大阪人と東京人

木村恒「大阪人と東京人」(『婦人公論』 13(4)昭和3年, p.44)

抜粋

「電車の中でよく関西の人は子供におしっこをさせる。これについてはいつか文士 谷崎潤一郎氏も憤慨した様子で何かへ書いてゐたと記憶するが、大勢の乗客の足下で、立派なお母さんが平気で子供におしっこをさせるので、それを見て車掌も何んとも言わないし、乗客も黙って居る。」「又絵画の展覧会などへ行ってみると、東京のそうした会に負けず多くの人が入場してゐる。然し大阪方面の一般人は、とかく色彩の濃いもの、けばけばしいと思はれる色彩のもの、或ひは一目で何と判然分かるやうな絵でないと喜ばないのである。
 それは婦人の服装に一番よく現れてゐる。東京方面の人のような渋いとか意気とかいう服装の柄や縞や、また着こなしは大阪方面には喜ばれない。柄でも縞でも色でもズットけばけばしい。近代産物のモダン・ガールの服装でも、東西では大部ちがってゐると思う。つまり文化の程度の低いものには、一目で分かるもの、パッと目へ来て美しいなと感ずれば、それで絵でも服装でもよいので、それ以上に奥行きを論ずる余裕はまだ出ないのである。つまり批評精神がまだ少ないのである。」

寸評
電車の中で小便をさせるとはかなり衝撃的だ。このころの大阪の電車は小便臭かっただろう。そういえばロンドンの地下鉄もかなり小便臭いが、あれも子供に小便をさせているのだろうか。関西の女性の服のケバさは現在でも話題になっているが、昭和3年のころからそうだったんですねえ。私は大阪出身なのだが物心ついたときからケバかったから、たしかに最近にわかに服装が派手になったものではないのだろう。

 この文でも名前があがっている谷崎潤一郎の関西移住のころから、関西は「発見されるもの」に変容し始めていて、それがこの婦人公論の「関西の文化と婦人」特集にも反映しているように思う。かつては文化の中心であり、あの100万都市江戸にとってすら常に意識せざるをえなかった近畿の大都市・大阪、京都も、今や東京に居たままで心穏やかに眺めることが可能となっている。それは、おそらく日本という国家の中で唯一の都会として東京があるという構造の完成と期を一にしていて、その構造のなかでは、もう東京にとって、他の都市は脅威であることをやめている。ここにいたって、東京以外の都市たちは、自らを都市(=東京)でありながら非都市(=非東京)として組織し始め、そしてこの意識は、東京が他の都市達を、眺め、収集し、観察し、東京でないものを発見して分類しようとする意志と共犯関係にあり、互いに手を携えて県民性とか地方性とかいうものを肥大させていくのだ。



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