映画の性的魅惑

映画の性的魅惑
歸山教正著
東京:文久社書房, 1928

 まず、序文を引用する。


 本書は、映畫の性的魅惑と云ふ題目のもとに、先づその映畫の歴史から述べ、そして様々な部分に亘り、本書の目的とする處に向かつて讀者諸君と共に、その研究をして見やうと云ふのである。(中略)
 性的魅惑は、何時の世にも、その社會相をあらはして居る。その記録は、何物か結論を、與へることであらう。
 一般の人々に是非讀んで貰ひ度い。又俳優にも監督にも檢閲官にも讀んで貰ひ度いのである。何かそこに發見する所があるかも知れない。

   1928年3月

 著 者 識 


「映畫の性的魅惑」について書くのに、いちいち検閲官に一言言い訳する、というのが流石に時代を感じさせる。要するに、セクシーな映画の歴史を拾って読者のご機嫌を窺おう、という本である。冒頭に36ページもグラビアがあって、サイレント期の女優の写真が載っている。私の友人の映画バカの石丸君の大好きなセダ・バラの写真もある。

 セダ・バラについては、伊藤俊治著「マジカル・ヘア」(PARCO出版)に詳しい記述がある(P.182)が、彼女は、ヴァンプ女優第1号と言われ、芸名のセダ・バラ(Theda Bara)はアラブ 死(Arab Death)のアナグラムからとったというオドロオドロしいもの。また、私の好きなドロシー・ギッシュの写真もある。サイレント映画に興味がある人にはなかなか楽しい本だ。

 20世紀初頭のエロ映画の紹介がある。引用しよう。


 1905年頃の仏蘭西パテー會社から發行されて居た映畫のカタログを見ると、此種の動く繪端書式の映畫は澤山に作られてゐたことを知るのである。而も日本にも随分輸入せられて浅草公園あたりでも時々映寫せられたことがあるが、當時は勿論やかましい檢閲も無いし、観客も只無我夢中で見物して居た。外國人は随分露骨なもの位にしか考へてゐなかつたのである。今その一例を示して見る。

"The Bride's First Night"    花嫁の初夜
"Painter & Model (Undressed)"    畫家と裸體モデル
"Prostitute's Bath"    娼妓の入浴
"Court Ladies Bathing"    官女の水浴
"Lady Undressing"    婦人脱衣
"The Parisiennes Bedtime"    巴里婦人の夜
"The Judgement of Paris"    パリスの裁き
"Chrysis Awaking"    クリシスの目醒
"Bathing Forbidden"    禁浴
"The Flea"      

 (中略)現時のやうに檢閲制度が厳しくなつた今日では勿論上映禁止にあふものばかりであらうが、決して春畫と云ふ程度の秘密映畫では勿論ない。
 この内で多少劇的興味をとり入れた映畫は最後の二つで、「禁欲」は八十二呎の一巻であるが、こう云ふ筋である。禁浴の池で三人の美しい女が衣物を脱いで下衣一つで水浴をして居ると、運悪く番人に見附けられてしまつた。番人は衣類を罰として持つて行くと云ふ、三人は謝罪をしたが許してくれない。そこで最後の手段として三人が裸體となつてその美しい姿を番人にながめさし、やつとゆるして貰ふと云ふのである。
 又「蚤」は僅か六十五呎の一巻である。ある若い婦人が體にたかつて居る一匹の蚤をとる可く遂に裸體にたつてやつとつかまへると云ふ頗る思惑の多いものである。(p.3-4)


 この後に紹介されているのが、1911年のあの有名なフランス映画「ジゴマ」である。怪盗ジゴマの冒険を描く犯罪活劇映画で、日本でもあまりの人気に、「人心を惑わす」と官憲から上映禁止命令が出されたといういわくつきの映画である。この本によると、映画の人気の秘密は、好奇心をそそるストーリーもさることながら「未だかつて映畫面に現はれたことのなかつた花やかな巴里の歓楽場ムーラン・ルージュとそして眼をあざむくばかりの半裸體の美人を出した(p.7)」ことにあったという。

 1910年代前半は、世界の映画の覇権はまだハリウッドに握られてはいなくて、イタリアとフランスが力を誇示していたのだが、アメリカでもこの頃、裸體映画がつくられ始めていた。1913年の「海神の娘」("Nepture's Daughter")がその走りだという。この映画は、職業水泳家でダンサーであるアンネッテ・ケラーマン(Annette Kellermann)を主演にユニヴァーサルが製作したもの。「海に戯れる女神の群は必然的に裸體でなければならない、而かもそれは人間社會の出来事ではないから同じ裸體の女を畫面に出すとしても観る者に決して性的魅惑を與へる事ではない。と云ふような勝手な理屈のもとに檢閲官の眼を瞞著するのに都合のよい映畫を作つたのである。(p.11)」 この映画と続編の「美人島」ともに、「多くの半裸の女や全裸の女の群を応用して観客の眼を喜ばそうとして居た」という。1930年代のミュージカル映画の名匠バスビー・バークレーの "By the Waterfall" の水中バレー振り付けなども、こんな映画の記憶から作られたのかもしれない。

 また、ドイツの性的映画についた項には、こんな傑作なことが書いてある。


 「独逸の作品として檢閲官から鋏の入らないやうなものはつまらぬものに定つて居ると一般の世評である。(p.17)」
1920年代に入って、アメリカ映画が世界を席巻するようになり、ドイツ映画は、アメリカ映画が題材にしない、際物や変わり種の映画で興行価値を高めようとしている爲に、このような風評が生じたのだ、と著者は言う。 例として、著者が紹介しているのが、「美と力への道」 ("Golden Way to Health and Beauty")というウファ社の映画である。なんでも、この作品は体育の映画なのだそうだ。「歴史的に體育と美への道を語り、科學的に體育の方法を教へたものであるから、立派な教育映画としても推賞さる可きである。(p.19)」だが、ウファはこの映画の宣伝に、映画の中の最も魅惑的な二人の女が裸で踊る場面を使っていて、「観客は何れもこれらの美しい裸體に向つて入場料を払ふのである。(p.20)」 これは、ちょうど「公衆の衛生の爲」と銘打って見せ物のような衛生博覧会をやるようなもんですな。この映画の宣伝ポスターらしきものが、口絵にあったのでついでに紹介する。ちょっと、リーフェンシュタールの「民族の祭典」のオープニングを思わせる絵である。

 最後に、著者が「腋毛の魅惑」について書いているので、それに触れておくことにしよう。


 「腋毛は性的感情をかなりに強く刺激するものである。その毛質の軟らかな感じを與へ而も多からず少なからざるものは最も美的要素が多いものであるが、色濃くして密なるものは寧ろ嫌悪の情を起さしめる。(p.66)」
この著者は腋毛フェチか、と思われる方もいるだろうが、腋毛は特にセクシャルなものである、ということは日本の社会通念であったようで、この本によれば「昔はよく檢閲の際、「腋毛の見える所切除」と云ふ場合があつた。(p.70)」とのことである。今で言うなら、腋毛が出る度に画面にモザイクをかけるような感じなのであろう。しかし、1910年ぐらいまでは、ヨーロッパの一般の女優は腋毛を剃ることもあまりしなかったので、別に映画で腋毛を見ることは珍しいことではなかったという。ところが、アメリカ映画が勃興してきた1910年以降は事情が変わってきた。


 「アメリカに於て、極めて簡単な毛抜薬が發賣せられた。勿論アメリカのみではないが、こんなような薬品は一番アメリカに於て目立つて賣れて行つたらしく、色々な種類のものが出来て、演芸雑誌や流行衣裳雑誌の廣告面には必ず記載されるやうになつたのであるが、それらの薬品でよく知られたものに「エル・ラドオ」(El-Rado)、エツクス・バジン(X-Bazin)、ジツプ(Zip)など様々な名称がある。何れも薬物は大同小異で、只クリームのやうに塗りさへすれば、全身何處の毛でも容易に溶かし去るやうに毛を脱することが出来るのである。永久的の脱毛薬ではないが極めて容易でありカミソリの使用困難な腋毛に使用するには最も適當なのである。且つ廣告する所によれば何等の危険もなく毛の再生に對して毛が硬くなるやうな心配はないと云ふことである。
 これら脱毛剤は全アメリカの女優間にたちまちにして使用されることになつたので、腋毛は勿論、毛深い腕や脛もきれいに落とされ、今ではアメリカの映畫女優の腋毛は全く見られないことになつて居る。(p.68)」
腋毛を剃る習慣というのは、結構最近のものであることが分かる。



目次へ戻る

Industrial Rock & Roll Productions 1997
s-muraka@t3.rim.or.jp