産業ロック推薦図書



日ポン地
1編 (明37.9)  東京 : 東陽堂, 1904-

 タイトルは「にっぽんち」と読む。明治の雑誌だからといって、右から読んで「チンポ日」と発音してはいけない。元々は、同じく東陽堂から発行されていた風俗畫報の臨時増刊として出ていたものらしいが、好評なので独立したものと見られる。

タイトルが、「日本」とポンチ絵の「ポンチ」の洒落となっているのを見ても解るように、お笑い系統の雑誌で、中身はポンチ絵や新作落語や、投稿川柳等が中心である。中身はそこそこ程度に面白い、言い換えれば中途半端に面白いので、実を言うとこのページではちょっと紹介しずらいのである。これがもっと極端にしょうもないとか、宮武外骨氏の雑誌ぐらいに面白いと紹介しやすいのだが。ただ、載っているポンチ絵に捨てがたい味があるので紹介してみる。

(図1)第34編表紙
(図2)第31編挿し絵
図1は第34編(明治39年4月5日発行)の表紙の絵。上部の寝そべっている男は、本州に見立ててある。頭の右上のひし形は北海道。図2が第31編(明治39年2月5日発行)にあるポンチ絵。図中のセリフを収録しておく。


(一)大きな凧をあげた処(ところ)へ遠乗の自転車が来る
(二)オヤ凧の糸がからんだ
(三)オヤオヤ凧あげ自転車が
(四)車から落ちて凧で首をギウ
いたって他愛もないマンガだが、明治の頃自転車と言えばステイタス・シンボルであり、金持ちへのやっかみも感じられて面白い。
(図3)第30編挿し絵
図3は第30編(明治39年1月20日発行)の「新年の河太郎(かわたろう)」というポンチ絵である。図中のセリフは以下の通り。


(一)今年の水を皿へ汲み込め
(二)今年は河童が売れるというからちょっと陸(おか)へ上がって見よう
(三)河太郎先生洋服屋へ忍び込んでうまくハイカラに化ける
(四)オホン、二十世紀の河童は尻なんぞを狙うものか、人間のほうが尻の肉を狙うというはなしだ
(五)ビヤホールへ飛込み、札幌ビールをグイグイ呑む
(六)アア愉快愉快、まづ一寝入りしてから元の利根川へ帰りましょう
(七)オヤ、オヤ、一寝入りしたと思ったらここはどこだろう
(八)サアいらっしゃい、生け捕りました河童小僧ぢゃ、評判ぢゃ評判ぢゃ

 5コマ目で、河童の河太郎先生が札幌ビールを呑む訳は、札幌ビールがこの雑誌のスポンサーだからである。中折れ帽をかぶってビールを呑む河太郎先生の姿はちょいといかす。

 四コマめに「人間の方が尻の肉を狙うというはなしだ」とあるのは、この頃有名な「臀肉切り取り事件」が世間の注目を浴びていた時期だからである。「臀肉」とは尻の肉のこと。明治35年の3月29日のこと。東京麹町で11歳の中島惣助という少年が、何者かに襲われた。目撃者の話しによると、犯人はいきなり少年を路上に押し伏せるが、少年が大声をだし人を呼ぼうとしたので、口に手ぬぐいをあてて力まかせに顔面を地面に押しつけ、窒息死させた。それから、鋭利な刃物で少年の臀肉を切り取り、持ち去っていったという。(しかし、目撃者はその間、何もせずに見ていたのだろうか。)

 犯行の目的がよく分からず、諸説が入り乱れた。男色行為に誘ったが受け入れられなかったための復讐説や、謀殺説、色情強説などが取りざたされたが、中で根強く支持されたのが強精剤説である。江戸時代には、人間の臀部とかかとの肉は強精剤や結核の薬として効験著しいものとされ、処刑された罪人の死体から臀部とかかとの肉をそぎとり薬用していたとされており、犯人はそれを知って薬にたべようとしたのだろうというのである。

 明治35年の事件が、何故また明治39年に話題になっていたのかというと、別の殺人事件で明治38年に逮捕されていた野口男三郎という男が、この「臀肉切り取り事件」の容疑者として再逮捕されたからである。この男は、妻の兄である漢詩人の野口寧斎の病(癩病いわゆるハンセン氏病)の薬として尻の肉を狙ったのだろうと疑われたのである。結局、男三郎は、この「臀肉切り取り事件」については証拠もなく無罪となるが、別件の殺人事件のほうでは有罪となり、明治40年に死刑が執行された。

 「臀肉切り取り事件」については他にもポンチ絵があるので紹介しておこう。

(図4)第30編挿し絵
(図5)第32編挿し絵
図4は第30編(明治39年1月20日発行)の「臀肉大安売」というポンチ絵である。図中のセリフは以下の通り。


(一)女学生「わたしのお尻の肉がたくさんありすぎて困りますから、どうでしょう、売りませんか」
 山 師「そいつは結構だ、近頃尻の肉をむやみに欲しがる馬鹿が多いから売りたまえ、売りたまえ。早速広告しよう」
(二)山 師「いらっしゃい」
 「お尻の肉はいくらします」
 山 師「百目千円です」
 「千円でもようございます。わたしぁお尻が小さくて困りますから、継ぎ足したいと思います」
(三) 
あんまり売れて肉がなくなったので豚の肉を継ぎ合わせたところ、お尻に毛が生え、おまけにどうした拍子か尻尾が生えた。オヤ、オヤ、オヤ

 この「日ポン地」だけをもって明治の雑誌の代表とするわけにはいかないにしても、同じ猟奇事件を扱っても、大正から昭和初期にかけての「エロ・グロ・ナンセンス」時代の雑誌と明治の雑誌は雰囲気がかなり違うように思われる。大正期ならもっとセンセーショナルにえげつなくグロを強調するところだろうが、明治の日ポン地は「臀肉大安売」とくる。牧歌的というか、なんというか、ある意味で明治のほうが健康な時代だったとも言えなくもない。

図5は第32編(明治39年2月20日発行)の「新聞の種まき」というポンチ絵である。図中のセリフは以下の通り。


新開の種まきと違って新聞野の畑へ種をまくのは正直な人には出来ない。オヤオヤ首の無い人ばかりだ、ヤレヤレ馬鹿な話だ
時三郎「野口君、この春は縮屋(ちぢみや)殺しという種をまいたが新演劇の種にもなるだろう」
男三郎「イヤ僕の公判の種も実があるだろうよ」

 種をまいている地面が新聞の紙面になっているのが、芸の細かい点。要するに、新聞ダネになるのは、首をくくられる人間(首の無い人)ばっかりだという意味である。今も昔も、新聞は社会面でもっているというところか。

 文中の男三郎は野口男三郎で、上で紹介済みだが、時三郎というのは、おそらく大久保時三郎のことだと思われる。明治29年2月19日、時三郎とその妻タケは、行商中の紬商人を二人を殺害し金品を奪った疑いで逮捕された。時三郎は、明治29年11月17日死刑が確定している。


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