奥樣と孃樣
(その一)



奥樣と孃樣
池田錦水著
東京:大学館, 1902


今回は、明治35年出版の図書を紹介する。まずは序文から。

自叙

革命は自然の進運を急速ならしめ、厭ふべき階級制度を破壞して、上下平等、華士族平民膝を交へて相語るべく、その間牆壁の遮るあるなきに至りたる、是れ宴に悦ぶべき現象なりとす。然も、人は天を制すべからざるか、自らなる階級は猶ほ劃然として存立し、下、上を窺ふべからず、上、下を容れず、相背馳して互に別箇の社會を形成せるが如きものあり。これをこの儘にして世運の暗流に任せ、空しく百年の河清を俟たざるべからざるか。

庸者は天に從ひ、達者は天に先んず。秋の來るを待つて虫を聽くは是れ庸者の事のみ、春ならざるに花の眺めに飽くは是れ達者の事に屬す。

自然の階級も之れを破つて、上下の均一を計るべきにあらずや。自然の進運も更に之れを進めて、上下の一致を期すべきにあらずや。

而して上流社會を下流社會とをして平等のものならしめんとせば、先づ下流社會をして上流社會を知らしめざるべからず。是れ下は上に傚ふものなればなり。下、上を知つて上に傚はゞ、上下の離隔甚だ遠からざるを得べければなり。

然れども上流社會の全豹を明かにせんとせば、その一分子よりせざるべからず、先づその一分子を採つて、付て明瞭ならしめて後、漸次その全豹に及ぼさゞるべからざるや論なけん。

斯の如くにして、吾がこの『奥樣と孃樣』一卷は成れり。

又思ふ、社會習俗の依つて起る處、之れを上流高貴の間にありとす。上流高貴の習俗にして、若し完からざるものあらば、これを責め、之を悛めしめて、全社會の習俗をして、その完からざるものゝ如からしむべからず。而して上流高貴の間の習俗に付て語る處あらんとせば、宜しく先づその一部分よりせざるべからずと。

斯の如くにして、吾がこの『奥樣と孃樣』一卷は成れり。

更に又思ふ、現實の社會を深く研究する、是れ理想を唱はんとする詩人天賦の責務なり。而して現實社會に付て研究する處あらんとせば、又先づその一部分よりせざるべからずと。

斯の如くにして、吾がこの『奥樣と孃樣』一卷は成れり。

吾が『奥樣と孃樣』を世に公にせる所以のもの、宴に斯の如し、その負ふ處の大なるに、人或は愕かん。

然り、負ふ處は然く甚だ大なりと雖も、然も翩々たる一小冊子、嗚呼、吾は終に吾が抱負の半ばだも遂ぐる能はざるに、赧然として耻ぢざるを得ざるなり。

 壬寅四月
錦 水 識 

と、明治の本らしい、いかにも大仰な言い回しが楽しい序文だが、本書の内容はというと、上流階級の奥様とお嬢様の実態を下々の人々に知らしめるというもの。なんとなく、1980年代後半の「お嬢様ブーム」や1984年のベストセラー『金魂巻』(渡辺和博著 東京: 主婦の友社, 1984)等を思い出させてくれる本だ。ただ両者に違いはあって、1980年代のブーム時には、「本当の金持ち」と「ニセの金持ち(成金趣味や、見栄はり)」を分けた上で、「本当の金持ち」は賞賛しつつ、「ニセの金持ち」を叩く、といった構造が強かったが、本書では、そのような区分けなく、上流階級の奥方たちのグータラな日常全般に対して苦言を呈する形をとっている。中には、やっかみからの言いがかりに近い「苦言」も見受けられるが。

今回は、この本の内、『奥樣』篇を紹介することとする。まずは、本書で言うところの『奥樣』とは何かを明らかにしておこう。『奥樣』については以下のように定義している。


(一章「奥樣とは奈何」より)
世の奥樣なる者に付て、吾が觀察し得たる處を記さうとするに際して、吾が謂ふ奥樣なる者は、抑(そもそ)も奈何なる婦人であらうか、先づ之を明瞭にするのが至當の順序であらう。

世には人の妻に對する稱呼に、五種の別がある。曰く奥樣(おくさま)、曰く御新造(ごしんぞ)、曰く御内儀(ごないぎ)、曰く女將(おかみ)、曰く嚊ァ(かかァ)、是れなりだ。然し他にも尚ほ、おまへ樣、きみ樣(這(こ)は宮家に限る奥樣の稱呼)、及び姐子(あねご)、山の神(やまのかみ)などの稱呼なきにしもあらずだが、おまへ樣、きみ樣は之れを總稱して奥樣と言ふを得べく、他は嚊ァと言ふを得るであらうから、別に特殊の者として語るの要も有るまい。而して此五種の稱呼の中なる、奥樣は一に令夫人と言ひ、御新造は一に細君とも言ふのであるが、明治十五六年以來、この『御新造』なる語は、何日とはなしに影を隱して了つて、今日に於ては、殆ど耳にする事なきに至つた。

然らば昔は御新造と呼びしそれを、今は何と呼びつゝあるか。

男子の多くはこれを細君(さいくん)と呼び、其所天(おっと)なる人に對しては、これを令閨(れいけい)とか、御内寶(ごないはう)とか呼んでゐるが、その細君即ち令閨に面と向つた際には、多く奥さんと稱してゐる。而して夫人間では奈何と言ふに、悉くこれを奥さんと呼んでゐるのである。

即ち御新造なる語を捨てゝ、奥さんなる語を採つたもので、昔の御新造は、今の奥さんとなつたのである。

で、昔からの奥樣、即ち令夫人と、昔は御新造と稱したる今の細君とは、俗語の上に於て、全く混同されて了つた。奥樣と御新造ならば、區別は明瞭であるのだが、奥樣と奥さん、それでは殆と全く同一稱呼であるが故に。

斯の如くにして、唯單に奥樣と言へば、昔から呼び來つた奥樣、即ち令夫人より、昔は御新造と稱したる、今の奥さんに至るまでを總稱するものゝ如くに聞ゑるが、茲に謂ふ奥樣は然うでは無いのである。

一に細君とも言ふ、今の世の奥さん連中に付いては、吾が言を俟たずして、世人はその總てを知つているであらうから、吾は世人の既に知悉せるそれに付いて、故(いたず)らに無益の筆を勞するが如き、愚を敢てする者では無い。

で、吾が茲(ここ)に言ふ處の奥樣は、昔から然く呼び來たつた奥樣なのである。言を換ふれば、即ち令夫人の事なのである。その中にはおまへ樣もあらう、きみ樣も有らう、畢竟は社會の最高階級にある妻女の事なのである。 (p.1-3)
 要するに、この本で言うところの『奥樣』とは、最上流階級の奥方連中ということなのであるが、上記の記述で興味深いのは、「御新造」という時代劇や歌舞伎、落語などでおなじみの呼称が明治15年ごろに廃れてしまったこと、そして「御新造」という言葉が「奥さん」という呼称に入れ替わり、それまで最上流階級に対してのみ使われていた「奥様」という言葉と区別がつき難くなっていたこと、である。

 本書に依ってちょっと整理すると、明治の初めには、

という位分けがあったようだが、上の2つの「奥樣」と「御新造」が明治の中頃には区別が付きがたくなっていたというのである。第二次大戦後には、この「奥様=奥さん」という言葉のみが生き残って他の呼称は駆逐されてしまった。現在では、猫も杓子も皆な「奥さん」である。

 本書では、この『奥樣』階級の中を、さらに次の三つに分ける。この区分は以下の通り。

(二章「經歴」より)
三箇の區別とは奈何、令孃であつた身が、嫁して奥樣となつたもの、其一。細君であつた身が、所天(おっと)の出世と共に、奥樣と稱せらるべき位地に上つたもの、其二。藝娼妓其他の浮氣稼業にあつた身が、氏なくして忽ち玉の輿に乗り得たもの、其三。即ち是れである。尚ほ之れを平易に語らば、一は孃樣上り、二は細君上り、三は水性上り、この三箇の區別なのである。 (p.5)
要するに、

  1. 元々お嬢様で、上流階級の夫と結婚したもの(孃樣上り)
  2. 中流階級の夫と結婚した中流出の妻で、夫の出世によって奥様になったもの(細君上り)
  3. 水商売あがりで上流階級の夫と結婚したもの(水性上り)
の3種があるというものである。同時代のヨーロッパなど、階級ごとの住み分けが厳格な社会であれば、1(孃樣上り)のケースがほとんどなのだろうが、著者によると、当時の日本では1のケースは少数派なのだそうだ。

(二章「經歴」より)
一におまへ樣と呼ばれ、又きみ樣と呼ばるゝ奥樣及び舊華族(大名華族)の奥樣方は、概してこの孃樣上りなのであるが、今の奥樣の總てから視れば、凡そ其四分の一に過ぎぬ事を吾は茲に言明し得るのである。 (p.6)
明治維新によって支配層となったのは、旧藩の中堅若手クラスであったことを考えてみても、支配層の奥方達もそれに見合った層の出身者が多かったことも納得がゆく。また、明治の元勲と呼ばれた連中の倒幕運動中の京都での芸者遊びを思い出せば、3のケースが結構見受けられたのも頷けるものがある。

では、本書の区分にならって1.孃樣上り、2.細君上り、3.水性上りに分けて本書の内容を紹介してみよう。


1.孃樣上り

1980年代のお嬢様ブームの中ならば、この「孃樣上り」の奥様は「本物の奥様」扱いを受け羨望のまなざしが向けられるのであろうが、筆者はもともと奥様と見れば無差別に苦言を呈そうと構えているので、「孃樣上り」の奥様も格好の標的だ。非難の的となるのは、「世間知らず」という点である(上流階級の人々への苦言としては、紋切り型ではあるが)。

(五章「品性」より)
彼等が呱々の聲を上げたその家は富めるものであつて、父なる人も、母なる人も、社會の第一流にある貴紳貴女であつて、而してその家庭は、下賤醜惡の分子を容れざる、兎にも角にも高潔なるものであつたのだ。(中略)

秋の野邊なる草花の色々は視ても、野分けに碎(くだ)くる露の冷たさは知ずに、冬の朝の雪の景色を喜びても、あれも人の子樽拾ひの身の上には思ひ至らずに、春の山邊に盛りの櫻を霞と賞(め)でゝも、その下に觴(さかづき)傾くる男達が醉ふての後の横道(いたづら)なる情事は悟らずに、夏の夜の松影(まつかげ)疊の上にある月の風情は飽かず眺めても、その明るさを恨む儚(はかな)き戀路辿れる人ありとは心付かずに、唯只清く潔く成長して、三味には手を觸れさせられずして琴を教へられ、俗謠は耳に慣れざる間に唱歌を教へられ、挿花(はな)を教へられ、點茶(ちゃ)を教へられ、世に生を享けて以來、純正なる精神的教育を施されて、而して後、婚期至つて嫁して奥樣となつたその奥樣が、奈何でか品性の下劣なるべき筈あらうや。

人は産れて成年に至るまでの間の四圍の境遇に依つて、その品位性格は作られるものであるのだから、産れて斯くの如き境遇に立ち、斯くの如き養育を受け、而も猶且つその品性の陶冶せられざる者あらば、幵(そ)は人ではないと言ふを得るであらう。女ではないと言ふを得るであらう。否な人である以上は男子であつても、斯かりせばその品性の陶冶せられて、高上なる者となるのは、寔に理の然るべきのである。

で、この孃樣上りの奥樣は、多くその品性が高上であるのだ。(中略)

が、これ等孃樣上りの奥樣が、今の奥樣の中に於て、甚だ少數である事は、繰返して茲(ここ)に語らずとも、讀者は已(すで)に業(すで)に知つてゐる筈である。 (p.43-46)
まずは、育ちのよさからくる品性の高さについては、他のタイプの奥様に比べれば優れていると指摘している。

文中の、

「秋の野邊なる草花の色々は視ても、野分けに碎(くだ)くる露の冷たさは知ずに、冬の朝の雪の景色を喜びても、あれも人の子樽拾ひの身の上には思ひ至らずに、春の山邊に盛りの櫻を霞と賞(め)でゝも、その下に觴(さかづき)傾くる男達が醉ふての後の横道(いたづら)なる情事は悟らずに、夏の夜の松影(まつかげ)疊の上にある月の風情は飽かず眺めても、その明るさを恨む儚(はかな)き戀路辿れる人ありとは心付かずに」

の部分は、いかにもという美文調で、読ませるところである。

で、品性についてはともかくも、乳母日傘で育ってきて、世間の荒波にもまれていない点については激しく攻撃している。

(四章「理想」より)
學に苦んで智を磨き、自ら思索して新智識を闡發(けんはつ)しやうとした事なぞは、素よりあるべくもなく、且つや情薄き世風に弄ばれた事なぞもなくして、思ふがまゝに豐けく育つた身であるのだから、何者か心靈の安慰を求めんとするが如き事は、全く無いのである。で、彼等は精神上の信仰絶無なのであるのだ。精神上何等の信仰もなき者が、何に依て此世に安らけきを得るかと疑ふ者もあらうけれど、幵(そ)は金力である。彼等は寔(まこと)に今の世に於ては萬能力を有する黄金の、思ふに任せて自由なるが爲めに、精神上の安慰の如き、これを求むる必要をさへ認めぬのであらう。であるから彼等が、宇宙に對する信仰---哲學的信仰の絶無であるのは當然である。實に彼等は唯夢の如く、蜉蝣(ふゆう)の如く、糸遊(かげろう)の如く、寧ろ空中に浮んだる輕氣球の如くに此世に存在してゐるのである。それであるものを、彼等が理想として語るべき程の理想を有してゐぬのは、多言を費すの要なくして明瞭であるのだ。 (p.34-35)

(三章「技能」より)
傳母日傘で深窓の中に、夢の如く成長して、親の指圖に任せて婚家して奥樣となつた者が、何で人の妻としての技能を有してゐやう。世間知ずののつぺらばうが、遽(にわ)かに人の妻となつて、何で人の妻たる技能を、何一ッ有してやう。彼等に家計の切り盛りは、迚(とて)も自ら出來ぬのである。彼等に所天(おっと)の世話は、迚(とて)も身一ッで出來ぬのである。彼等には所天(おっと)の口に適する、料理さへなし得られぬのである。否な彼等は、己が一家が奈何なる、方法に依つて維持されつゝあるか、一家の生計方針を、奈何にせば支出は減じ収入に剰餘を生ずるであらうか、それさへ全く知らぬのである。否な否な彼等は、所天(おっと)を充分慰めて、所天(おっと)に滿足を得させる事さへ出來ぬのである。所天(おっと)が自己に依つて充分に慰められつゝあるか、所天が自分に滿足してゐるのであるか、その奈何をさへ知らぬのである。これでは人の妻として、何の技能も無きものと言はねばならぬではないか。(中略)

強いて彼等の技能を求むれば、琴が彈けるのである。花が挿けられるのである。茶が點てられるのである。行儀作法が正しいのである。言葉遣ひが叮嚀なのである。何事につけても鷹揚なのである。音樂會、舞踏會なぞに臨んでも、狼狽(まごつ)いて耻をかくやうな事は無いのである。而して和洋何れを問はず、衣服の着こなしが上手なのである。それ位ゐなものなのだ。 (p.20-22)
「空中に浮んだる輕氣球の如くに此世に存在してゐるのである。」「人の妻として、何の技能も無きものと言はねばならぬではないか。」とは、かなりきついお言葉。「行儀作法が正しいのである。言葉遣ひが叮嚀なのである。何事につけても鷹揚なのである。」などと聞けば、結構いい奥さんなんじゃないかと思われなくもないが。

ここでは、

「否な彼等は、己が一家が奈何なる、方法に依つて維持されつゝあるか、一家の生計方針を、奈何にせば支出は減じ収入に剰餘を生ずるであらうか、それさへ全く知らぬのである。否な否な彼等は、所天(おっと)を充分慰めて、所天(おっと)に滿足を得させる事さへ出來ぬのである。」

の、「否な・・・否な否な・・・」と否定を重ねて盛り上げていく修辞法が懐かしい。


2.細君上り

「孃樣上り」を叩いた後は、続いて「細君上り」への攻撃。

(三章「技能」より)
人、或は疑ふであらう。兎にも角にも細君上りの奥樣は、その細君であつた時代に於て、大に内助の功あつたもので、所天(おっと)をして今日あるに至らせたのには、與(あずか)つて力あつた程の人である。而して世味(せみ)の奈何に辛きかをも味ひ來つて、世間通と言ふべき程世間に通じてゐて、世事に明い人なのである。それがひとしく人の妻なる奥樣として、何の技能も無いとは其意を得ぬでは無いかと。(中略)

思ふに、細君上りの奥樣なる者は、その昔、細君と呼ばるべき地位にあつた頃は、細君としての技能に於いて、間然する處なきものであつたらうが、然し、細君としての技能と、奥樣としての技能とは、其間大に異る處有るもので、細君として奈何に技能ある者も、奥樣として決して技能ある者と言ふべからざるは、宛(あたか)も彼の手品師として頗(すこぶ)る技倆ある者が、輕業師として何の技倆もなきが如きであらう。

細君の時代に於て、能く貧に堪へた、左程に多からざる月収を以て、所天(おっと)には繿縷(ぼろ)を下げさせる程の事もなく、世間交際にも耻をかくやうな事なくして、能く一家の經濟を繰り廻した、と言ふ技能の如きは、奥樣の地位に上つては、全く何の用をもなさぬのである。借金の辨疏(いいわけ)をなし、味噌漉(みそこし)下げて買物に出でたるが如きは、奥樣としてはこれを爲すべき必要もなく、技能として視るべきでないのは、言ふまでもないであらう。

彼等は細君の時代に於ては、少なくとも所天を能く慰め、所天(おっと)をしてその家庭に和樂に滿足せしめ得たであらうが、奥樣となつての後の彼等は、妻として所天(おっと)を慰むる責任をすら、全(まっと)ふし得ぬのである。所天(おっと)をして自己の愛に、他念なからしむる事をさへ、爲し得ぬのである。(中略)

彼等は世事に通曉している爲めに、日々の食品の價の如きは、極て精しいのである。で、奴婢なぞの比較的高價なるものを購ひ來る時あらば、或は足駄を穿(は)いたのでは有るまいか、即ち上前を刎ねたのでは有るまいかと、直に其奴婢に目を付けて、假(よ)しや口へは出して言はぬまでも、何時かそれとなく當こすられるので、奴婢は油斷のならぬ奥樣として、彼等を蔑むに至るのである。(中略)

細君上りの奥樣なる者は、實に屡々(しばしば)その所天(おっと)を辱しむるに至るのである。彼等は宴會の席上に於て、何事をも知つたか振りに、獨り出者張(でしゃば)つて他を斥け、或は何の憚る處もなく喋々(ちょうちょう)として饒舌(しゃべ)り、更に愼まん氣色もなく喃々(なんなん)として語り、若し然なくんば、唯人を怖れて縮み上り、顫え上り、出づべき處へも出でづして、勝手を知ずして狼狽(まごつ)き、挨拶もし得ずして眞赤になり、共にその席にある所天(おっと)をして、冷汗(れいかん)脊(そびら)に滂沱たらしむるが如き、蓋し尠からざる事實であるのだ。

これ等を以て、斯る奥樣の技能となすべきのであらうよ。他に何の技能もないのであるから。(中略)

この細君上りの奥樣等は、奥樣として、孃樣上りの奥樣よりも、尚ほ一層無能であるのだ。全然何の技能もないと言ふべきなのだ。而して此等の全然無能なる細君上りの奥樣が、今の奥樣の多くの部分を占めてゐる事を記せよ。 (p.23-28)
「細君の時代に於て、能く貧に堪へた、(中略)能く一家の經濟を繰り廻した、と言ふ技能の如きは、奥樣の地位に上つては、全く何の用をもなさぬのである。」

と言われれば、この言葉だけを見れば、まあ上流階級の家政とはそんなものかと思わぬでもないが、「孃樣上りの奥樣」に対して、

「己が一家が奈何なる、方法に依つて維持されつゝあるか、一家の生計方針を、奈何にせば支出は減じ収入に剰餘を生ずるであらうか、それさへ全く知らぬのである。」

と非難しておきながらの言葉である。それでもって、

「この細君上りの奥樣等は、奥樣として、孃樣上りの奥樣よりも、尚ほ一層無能であるのだ。全然何の技能もないと言ふべきなのだ。」

と来る。これでは、単なる言いがかりと思われても仕方がない。


(五章「品性」より)
彼等は音樂會に列する代りに、寄席に色物を聽きたがり、繪畫展覽會に名畫を眺むるよりも、淺草公園に手踊を見んを欲し、洋食の饗應を受けんよりは、天どんの御馳走を喜び、讀賣新聞よりは都新聞を好むのである。

吾は會(かつ)て、當路の顯官にある某氏の奥樣が、殆ど日々、密に子間使いをして焼芋を買ひ來らしむる事實を聽いた。 (p.51)
焼芋ぐらい食べても何の問題もなかろうと思うのだが、当時はそんなにも非難されなければならないことだったのだろうか。

 この文中で目を惹くのは、

「讀賣新聞よりは都新聞を好むのである。」

の部分。都新聞は東京新聞の前身である。当時の新聞は、大新聞(おおしんぶん)小新聞(こしんぶん)の2つのジャンルに分かれていた。大新聞は、政党の機関紙から発達した政論中心で漢語の多い知識人向け新聞、小新聞は振り仮名つきの読み物を中心にした娯楽的な庶民向け新聞であった。ここであげられている、読売新聞も都新聞も、ともに小新聞にあたる新聞である。この分で読み取れるのは、同じ小新聞であっても読売新聞のほうが都新聞よりも少しくブランドイメージが高かったということ。これは、ちょっと興味深かった。

 孃樣上りの奥樣の得意分野たる「品性」に関する細君上りの奥樣への攻撃は、さらに調子が高くなる。

(五章「品性」より)
孃樣上りの奥樣は、然(しか)く寔(まこと)に品性の高上なる者であるのだが、その他の多數の奥樣は何うであるか、吾は海外他國の人に耻ぢざるを得ぬ、その事實を茲(ここ)に語らねばならぬのだ。

孃樣上りの奥樣を除いた、他の今の奥樣の多くは、否な殆ど悉(ことごと)くは、その品性の下劣なる事、寔(まこと)に愕(おどろ)くばかりである。(中略)

然(しか)り、孃樣上りの奥樣を除いたる今の奥樣方は、奥樣たるの資格全く無き程、それ程品性の下劣なる者であるのだが、幵(そ)を咎むるは或は酷であるかも知れぬのであつて、然(しか)あるべきが當然なのであらう。(中略)

未だ情事の何たるかを解せざる以前に、早く既に色に荒(すさ)ぶ男女の戀語(こいがたり)も聽いたらう、狡猾なる小兒の奸手段に乗せられて、菓子を奪はれた事もあらう。金錢をかけての勝負事も視たであらう。人の唄ふを眞似て怪しからぬ俗謠も唄ひ覺えたらう。耳目に入るもの一ッとして彼等の軟弱なる精神を惡化するものならざるはなく、四圍の事情が唯只卑猥なるまゝに、自ら卑猥なる人となつて、而(しか)る後婚嫁して細君となつたものは、吹き荒ぶ浮世の風に秋の木の葉と弄(もてあそ)ばれ、猛り狂ふ浮世の浪に楫(かじ)なき船と漂はされ、世帶の苦さに追ひまくられ、限りある金に虚誇心を制せられて、愈(いよい)よ心卑劣の人となり、又貧に餘義なくされて浮氣稼業に身を投じたものは、意志賤劣なる遊冶郎(ゆうやろう)の玩具となり、人道婦徳其方(そっち)退(の)けの惡戯に慣れ、唯黄金を尊(とうと)んで廉耻(れんち)を顧ぬに至り、醜汚をあやしまず、清廉をしりぞけ、いやが上にも心陋劣の人となり、斯の如くにして後、或は漸次に、或は倏忽(しゅっこつ)に、奥樣の地位に上り得た、その彼等が奈何でか奥樣として耻しからぬ品性を有(たも)たうや。實に彼等は、母の胎内を出て奥樣となるまでの間に、毫末(ごうまつ)も品性の陶冶を受けなかつたものなのである。(中略)

若し萬一斯くの如き世路を經(へ)來つた者で、然(しか)も猶且つ品性の高上なるものあらば、幵(そ)は何物か人間以上の或る偉大なる者でなければならぬのだ。 (p.47-50)
「色に荒(すさ)ぶ男女の戀語(こいがたり)も聽いたらう」以下、「・・・ろう、・・・ろう」で畳み掛ける語調が読ませるところ。また、最後の「幵(そ)は何物か人間以上の或る偉大なる者でなければならぬのだ。」という、大上段に振りかぶった文句も素晴らしい。

要するに、育ちが育ちだけに、少々行儀が悪いのもむべなるかな、といったところか。

それにしても、「海外他國の人に耻ぢざるを得ぬ」程の「品性の下劣」とは大仰な物言いだ。といっても、肝心な「品性の下劣」の実例については、本書にあんまり記述がないのが残念である。あるのは「西洋音楽よりも寄席が好き」、とか「焼き芋を食べる」だの、言っちゃあ悪いが「箸の上げ下ろし」程度の瑣末なことしかない。この程度じゃ海外他国の人も恥と思ってくれないのではないだろうか。


3.水性上り

最後に水性上りの奥様について。水性上りの奥様の一般的な経歴の紹介。

(一章「經歴」より)
水性上り、即ち浮氣稼業であつた者が、一躍奥樣の位ゐに上り得た、その奥樣は、今の奥樣の全部から視て、甚だ少いのである。

人の妻女として斯くの如きは、寧ろ奥さんの中に多く、浮氣稼業上りで上流社會にある者は、多く外妾としてのである。が、水性上りの奥樣が、決して無いのではないから、茲(ここ)にも亦(また)之れに付いて説くの必要はあらう。

これ等の奥樣の經歴は奈何。それが既に浮氣稼業上りであると言はゞ、その他は言はずもがなであらう。が、然も尚ほ吾をして説く處あらしめよ。

彼等は僥倖にして奥樣の地位に上り得たものであつて、その昔は容色を賣物に、嫖客(うかれを)の機嫌を取つたのであるから、粹と通とに對(むか)つて、有らゆる經歴を有してゐる。酒席の遊樂に付いて、有らゆる事を經驗し來つたのである。

屋根船の中に酒を暖めつゝ、糸に思ひを言はせて、向島の雪景色を賞へた事もあらう。今が眞盛りの花の下に、醉ふての上の片肌拔ぎ、緋の肌襦袢見せての舞の一曲に、これも花よと人の目を奪ふた事もあらう。男を買つて、酒色に荒(すさ)んだ事もあらう。賭博は三度の食よりも、尚ほ好んでなした處であらう。其他彼等は、劣等なる遊戯に付いて、實に有らゆることを經歴し來つたのである。

他に又彼等は、世路の辛慘に付いても經歴を有してゐる。彼等は自力を以て、彼等の身を支へなければならなかつたのだから、その從ひつゝある稼業が、甚だ呑氣で氣樂であるらしく見えるにも拘らず、裏面に於ては、高利の金を借りた事もある。染返し物で春着を間にあはせた事もある。芝居の義理見物に赴くべく、着物の質入をした事もある。それ等は未(おろか)で、彼等はお座敷の歸途に飢饑(ひもじさ)堪へやらず、鍋燒温饂(うどん)の立喰をした事もあるのである。 (p.16-18)
嬢様上りの奥様と違って、細君上りの奥様と同様に(あるいはそれ以上に)世事に通じていることの説明である。ここでも、「・・・ろう、・・・ろう」の畳み掛けが見られる。

意外なことに、この水性上りの奥様に対しては、筆者の評価は甘めである。

(三章「技能」より)
これ等浮氣稼業上りの奥樣なるものは、奥樣社会に於ても、多くは下級に位ゐしてゐるのであるが、奥樣として、殆(ほとん)ど何の技能もなき事は、孃樣上り、細君上りと大差は無いのである。幵(そ)は然あるべき筈であつて、素より些末の教育もなければ、その趣味も下劣であつて、僥倖にして奥樣となつた者なのであるから、奥樣として適すべき筈もなく、何の技能もないのが、理の正に然るべき處であるのだが、可笑しきは浮世である。此等の奥樣が孃樣上り、細君上りのそれに比しては、稍(や)や技能ある不思議な事實を、吾は認め得た。

彼等は粹と通とに付いて多くの經歴を有してゐるが故に、孃樣上りのそれの如くに、唯床の間の置物然としてはゐぬ。彼等は極めて自堕落であるが故に、細君上りのそれの如くに、家事にせゝこましくはない。而して彼等はその所天(おっと)の爲めに、忽(たちま)ち身をこの地位に置くを得るに至つたのであつて、又多少の窮屈をも忍び得たのであるから、今は唯二度の勤めを厭(いと)ふてゐる。所天(おっと)に厭(あ)きられざらん事を欲してゐる。で、能くその所天(おっと)を慰め、その所天(おっと)をして、或は所天(おっと)がこの奥樣に大方ならず戀してゐるからでもあらうけれど、能く自己の慰藉に滿足せしめ、所天(おっと)をして自己の戀に熱中せしめて、家庭に不快の念を生ぜしむるが如き、家を厭ふが如き事なからしめてゐる。是れ寔(まこと)に奥樣として、否な人の妻としての一の技能では有るまいか。 (p.30-31)
客あしらいの経験が、旦那あしらいの上手さに通ずるということらしい。「奥樣社会に於ても、多くは下級に位ゐしてゐる」と筆者が記しているが、下位に位置づけられている階層をわざわざ逆に持ち上げる点には、筆者の奥樣社会への皮肉が感じらる。

ちょっと穿った見方だが、著者が知り合った奥様連のうち、水性上がりの奥様は他に比べて、愛想がよかったりしたのかもしれない。かなりやっかみの混じった苦言が多いところを見ても、筆者自身は、「奥樣」をもてるような階級に属しているようには思えないが、そのような筆者に対しても昔取った杵柄か、にこやかに楽しく接してくれるので点数が甘めになっているのかもしれない。

最後に、細君上りの奥様の経歴の詳細を見ておこう。当時の世相が現れていて面白い。

(二章「經歴」より)
昔は細君と呼ばるゝ位ゐの地位にあつたのだが、所天(おっと)の立身出世と共に、奥樣の地位に昇り得たる、その奥樣の經歴である。

出入りの商人や奴婢等の間に、本當に油斷がならぬと云はるゝのは、これ等の奥樣である。それは經歴が經歴である故に。

これ等の奥樣は、中々に經歴に富んでゐる。所天(おっと)をして今日あらしむるに至らせたのには、與つて力ありと言ふべき者が多いから、女子として忍ぶに難き苦を忍んだ事も有らう、女子として堪ふべからざる耻辱に堪へた事も有らう。その細君である間に於ける、刻苦精勵や、今は昔を偲ぶ寢物語の種でもあらうが、思ひ出せば能くあれまでにと、自ら感嘆する程の事もあらう。彼等の多くは、能く世事に通ずるを得るに至つた丈けの、雜多の經歴を持つてゐるのである。(中略)

某子爵夫人が語る處は、斯うであつた。

自分は長州の萩に育つた者で、東京に出たのは明治十一年であつた。今の所天(おっと)は早くから東京に來てゐたのだが、幼少な頃から許嫁であつたので、兄に連れられて東京へ來て、今の所天(おっと)と結婚したのであるが、其頃所天(おっと)は○○省に出仕してゐて、月の収入が僅か十五圓、今のやうに物價が高くはないから、それで兩箇(ふたり)の生活が支へられぬ事はないのであるが、自分は土地不案内の田舎者、心から世話をして呉れる親戚は無し、初めての世帶では有り、所天(おっと)は其頃から少しづゝではあるが酒を呑む、と斯ういふ風であるのだから、巧く世帶の繰り廻せやう筈はなく、味噌漉(みそこし)下げての買物なぞは常の事、僅か一圓にも足りない勘定を取りに來られて、辯疏(いいわけ)して待つて貰つた事もあり、漸次に近所へ借金が出來て、隨分辛い斷わりを言つた事もあり、到頭仕樣が無くなつて、或時、冬の寒い晩に炭がなくなつて了つた時なぞは、それでも豈夫(まさか)に量り炭を買ひに行く事もならず、思ひ切つてその時初めて質屋と言ふものゝ敷居を跨いだが、此時の氣まり惡さは、今も尚ほ忘れ得ぬ程である。斯くしてゐる中に、漸く東京の生活にも慣れ、世帶の繰廻しも上手になつたのであるが、その自分には既に可也(かなり)の借金も出來てゐたので、何うもその苦しい事は、迚(とて)も口には盡せぬ程で、奈何につましくしても、依然樂にはならぬ中に、元來所天(おっと)は些と豪放な方で、家内の事なぞは一向に顧みず、勤め先で同僚と口論して、その揚句に上官にまで喰つてかゝつたとかで、後では悔いもしたのであらうが、流石にそのまゝ其職にあられもせず、直ぐ辭表を出して了つたから、さらでも苦しい家計は終に維持する事が出來なくなつて、一時夫婦別れと言ふ事になつた。自分の其時の胸中なぞは言ふまでもない事では有るが、死するが優(ま)しとまで思つた程である。それでも未だ子兒のなかつたのが幸福で、所天(おっと)は知己の家に居候の身となり、自分も四五日は一所に其家に厄介となつてゐたが、終に或る家へ下女奉公をしたのである。女としては、餘程の決心がなければ出來ぬ事で、一年ばかりを雇れの身で過ごす中に、漸く所天(おっと)は厄介になつてゐる其知己の世話で、再び官に出仕する事となつたので、自分は又御新造の身となつた。この後の自分は自分でも吝嗇と思へるほどつましくして、所天に難儀をかけぬやうにと、實は内職までしたのであるが、依然として世帶の苦勞は絶ゑず、質屋の門をくゞる事も度々あつて、一生此樣事で暮すのかと思つてゐる中に、所天(おっと)の月収は増して來て、少しは息もつけるやうになつたが、内職は廢しても下女なそは使はず、其頃は一人の子持であつたのだが、其子を背負つて朝は竈の下を焚きつける始末、何かの時に狼狽(まごつ)かぬやうにと、食べるものも食べずに驛遞(えきてい)へ預金をして、所天(おっと)が其後又一度、勤務を退いた事が有つたが、其時には世帶を仕舞ふまでにも至らなかつた。其中に又所天(おっと)は官に就いて、今度は家を千葉へ移したが、自分は東京にゐて、東京の名所は素より、芝居一ツ見た事なしに地方へ移つたのであつて、千葉に止ること二年、それから仙臺へ行き、一年餘で歸京してからは、世間へ對しても下女も置かねばならず、車夫も抱(かかえ)るやうになつて、到頭今の身分になつたのであるが、世帶の苦しみがなくなれば、交際の面倒が有つて、人と言ふものは、却つて貧である方が、氣樂な位ゐであらう。

と、これが今は子爵夫人として、ときめき給ふ人の言とは思へぬではないか。然しこれが事實であるのだ。(中略)

吾が觀たる處を以てすれば、これ等細君上りの奥樣は、確に奥樣全部の二分の一以上を占めてゐるのである。 (p.10-16)
これが、特定の個人(某子爵夫人)の本当の経歴かどうかはともかく、一つの典型ではあったのだろう。下女奉公の経験したものが子爵夫人となること、そしてそのような経歴を持つ婦人が例外者でなく「奥樣全部の二分の一以上を占めてゐる」ことは明治前期の社会構造の変動のダイナミックさを示しているように思える。筆者はそのことが、上流階級の婦人連の「海外他國の人に耻ぢざるを得ぬ」ほどの、「品性の下劣」さに繋がっていると嘆いているが、これは決して他国に恥じるようなことではあるまい。本書が出版されたのは明治35年だが、次第にこのようなダイナミックさは失われ社会構造は固定していく。それに伴って、本書でいうところの「孃樣上りの奥様」以外の奥様は消えていくのだ。その流れの先には昭和初期の息苦しい閉塞情況が待ち受けている。


----------------------(参考)----------------------

文中でふれた「金魂巻」内の「主婦」のページの記事を抜粋しておく

主婦
●山の手漂流

一口に主婦といってもあまりに貧富の差が大きすぎます。年齢的にも開きがあります。そこで主婦に限っては四種類に分けてみました。金の金、金のビ、ビの金、ビのビというふうにです。

 東京都内には幾つかの一流名門幼稚園と呼ばれる幼稚園がありますが、ここへ毎日わが子を送り迎えするお母さん=主婦の集団の中は、きわめて興味深い金とビの世界をつくります。

 しかし、ここではビといっても世間的基準からすれば中程度以上の生活を送っていますが、この幼稚園の中ではビな家庭ということになってしまいます。(p.158)
文中の「金」「ビ」は実際には○の中に入っている。刊行当時、「まるきん」「まるび」として流行語になった。「まるきん」は「金持ちの人」、「まるび」は「ビンボーの人」を意味する。

一流名門幼稚園の通う子供を持つ母親ということで、「奥樣」と同様上流階級の夫人連として扱うことができるものと判断した。階層分けの基準が、「奥樣と孃樣」と「金魂巻」で根本的に異なっているので、素直には並べられないが、大ざっぱに言うと

「金の金、金のビ」=「孃樣上り」
「ビの金、ビのビ」=「細君上り」

といったところか(水性上りについては、金魂巻には該当するものがないと判断)。

金の金
身長162cm 体重43kg 年齢34才。青山学院大英文科卒。実家は、ホテル、貸しビル、不動産等を手広く扱う観光会社オーナー。父親は二代目。
夫の職業・・・電鉄会社営業部次長、年齢36才。慶応大卒。年収960万円。だが、妻の実家から数千万?夫の父親は、社長。
自宅・・・目黒区青葉台に、夫の両親と同居。部屋数18室。
趣味・・・クラシックバレエ、オペラの鑑賞。義母とお芝居も見に行く。週1回、外人を招いて英会話。
得意な料理・・・イカ、エビの揚げだんご。
心がけていること・・・笑顔。
読書・・・「バザール」「エル」。本屋で買えない雑誌「DAME」(年間購読料3万円・主婦の友社)。「パリ・東京井戸端会議」(岸恵子・秦早穂子)。石井好子、犬養道子の著書はほとんど持っている。
子育てのモットー・・・男らしい子に。
金のビ
身長158cm 体重44kg 年齢32才。立教女学院短大卒。実家は銀座で、あられを製造販売する老舗。
夫の職業・・・新宿を中心に全国チェーンでアパレルを売る店の専務取締役、年齢38才。成蹊大卒。年収2200万円。父親は会長、兄は社長。
自宅・・・渋谷区代々木上原の低層高級マンション4LDK(8600万円)。
趣味・・・学生時代からのテニスとおしゃれ。週1回アスレチッククラブへ。全身美容は青山で。ファッションショーめぐり。
得意な料理・・・タンシチュー。
心がけていること・・・エレガント。
読書・・・「家庭画報」「ハイ・ファッション」「モード・エ・モード」。「女の運は男で決まる」(八田有加)。
子育てのモットー・・・はなやかな女の子に。
ビの金
身長155cm 体重50kg 年齢35才。早稲田大学国文科卒。父親は、輸出輸入関係の団体専務理事。
夫の職業・・・業界2位の損保会社財務部、年齢39才。一橋大卒。年収1030万円。
自宅・・・渋谷区富ヶ谷に、社宅3DK。
趣味・・・短歌。子供が幼稚園へ行くようになって同人誌「風舞」に入った。ほかに朝日カルチャーセンターで、「万葉集を読む」。
得意な料理・・・茶碗蒸し。
心がけていること・・・内助の功。
読書・・・「クロワッサン」「銀花」。「私の嫁いびり」(西川勢津子)、「愛見つけた」(小林完吾)。
子育てのモットー・・・リーダーシップのとれる子に。
ビのビ
身長157cm 体重40kg 年齢30才。都立大卒。父親は事務機器を扱うメーカー勤務。
夫の職業・・・航空会社地上勤務・運転部主任、年齢31才、都立大卒。年収480万円。
自宅・・・世田谷区上用賀の二世帯住宅。夫の両親が一階に住み、2LDKの二階に住む。ローン返済年100万円。
趣味・・・2人の男の子の子育てに追われて、余裕なし。
得意な料理・・・スパゲッティ・カルボナラ。
心がけていること・・・健康。
読書・・・「暮らしの手帖」「すくすく」。ときどき「週刊朝日」。「生きてゆく私」(宇野千代)。
子育てのモットー・・・あいさつのきちんとできる子。人に迷惑をかけない子。だれからも愛される子。好き嫌いのない子。元気な子。

(p.160-166)
夫の職業、父の職業ともに、役人がまったく無いところに時代を感じさせる。明治は遠くなりにけり。

「十年一昔」というが、今年は2003年だから、「金魂巻」も二昔前の本ということになる。服装にしても音楽にしても、流行モノは思い切り過去の事になってしまえば恥ずかしさも消える(というか、カッコ良くなったりする)が、10-20年前というのが最も気恥ずかしさが増す時期。本書もちょうど気恥ずかしさのスイートスポット期に入っているようだ。ここで上げられている職業はどれもこれも、今は辛そうだ。まあ、蓄えがあるだろうから生活には困ってないだろうが。


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