タイトル


新聞の『嘘』
(その二)

新聞の『嘘』
内海丁三著
大阪:銀行問題研究會, 1932.1

 引き続き「新聞の『嘘』」。今回は、殺人事件での犯人取り違え報道について。


 陳述の嘘が新聞の嘘になる關係は、殺人事件などセンセーショナルな記事について事件の届出人が同時に殺人の犯人である塲合に最も印象的な誤報となつて現はれる。その最も典型的---否むしろ典型的以上で、普通新聞の嘘としてはよい例ではないかも知れない---なのはかの有名な龍野事件であらう。大正十五年五月十六日早曉、兵庫縣揖保郡龍野町下河原町麹製造業高井嘉藏(假名)方で嘉藏の妻つね(五十八)のほか孫五人が一室で慘殺され、同時に次男次夫の妻菊江(二十八)が縊死してゐる事件が起つた。この事件は最初姑「つね」に虐待されてゐた嫁菊江の恨みの慘劇として各新聞に傳へられ、天下の耳目を衝動したものであるが、後に到つて嫁の菊江は犯罪に無關係、殺人の眞犯人は家督相續上不利な立塲にあり、かつ常に母に虐待せられたる次男次夫であるといふに警察の判定が變化し、次夫は尊族殺人の罪で起訴され大審院まで上告したけれど死刑の判決を免れることが出來ず、遂に昭和三年二月三日大阪北區刑務所で死刑を執行せられたものであるが、最初は天下の新聞を擧げて嫁の姑殺しと傳へ、その前提の許にあらゆる想像的な記事まで掲載して世人の注目を惹いたものである。試みに大阪××新聞について事件發生當時の報道振りを見よう。

 事件は高井家雇人木戸文市(假名=三十二)におつて發見され、後に眞犯人に極つた次夫の命に基いたものとして文市によつて龍野署へ届出られたものであつた。詰り木戸文市並に次夫の警察に對する陳述を警察も一應信じ、新聞もその陳述を根據として記事をかいたものといへるわけである。

例十二=十六日午前二時半頃嘉藏の次男次夫(三五)は同家麹室に寝てゐたが、縁側に異様な物音がするので起きて出た雇人が發見し、仰天して次夫を叩き起こして縁側に行つて見ると、次夫の女房菊江が小紋縮緬の晴着に盛装して縊死を遂げてゐたのを發見し・・・・大いに驚いたが、それより奥の間を見ると母親つね(五八)が・・・・殺されてゐたので腰を抜かさん許りに驚き、隣家にかけつけ寝てゐた職人をゆり起して龍野署に急報させた。龍野區裁判所より・・・・唯一人生殘つてゐる次夫を龍野署に引致して取調べの結果、菊江が姑つねの虐待を恨んでの兇行と判明した、菊江の兇行を演じた原因は、殺された姑つねが近所でも評判の鬼婆で、日頃から菊江のやることに事毎に難癖をつけて虐待し・・・・無念骨髄に徹し復讐の折もあらばと待つてゐた折柄、嘉藏が十五日五郎を連れて大阪へ行つた後で・・・・夫の次夫が麹室にはいつたので酒を呑ませてそこに寝させ、まづ母親つねの咽喉を出刃包丁をもつて滿身の力をこめて突きさし・・・・遂に六人を殺害し、最後に自分は縁側に出て縊死を遂げたのである・・・・菊江は豫てから夫次夫に對し、あまり母親のやり方が氣に入らんから皆を道連れにして殺してやると口走つてゐたと。(五月十七日朝刊)
 ところがこの恐ろしい六人殺しが、意外にも菊江の所爲ではなくて、生殘つた夫次夫の仕業であることが判明したとの記事が五月二十四日の各新聞に掲載せられて、世人は再び驚きを繰返した。この時である、『新聞はよくもあんなに嘘をかいたものだ』と讀者が嘆じたと傳へられるのは。詰り新聞は右のような報道をした許りでなく、姑殺しに關する識者の感想談を連載し、姑と嫁との關係に關する體驗談を募り、更に姑嫁關係を諷刺する漫畫を掲げ、更に進んではこの問題に關する批判座談會を開いたりしたのだから、『嘘』はますます擴大されて世人を印象づけたにちがひない。

 併し乍らこの事件に就ては、新聞が嘘を吐いたといふのは酷である。何となれば警察も檢事局もこれを嫁の姑殺しと信じてゐたらしく世人も一點の疑もはさまない程それに合理性を認めたからである。即ち十七日夕刊には姫路支部裁判所川又檢事の『全く菊江は一人で計畫して女の一念を貫徹すべくやつた仕業と斷定され、夫の次夫は何等關歟してゐない』との談話を掲げ、また十九日の朝刊には中島上席檢事の談として『菊江の遺書は確かに菊江自筆の遺書である、菊江の實母としては娘があんな慘劇をやらうとは信ぜられぬのが尤もで、娘に汚名をきせたくないといふのは人情だらう』と傳へてをる。だから新聞記事がたとへ嘘であつても、新聞としては實に己むを得ないことであつたといひ得る。從て新聞は特にこの事件に就ての普通の意味の責任は殆どないのである。しかしながらこの記事が警察に對する當事者の陳述をそのまゝ事實として報道した一例にすぎないことは明瞭で、斯様な報道に内在する嘘の危險性が餘りにも典型的に、餘りにも印象的に暴露されたに外ならぬ。この事件に就ては犯人として死刑に處せられた次夫は最終審まで母殺しの點を認めず、またそれを斷罪する側としても適格な物的證據を有たなかつたほどで、實に最後まで分り難い、紛らはしい事件であつたのだから、事件發生早々の際警察の發表そのまゝを記事として報道したとしても新聞記者には全然責任はないといつてもよい位である。だから若しこの事件で誤報の責任を問われるならば、それはこの事件だけに關するものでなくて、一般に警察記事取扱ひの態度に就て負ふべき責任であるといはねばならぬ。(中略)『嫁が姑ほか五人を殺して自殺してゐるのを發見したと嫁の夫から警察に届出た』といふ事實を根據に、その届出の内容をそのまゝ『嫁が姑ほか五人を殺して自殺した』と報道したもので、人の言葉の持つ陥穽に陷つた一例に外ならぬ。

 この警察に對する陳述をそのまゝ眞實として傳へる記事は、次の警察の判定をそのまゝ眞實として傳へる記事とゝもに、現代新聞に最も多い型の一つである。社會記事警察中心主義の必然の現はれであるが、小さいのは女中の狂言強盗が怪盗の出現として傳へられるものから、大きいのは浮浪者の虚僞の自白が大殺人事件を惹き起こしたりするものに至るまで、現實に『嘘』を暴露しないものまで數へれば、恐らくその數は意外に多いであらう。右の龍野事件の如きは勃發當時の餘りにも強い事件の暗示力に對して記者が己むを得なかつたものとして、寧ろこゝにいふ嘘の適例ではない。適例は斯様な大事件よりも、卑近の市井雜事の間に多いのである。 (pp.63-68)
 文中では「大阪××新聞」となっているが、ちょっと探してみたところこれは「大阪朝日新聞」の記事であった。該当部分を抜き出してみる。(以下の新聞記事においても、事件のあった家の名字は上記の本における仮名「高井」に統一した)


大阪朝日新聞 大正15年5月17日 朝刊5面

虐げられた嫁が
一家六人を慘殺す
姑には五寸釘を打込み
自分は死兒を負うて縊死
播州龍野の麹屋で行はれた慘劇


十六日午前二時半ごろ兵庫縣揖保郡龍野下河原町醤油用麹製造業高井嘉藏(六十)方において次男次夫(三十五)の妻菊江(二十八)が、日頃から自分を虐待する姑なる嘉藏の妻つね(五十八)を怨みその復讐のため、つねとつねの溺愛せる孫二人を慘殺し更に自分の子供三人を死出の途づれに殺して自殺をとげた

慘殺の行はれた高井嘉藏方は資産五、六萬圓を有し、かなり手廣く營業してゐるが、關東震災で死亡した長男基夫の遺骨を納めるため龍野中學四年生五男五郎(十七)を伴うて京都へ上洛し、かたがた商用で大阪へ立寄つた留守中にこの悲慘事が勃発したのである、すなはち十六日午前二時半ごろ嘉藏の二男次夫(三十五)は同家麹室に寢てゐたが、縁側に異様な物音がするので起きて出た雇人が發見して仰天し次夫を叩き起して縁側に行つて見ると、次夫の女房菊江(二十八)が小紋縮緬の晴着に盛装して縊死を遂げてゐたのを發見し更に妻の背中次女妙子(二つ)を腰紐で絞殺したまゝ背負つてゐるのを見て大いに驚いたが、それより奥の間を見ると母親つね(五八)が左のこめかみから右のこめかみへ鑿で突刺され、左の耳の後と背中に五六本づゝの五寸釘が打ちこまれ、亡兄基夫の長女朝子(十二)は胸を出刃で刺され、次女絢子(八つ)も出刃で頸動脈を斬られ、いづれも即死してをり、なほその附近に次夫の長女晴子(五つ)と長男基一郎(四つ)の二人が絞殺されてゐたので腰を抜かさん許りに驚き隣家にかけつけ、寝てゐた職人をゆり起して龍野署に急報させた、龍野區裁判所より生末檢事、及び姫路區裁判所より中島上席檢事、川又檢事、兵庫縣刑事課よりも平田課長以下多數刑事直に出張してたゞ一人生殘つてゐる次夫を龍野署に引致して取調べの結果、菊江が姑つねの虐待を恨んでの兇行と判明した
本では略されているが、新聞記事によると、「母親つね(五八)が左のこめかみから右のこめかみへ鑿で突刺され、左の耳の後と背中に五六本づゝの五寸釘が打ちこまれ」とある。とんでもない猟奇凶悪事件である。どう考えても、こめかみに鑿を貫通させれば、生きていられるワケはないのであるから、既に死んでいる身体に、改めて五寸釘をガッツンガッツン打ち込んでいるのだ。尋常でない執念を感じさせる事件である。しかも、下手人が28歳の若妻で、記事にある写真を見る限りかなりの美人。それで、犯罪の動機が「嫁姑の確執」。時は大正デモクラシーで、まさに女性の家制度からの解放が叫ばれていた時代なのだ。警察としても、こういう時代背景から、「姑が嫁を恨んで殺す」というケースに対して、「いかにもありそうなこと」と先入観を持っていたため、初期段階で捜査方針を誤ってしまったのだろう。これだけ話題性あふれる事件が起きてしまっては、操觚者たちの血が騒がぬ筈がない。早速、大阪朝日新聞には「麹屋敷の惨劇を生んだいきさつ」という連載記事(全三回)が登場している。こちらも引用してみよう。

大阪朝日新聞 大正15年5月18日 夕刊2面

川瀬に泳ぐ鮎の化身
それにも似た弱い女性が
復讐を思ひ立つての最後の計畫
麹屋敷の慘劇を生んだいきさつ(一)


薄口醤油で知れた播州龍野は、また鮎の名所、春から夏にかけて閑散期に入る醤油醸造のあとを受けて舌自慢の粹客をよぶ、岩を噛む揖保川の瀬に打たれて育つたこゝの鮎は身は小さくても味は無類、そこらあたりの名もなき鮎と、鮎は鮎でも同じ箸では語られない・・・・・土地の人の口上手をそのまゝ借りると姑殺しのきく江は鮎の化身のやうな女、龍野城主脇坂侯の藩士下津野勝治の長女に生まれ

すんなりとした
  美しい立ち姿に

引きしまつた厭氣のない細面、それが殿様のお目に止つたわけか、十七、八歳から高井の家に嫁入る少し前まで脇坂子爵の上女中にあたつて堅氣な武家の教育を受けたそして嫁いだ高井の家では姑つね(五十八)とのいさかひに險しい人生の川瀬を泳ぎ、胸を碎き、身を摺りへらして最後の飛躍に六人殺しの慘劇を演じ自らもみにくい屍をそこに晒したのである、山陽本線を一里餘り北にそれた小さな町、とりわけて不順なこのごろの初夏の朝は肌に粟つぶを生むやうなうすら寒さに明けて醤油屋の藏男が一日の稼ぎに家を出て街を行く、麹屋のむろから饐えた匂ひが流れて静かな日は今日も來た、その時突如!「高井さんの若い嫁さんが首を縊つて死んでゐる」「エエそれは、ほんとう?」街の一隅で時ならぬざわめきの聲が立つた 続いて「子供も一緒だ」「イヤ姑さんが殺されてゐる」「兄の子供も」一人、二人、三人、四人・・・・六人、七人。街のさわぎは大きくなつて行つた「ナゝ何五寸釘が姑さんの頭にうち附けてあつたと・・・・背中にも四五本?」慌てものはこれを聞いて一目散にわけもなく走り出した、かくて静かな平和な街は不意のこの出來事に忽ち撹亂され大きな波紋を描きつゝ噂はそれからそれへと大きく傳はつた

 そして街の辻々
   ではこんな話が

交された「嫁さんが皆を殺して自分も死んだのだらうか」「イヤそれは判らぬ」「多分嫁さんがやつたに違ひない、あそこの嫁さんはあのしみつたれの姑さんに虐められて下女のやうに使はれてゐたからなあ・・・・」「それにしてもあまりむごたらし過ぎるではないか」「しかしあの嫁さんは氣の毒な人だつた 何んでも嫁さんの實家が高井から金を借つてゐるとか何んとかでしぢう姑さんから頭を押へられ、それに東京の日本電氣會社の技師だつた長男の基夫さんが震災で死んでからは基夫さんの嫁さんに會社から一萬の弔慰金が下りその他で三四萬の金があるので、慾ばりの姑さんは三人も子供のあるきく江さんを放り出して死んだ兄さんの嫁さんを次夫さんの嫁に立て直さうと考へ、今にも出て行けとばかり隨分苛酷に當つたといふ噂だからね」「それにしても慘酷過ぎる、あの釘を打ち込んだ殺し様を見ては、どんな事情があらうとも下手人に同情はできかねる、人間の出來る業ではないではないか 怪談の讀み物でもこんなのは見たことがない」「いや馬鹿な、あれでこそほんたうなんぢや」善、悪、正、邪の批評はこれまで何も知らなかつた人の口にまで色々と上つて行つた
「川瀬に泳ぐ鮎の化身」と、大変に詩的な表現で被疑者きく江を持ち上げている。やはり、動機が同情を引きやすい嫁姑問題であること、そして被疑者が自殺していることでこういったスタンスになったのであろう。

大阪朝日新聞 大正15年5月19日 夕刊2面

菊江の血潮の中に
呪はしい流れがあつた?
彼女が生れた家と死んだ家
麹屋敷の慘劇を生んだいきさつ(二)


一家七人の大慘事は龍野町開闢以來の事件として不気味な空氣に街の總てを押し包んだ、人間業でないこの大慘虐、しかもかよわい女が火を吹く恨みの一念にに髪を振り亂して大兇行---菊江はどんな家庭に

どんな血統を
 受けて地上に

生れ出たのか?菊江の里方下津屋家は龍野名字略にも加集(かづめ)、山岡、布施、真鍋、池田、下津屋と六位に呼ばれた名家である、舊く源をたづぬれば藤原鎌足の後裔山城の国下津屋に住んで下津屋の姓を名乗る、のち脇坂侯に仕へ淡路、伊豫の大洲、信州飯田等お国替のたびについて廻り寛文十二年龍野に移住した、先々代の下津屋逸八郎は禄四百石を食んでお年寄役を勤め藩中重きをなした人、ところが先代昌八郎は若い時、發狂した、いまでいふ憂鬱性の氣狂ひだった、血!血!清ひ

人間の歴史を
 呪ふ恐ろしい

遺傅----美しい菊江の玉の肌にも皮一枚の下にはこの恐ろしい血潮が脈うつてゐたのか?こんどの兇行はその血の爆發か、それはいまこゝで俄に斷定はできぬにしてもこの事實だけはどうするわけにもゆかぬ、そして實父勝治も腦が悪く養鶏に餘生を送つてゐる、勝治は語る
「私は新宅の下津屋左登治の長男に生れましたが、本宅の先代が気が狂つて子供がなく私が養子に入つて家を繼いだのです、それで直接先代とは父子の血は繼がつてゐませんが、元は同じ流れの魚です」・・・・
一方高井家は
 どんな家柄か

家號を半田屋といつて、これも十數代つゞく町の舊家、當主の嘉藏は幼名を定吉と呼んで先代を襲名したもの、はつきりした事實はわからぬが、龍野から二里程離れたところに半田村といふのがあるので、こゝの出身ではないかともいふ、とにかく代々麹屋を營み醤油醸造業の多い龍野町で高井、長谷川、山本と三軒しかない麹屋の内 有力なその一軒である、資産も人の噂で五六萬圓を持ち子弟の教育にもこと缺かず、震災で死んだ長男の基夫は帝大出の工學士、三男の敏夫(三十二)は高商を出て今は大阪市東區久寶寺町五丁目武内久の長女房子と養子縁組をしてゐる、四男の四郎(二十)は目下北海道小樽高商で勉學中、五男五郎は自宅から龍野中學に通つてをり、その他

三人の姉妹も
 みな女學校を

卒業してゐる、だが只一人菊江の夫、二男の次夫のみはさうでなかつた、次夫は龍野中學を三年で退學しそれ以來家の麹業を手傳つてゐた、慘劇の主人公菊江が、次夫の花嫁として嫁いだのは二十二歳の春大正九年のこと「生きて再び歸るな」と古武士堅気の父から勵まされ、自分も心に堅く契つて未知の世界に憧れの翼を擴げた、だが次夫は菊江の期待に全然反し家庭の悲劇は夫次夫の意氣地なさに胚胎したといはれてゐる
で、連載二回目では、被疑者が精神病の家系であることを持ち出してくる。「血!血!清ひ 人間の歴史を 呪ふ恐ろしい 遺傅----美しい菊江の玉の肌にも皮一枚の下にはこの恐ろしい血潮が脈うつてゐたのか?」とかなりの美文調で訴えかけている。明治大正期の小説(島崎藤村など)を見ると、一族に神経衰弱患者がいると、「自分もやがては気が狂うに違いない」と悩み悶える描写によく出くわすが、上の文章はそれを思わせるものである。おそらく、遺伝性の病気を持ち出すことで、犯罪の残酷さを説明し、被疑者の印象をよくしようという意図があるのであろう。

 連載の最終回では、被害者の姑の非道さが強調されて、悪玉=姑、善玉=嫁の図式がより鮮明となる。

大阪朝日新聞 大正15年5月21日 夕刊2面

姑になついてゐた
實の子まで呪つた
母の惡口した晴子には
晴衣も着せずに釘を打込む
麹屋敷の慘劇を生んだいきさつ(三)


静かに慘劇の底を探ると、事件をまき起した原因と思はれるいろいろな病症がまざまざと指頭に觸れる、或るものは外科手術を要する病根であり、或るものは助長作用をなす環境である、また或るものは到底全癒の見込みのなかつたであらう難症であつた、それにしてもその

終末は餘りに
 悲慘であつた

あまりに冷酷であつた、この例へやうのない悲慘な家庭生活の破綻は、數多くの重大な暗示を我々の人間生活の上に投げ與へた----高井の家庭といふは質素と厳格そのものゝ権化、それにいはゆる「きけもの」母親つねの天下であつた、そこには總てを麗しく抱きあげる貴い血の流れと、あたゝかい陽の光りが足らなかつたやうである、慘劇の起きたその日、家も街も警察も上を下への大騒ぎを演じてゐる最中、また七つの棺の野邊の送りで悲しみの涙に包まれてゐるその時にも、家業である

麹を造ること
 だけは忘れず

出入の職人を働かしてゐたといふことである、菊江は結婚してから七ヶ年、たゞの一度だつて夫婦打ち連れて樂しく外出したことはなかつたさうだ、イヤ許されなかつたのだ、そのくせ母親つねは夫婦で奈良や京都に手をとつて遊びに行くことがあつた、またやがては高井家の後を繼がねばならぬ次夫がいまだに家庭の重要な問題の一部にも觸れることを許されず、月々の小遣錢も僅か五圓内外を母親から支給され、次夫はこれで子供三人に自分と妻菊江の散髪代、髪結代まで出さねばならなかつた「恐らく菊江さんは嫁入つてから一枚の新しい着物も作つて貰つたことはないだらう」世間ではかう噂してゐる、この夫の態度は妻の菊江としてたまらないじれつたさであつたに違ひない

次夫は酒好き
 だつたが兩親

が厳格で一本の晩酌も公然とは飲めず、餘暇に盆栽をいぢくつて賣つた僅かの金で酒を買ひ、麹室の中で盗むやうにチビリチビリ飲んでゐた、慘劇のあつたその前夜も酒を飲んで麹室に寢たのである、そのれにしても菊江の兇行はひどかつた、こゝに次のやうな話がある、菊江が實子の晴子にまで釘を打ちこんだのはどうしたにくしみからか これは姑のつねに深い魂膽があつて、五つになる菊江の生んだ晴子を平素から自分に手馴づけ、夜は抱いて寢てやつたりして菊江と引きはなすべくつとめ、いろいろ

菊江のわる口
 を教へてゐた

頑是ない晴子は母に對して憎まれ口を叩くやうになつた、遺書に「基一郎と妙子を立派に育てゝ下さい」とあつて晴子だけがのぞかれてゐたのも、その遺恨からだつたらしい、そこで晴子だけには晴着もきせないで釘まで刺し兇行後いざ自殺といふ段になつて、姑殺しの大罪人の子としていつまでも人の口齒に殘る幼き兄弟の身の上に想ひたつて、つひに基一郎、妙子の二人を死出の途づれに絞殺したものと想像されてゐる

七つの生霊を
 犠牲にした

前代未聞の家庭悲劇、われわれはそのうちから貴いあるものを教へられるやうである---迷へる魂魄よ!安らかな地下の睡りにつけ!南無三生菩提---七人の位牌の戒名はこのほど同家の菩提寺今宿街言徳寺の和尚窪田兼禳師によつて左の如く命名された(をはり)
孫をてなずけてまで嫁イジメにいそしむ鬼姑、という姿を描いている。しかし、殺されて後、ここまで悪役をおしつけられるのもキツイ話ではある。今となっては、実際に嫁イジメがあったかどうかも定かではないが、真犯人が嫁でなかったのなら、動機も嫁イジメでないことはアキラかで、被害者としては本当に「殺され損」といった恰好である。

ここでは割愛したが、元の記事では亡くなった被害者全員の戒名までキチンと記載している念の入り様。

「新聞の『嘘』」本文にもあるように、これだけ、世間の注目を集める事件であったのであるから、各種論説や識者の意見も花盛りであった。まずは、大阪朝日の社説から。

大阪朝日新聞 大正15年5月19日 朝刊2面

論説

家庭の慘劇
結婚生活
の無理解



嫁入先では、姑の虐待にたへかね、實家に歸りては、嚴格なる父親から、一旦嫁したる以上は、いかなることがあつても、辛抱せねばならぬと誡められ、力と頼むかんじんの夫には愛も、理解もなく、三方四方から、無慈悲にも絶對絶命の窮地におひつめられた一女子が、平素からこらへにこらへた鬱憤、積怨を一時に心頭に爆發せしめ、當の姑を始め、夫の兄の遺子二人および自分の愛兒三人を慘殺し、自らも縊死をとげた龍野事件は、近來に比類のない家庭の一大慘劇として、一般世人に、大なる精神的シヨツクを與へつゝある。


かういふ家庭の慘劇をみて、第一に吾人の頭に浮んでくるのは、日本人の家庭が、一たいいつまで、かうした悲劇の舞台とならねばならぬかといふことである。慘劇の程度があまりにヒドいので、氣も狂つたのだらう、正氣の沙汰ではあるまいといふものもあるが、その動機から見ると、結婚生活に對する無理解からおこつた、ありふれた家庭の悲劇の一種にすぎないのである。この事件は、實に、結婚生活の無理解から生ずる家庭の悲劇が、たゞに單獨の家出とか、身なげとかの、なまやさしい程度にとゞまらず、時にはいかなる恐るべき悲劇を演ずるかも知れないといふことを證據だつるものであある。ピアノのキーは、その打ちやうによつて、ある時はさゝやくやうなピアニツシモーをもだすが、ある時はまた怒濤の狂ふやうなフオルテイシモーをもだす。人間の行爲の發條である心の琴線もまたその通りである。反響の弱さにも極限がなく、その強さにも極限がない。姑が半ば道樂にする姑の嫁いぢりも、子供の火なぶり以上に危險なものである。


慘劇のヒロインの行爲は、何といつても、わるい。法律的に極惡罪人であるのみならず、道徳的にも、寸分の假借すべき餘地はない。かういふ境遇におかれて、六人までも他人を殺し、自らも死ぬる外に、自分の生きてゆく道を發見することができなかつたことは、いかにその思想の因襲的であり、いかにその修養の舊式であつたかを物語るものである。彼女がモ少し、女性としての自覺を有し、結婚生活に對して理解あり、新しい角度から人生を見るだけの開眼ができゐたならば、あのやうな絶對絶命の塲合に臨んでも、必ずや、山窮まつて、水開くるがごとく、自ら生きてゆくだけの途を、りつぱにきり拓いていつたにちがひない。遺憾ながら、彼女には、これだけの人格的土台ができてゐなかったのである。そしてこれは、誤つた家庭教育や、學校教育の罪である。彼女のうけた家庭教育や、學校教育は、不幸にして、主として夫や姑に仕へるに必要な知識ばかりつめこんで、自己の人格と、自己の結婚生活とに奉仕するすべを知らしめなかつたから、窮地に臨んで、建設の術を知らず、戸惑うた野猪のごとく、破壊一方に突進するの外はなかつたのである。


事件の主なる關係者は、姑と、夫と、實父とであるが、この三人もめいめい相當の責任を負はなければならぬ。なかんづく姑の嫁いぢめは、いかなる點からみても、是認さるべき理由はなく、同情すべき餘地はない。嫁と姑との同居は、素より不自然の極である。これを切離して別居するにこしたことはない。別居はわが家族制度に反するといふものもあるが、姑嫁同居のやうな不自然な状態を前提を前提としなければならぬやうな家族制度ならば、結婚生活を毒する不健全なものとして、斷じて改むるべきである。しかしこの問題は、さういふ形式の問題でもあると同時に、また個人の問題でもある。姑が嫁の言行に干渉すべきでないといふ信條を、個人的に體得してさへをれば、同居してゐても家庭は圓滿なるべく、然らずんば、いかに別居してゐても、チョイチョイ嫁いぢめに出かけるやうなことにもなる。この點において、姑の教育は、嫁の教育と同程度に必要であらう。單に嫁姑同居の家族制度がわるいからとて、すまされぬ問題である。


夫の責任に至つては、むしろ姑以上である。男子が嫁を迎へて家庭を作る目的はどこにあるか。新らしい夫婦の結婚生活を完成するためである。初めは樂しい愛の巣たり、後にはなつかしい愛兒の巣たらしめんがためである。この種族維持の機能を發揮すべき神聖なる家庭には、何人の容喙をもゆるしてはならぬ。正に聖殿のごとく自ら固く守らなければならぬ。。之を姑の蹂躙に委し、最愛の妻女をして自暴自棄に陷らしむるがごときは、男子の本務を解せざるもの、結婚の資格なき精神的不具者といはねばならぬ。またとても辛抱できずとて歸つてきた自分の娘を追ひかへし、窮鼠をして猫をかましめた實父の言動にもまた相當の責任がある。離婚すべきものが、、不自然に同居するときは、離婚以上の罪惡がその裏面に行はれるといつた故エレン・ケイも、離婚の自由のないところに、これほどの恐るべき慘劇が行はれようとは思はなかつたであらう。


要するに、この慘劇は、結婚生活について、少しも新らしい理解のない姑と、嫁と、夫と、嫁の實父との共同で演出したものといつてよい。結婚生活に理解のないものが、揃ひも揃つて四人までも、寄つてたかつてたゞめくら滅法に突進し、行くところまで行つたあげくのキヤタストロフイーである。教育家も、社会改良家も、一般世人はこの憐れむべき犠牲者について、深く學ぶところがなければならぬ。
結びで「要するに、この慘劇は、結婚生活について、少しも新らしい理解のない姑と、嫁と、夫と、嫁の實父との共同で演出したものといつてよい。」と書いてしまっているが、事件の構図がひっくり返って後、筆者は結構恥ずかしい思いをしたことであろう。

これに比べれば、次にあげる平塚らいてう女史などは、まだ冷静だ。一応、「女のなすこととは思はれないくらゐです」と断定を避けている。

大阪朝日新聞 大正15年5月18日 朝夕刊2面

慘劇を何と観る

時代相ではない
平塚雷鳥女史談


菊江といふ婦人は非常に理智的な人らしいのに、外に出る方法がなかつたでせうか、女のなすこととは思はれないくらゐです、しかし現代の婦人が特にかういふ傾向をたどつてゐるとは思はれません、都會地のでき事ならとにかく靜かな田舎のことですからこれは殊更に現代といふものに結び付ける性質のものでない、家族制度や特殊な家庭の事情や個々の人の性格やいろいろなことが絡んで起きた刺激で、どれでも一つだけの罪に歸することはできないと思ひます、第一家族制度といふもには非常な無理が潜んでゐるので表面は兎に角心から圓滿に行くといふことは殆んど不可能のことです、もし親と子夫婦の別居が風習をなすやうになればかういう種類の家庭的悲劇はなくなると思ひます、別居は決して不自然のことではない、むしろ自然だと思ひます第二に夫が妻に對しあまりに冷淡だつたではないでせうか、姑に窘められても夫が慰めてやればよいのに渦中に捲きこまれることを惧れて傍觀し----男はそういふズルイところがありますネ----時には變な親孝行の觀念から却つて妻を虐めるなどで女は遂に思ひあまつて無分別をするやうなことになるものです


抑制の破れ
京都帝大
藤井健博士談

この事件は殘忍な點において往年東京に起つたお茶の水事件を思はせる、近來稀に見る出來事である、新聞によれば良人に酒を呑ませて寝靜まらせまた晴衣を着たり自分の子供の將來まで考へてゐるが、これは餘程熟慮した後の行爲であることを物語つてゐる、犯罪の原因は姑の虐遇や侮辱に堪へず理性を失ふにいたつたものであらうが五寸釘を打込んだりするにいたつては傳説などの呪ひ釘を聯想させて女性の殘忍性が忍從抑制の破れたときに爆發して現はれるといふワイニンゲル、シヨペンハウエルなどの女性觀も必ずしも否定できぬかと思ふ、とにかく殘忍性が女性の犯罪によく現はれることは事實だがこれは過去の慘虐な事件が當人に社會的暗示となつて働いてゐることは否めまい、今回の事件の取扱ひ方なども社會風教上餘程注意を要することだ、また日本の家庭生活殊に田舎のそれに殘つてゐる不調和な家族關係がやはりこの事件でも間接の因をなしてゐるのではあるまいか
京都帝大の藤井健博士がどういう方なのかは存じあげないが、「とにかく殘忍性が女性の犯罪によく現はれることは事實」と言い切ってしまっているのは、ちょっと恥ずかしい。

 「仲よきことは美しき哉」でおなじみの白樺派、武者小路実篤氏はこのような談話を発表。

大阪毎日新聞 大正15年5月18日 朝刊7面

六人殺しの悲劇を世間では何と見る

追ひつめられた
弱い女の最後の強さ
武者小路實篤氏

弱い女が身動きの出來ないまでに追ひつめられての最後の行爲だつたと思ひます。自分の可愛い三兒をも殺害し、自分も死んでしまつてゐる以上、批評の余地のない程彼女は追ひつめられてゐたのだと思ひます

姑には絶えずさいなまれ、實家の父は歸るのを拒み、夫は自分と同じ氣の弱い男(夫の氣持ちは新聞でははつきり判らぬが)らしかつたので

最後まで自分の抑へつけられてゐる氣持ちのはけ口がなく、つひに爆發したものと觀られます。が、自分の子供達を自分と一緒に死に導いたのは道徳上いけない事です----子供を自分自身だけの物だと思ふ事は間違つてゐます。さういふ自分の子供を殺した點や夫に酒をすすめて寝につかせおもむろに行つたところなどから察するとかなり殘忍性もあつたかも知れませんが、批評の限りではありません
之が常々姑といさかひし得る程の氣強さがあつたらあんな兇行を演じなくともすんだものを余りに

弱い女のおち行く最後の道だつたのです。夫の兄の子供達を殺したのも、姑が自分の子供を可愛がらず義兄の子供のみを可愛がつてゐたからの事であらうが、ここに彼女の無智といふことは考へられないでせうか。ちやうどあの年頃の子供といふものは憎まれ口やかげ口をきくもので彼女はそれを辛抱出來なかつたのだとも考へられるではありませんか。が、まだかうした弱い氣持ちの嫁が社會にあるのだからこの兇行は世の姑達に對して一種の教訓にはなり得ると思ふ


家族制度の犠牲者
外國にはない兇行
医學博士 小酒井不木


かよわい女の手でえらいことをやつたものですね。女といふものは弱いやうでもあるが、いざ決心するとおそろしい程強いもので、思ひ立つたことは遂行せねばならぬといふ本能がある。この播州龍野の六人殺しも日本人として傳統的の殺人法で、いはゆる出刃包丁を振かざすところがそれだ

この大兇行も憎惡のためやつたやうではあるが、或はまた一時的のヒステリーの昂上からやつたものではないか。いづれにせよ、こんな兇行は外國にはない  なぜなら個人主義思想が發達してゐるので嫁いぢめといふやうないまはしい、のろはしいことはない。しかし

父や兄弟を殺す事實は澤山ある。しかもその加害者は男よりも女に多いのです 或る本に『女が母性たるの本能を忘却したときは總て血縁を顧ない』といふことが書かれてありますが、この言葉は非常に深長な意味を有するものだと思ひます

要するに今度の兇行の原因は世間でありふれたことですが、ただ私共は舊式な道徳並に日本の傳統的家族制度によつて起こされた人生の 大悲劇だといふことはどうしても見逃すことの出來ぬところです。所詮は時代に副はぬ家族制度の犠牲者であつたのではないでせうか
「この兇行は世の姑達に對して一種の教訓にはなり得ると思ふ」と実篤氏。まだ冷戦もたけなわだった頃、国際紛争に結びつくことが起こると、即座に、「それは、CIAの陰謀だ!」と言われていたが、家庭内でイザコザが起これば、即座に「嫁姑の確執だ!」と言いたくなるほど、当時は問題視され、議論の焦点となっていたのであろう。実篤氏の文章もその状況をうかがわせるものである。

 推理小説作家としても高名な小酒井不木氏が、「こんな兇行は外國にはない  なぜなら個人主義思想が發達してゐるので嫁いぢめといふやうないまはしい、のろはしいことはない。」と述べているが、果たして本当にそうなのだろうか?アメリカのジョークで、家族のいさかいネタとなるのは、「嫁と姑」でなくて、「義母(mother in law)と夫」と相場が決まっている、と聞いたことがあるので、ケースとしては多くはないのかもしれないが、「嫁と姑」がもめることがまったくないわけではないだろうと思うのだが。

 しかし、数ある論評、感想の中で最も目をひいたのが、次の文章である。大阪府下の高等女学校の五年生(16歳前後)に事件の感想を作文させたものの一つ。あげられている校名からして、お勉強のできるお嬢たちのようなのだが。

大阪毎日新聞 大正15年5月19日 朝刊7面

わかき女學生の見た
六人殺しの悲劇


姑をのろひ---
夫をうらみ
家族制度の打破を叫ぶ


「弱きものよ汝の名は女なり」といふシエークスピアの言葉を裏切つたともいひ『女は飽まで弱いものであつた』ともいはれてゐる播州龍野の六人殺し事件につき大阪府立清水谷高等女學校や夕陽ヶ丘高女、大手前高女 相愛高女、女子師範學校の五年生達に對し十八日朝の第一時間目に、受持先生から「どんな感じでこの慘劇を見たか」といふ感想を書くべく課せられたが、その大多數は姑のつねを呪ひ愛なき次夫の無情を恨み、かたくなな實父を嘲罵し、家族制度の惡弊を打ち破るべき時がきたと叫び、きくえには心からなる同情をよせてゐるが、それでもいたいけな子供まで道づれにするとは殺した上に呪ひの上に釘まで打ち込むとは、と餘りにも殘忍なその仕方を責めてゐる、その感想文の一部を左に掲げて見る-----(中略)


實に痛快だ
彼女はえらい
清水谷高女O女


近代女性の強い力を表してゐると思ひます、理解のない意氣地なしの良人、がんこ一徹な實父の昔氣質意地惡い姑すべての人の頭に大きな一撃を加へて冷然と死んで行つた彼女は、ほんとうにえらいと思ひます、殘酷すぎる様な殺し方とはいへ、それによつて彼女が滿足して死んで行けたとしたら非常に彼女は幸福であると思ひます六人の人を殺し世間の人々を驚かした女性の恐ろしい力をここに發見するとき、たとへそれが復讐といふ、忌むべきものであつたにせよ實に痛快なことであつたと思ひます
いや、しかし、あなた、我が子を含め6人殺して「近代女性の強い力を表してゐると思ひます」は、ちょっと違うんじゃないかな、もし。

こんな、大事件を映画界が黙っているわけにはいかない。早速、抜け駆けをはかったが、結果は次の通り。

大阪朝日新聞 大正15年5月21日 朝刊9面

龍野六人殺しの
映畫計畫に
きついお叱り


天下の耳目を聳たしめた龍野の姑殺しの事實は映畫としての絶好の材料と抜け目のない松竹、日活の兩社は早速當局へ伺ひを立てたがまんまとお叱りを蒙つて引下つた
当時の松竹だったら、ちょうど小津安二郎が助監督から監督になるころ。もしかしたら、小津さんの猟奇殺人映画なんという珍品が拝めたかもしれない。

とこんな感じで、嫁姑問題を中心に「旧弊な家族制度」を槍玉にあげるという形式で盛り上がるだけ盛り上がったのだが、こんな号外がでて自体は急展開。嫁姑の話しは本筋から離れてしまったのだった。

号外

大阪毎日新聞 大正15年5月24日 号外


1999年11月の東京文京区音羽の主婦による幼児殺しで当初、動機は「お受験」と強調しておきながら実際はどうもそう単純でなかったことが思い起こされる。実際の動機よりも、その事件をきっかけとしてどれだけ話を広げられるか、話題の糸口になるかどうかが、記事の見出しの優先順位となるのは、今も昔も変わっていないということか。

 しかし、「實に痛快だ 彼女はえらい」と書いていた清水谷高女のO女が、もしも空襲を堪えて今でも生きていたとすると、90歳前後。音羽の事件をみて、やはり「近代女性の強い力を表してゐると思ひます」なんて思ったりしているのだろうか。


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