りが女子高生の間で一瞬流行したのを思い起こさせる。

女子教育の進歩するに從ふて、或は新式の女子體操法輸入され、或は新案の女子運動法工風(くふう)され、曰く某女學校に於てはベル付唖鈴一組を輸入して生徒の體操に課したり、曰く某女學校に於ては長刀體操を案出して生徒に習練せしめつ〃ありと、坊間傳ふる處に依つても知らる〃如く、女子の體育に意を注ぐ者漸く多きを加へて、上流社會の女子を生徒とせる學校にあつては、率先してその體操法に改良を施し、知育の上に於て薫陶の宜きを得ると同時に、又體育上の修養をなさしむるに勤め、昔日の日本的干物美人の迹を絶たしめんとした結果、女子大學生の如き、今日は彼の鈴付球カン體操を喜ばざる者殆ど無きに至つて、從つて孃樣等が體操以外の遊戯も亦、自ら體育的なるもの〃、採らる〃に至つたのは、洵(まこと)に喜ぶべき事では有る。

孃樣等は學校に於ける放課時間内に、最も多くテニスの遊戯をなすのである。幵(そ)は彼等の他の遊戯の中で最も女子に適したるものであるから、それが彼等に娯樂を輿ふる事も多いのであらう。他に彼等が輩儕(とも)と共に喜び樂しむ遊戯は、テザーボール、シーソー、バスケツトボール、などである。これ等の中を彼れよ此れよと、換り換りに採りて戯る〃状の、奈何にも樂氣に、奈何にも親しげに、和氣靄々として運動塲内に充つるは、華族女學校に於ては素より、高等女學校に於ても亦見らる〃處である。
(p.166-167)
欧米では、19世紀後半から女子の体力・運動能力向上のための体操やスポーツが奨励されるようになるが、この傾向が日本にも及んできたのであろう。「日本的干物美人 」という語があるが、このような女子の健康状態への懸念は日本だけのものではなかった。むしろ、欧米諸国のほうが先行していたといってよい。こういった懸念の後ろには国民全体の健康状態を高め、国力を増そうという思惑があった。ぶっちゃけて言えば、ここでの「国力」とは、良い兵隊をできるだけ多く揃えること、である。「干物美人」からは、強い兵士は生まれない、という訳だ。

文中に「ベル付唖鈴」という言葉があるが、かなり不思議な言葉である。唖鈴はもともと「dumb bell」の訳語で、文字通り「オシの鈴・音のしない鈴」の意。それにわざわざベルを付けるというのはいったいどういう事なのか。それなら、「dumb bell」でなくてただの「bell」でいいのではないのか。ちょっと想像しがたい器具ではある。

 最後に、嬢様特有のことばについて触れる。

其九 言語

その擧止を語つた吾は、その言語に付いても説く處なからずば、孃樣の觀察を完全に記述したとは言へぬであらう。で、今の孃樣方の言語は何うであるか、今茲(ここ)にそれを記すとしやう。

階級制度の破壞さる〃と共に、階級に依つて甚だしき言語のの差異あるが如き事なきは、既に『奥樣』の篇中に説いた通りで、それ故にこの孃樣の言語も亦、中流社會の處女のと甚だしき差はないのであつて、僅に差(たが)ふ處のあるのみだ。

が、それがひとしく亂雜にして不規則なるものであるのは、日本の言語の免かるべからざる通弊で、而して又この孃樣のが、稍(や)や高尚なるものであるには相違ないが、然し決して處女の模範語とすべきものでは無い。惜むらくはそれが稍(や)や悠長に過ぎて、よしや處女のであるとしても、活世間(かつせけん)には一般に用ゐらるべきものでないから。

奥樣の言語に付いて説いたる時のその如くに、吾は又孃樣の言語を示すべき例を擧ぐる事としやう。明瞭にそれを讀者に知らしむべく。
(p.178-179)
 初めは「恐れ入りました」の濫用から。

(一)恐れ入りました

這(こ)は一の流行に過ぎぬのであるが、現下孃樣等の間には、頻りに『恐れ入りました』との語が口にせらる〃のであつて、華族女學校の生徒等にして、矢鱈にこれを言はざる者は無い程である。

『恐れ入りました』とは寔(まこと)に敬意ある言で、これが巧みに用ゐられたならば、甚だ鄭重なる、甚だ聽き好き、而して悦ぶべき言であらうけれど、今日の孃樣のは、矢鱈無性にこれを口にして、用ゆべからざる處にこれを用ゆ、二言目には『恐れ入りました』と、言の接續の上になどは何のお管(かま)ひないのであるから、寧ろ言に可笑し味を帶びて、いとゞ異樣に聞えるのである。

例を擧ぐれば斯うでもあらうか。

甲『貴女、先達て差上げましたもの、お氣にめしましたか。』
乙『あら、何うも恐れ入りました。大層嬉しう御座いましてよ。有難う御座いました。』
甲『あら、恐れ入りましたのね、お禮を有仰(おっしゃ)る程の物では御座いませんのに。』

這は即ち『恐れ入りました』の顱(はち)合せである。他に又一の例を示せば、

甲『貴女、おみ帶が解けか〃つてゐますわ、鳥渡(ちょいと)其方(そっち)をお向き遊ばせよ、結んで進(あ)げませうから。』
乙『あら、何うも恐れ入りました、憚り樣で御座いますのね。』
甲『いえ、何うせ好くは結べませんのよ。』
乙『あら、お上手でゐらつしやる癖に、恐れ入りました。』
甲『はい、これで我慢してお置き遊ばせ、何だが可笑しう御座いますけれど。』
乙『何うも恐れ入りました、まあ、此樣(こんな)にきちんと、有難う御座います。』
甲『お禮では恐れ入りますわ、下手なんですのよ。』
乙『いえ、恐入りました。』

と尚ほも『恐れ入りました』を續けてやまぬ話を、側(はた)に聽いてゐたならば、奈何(いか)な者でもその可笑しさに、つい笑ひたくなるであらう。

彼等が餘りに『恐れ入りました』をのべつに言ふので、その母なる人から『まあ何の事ですえ、其樣(そんな)に恐入りました恐入りましたと、全然(まるで)他(ひと)を弄戯(からか)つておゐでのやうで、失禮で御座いますよ。』と窘(たしな)められた孃樣さへあつて、寔(まこと)にその母なる人の言の如くに、却つてそれが爲めに禮を失するに至るであらう。けれども唯(ただ)流行語(はやりことば)に過ぎぬのであるから、程もなく彼等に忘らるべきは必然で、さまで憂ふべきでも有るまい。
(p.179-181)
バカ丁寧な言葉を無理に使うというのは、若い人が身内で使う言葉の一つの典型であって、その意味では現在でもよく見られるタイプのものと言えるだろう。

 この『恐れ入りました』は、使う側にある種の茶目っ気があってワザと使っている言葉だが、次はただ単に嬢様は丁寧で上品な言葉を使うという例。

(四)樣附け、呼附け

言語に付いて、吾は既に多くの頁を費したのであるが、尚ほ少しく付いて語る處あらしめよ、吾はこの節を最後として、人を呼ぶに樣を附くると附けざるとの別に付いて聊か語らう。

孃樣等はその友なる人を呼ぶ時には、決して中流社會に於けるが如く、その名にさんを附けては呼ばぬ。悉く樣を附けるのであるが、彼等はその姉妹の間に於てもその名に樣を附けて呼ぶのである。それが甚だ叮嚀で、甚だ孃樣らしく、吾は一般の社會にもこれに傚(なら)ふ者の多からんを欲する者であるのだ。

これにも例を示さうなら、

姉『なほ樣、貴女この頃何處かお惡い事は有りませんの?お顏の色が何だかお惡いやうね。』
妹『いえ、別に何處も惡い事は御座いませんのよ、其樣に顏色が惡う御座いますか。』
姉『何うもお惡いやうですけれども、然うでなければ結構ですわ。』
妹『すゞ樣は何時も御血色が好くつて、妾(あたくし)本當にすゞ樣のやうだつたら宜しからうと存じますのよ。』
姉『なほ樣だつて、日常は隨分御血色が好いでは御座いませんか。』
妹『でもすゞ樣のやうには・・・・・・。』

と斯くの如く姉も妹を呼ぶに樣附(さまづけ)にするのであつて、又下層の者の如くに、お前なぞとは言はず、貴女と言ふのである。奈何にも叮嚀にして聽き好い言では無いか。

孃樣等がその名を呼び附けにするのは、その女中に向つてのみである。下婢(かひ)に向つてのみである。けれども、その名を呼附けにはするもの〃、又他の社會に於けるが如くに粗略(ぞんざい)なるものでは無い。彼等の品性の現る〃處であつて、ひとしく亦是れ一般社會の傚ふべきものであらう。

孃『たけ、お母樣は今何方(どちら)?』
婢『お風呂で御座いますよ。』
孃『かしこまりました、然樣(さやう)申上げませう。』

と斯くの如きがその一例である。これを以て單に呼附(よびつけ)の例とのみ視んよりは、讀者は孃樣が下婢に對する言葉遣ひの一般の例として視て貰ひたいのだ。何とそれが比較的叮嚀なる、優しき、穩かなるものではないか。
(p.188-191)
戦前の映画、また戦後でも昭和20年代くらいの邦画での女性の言葉遣い、とくに上流社会を描いた場面での女性の言葉遣いの丁寧さには、現今の物言いに比して隔世の感を覚えることが多い。おそらく、昭和30年以前には、ここに引用したような言葉を使ういわゆる上流階級とそうでない階級の区別が厳として存在していたということなのだろう。そういう意味では、第二次世界大戦よりも、高度経済成長とそれにともなう国民総中流化の流れのほうが我が国の文化におよぼした影響は大きかったのかもしれない。

 続いては、現在では耳にすることがない言葉の紹介。

(二)おもう樣、おでえ樣、おたあ樣

孃樣の中でも最も地位高き方々の間には、おもう樣、おでえ樣、おたあ樣なる語があるが、讀者は恐らくそれが何を意味するかを解するに苦しむであらう。

然り吾も亦最初はその何を指すものであるかを知るに苦んだ。が、漸くにしてそれが父と母とを呼ぶ語であるを知り得た。

寔に這(こ)は他の者等が、おつかあ、ちやん、かあちやん、おとつさん、おつかさん、おかあさま、おとうさまなど〃言ふが如くに、父と母とを呼ぶ言であるのだが、さて然うと知つても、讀者等は尚ほおもう樣、おでえ樣、おたあ樣、のその何れが父を指せるものであつて、何れが母を呼ぶものであるかを察知し得ぬであらう。然(しか)くそれが解し得られざるも道理、這(こ)は全くこの最高階級の兒女のみに依つて用ゐらる〃別種の言であるのだ。而(そ)して又關西(かみがた)流の言であつて、昔から公家などに於いて用ゐられ來つたものであるからなのだ。おもう樣、おでえ樣、とは共に是れ父を呼ぶものなので、おたあ樣とは即ちその母に向かつての稱呼である。

然し斯かる言を用ゐつ〃あるのは、孃樣の一部分に過ぎぬのであつて、他の孃樣等はおとう樣、おかあ樣なる言を使ひつ〃あるを記せよ。

例を示さば斯うである。

孃『おたあ樣、おもう樣(或はおでえ樣)は今度何方へお行で遊ばすの?』
母『おもう樣ですかえ、おもう樣は京都までお行で遊ばすのですよ。』
孃『おたあ樣も御一所に?』
母『い〃え、おたあ樣はお留守居ですの、おもう樣だけお行で遊ばすのですよ。』
孃『おたあ樣も御一所にお行で遊ばしたら好う御座いますのに、京都なら。』
母『いえ、今度はおもう樣はお上の御用でお行で遊ばすのですから、おたあ樣が御一所に參る譯には參りませんのです。』
孃『然うで御座いますの、おもう樣も本當に御用多でおゐで遊ばすのね。』

茲(ここ)に於て特殊のこの語は了解せられたであらう。處變れば品變るとやら、階級の相異に依つて言語の差の多くを視られぬ今日ではあるが、上つ方には又聽き慣れぬ語のあるものでは無いか。
(p181-184)
「おもう様、おでえ様、おたあ様」 とは、昨今全く聞かない言葉である。それもその筈で、当時の上流階級でも必ずしも一般的な言葉ではなかったらしい。上方の公家 言葉を起源とするようなので、現在でも京都の旧華族ならば残っているのかもしれない。「おたあ様」と聞いて、小松政夫師匠が往年の人気番組「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」で「オカアタマ!」と連呼していたのを何故か思い出した。

 続いては、現在でも使われるものだが、世のお嬢様といえどもこのような使い方はしないだろう、という言葉。

(三)おつき、けらい、さむらひ

大名華族、公家華族なぞにあつては、多くこの孃樣をひい樣と呼びなしつ〃あつて、そのひい樣と呼ばる〃孃樣には、姉妹幾人ありとも、その一人に一人以上のおつきなる者が附いてゐる。おつきとは即ち侍女であつて、これがその孃樣の萬端の世話をしつ〃あるのだ。

で、孃樣はこのおつきを大方ならず心頼みとして、身の周圍の世話から、頭髪の指圖までも依頼し、他の孃樣との交際に關する事など、自己一箇(おのれひとり)に計らひ難き事は何時もこれに相談をかけて、その言に依つて計らひを頼むのである。實に孃樣等は萬事をこのおつきなるものに依頼してゐるのであるのだ。

その爲めであらう。孃樣等は何事に付けても『おつきが、おつきが』と言ひ、自己に關する事でありながら、自己よりもおつきに重きを置けるが如き觀があるのは。

例はゞ(たとはば)斯くの如くで。

姉『あの、妾(あたくし)先日○○樣から頂戴物をしました時、御返禮を何う致さうかと存じたのですが、おつきが○○にしたら宜からうと申しますから、それで然う致しましたの!貴女、何うなさるお意向?』
妹『妾、餘りお美事な物ですから、御返禮に困つてをるので御座いますけど、今日おつきに相談致しましたら、何か宜かりさうな物を考へて置くと申しましたから。』
姉『それでは妾(あたくし)のおつきに能く相談するやうに、貴女おつきに然う有仰(おっしゃ)いましな、その方が宜う御座いますよ。』
妹『然うで御座いますのね、それでは妾(あたくし)、一寸おつきを呼びませう。』

自分で自分の侍女をおつきと呼ぶは甚だ異に聞えはするが、然し孃樣等は斯く呼び來つてゐるのであつて、儕輩との間の贈答にも、斯く大袈裟におつき、おつきと言ふのである。寔に彼等がおつきを説く事、耳蒼蠅(みみうるさ)き程であるのだ。

又孃樣等の或者は、家に召使へる總ての男をけらいと呼ぶ。けらいとは即ち家來で、これも亦昔ながらの言の今に尚ほ殘つてゐるものであらう。が、これはおつきの如くに、自家の者にはおを冠(かむ)らせずして、他家のにのみおを付けるのである。

例へば、伏見の宮樣から降嫁ありたる山内侯婦人に付いて語る孃樣方の言は斯うであつた。

甲『幸樣(ゆきさま)が今日學校へお行で遊ばしましてよ。』
乙『然う?お供達はおけらいが幾人おつき申して?何樣御風(どんなごふう)?』
甲『おけらいが一人に、おつきが二人、何でも三人おつき申してよ。』

と此樣言つきである。

又中には他がけらいと言ふこの家に召使へる總ての男を、さむらひと言つてゐる。さむらいは即ち侍士で、これもひとしく封建時代からの言の今に傳はつてゐるもので、けらいと言ふより多く耳障(みみざわり)がするやうである。

甲『貴女、お行で遊ばすなら、妾明日お誘ひ申しにお邸(やしき)へ伺ひますわ。』
乙『はい、何うも恐れ入ります、妾御一所にお供致し度う御座いますけれど、歸りまして許しを得ませんでは。』
甲『然うで御座いませうね、それでは妾お待ち申してをりませうか。』
乙『では妾、歸りまして母に聽きましてから、さむらひをお邸へ伺はせませう。』
甲『然うで御座いますか、それではおさむらひをお遣はし下さいましよ、恐れ入りますけれど。』

とこれがさむらひに付いての一例である。自家のさむらひと言ひ、他家のをおさむらひと言ふ事けらいに於けるが如しだが、今の世にさむらひとは何と耳立つ言では無いか。

以上は是れ何れも昔ながらの言の今に殘つたものであるから、茲に一束としたのであつて、けらい及びさむらひの如きは、獨り孃樣のみによつて語らる〃處ではないのであるが、他の社會には決して聽かれぬ言であらう。

成程流石上流社會に用ゐらる〃ものだけあつて、それが高尚に聞えはするが、孃樣方の言の一般社會の模範言(もはんご)となすべからざるは、斯(かか)る特殊の語があるからなのである。
(p.184-188)
今の世にも、下男下女を雇う余裕のある金持ちはあれど、彼らを「おつき」「けらい」「さむらい」と呼ぶ家はさすがにあるまい。上に引用した「様附け」に比べると早くに廃れた言葉ではないだろうか。明治期の小説で下男のことを「さむらい」という娘の描写を読んだ記憶がない。


 最後になったが、本書の口絵を紹介しよう。奥様と孃様の実際の姿はこのようなものである。

(口絵1)
口絵1
奥様と孃様そろい踏みの図。孃様の髪型は、「束髪」の類ではないかと思われる。

(口絵2)
口絵2
三味線をつま弾いているところから、粋筋上がりの奥様のように見受けられる。本書の定義に従えば「水性上りの奥様」。

(口絵3)
口絵3
シルクハットを被っているオヤジが旦那だとすると、左端の婦人が奥様、真ん中の腰を少しかがめている女性は女中であろう。娘づきの女中は「おつき」と呼ぶらしいが、奥様づきの使用人をも「おつき」と呼ぶのか呼ばないのかは本書では判然としない。

(口絵4)
口絵4
質屋に通う細君の図。本書では、細君上りの奥様の過去の苦労話で触れられている。おこそ頭巾まで被って素性を隠そうとする姿が泣かせる。



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