モダン語漫畫辞典
(その一)

モダン語漫畫辞典
中山由五郎
東京:祥光堂書房, 1932.1

 どういう人が選考委員でどんな基準で決められるのか全く知らないのだけれど、毎年、年末に「流行語大賞」なるものが決められる。流行語などというものは、流行する少し前ぐらいが一番使い頃であって、あんまり人口に膾炙してしまうと使うのに気恥ずかしくなる。照れくさくなる。なので、ひとしきり流行ってしまった後、年末の「流行語大賞」の時期になってノミネートされているような言葉は、たいがい「気恥ずかしいもの」に変質してしまっているのだ。であるからして、年末に大賞をとった言葉といえど、とっくに使い頃の時期は過ぎてしまっていて、年が明ければあっけなく忘れられてしまう。語義的にいっても「流行」とは「流れ行く」ということであって、ハナから消え去ることが前提とされているのだ。

 ところが、消え去らない流行語というものがある。今回紹介する「モダン語漫畫辞典」をひもといてみると、とっくに死語となってしまった流行語の中に、今では特に流行語と意識されずに用いられている言葉を見つけることができる。これらの言葉は、いつの頃かは分からないが、「気恥ずかしさの荒波」を乗り越え、出生の秘密を隠して「普通の語彙」のグループに入り込んだのである。そういった生き残った流行語をこの本より紹介してみたい。通常、この「推薦図書」のコーナーでは一度に一冊を紹介しているが、なかなか面白い言葉が多いので、今回は特別に何回か連載してお送りすることとする。

 この本で「モダン語」というのは「モダンな言葉」という意で現在でいう「流行語」のことである。出版年は昭和7年で、昭和初期の流行り言葉が収録されていることになる。この中から、上で書いたように今でも生き残った流行語を中心に早速引用してみよう。


意味ねえ(いみねえ)

意味が無いんだから「無意味」ナンセンスには違ひないが、決定的にやっつける時に使ひ、ユウモア的な分子が多分に含まれているところが味だ。不適當な行動をやったり言葉を發したりした時に「おめえ、そんなことやったって全然意味ねえ」なぞとブッ飛ばす。(p.45)


「意味がない」という使い方であれば別段流行語という訳でなく昔から存在している用法という事になるのだろうが、会話している相手をやりこめたい時に「意味ねえ」とつかったり、やってもやらなくても大勢に影響無いような仕事を無理矢理やらされている時に「こんな仕事意味ねえ」と毒づいたりといった、否認・不満を感情的に示そうという用法に皆が新しさを感じたのであろう。今でもよく「意味ねえ」と怒っている人の姿は老若問わずよく見かける。

閻魔帳(えんまちょう)

元來は佛教語であるが、轉じて學生用語となり、教師の持つ「採點簿」を意味することになった。成程うまく轉用したもので、學生用語中でも傑作として誇り得る語だ。(p.106)


 最近の学生は「閻魔帳」なぞとはあんまり言わないだろうが、まだ一般的に通用する言葉ではあるだろう。ちなみに、広辞苑の第三版にはちゃんと収録されている。

エス・オー・エス(英S.O.S.)

船が危急に迫つた時の信號用語で、セーヴ・アワー・ソール(我々の命を救つてくれ)の略だと云ふが、又一説には此の用語がトンツートンツーの中で一番簡単だからと云ふ人もある。ラヂオの娯樂放送も中止させるえらい語だが、モダン語では「私、歴史の試験トテも駄目だワ、S.O.S.ね!」とか「おい!附合はないか?」「やだよ、これからランデヴーに行くんだから」「S.O.S.」てな調子に活用される。(p.90)


へぇー、S.O.S.って「セーヴ・アワー・ソール」の略だったのか、と思って広辞苑をみてみると、「1906年にベルリンで行われた国際無線電信会議(ITU)で制定されたモールス符合で、文字そのものに意味はない」とのこと。要するに、当時の人々が大喜利よろしくアルファベットの頭文字から勝手に英作文していたのだ。

オダ

「気焔」又は「気焔を上げる」と云ふやうな意味。元來勞働者の用ひる言葉であるが、近頃どの階級にも侵入して盛んに用ひられる。例へば「おい、あんな女を手に入れたからつてさうオダあげるな!」と云つた調子だ。(p.119)


 現在では、この言葉を普段用いる事はほとんどないような気もするが、まあ聞いたり読んだりすれば意味は分かる。ちなみに広辞苑第三版には「勝手な気炎をあげる、集まって談笑するの意」と立派に掲載されている。

小田急る(おだきゅうる)

「いつそ、小田急で逃げましょか」と云ふ西條八十氏の東京行進曲から出た言葉だが、どうかこれはオダキュールと發音して貰ひたい。「あすはオダキュールとするかな」なんて云つたら、「郊外へ出掛けよう」と云ふぐらゐの意味だと、先づ左様に御承知ありたい。(p.119)


この言葉は今では全く使われないが、ちょっと面白いので引用した。当時は、小田急といえば遊山電車というイメージを持たれていたことが分かる。今では、毎日殺人的な混雑の中、通勤通学の為、郊外から人が乗って都心にやってくる。とてもじゃないが「オダキュール」なって悠長なことは言っていられない。

お土産案(おみやげあん)

地方選出の代議士連が、其の選出區民への申譯に議會へ出すところの愚にも附かぬ建議案や請願のこと。十中の八九、鐵道又は土木の建設などに關する屁のやうなことばかりだ。さりとは辛い話ではある。(p.123)


今一般的に「お土産案」という言葉が使われているかどうかは自信はないが、この語の意味からみて、使えば聞いた人間は了解可能だろう。それにしても「十中の八九、鐵道又は土木の建設などに關する屁のやうなことばかりだ。」なんてみると、戦争の前も後ろも大して政治システムは変わってないんだなあ、と感心してしまう。

音痴(おんち)

學生用語だ。馬鹿といつても「スコ足り」程度のもの。或はモダンとは餘程縁の遠い者を呼ぶ言葉でもある。音樂の些つとも解せぬ男のことを云つたのが此語の起りである。(p.125)


「スコ足り」とは何の事かよく分からないが、「音痴」という言葉が比較的新しい言葉であるらしいことはちょっと驚きだ。気になるのは、「音痴」という言葉が発明される以前には、「歌うと音程が外れる人」を、どう呼んでいたのか、という点である。「〜痴」という言葉は如何にも明治初期に漢語をもちいて西洋語を翻訳した言葉のように感じられる。それ以前というと「痴」という意をあらわすには「馬鹿」とか「阿呆」というほうが一般的だったろう。となると、「音馬鹿」「唄馬鹿」とか「音阿呆」「唄阿呆」か。しかし、「馬鹿」「阿呆」は「もの凄いマニア」という意味にもとれるから「唄馬鹿」だと単に「唄好き」と思われかねない。まさか、昔は音痴は居なかったなんて訳もないだろうし。謎は深まるばかりだ。

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