すぐ利く廣告

すぐ利く廣告
松宮三郎著
東京:三笠書房, 1938.5.

 電通、博報堂などを筆頭に、広告代理店といえば学生の就職希望率の高いことでおなじみだ。景気が悪くなってからはいささかその威光も落ちたようだが、バブル期には「この世の春」といった様子だった。しかし、この業界がこれだけ賑わうようになったのは戦後、ラジオやテレビの民間放送が本格的に始まってからのことで、それまでは「新聞の死亡広告をとる為に葬式にあらわれる鬱陶しい人々」といった印象しかない、かなりステータスの低い職業だったのだ。今回紹介するのは、そういう低い位置の広告業界の地位を高めようとする筆者の苦労が偲ばれる本である。まずは序文から。



 過去の廣告界を通觀するとき、どうすれば最高の効果を發揚する事が出來るかと、幾人の人々が何年間骨を折つたか知れない、またその發見の研究に費やした費用を合計すれば、蓋し巨額に上ることであらう。かくて新手に換る新手がつぎつぎには出もしたらうが、また昔ながらの古手が、どうやら改良され換骨奪胎されて再現したものもあるだらう。

 著者は三越で多年廣告部を主宰して居た。その後は廣告研究所を經營し、大學と専門學校とで廣告學の講義をし、又各地で講演もしたり、放送もしたり、又廣告顧問もしてゐる。かくして「どうすれば廣告は一番利くか」とは、多くの人から必ずきまつて受ける質問の常課題である。その都度の解答を書き溜めたり、また自分の想いを書き加へたりして蒐つて本書が茲に出來たのである。

 何人もが欲して已まない「すぐ利く廣告」は、即ち本書である。

   昭和十三年五月、庭前の
      牡丹咲き亂るゝを眺めつゝ
松 宮 三 郎 識

で、「すぐ利く廣告」とはどう作ればよいのだろうか。ミもフタもなくここで明かしてしまうと、「素人は手を出すな。広告の専門家にまかせろ。」ということになる。実は「すぐ利く廣告」というタイトルにひかれて実際に本書を紐解く前には、昔の面白い広告の実例が載っているのではないか、と期待していたのだが、あんまり実例はなくて、ともかく「餅は餅屋」の一点張り。例えばこのような感じ。


 無い智慧は幾ら絞つてみても決して出て來ない。そこで優れた商略ををすぐに案出する軍師、平たく云へば廣告顧問を外から頼んで來て、必勝の戦術を授けて貰ふに限る。軍師とはかゝることに練達した人即ち商略の參謀長の事を云ふのである。會社の幹部とか、また商店の店主は、その會社なり、商店では偉いには違ひない。しかしその人は、決して軍師でもなけば(ママ)、參謀長でもない。況んや廣告戦術の神様では決してないのである。大いに勝つことを欲するものは、成るべくよい軍師を迎へて廣告戦を準備し、これを有郊に展開して行くがよい。米國の廣告代理業者には、この軍師なる専門家を常備してゐるが、我國の廣告代理業社は、未だ廣告取次店の程度であつて、まだ十分その設備のあるものを耳にしない。誠に遺憾なことである。それならば自分で廣告の専門家を抱へて置けばよいが、老練にして練達の士は中々報酬も高い。故に抱へ切れない、そこで顧問としてお願ひするに越した事はない。
(p.15)


 「道は近きにあり」である。決して道に迷ふてはならない。然し専門の道を知つてゐるのは、たゞその道の専門の人ばかりである事を忘れてはならない。「餅は餅屋」とはこのことを説明して餘りあるものである。
(p.24)

しまいには、素人広告を罵倒しはじめるという鼻息の荒さ。


 廣告原稿を書いた独り天狗の人や、全くの素人は自分の創作した作品が必ず傑作そのものと信じて餘まりにも堅くなりすぎてゐる人が多い。これは實に困つたもので、こんな天狗は失敗の基である。同じ創作家でも繪畫の作家や文藝の作家は、一々自己の創作品に對して厳格な批評眼を持つてゐるが、現代日本の廣告作家はこの批評眼が極めて低い。かつその上に廣告作家を使つてゐる會社の重役、商店主は極めて低能な人が多い。たゞ錢の計算しか出來ないものが大口を開いて廣告原稿に干渉したり、又口出しするものが多い。厳格に云ふ時に彼等は實に単なる廣告の素人にしかすぎないのである。素人が専門家の仕事に權力を以て強く嘴を入れる程危險なことはないのである。

 他人の作品を批評するに際しては聊かも邪心があつてはいけない。常に冷静そのもので虚心坦懐でなくてはならない。始めから何か一言云はないと、重役として威厳を保てないとか、商店主としての重みがないと云つた偏見で、この尊敬すべき廣告原稿の批評に臨んではならない。下らない口出しや干渉は常に廣告の能率を低下せしめて仕舞ふ。
(pp.31-32)

 今でも、クライアントの我がままで、せっかくの妙案を変な方向にもっていかれるといった苦労はままあることであろう。この筆者もよっぽど頭にきていたものと見える。しかし、言うに事欠いて「会社の重役、商店主は極めて低能な人が多い。」はやりすぎ。また「この尊敬すべき広告原稿」という言葉には、なみなみならぬコンプレックスを感じてしまう。普段の仕事で、よっぽど「低能連中」に「尊敬すべき広告原稿」をいじられ、汚されていたのだろう。苦労の程が推察できようというものだ。

 「低能」ではまだ飽き足らないのか、次には「馬鹿」扱い。  

 初めて廣告をする人には必ず師匠格な先生及び顧問を必要とするものである。素人の廣告主は商品が良いと云ふ事に夢中で自己睡眠に陷つてゐる。商品を褒めちぎつて賣る氣がないらしい。然し一般的に云ふと廣告して大いに自分の商品を賣らうと心掛るならば、氣分を離れて眞實そのものに自分の商品の品質良好で賣る事に専心努力しなければならない。(中略)

素人の人で初めて廣告する人は、新聞に新聞一頁廣告をしたがる。それも二ヶ月や三ヶ月はつゞく、六ヶ月一ヶ年とはつゞかない。かくてこの時には全く損をして夜逃げの體たらくである。素人程馬鹿なものはない、素人程氣持ちよく破産するものはない。これ等は實に顧問の必要なる事を忘れ、先生を不必要とし、師匠を無用とし、參謀長なくして戦爭をしようとする馬鹿ものにしかすぎないのである。

 よくある例であるが道案内を連れずに山岳旅行をして道に迷つて死ぬ人が隨分あるがこれと同じ馬鹿の類である。廣告は何も贅澤にやり道樂にやり、または體裁にやつてゐるのではない。たゞたゞ商品を賣つて賣つて賣り抜いて金儲けをしようとしてやつてゐると云ふ事を、親が死んでも、女房が死んでも忘れてはならない。
(pp.111-112)

「素人程馬鹿なものはない、素人程気持ちよく破産するものはない。」って、いくら馬鹿でも、あんまり気持ちよく破産する奴はいないだろう。ま、「親が死んでも、女房が死んでも」「たゞたゞ商品を賣つて賣つて賣り抜いて金儲けをしよう」というヤカラよりは気持ちよく破産する奴のほうが人間としてはまだマシだと思うが。

 素人広告への罵倒の果てにたどりついたのが、下の境地。

廣告文は、素人が決して口を出すべきものでなく、また素人が決して執筆すべきものでない事が明瞭である。すぐ買はせる廣告文は、専門家で無くては絶對に出來ない一種の聖業であるのである。
(pp.122-123)

ついに聖業になってしまった。なにしろ、もう「素人が決して口を出すべきものでな」い、おそれ多いものなのだ。これはきっと、筆者の魂の叫びなのであろう。「余計な事を言わずに、俺の言う通りにやってりゃ売れるんだ。邪魔するな」ってのが本音に違いない。広告業に限らず、客商売を営む者なら、こういう愚痴めいた事は誰でも持っていることであろう。しかし、いざ完全なフリーハンドを与えられてしまうと、存外何にもできなかったりするものだ。

 下の文を見ると、この筆者の広告の専門家としての自信も、ほんとに任せて大丈夫なの?と思われてしまう。

 また少年への景品は、廣告主の方でこの品ならば必ず喜ぶに違ひないなどゝ勝手に定める事は大禁物である。廣告主の頭と少年の頭とは全然違ふのである。即ち一方はやる方の頭であり、また一方は貰ふ方の頭である。やる方は安いもので見てくれのよいものをやり度い。貰ふ方は良いものがよい。良いものは高いものと相場がきまつてゐる。故に少年にやる景品は實際に少年に當つてみて、少年が喜ぶものがよい。(中略)

 また少女への景品は必ず少女達へ選擇させなくともよい。少女への景品は大體想像が附くものである。
(p.181)

60年ほど前の話だが、当時の少女はそんなに分かりやすい存在だったのだろうか。少なくとも、当時の少年程には複雑なものと予想されるのだが。1938年ごろといえば、もう軍国的雰囲気だっただろうから、少年相手には軍艦とか戦車とか兵器ものをとりあえずあてがっておけば大丈夫なような気もするがいかがか。

 で、「聖業」の担い手たる筆者が推奨しているやり方の一つがこれ。

流行後れや値下がりものを囮にする實例

 商品には流行遅れや、または値下がり品は必ずあるものである。一例を擧げるに、先づ甘い話砂糖の話で行きましょう。砂糖がぐんぐん値が下つて居る時には、砂糖を賣つてゐたのでは大損をする事は當然である。そこで砂糖は安い砂糖は安いと、一斤幾らと云ふ定價を入れて盛んに廣告をする。さて華客がその店に行つてみると、砂糖なんかは影も形もない。しかしそこには砂糖の代りに菓子が各種特別によく陳列され、箱入りになり罐入りになつて美しい事甚だしい。さて賣れるものは菓子ばかり、これなど安い砂糖を囮にして、まんまと鴨も鴨、芹を背負つて來た鴨を捕へた實例である。
(p.58)

今でも、スーパーやディスカウントショップで見かける、あんまり評判のよくない商法である。これなんかは、誰でも思いつきそうで、まだ人々がちょんまげを結っていた時からありそうなもの。「聖業」専門家が思いつくにしては、いささか平凡すぎるように見受けられるが、いかがか。

 筆者は、かなり米国式の宣伝方法に傾倒しているようで、よく向こうの雑誌から実例を紹介しているのだが、その中の一つ、ダイレクトメール広告についてのしょうかい。文中、「宛名式廣告」とあるのがダイレクトメールの事である。


 米國邊ではこの宛名式廣告名簿の売買が盛んで、現にこれを營業にしてゐるものも數多くある。我國にはまだその數は少ないが、米國では一回買つた名簿、二回買つた名簿、三回買つた名簿と云つて賣つて居るが、これ等は悉くその賣價を異にしている。即ち、

一回買つた名簿(千名単位)  十 弗

二回買つた名簿(同   )  三十弗

三回買つた名簿(同   )  五十弗

四回買つた名簿(同   )  八十弗

と云つた工合で、これ以上五回、六回、八回買つた名簿は漸次に割高になるのである。米國の斯界經驗者の言葉に從へば、四回以上買つた華客はこれは常華客と云つてもよい。確實そのものゝ華客であると云つて居る。アブラハム・リンカーンの言葉に、「人は一度信用すれば一生信用するものだ」と云ふものがる。一回信用して買つた人が、重ねて二回三回と買ひつゞけて、その人が終に永久の華客、即ち常華客になると云ふのもこれまた偶然のことではないのである。
(pp.94-95)

流石に、アメリカとなるとやる事が進んでいる。今、日本でもこういった名簿の売り買いがプライバシーの問題と絡んで問題となっているが、向こうではそういう商売は半世紀以上前からあったらしいのだ。

 筆者の紹介する宣伝の例でも、日本のものは上記の「砂糖」の例のようにショボいものが多いのだが、アメリカの例は、本当に「すぐ利く」感じのするものが多い。しかし、この本の出た昭和13年ともなると、あんまりアメリカ礼賛するのも憚られる世の中になっていたのか、とってつけたようなアメリカ批判があったりする。

 月賦販売には現に我國では家具類、洋服類、國債證券類等が盛んに行はれてゐる。然し月賦販賣の盛大なのは米國であつて百貨店すらそれを實行してゐる。その結果は良いかも知れないが、米國式の月賦販賣組織は冷酷を極むるもので日本國の國情や、或は善に強い日本人とは全く反してゐる。これは著者の經驗であるが、友人のミシンの月賦購買に際して保證人になつたのであつた。然るところ該友人は月賦金を滞納して仕舞つた。するとこのミシンを買つたものも保證人も連帯責任であると云ふ法律的暴力の下に執達吏は突如として著者の邸宅に現はれたのである。然し該ミシンを買つた友人の方には少しも手を付けないのである。一體日本人ならば、禮儀に厚い日本人ならば執達吏をよこすが如き重大事の場合は、少なくとも一週間程の猶豫を以て先づ内容證明の郵便物をよこして注意するのが普通である。(中略)

 我國は由來皇道精神で建國以來、發達した神國である。米國は寄合ひ世帯の世界人の移民國で、錢より尊いものがない。唯錢を以て守り本尊として崇拝する國である。我國とは非常に違ふ國情である。商品を売る時には恵比須顔で喜びに浸り込んだお世辭の雨を降らしても、それが一朝もしも支拂ひ兼ねると見ると、忽ち豹變して容易に鬼に化して仕舞ふのである。(中略)

軽佻なる米國式は神國日本帝国では唾棄すべきである。
(pp.80-81)

「日本人ならば執達吏をよこすが如き重大事の場合は、少なくとも一週間程の猶豫を以て先づ内容證明の郵便物をよこして注意するのが普通である。」って、宣戦布告なく攻撃しちゃった国にこんなことを言われても、今一つ説得力にかけるよなぁ。あ、そういう意味では真珠湾攻撃って、「軽佻なる米國式」だったのかも。


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