心靈自療法講習録



心靈自療法講習録 : 一名 神經衰弱獨療法
古屋鐵石著
東京:精神研究会, 1914


前回紹介した、「催眠術治療法 」の著者古屋鉄石の別著書の紹介である。 まずは序文の紹介から。

自 序

著者は久しき以前青年學生時代非常に重き神經衰弱に罹り、爲に非常なる苦悶をなし、如何にかして其神經衰弱を治さんとしては或は神經衰弱の妙藥なりと云ふ賣藥を種々買ふて服し、或は電氣治療器械を需めて久しく試み、或は轉地療養をなし、或は著名なる病院に久しく入院し居りたるも全く根治せず、煩悶苦惱に堪へざること數年。

斯くて種々の衛生書を繙き、精神修養の方法を講じつゝある中に、圖らずも或る心理學書に於て觀念と感覺とか聯合すると云ふことを見、又或る哲學書に於て一元二面論の開設を讀み大に感じて得る所あり、曰く精神の持ち方一つによりて自己の肉體は勿論、他人の肉體をも變化せしめ得。と此根據に基づきて自己の精神の統一を圖り且宗教上の信念によりて妄念を去り精神を清く正しくして心靈を働かし、以て靈肉不二靈肉相關の事實を實現し肉體の欠陥をして消滅せしめんとして工風し實行したるに、意外に良成績を得て著者は全く健康となれり。而して普通人の五倍位宛は今尚現に日々仕事をなしつゝあり。

著者は如斯自己の神經衰弱を治したる實驗に基きて、他人の神經衰弱を治療したるに神の如き奏効あるに感激し終に之を専業として之に從事すること爰に數十餘念、其間著書の治療に依て全治したる者無量數萬名。此現象は確に哲學心理學及宗教の應用にして事實なることを立證せんが爲め。著者は曩に新聞記者官吏醫師及び學者を數十囘招待して其實驗を示し批評を求めたることあり。東京十大新聞記者が著書の實驗を見て批評したる記事の切抜は集めて『靈怪展覧術』と題して一大冊子を成せり、心靈療法は一面より見れば精神療法である、著者は精神療院長養成講義録菊判百二十頁の冊子六冊を以て完結せるを曩に發行せり、其書に精神療法を行ふ方法を詳述せり、本書には單に自療の方法のみを簡易に記述し、何人にても一讀して自己の病癖を治し得る樣に説述せり。

去る大正一年に著者は『神經衰弱獨療法』を著はせり、而して其書は大に歡迎せられて十數版を重ね益々需要盛んなりしが、大震災により現品は勿論紙型迄全部焼失したるを好機として『心靈自療法講習録』『一名神經衰弱獨療法』と改題すると共に、最近の工風に成れる所の心靈療法を以て神經衰弱及び其他の藥石無効の病癖を自療し得る方法を併述せり、依之藥石無効の病癖に苦しむ患者本書記述の事項を實践せば必ず健康の人となり幸福の生活を送ることを得と信ず。と云爾。

  大正十三年四月中旬

古 屋 鐵 石 識 

 著者古屋氏については、「催眠術治療法 」で記述したが、明治期は催眠術師として名を売りだし、大正に入って催眠術ブームが去ると、神秘性を売りした霊術家に変身したらしい、と述べたが大正十三年のこの本は、霊術家に変貌を遂げた後のもの、ということになる。というわけで、読者としてはオドロオドロしいオカルティックな記述を期待してしまうのだが、ちょっと肩すかしをくらった気分になってしまった。治療法の概要は、第六章に述べられている。

第六章 心靈自療法

第一節 心靈自療法の根據

心靈自療法は自己の心靈の作用によりて自己の病的精神及病的肉體を變化せしめて健全の精神健全の肉體とする法である、各人に心靈は具有されて居る天性により修養により其心靈の力に差異がある。心靈の力を大にすればする程効力は偉大に顯るゝ、如何にすれば心靈の力が増すか、増したる心靈力を如何に働かすれば難病痼疾が消ゆるか、之れが本書全巻に渉る重大問題である、併し歸納すると次の十大項目を實行することゝなる。

一、心清療法 心を清くして其肉體を清め以て健全とすること。

二、祈祷療法 神佛を祈祷し心身を清め精神を統一して健康となること。

三、觀念體操療法 體操をしつゝ之にて健全になつたと觀念し以て病氣を驅除すること。

四、觀念強直療法 自己で自己の全身を強直せしめ、之にて病氣は消へて健全になる、なると觀念し、以て觀念の通りに健康となること。

五、觀念荒呼吸療法 荒く深く早く呼吸をしつつ之にて苦痛は取れて無病になる、なると觀念して病氣を除くこと。

六、觀念靜呼吸療法 呼吸を靜に殆と止めて居る如く靜にして、之にて健康になる、なると觀念して觀念の通りに肉體を變化せしむること。

七、觀念柔軟療法 全身の筋肉を柔軟にし、全身の力を除きて靜止し居り之にて無病となり長壽する、すると觀念すること。

八、自己暗示療法 自己の心身の惡い處を一々指摘して癒る、癒つたと自己で自身に暗示をして病氣を除くこと。

九、滋養療法 滋養物を攝取して肉體を健康とし、體力を旺盛として精神及神經を健康とし以て病氣を驅除すること。

一○、熟眠療法 夜よく熟眠し、心身を爽快とし病氣をも消失せしむること。

以上の十項を實行して下さい。
(p.27-28)
明治期の「催眠術治療法 」の記述と大きく違いが見られるのは、「二、祈祷療法」ぐらいで、他はあんまり変わり映えがしない。その祈祷療法の詳述を見ても、

第三節 祈祷療法

神佛は何神何佛にても日常信ずる神佛に向ひ禮拜祈祷をなして下さい。室内に祭りある神佛に祈祷し、且程遠からぬ處にある神社佛閣に參詣して祈祷をして下さい。祈祷法としては合掌して私が今悲む事、怨む事怒る事苦む事のあるのは私自身が我身に其種子を蒔いたので其種子から芽を出して生長したのである、よくよく心を靜めて考ふると其種子が心に浮かんでくる、其種子となりしことを神樣の御前に心から告白して悔ひ改めるのである。然ると心の煩悶消へ過去の失敗事を皆忘れて前途の光明のみ見へて、心が平和となります。即ち神佛に對して自分の行ひ中惡いと思ひしことは皆神佛に打明け、而して私の心と行ひは清く正しくなりて、私の肉體も清く正しくなります樣に、病癖は悉く癒ります樣に御祈り下さい。又心配せでもよい事は一切心配しませぬ樣に、夜はよく熟眠します樣に、今日一日は心を平和に清らか持ち、病癖の苦痛を忘れます樣に頭腦は明快になります樣に、何時にても愉快に、快活で、活溌で、元氣に居ります樣に----其他自身の缺點を悉く列擧し、缺點は悉く矯正せられます樣に、且何事にても希望して居る事悉くを一々列擧して、理想通りになります樣に、心から神佛に御願ひして下さい、此祈祷は朝、晝、晩の三囘斯く食事前三十分前に行ふて下さい。重病者で寢てのみ居る病人は寢た儘にて心の中にて神佛を念じて下さい。
(p.30-31)
と、しごくアッサリとした記述のみ。「神佛は何神何佛にても日常信ずる神佛に向ひ禮拜祈祷をなして下さい。」と来た日には、新聞の人生相談の回答と大差ないではないか。むしろ、「自己暗示療法」の詳細のほうが興味深い。

第九節 自己暗示療法

直立して兩足を堅く踏みしめ、兩手を堅く握りて拳を作りて高く頭上に擧げ、臍を下方即ち足の方に下ぐる樣に臍下に力を凝め、而して其振り上げし拳を打ち降しつゝ、『頭は爽快になつた、夜は夢を見ずよく眠るゝ、身體中何處にも痛む所はない、食物は進む、健康になつた、何事も安心する、何事も氣に掛らぬ、前途有望の人となつた、實に愉快だ、愉快だ、・・・』其他癒さんとする點即ち吃音、赤面癖、生殖器障害等悉くを列擧して癒つた健康となつたと唱へつゝ、拳を振り擧げては打ち降す事を約五分間繰り返して行ふて下さい、其拳を打ち下すときは拳を以て大石を打ち碎く勢と力とを以て全力を盡して下さい。身體弱くして此法を少し行ひしのみにて疲勞する人は、輕く行ひて早く廢め之を長く續けても疲勞なき人は疲勞を覺ゆる迄行ふて下さい。寢てのみ居る重病人は、寢た儘にて身體を動かさず、唯心の中にてのみ斯く觀念して下さい。此法も朝、晝、晩の三囘食前五分前に行ひ初めて五分時間行ふて下さい。
(p.34)
「『實に愉快だ、愉快だ、・・・』と唱へつゝ、大石を打ち碎く勢と力とを以て拳を振り擧げては打ち降す事を約五分間繰り返して行ふて下さい」とは、ハタから見ていてかなり怖い情況ではないだろうか。

 オカルティックな記述は残念ながら期待できないので、『神経衰弱』という症状についての記述に興味をすえてみた。明治・大正期の小説や報道文で頻繁に目にする『神経衰弱』だが、それは如何なるものなのか。おおまかに言えば、現在精神疾患とされている各症状をすべて包含する概念だと思われるが、この本での説明をみてみよう。

心靈自療法にては藥石の効なき病癖を癒すのが特色である、近來神經衰弱が非常に流行してゐる、神經衰弱は藥物を以ては殆んど不治とされて居る、此神經衰弱が心靈自療法によりては全治せしめ得る特色がある、よりて爰に神經衰弱とは如何なる病氣であるかを申しませう。(中略)

神經衰弱の患者中極く輕き者は自分の生れ附きの癖と思ひ居るものがある。例へば爪を噛む癖、疳癪の強き癖、夜夢を見て固く眠れぬ癖、業務に倦み易き癖、動作が不活發の癖、磊落に交際が出來ぬ癖、記憶が減じた、下らぬ事が氣になる等の類之れである。又頭が氣になり額へ手を當てたり頭の疲れを覺えてこめかみ部を指で抑へたり、何んとなく氣が重くなつたり、日中睡氣を催したり異性の爲に無駄錢を使ひ後に悔いたりするは既に輕度の神經衰弱症である。(中略)

症候中の重なるものにつき少しく解説を以下に試ましよう。

(一)少しく詰めて讀書し、又は窮窟なる塲所で人と久しく對坐して居ると頭の全部又は一部が壓さへ附けられる如く感じて精神が朦朧として不快に堪へざるものである。

(二)少しく心配するとか、讀書するとかすると、頭の全部又は或一部が痛んで不快で堪らなぬものである。

(三)神經衰弱の症候として現はるゝ精神上の苦悶は大概強迫觀念である。強迫觀念とは恐るべき事にあらざることを恐れ、心配すべき事にあらざる事を心配して止まない病氣である。如何に自分にて恐るべき理由はないと道理は判りて居り乍ら恐れ、心配すべき事にあらずと道理は明かとなりて居り乍ら心配に堪へぬ病氣である。次に述ぶる赤面癖、臆病、取越苦勞、悲觀の如きも又強迫觀念の一症候である。
(中略)

(九)僅か一二時間も讀書すると、精神朦朧として倦怠を覺え、何を讀みたるか記憶に殘らず業務を少し執ると直に倦みて元氣なく全身だるくなり、又説教でも靜に聽いて居ると睡眠を催すものは倦怠癖に罹つたものである。

(一○)學生にして神經衰弱に罹ると、注意力が鈍く精神ぼんやりして、如何に讀書にのみ精神を集めんとするも、種々の妄念が浮び出て、其妄想に精神を奪はれて必要なる讀書の事項に注意を専らならしむることが出來ぬ、從て讀書するも殆んど記憶されず。又商人にして此症に罹ると得意先よりの注文品を送るのを忘れたり帳面に記すのを忘れたり商機を失したりして、後日に至り大なる不都合を來すことがある。

(一一)年齢より四五歳老いて見ゆるものがある、年から見れば未だ青年で活溌に元氣であるべきに既に中年者の如く大人ぶりて落ち附き居るものがある、之れを早老と云ふ。神經衰弱の一徴候である。青年は青年らしく輕快にして活溌なるがよい。然らざるは病的である。

(一二)生殖器に異常を來たし其れが爲めに煩悶し悲觀するものがある。生殖器には如何に異常を來たすかは爰には記しません。之れを讀む人の中に嫌やな感を起す人のあるのを恐れてゞある。

(一三)人と對坐したるとき、磊落に愉快に談笑する事が出來ず。何となく陰鬱にして人を喜ばしめ樂ましむることが出來ず、不言不語の内に不快の感を人に與ふるものは既に此症に罹れるものである。

以上に列擧したる症候中の一つを持つて居る人は既に神經衰弱に罹れる病人である。
(p.2-5)
生殖器の異常とあるが、どんな異常なのかは判然としない。読む人にいやな感じを与えるとあるが、かなりひどい症状をさしているのだろうか。脱腸程度のことではないのだろうか、いささか気になる。

 注意を惹くのは、神経衰弱の症状によって引き起こされる苦痛よりも、「読書ができない」「商機を失す」といった神経衰弱の症状によって引き起こされる損害が強調されている点である。明治・大正期の雑誌を見れば、脳病に関する売薬広告がやたらに目に付くが、そういった広告の惹句でも、「記憶力増進」や「勉強がはかどる」といいた薬の効果が強調されている。おそらく、当時の「神経衰弱」という病気に対する人々の関心は、脳の衰えによって本来なら得られる利益が得られなくなってしまう点に集まっていたのだろう。帝国大学を頂点とするエリートコースへ乗ることを目標とする明治・大正期の日本の立身出世主義では、受験戦争を勝ち抜くために、何よりも「読書」「勉強」を通して片っ端から物事を記憶し、出題される設問を解いていくことが求められていたのだ。

神経衰弱の損害の記述は更に続く。

次に神經の健全者と神經の衰弱者とを比較して神經衰弱者は如何なる損があるかを語りませう。神經健全者の精神は始終爽快にして活溌で、如何程讀書を詰めても、如何程考へ事を重ねても頭の疲勞を少しも知らぬ。然るに神經衰弱者は一日に二時間も讀書すると最早腦が疲勞して頭が重くなる。或は頭が痛む、精神朦朧として讀書したる事を記憶せぬ。然るに神經健全者は朝より夕方迄十時間位御飯を喰る間を除く外、休みなしに讀書するも、少しも頭のことが氣にかゝらぬ。頭は何日迄も明快で居る。彼は一日に四時間のの勉強で既に腦が疲勞する。然るに健全者は其三倍の十二時間勉強しても腦の疲勞を知らぬ、之を類推すれば一ヶ年の在學と三ヶ年の在學とが同一の比較で然も實際は三カ年の方が一カ年の在學者よりも成績不良である。神經衰弱の害の恐ろしいことは此一例でも明かである。

神經健全者中には恥づべき心の咎めを受くべき惡い事をなし置き乍ら、平氣で正々堂々と談論して意氣揚々として居るものがある。之は餘り極端にて望ましき事にあらざるも、其意氣や賞すべしである。然るに神經衰弱者は何にも恥づべきことも、心の咎めを受けべきこともなきに衆人の前に出ては、恐れを抱き顔色を變へ、思ふ事も述べられぬと云ふに至りては、豈腐甲斐なき次第ではありませんか。殘念至極の至りではありませんか。若し彼と此と爭論でもせんか如何。社會に立つて競爭を試みんか如何、此は正理であり乍ら彼の不理に壓倒せらるゝや必定である。此一事而已に就て考へとも是非共神經衰弱をば全治せしめて強壮の人とならざれば、何の事業に從事するも充分の勝利を得る事の難きを感ぜずには居られません。又ある神經健全者は食衣住に差支へ、赤貧洗ふが如くで其有樣實に憐れである。然るに彼は心中に於て大に愉快に思ひ、快談壮語し節面白く歌を歌ふて毎日毎夜嬉々として職業に從事して居る。之れに反して神經衰弱者は物質上に於ては何にも不足せず、着る衣服に困るではなし、食ふ食物が足らぬではなし、而して立派な家に住み乍ら、獨り無形の精神上に於ては非常に煩悶し苦悶して居り、美しき花を見ても清き月を眺めても少しも樂しと思はず、人間と云ふものは詰らぬ者である。毎日同じ事を繰り返し繰り返して日を送るに過ぎぬ、嗚呼詰らぬ』と悲觀して碌な仕事もせぬ。彼と此とは實に其心持の異ること幸福と不幸との別るゝこと雲泥月鼈の差ではありませんか。

如斯神經の健全者と神經の衰弱者とを比較して見ると、神經衰弱者實に損の病氣である、早く全治せしめて健全とならなければ其人の一生を誤ります。小にしては一家を誤り、大にしては一國を誤る。斯る大病人であり乍ら大飯を食ひ運動をする故外貌は素人の目より見ると、病人であるか否や譯らず、家族の者は重病人と知らずして怠けて居ると思ふて居ることがある。之れ余が同情の念に堪へず、滿腔の赤誠を以て其治療法を研究し此病者を救濟せよふとする所以であります。
(p.6-7)
「神經健全者中には恥づべき心の咎めを受くべき惡い事をなし置き乍ら、平氣で正々堂々と談論して意氣揚々として居るものがある」との記述があるが、果たしてこのタイプの人間を指して「神経健全者」と言っていいものかどうか、逆にヒステリー患者なんじゃないのかという疑念が湧くし、「赤貧洗ふが如くで其有樣」の神経健全者が、「快談壮語し節面白く歌を歌ふて毎日毎夜嬉々として職業に從事して居る」のも、それはそれで問題なのではないか、とも思われるが、神経衰弱者の圧倒的な悲惨さの前にはそんな些事は忘れてしまっていいのである。なにしろ神経衰弱者は、「獨り無形の精神上に於ては非常に煩悶し苦悶して居り、美しき花を見ても清き月を眺めても少しも樂しと思はず、嗚呼詰らぬ」と悲観ばかりしているものだからだ。

 では、神経衰弱の原因とは何か。

第三章 神經衰弱の原因

神經衰弱の原因を先天的と後天的の二に大別します。(中略)

(一)先天的の原因は即ち遺傅素因による神經質で、俗に彼は神經質である、彼は神經家であるといふべき人がある。例へば少しのことに腹を立て非常に怒りたり悲しみたりするものがある。又は左もなきことを非常に心配したり苦惱したりするものがある。斯る神經質の者の子は又其素因を有して生れ、神經衰弱に罹り易きものである。

(二)後天的の原因中精神的としては、家庭教育の不良環境の不善、及び精神過勞である。肉體的としては、酒、煙草の濫用、房事過度、身體過勞、自爲的遂情、其他の不攝生及び諸種の病氣に罹ることである。殊に手淫をすると頭腦がボーッツトして記憶力衰へて惡ひことが顕著であるから以後は堅く廢めようと決心しても生理的の慾望に支配されて無意識的に自爲で遂情して仕舞ひ嗚呼惡い事をした、之で頭が惡くなると公開すること幾度となく、之を重ぬるに從て、其惡い觀念が潜在し固定して、其れが肉體を支配して大害を來たし終に甚だしきになると全く癈身となるのである。又青年時は手淫の害を悟らずに居りし人が壮年となつて俄に其害が現はれて癈身となる人がある、實に恐るべきもの慎むべきものは手淫である。

(三)精神を過度に使ふて慰藉の之に伴はぬときは神經衰弱に罹る。神經衰弱者の多くは之れが原因をなして居る。殊に過勞中でも感情の害は最も精神を甚だしく刺戟して此症を起す原因となる。即ち憤怒、驚愕、悔悟、失戀等は其大なるものである。之れに次で過度の勉學、家庭の不和、處世上の苦心、疾患の苦悶及び失敗失望悲觀心配等である。

(四)神經衰弱の原因として前に列記したる處は其の尤なるもので、身體が健康でなければ、常に此症は多少伴ふものである。殊に疾病には必ず此症多少附随するものである。近頃は文化大に進み、勉學次第何人にても豪い人となれるとの觀念が青年の腦裏に強く印象い居り、勉學して立派な人とならんと志し、晝間は勞働に從事し夜間の余暇に勉學を過度にするものがある、此過度の勉學を長年月の間續けたるが爲に流石強壮の青年も終に神經衰弱となり、將に癈身とならんとするものがある。人の精力には限りがあり、限りある精力を以て限りなき勞働と勉學とを重ね終に精力盡きて心身を傷ふて神經衰弱者となる。青年の勉學は大に奬勵すべきことであるが、勉學の爲に病人となり癈身となることは大に避けなければならぬ。

神經衰弱に罹る原因の多くは不攝生である、即ち不規則的生活、自爲的遂情、酒煙草の濫用、食い過ぎ、夜深し等の不攝生を敢てし、後如何とも爲し難き虚弱の身心となり、初めて気附き嗚呼惡いことをしたと後悔しても及ばぬ、故に常に攝生を守りて之を豫防し又既に此病者となりしものは之を嚴守して早く健全無病の人とおなり下さい。
(p.7-9)
原因として目を惹くのは、やはり「自爲的遂情」だろう(通常ならば「自慰」と書くのではないかと思われるが、本書では「自爲」と書かれている)。19世紀ヨーロッパにおいて発展した精神医学において、精神障害の一大原因として手淫が挙げられていた。当時の医学書(たとえば以前、当推薦図書ページでも紹介したKrafft-EbingのPshychopathia sexualis)をみると、自慰行為自体が精神病の原因どころではなく、精神病の一症状としてあげられていることが分かる。この傾向が西欧の科学をものすごい勢いで摂取していた我が国にも取り入れられたものと見える。ヨーロッパの精神医学界で自慰が蛇蝎のごとく嫌われたのは、妊娠を目的としない性行を厳禁するキリスト教の伝統が影響を与えているのは間違いないだろう。しかし、西欧のような手淫を禁忌とみなす習慣を持たない我が国に、この傾向が取り入れられたのは、いささか唐突な感がある。

 手淫については、他にもこのような記述がある。

第四章 攝養療法

酒煙草の濫用が原因であれば、酒煙草をば嚴禁し、手淫が原因であれば斷然之を禁じて下さい。併し何者が原因であるかは唯患者自身の考へのみによらず、専門家の檢診を受け原因を確め病源となることは固く行はざる樣にして下さい。

神經衰弱の原因である手淫が如何にしても癈められぬ人は、本會に來つて施術を受くると全く矯正される。而して神經衰弱の原因となることを若し誤つて行ふても神經衰弱に罹らぬ樣に身心を強壮にすることが出來ます。
(p.10)
 また、手淫だけでなく、「性欲を慎むように」という指導もある。

性慾は大に慎むべきである。性慾は慰藉とならぶ心身を損する害がある。殊に神經衰弱には最も惡い。異性に近づくと多くは煩悶の種子を蒔くことゝなる。相手の異性が自己に戀愛せぬとて煩悶し、又相手の異性が自己に戀愛せしが爲に大波瀾を生じて苦惱失敗の基となる、異性に近づくと何れにしても苦惱の種子となる、故に異性との交際は極く淡泊なるを要します。
(p.18)
 本来、キリスト教社会におけるように性行に対する禁忌が少なかった我が国において、「自慰」や「性欲」の過剰が神経衰弱の原因となったのは何故か。先に述べたように先進的な西欧の科学をそのまま取り入れていた面もあると思うが、それ以外に「神経衰弱」という言葉が明治後期-大正期の日本において背負っていた機能について目を向ける必要があるのではないかと思われる。

 当時「神経衰弱」という言葉は、アカデミズムの中だけでなく一般に膾炙しており、そして一般の興味は「神経衰弱」によって被る損害(集中して勉強できない・商談に失敗する等)に集まっていたことは、本書によって先に述べた。逆に見れば、「損害を被っている自分」に気づくことで「自分は神経衰弱なのではないか」という疑念が湧くという仕組みになっているのである。

 明治維新後の若い国家の発展の中、激しい競争社会にあって勝者になれない自分の姿をみて挫折感を味わう者は多かったであろう。その挫折感に対する自己防衛として「神経衰弱」という言葉が機能していたのではなかろうか。

「帝大受験に失敗したのは、オレの頭脳の出来が悪いのではなく神経衰弱体質であることが原因。本当はオレは無能ではない。繊細な体質がわるいのだ。」

というように。

 また、上に引用した神経衰弱者の症状「『獨り無形の精神上に於ては非常に煩悶し苦悶して居り、美しき花を見ても清き月を眺めても少しも樂しと思はず、人間と云ふものは詰らぬ者である。毎日同じ事を繰り返し繰り返して日を送るに過ぎぬ、嗚呼詰らぬと』悲觀して碌な仕事もせぬ。」といった文句には、維新の元勲たちを代表とする明治初期の人々の一種野蛮とも言えるバイタリティに対する、明治後期-大正期の人々の反感と引け目も感じられる。国家の再構成という一大事業をまがりなりにもやり遂げた、前の世代に対する負い目と反発のないまぜになった感覚が「神経衰弱」という言葉に紛れ込んでいるように思われるのだ。

 「神経衰弱」が、言葉は悪いが「敗者の自己防衛の為の言い訳」として機能していたとするならば、神経衰弱患者になろうとする者にとって「性欲の過剰」や「手淫の過剰」は、便利な概念である。程度の差こそあれ、誰にでも性欲はあるし手淫もやるだろう。そして「過剰」というのは多分に主観的なもので、判断の基準は自分の匙加減一つである。一旦、「自分は神経衰弱なのではないか」と疑念を持てば(言い換えれば「自分が勝者になれないのは、自分のせいではなく神経衰弱という病気のせいだ」と自己防衛しようとすれば)、原因はいつでも作り出すことができるのである。「ああ、あのときの手淫のやりすぎがいけなかったのか」、等と。

 古屋氏による治療例をみてみよう。

第七章 心靈他療法

余が治療によりて神經衰弱を治したる顛末は全国到る處の新聞に掲載せられて名高い、左に茨城日々新聞及び讃岐日々新聞の在京社員が余が神經衰弱患者を心靈療法を以て治療せる有樣を見て其新聞紙上に掲げたる所を折衷抄録すれば左の如くであります。(中略)

古屋氏は又別の治療券を手に取り一見して『吉山さんは何處が何う云ふ風に惡いの』と云ふと、二十二三歳の書生風の男曰く。

『私は三年前より神經衰弱に罹り、種々の療法を試みましたるも少しも効が見えず、勉強も手に附かず、毎日ブラブラと遊び居り、自然に全治の期を待ち居りましたものゝ、何時全治するか待ち遠くて日夜苦心に堪へませなんだ處、友人の勸めに先生の行ふ心靈療法は神經衰弱には非常に効能があつて、長年間苦んだ神經衰弱も屹度根治するから、治療を受けて早く癒り學校へ通ふ樣にと云はれたが眞に斯る大効があるか疑はしいが癒したいまゝに早速參つた次第であります。』

古屋氏曰く『よく分りました。君の病氣の容體は何うです』學生曰く。

『私の病氣は奇病で、一名嫌人病とも云ふべきもので、見る者聽く者一として樂しき者はなく、毎日鬱々として一人で奥の座敷に引き込み居り、何となく厭世の感に堪へません。して夜はよく眠れず、耳鳴がして常に耳鳴が苦になつて忘られません。醫師に診斷をして貰ひたれば醫師は神經衰弱であると申されました。併し歩るけば一二里の道を歩むも夫れが爲に別段に疲勞を感じませんが、常に頭が重くて時々は痛みます。少しの仕事にも倦きが來て到底何事もやり遂げられず元氣は少しも無い。初めは或る一二人に遇ふを非常に不愉快に感じて居りましたが、漸ゝ夫れが三人四人と増し。遂には誰に遇ふも皆嫌になり。日中外出すると知人に遇ふ故、外出は夜間にする樣になり。常に下らぬ妄想にかられて寸時も心の安まるときがない。時々胸がだるくて痛むことがある。飯を少し喰ひ過ぎると胸が苦しくてたまらず。腕、足、肩等諸處がチヨイチヨイ痛むことも時々ある。昨今は他人と直接遇はなんで、少し離れて居つても移心傳心の結果が、不愉快に堪へません。殊に美しく着飾つた娘が居る所へは何だか恥しやうの妙な感がして磊落に近よれぬ。(此時列席の者皆一同ほゝゑめり)お恥しいが生殖器は早漏で殆んど不能で、其故か何事も悲觀に堪えず、生きて居ても詰らぬ樣な感じが時々起る。人間は日々同じ事を繰り返し繰り返して日を送り年を迎ふ。無意義な詰らぬ者であると感ずることが度々あります。(中略)』

『君は夜寢床で自爲で惡い事をしたが、其れが神經衰弱に罹る大なる原因をなした』と云ふや青年は『私も或る衛生書を讀んで初めて其害を覺り、爾後非常の克己心を以て斷然廢め樣と勉むるも、知らず識らず犯して仕舞ふよりて此癖が矯めらるゝ樣に施術して』と。古屋氏輕く首肯せり。(中略)

古屋氏は患者吉山氏の傍に近よりて、荘嚴なる手附をなしつゝ何にやら低聲に語ると患者は閉目し兩手を高く頭上に擧げたり。其兩手は古屋氏が右に左に上に下になれと云ふ手眞似をすると其通りになる。(中略)

而して吉山氏は五囘の施術で悉く快癒した。
(p.39-48)
昨今の言葉でいえば、典型的な「ひきこもり」症例という患者だが、手淫を催眠術で禁ずるだけで快癒してしまうのだから驚きだ。以下、古屋氏の施術による治療例を引用するが、治療結果の良好なこと、驚くべし。

第八章 心靈療法根治例

第一節 心配症

 症候

一、早漏遺精時々あり、稀に逆上して耳鳴がする。

一、親類を始め他人の忠告を入れず我意を通す。

一、家庭が實に不愉快故、實家にありては病氣は治せぬと思ふ。

一、人に噺せぬことで窃に心を苦しめてばかり居る。

一、美女の前にては磊落に噺が出來ぬ。

一、長時間の座談に堪へぬ。

一、異性のことが氣にかゝり、勉學に専心することが出來ぬ。

一、少し讀書すれば精神朦朧となり、少しも記憶せられず、長時間讀書すると腦が痛む。

一、少しの運動で動悸が高まる。

一、胃膓が惡い且催眠療法は信ぜられぬ。

一、青年であり乍ら紳士の眞似がしたい。

一、何を見ても眞に面白くない、何を食しても滅法に甘くない。

一、快活に愉快に談笑することが出來ぬ。

一、何をしても間違つて居りはせぬかと心配しやり直す事がある。

一、稀に鼻がつまり、肩が凝る。

一、何事に依らず他人のすることが氣に合はず腹が立つ。

此の患者に心靈療法を行ふこと三囘にして前記の症候悉く消えて快活な愉快な人となりました。
(p.51-52)
「青年であり乍ら紳士の眞似がしたい。」というのが何だか分からない。「紳士の真似」とは、も恰幅がよくて羽振りのいい風体になりたいということなのだろうか。「青年であり乍ら」と強調っするところを見ると、若いのに老成した落ち着いた貫禄が欲しいということなのだろうか。

第二節 嫉妬癖

症候

妾事御噺にならぬ神經質で且頭痛持で嫁入先より實家に歸り療養中、亭主と宅の小間使との間に結ばれた情事を後に探知して嫉妬に堪へず煩悶の極、遂にヒステリーとなり、左の容體にて苦しみ候。

一、心配の爲め夜眠られず頭痛に惱む。

一、眩暈がして足がふらふらする。

一、何を見ても聞いても愉快と思はず、慰安となることは少しもない。

一、人知れず悲嘆の涙にくるゝことがあり。

一、手又は足の筋々が痲痺することがある。

此の患者は六回の施術にて神經質と頭痛とは全治し尚三囘の施術にて胸中の煩悶は悉く消へヒステリーも其他の症候も皆癒り樂天喜地の人となつた。
(p.52-53)
旦那が浮気すれば、ヒステリー気味になるのも当然だといえば当然だと思うが、治療の結果「胸中の煩悶は悉く消へ」「樂天喜地の人」になったというが、それでいいのか?旦那との関係の修復あるいは精算無しに、とりあえず「樂天喜地の人」になってしまうところがスゴイ。

第三節 生殖器病

症候

小生二三年前より神經衰弱に罹り困難致し候處、貴會にて心靈療法を行ひ多數の患者を全治せしめたる由聞き及び、御施術を受け度、はるばる上京仕り候、その症候は左に列記致し候。

一、何事も心を靜めて考ふることは出來ない。

一、身體がだるく輕度の運動に疲勞する。

一、神經興奮したる夜は多く遺精する。

一、生殖器の發育不良で蔭萎に罹つて居る。

一、數年前自爲的○○をなしたる事を今に至り後悔し心身無元氣となり煩悶懊惱に堪へぬ。

一、讀書するも殆んど記憶されぬ。

一、他人の動作言語悉く己の意に添はぬ。

一、火事、地震、試驗の時等心悸亢進を起して困る。

一、非常に小膽にて、多人數の前にて平氣で喋ることが出來ぬ。

一、意思薄弱で、自信力と克己心とが乏しい。

一、道義心乏しく、情慾が盛んにして卑しき快樂に耽り度い。

一、神聖なる戀よりも劣情に陷り易し。

一、父兄及び先生の如き自分の缺點を責むる人と親密に快談するを厭ふ。

一、虚榮を捨つることが出來ぬ。

一、物事に凝り易く、手紙一本書くに二三度書き直さねば承知出來ぬ。

一、自己の拙筆を憂て、他人の面前にて執筆すると手が震いて書けぬ。

一、一の煩悶が解決さるゝと、他の煩悶が出て、二六時中過去現在將來に關して想像し煩悶し、神經を勞し一分時と雖も頭が休まらぬ。

一、常に頭を壓せ居らるゝ感ありて頭腦明快でない。

此患者は十五囘の施術で、前顯の症候全く根治し鐵の如き強固な身心となつた。
(p.53-54)
神経衰弱への王道の「手淫」が取り上げられている。何故か「自爲的○○」と伏字になっている。

第四節 小膽及判斷力缺乏

症候

一、精神散亂して一時に集注せんとすれども駄目。

一、根氣乏しく何事にもあき易い。

一、禁煙せんと心掛くれども實行し得ぬ。

一、神經質にて少しのことが氣にかゝりて忘れぬ。

一、少しでも氣に入らぬ言行に對して激し易く人と爭ふことが度々ある。

一、用事を失念することが多い。

一、塲所の替りたる所にては睡眠出來ざる事が間々ある。

一、眠ると屹度夢を見る

一、常に頭が亂れ居りて、平靜なること殆んどない。

一、人を輕信して取返しの附かぬ失敗をすることが屡々有る。

一、朝早く起き難い、強て起きると其日は氣持ちが惡い。

一、常に役に立たぬ空想にのみ心をうばはる。

一、餘り人の氣を兼ね過ぎて交際が圓滿にゆかぬ。

一、間食の癖が止まぬ。

一、常に心の中にて胸を苦しめ、物思ひが絶へぬ。

一、字も文章も下手で書くにも手間取れる。

一、親の言ふ事には反對しても美人の言ふことには反對が出來ぬ。

一、気合術も靈子術療法も私には効なくて信が置けぬ。

一、呼吸療法も神信心も少しも私には効が無い。

此患者は三囘の施術にて前記の症候悉く全治し活溌な勇氣に富める人となつた。
(p.54-55)
「親の言ふ事には反對しても美人の言ふことには反對が出來ぬ。」って、男性ならよくあることなんではないのか。治療の結果「症候悉く全治し」たそうだが、晴れて美人にも反対ができるようになったんでしょうな。

第五節 交際下手の癖

(一) 多人數の前へ出で講義をしたり演説をすることが出來ぬ。一人か二人の友達と面會してさへ發言が澁り語尾が震へる、如何なる人の前にても如何なる多人數の前へ出ても、びくともせず思ふことを遺憾なく言ひ盡くす勇氣を持ち度い。

(二)趣味に乏し、高尚なる趣味性の人となり度い。

(三)理學、數學、英語に興味を持ち度い。

(四)熟眠したい、眠れば必ず夢を見る。

(五)食慾不進、消化不良の祕、食物の好嫌ひ甚だしい。

(六)足の先き冷え、小便近くして寒夜には二度も起きることがある。

(七)いつも氣持ち惡しく、さつぱりせず、愉快にニコニコして居たい。

(八)如何程勉強しても疲勞しない樣に精力を強くしたい。

(九)推しの強い圖々しい人になりたい。

(一○)夢精が時々あり、早漏で氣分勝れず、冷靜なる自己の意思にあらざれば決して射精せざる樣御治療下さい。

(一一)人の氣を損ずることを不用意に口走りて困る問題を起すことがある。

此患者は六回の施術にて根治し、注文通りの人となつた。
(p.56)
「足の先き冷え、小便近くして寒夜には二度も起きることがある。」というのは、あんまり神経衰弱と関係ないような気がするが...。まあ、「六回の施術にて根治し、注文通りの人となつた」そうだから、文句をいう筋合いではないが。

第六節 不眠及記憶減弱

症候

(一)物覺え惡しく何事でも直しに忘れて了ふ。人に逢ひ少し過ぎて其人に逢ふや最う面を忘れて居り、本を讀みてもすこしも頭に殘らず皆忘れて了ふ。左れば勉強の効無し、學校の成績甚だ惡い記憶力をよくされ度し。

(二)思考力無し、殊に英語數學の如きは大嫌ひ、之が上手に且つ好きになる樣され度し。

(三)何事も倦き易し、忍耐力を強くされ度し。

(四)事に當り是非の判斷に迷ふ、果斷の力を與へられたし。

(五)注意散漫、一つの事に集注する樣致され度し。

(六)晝間眠く夜はよく眠れず、眠れば夢のみ見る、故に晝間眠くなく夜は熟眠し夢を見ざる樣にされたし。

(七)友人知己親類一人も自分の爲に成らぬと思はれて不快と不安に堪へぬ、故に此心配消えて快活に愉快に安心の人となる樣されたし。

(八)視力弱く少し遠くの物は霞みて明瞭に見えぬ、殊に細字を薄暗い室でも樂に明瞭に讀める樣にされたし。

(九)交際が下手で無意義に人の感情を害ふことが多い、依て人に愉快と滿足とを與ふる人とせられたい。

(一○)生殖器の發育不良、且包莖で夢精の病がある(女は未だ知らぬ)之を根治されたい。

(一一)人並以上に暑がり又寒がりであるを癒されたい。

(一二)人の境遇及び人の持物を羨む癖がある故に之を羨まぬ樣されたい。

(一三)娘の顏と娘の臀とを眺めまひと思ふても不知不識目が其處に行く、此惡癖を治されたい。

(一四)美味のものを食べ樂をしたい癖を直されたい。

此の病人は六囘の施術にて全治し、學校の成績は頗る良好となつた。
(p.57-58)
誰でも、「美味のものを食べ樂をしたい癖」はあるのでは?別に治療しなくても。

「生殖器の發育不良、且包莖で夢精の病がある(女は未だ知らぬ)之を根治されたい」という希望に対し、「六囘の施術にて全治」とあるのは、治療によって、夢精しなくなり、生殖器が発育し、包茎が治り、女を知った、ということなのだろか?いくらなんでも、催眠術じゃ皮は剥けないんじゃないかと思うのだが。

本書では、神経衰弱になる原因として「性欲過剰」「手淫過剰」「生殖器異常」が挙げられていたはずなのに、患者側の意識としては、神経衰弱が原因となって「性欲過剰」「手淫過剰」「生殖器異常」が起こると思われているような節がある。まあ、それもこれもひっくるめて古屋氏は全治させてしまうのだから問題はないが。

第七節談判下手の癖

容體

(一)十四歳の時より、自爲的遂情を行ひしと、勉強の過度と家庭の不和とによりて病發せしと思はる。

(二)視力弱く少し離れては六號活字判明に視へぬ。

(三)便通惡く、二日に一囘又は三日に一囘位。

(四)月に一二囘遺精がある。

(五)學校の試驗を恐怖すること甚だしく、自己の學力のあり丈けを答案に書き盡すこと不能往々にして試驗中遺精することがあり、之が爲め成績不良で先程の試驗は落第點に近い。

(六)讀書中雜念(殊に異性の事と感情の問題)が起りて注意が勉強のみに集らぬ。

(七)勉學に倦み易い、殊に時々腹部張りて氣持ちが惡い。

(八)記憶及び思考力は減退し頭は常にぼんやりして居る、故に數學、語學、物理學等不得手で困る。

(九)赤面癖と發汗癖とあり、講習の前にて演説し、又は自分の意見にて人を制服する事が出來ぬ。

(一○)頭腦冷靜なる事が出來ず、字が下手で學校の筆記は見ぐるしい。

(一一)小膽にして些細の事を苦慮し、少しの事にも戰慄して顏色が變る。

(一二)多人數と平氣に交際する事が不能で、圖書館寄宿舎の如き多人數の集まれる處にては冷靜に勉強することが出來ぬ。

(一三)冬は風をよく引きて、肺尖加答兒に罹り易い。

(一四)克己心弱くして最早やすまじと確く決心したることを無意識に行ひ、後に悔ゆることが往々ある。

(一五)談判が下手で自己の權利を主張し得ず相手の不當に壓倒され、人知れぬ損害を受け不滿に耐へず苦しむことが往々ある。

此病人は十二囘の施術にて全治し、交際は上手となり學校の成績は優等となつた。
(p.58-59)
「試驗中遺精することがあり、之が爲め成績不良で先程の試驗は落第點に近い。」は、スゴイなぁ。なにゆえ遺精しちゃうんだろうか。教室中が静謐につつまれて皆一心不乱に問題を解いているという状態に興奮するのだろうか。「手淫」ではなく「遺精」だから、性器に刺激を外から与えていない筈。しかも、「夢精」でないとすると、覚醒中の出来事である。度々こんなことがあれば、そりゃ試験の結果も芳しくないだろう。

第八節 自尊心なき癖

病状

(一)理解力と判斷力が鈍い。

(二)頭が重く且つ痛みます。

(三)少しの事に疲れ息がれます。

(四)人に話せぬ妄想が連續して起き全く絶えたことありません。

(五)毎夜夢を見る、其夢が思はぬ親類の人の事又は異性に關することです。

(六)聽覺と視覺が少し鈍いです。

(七)手落忘却多く、意氣地無く、自尊心皆無で自分で自分が信用出來ません。

(八)思ふ事が充分に言葉に云ひ現はせません。

(九)些細のとこが氣にかゝり、其れが爲め心に苦勞が絶へません。

(一○)氣が利かず、二度と得難き好機會を失し、後に悔ゆることが往々ある。

(一一)意思が薄弱で人を強制することが出來ぬ。

(一二)讀書するも記憶がよく出來ぬ。

(一三)文字が正しく書けず行が亂れます。

(一四)生殖器が不健全で何事をも悲觀します。

此病人は六囘の施術にて根治し、心身爽快な勤勉家となつた。
(p.59-60)
極めて一般的な神経衰弱患者の例。お約束の原因「生殖器が不健全」が挙げられている。

第九節 船車暈癖

病状

(一)頭がぼんやりして記憶力惡しく忘れ易い。

(二)推理力、理解力、斷決力、膽力が乏しい。

(三)讀書中氣が散り易く、熱心に勉強が出來ぬ、從つて學校の成績が惡くて前途が案じられる。

(四)人を輕信し意外の損をし ことがある。(引用者注・原文ママ)

(五)腋臭と勃起力の弱いのと遺精とで困る。

(六)時々熱が出て眩暈がし頭痛がして困る。

(七)いやな嚴格な人の前にでると顏が赤くなる。

(八)寒さに逢ひ又は火氣の強い暖爐の傍に居ると顏色が變る。

(九)女に關して話にならぬ空想を畫き、胸中さつぱりしたことがない。

(一○)汽車や汽船及電車に暈ひ欠伸がよく出來る。

(一一)涙もろく人に臆し易い。

(一二)精神に感動することあると、音聲が變りて困る。

(一三)眞に愉快に堪へられぬと云ふことに會ひしことが無い。

(一四)物事に注意が不充分で、精密に觀察し、又は記憶することが出來ぬ。

此病人は十二囘の施術にて全快し、理想の人となつた。
(p.60-61)
これも、極めて一般的な神経衰弱患者の例。「腋臭」と「勃起力の弱い」と「遺精」のコンボで来た。「精神に感動することあると、音聲が變りて困る」って、ちょっと興奮して裏声になったりするということだろうか?これは、誰でもままあることで、別によろしいんじゃないかと。

第十節 吃音

症候
(一)吃音で人の前にては殆んど噺が出來ぬ。

(二)元氣更に無く、頭腦明晰でない。

(三)膽力意思共に軟弱で、決斷猛進の勇氣がない。

(四)他人より不利なる壓迫を受くるも、之を撃退し得ぬ。

(五)他人に言論の鋭鋒を向け難い。

(六)お人好しにて、他人の抑壓するの気概に乏しい。

(七)自己で自身を輕んじ、徒に氣兼ねをし、磊落に意志を發表し得ない。

(八)寢小便の癖がありて物事に遅疑逡巡する。

(九)爲す可き事に臨むも専心なることが出來ぬ。

(一○)無益の事に錢を費し、後悔することが多い。

(一一)婦女に對しても男子たるの本性が表はれぬ。

(一二)思ひ切りが惡く左も無き事をくよくよする。

(一三)本を買ふて見て仕舞ふと本を返して金を取り戻し度く思ふ。

(一四)精神療法家より命ぜられた修養法を實行せなんで實行したが無効だと嘘を云ひ苦情を持ち出したひ惡癖がある。

此病人は九囘の治療にて全治し、圖々敷き推しの強い大膽不敵の人となつた。事に吃音は七囘にて全治し寢小便は五囘で根治した。著書は元恐ろしい吃音にて噺は少しも出來なかつたが、其れが全く根治して雄辯家を以て自任するに至り、東京の重なる大學校又は會堂に於て、數千人の上に立て大演説をなしたること實に數百囘にして、今や東京に於ける演説家として人に知らるゝに至れり、之れは心靈自療法が人を雄辯にすることの生きた證據である。
(p.61-62)
「本を買ふて見て仕舞ふと本を返して金を取り戻し度く思ふ。」って、これは私もよく思うことあり。「つまんねぇぞ金返せ」というヤツ。まあ、この患者の場合は「見栄をはって小難しい本を買ったものの、買った後で後悔して金が惜しくなる」という意味だとは思うが。治療の結果、「圖々敷き推しの強い大膽不敵の人」になるなんて、ちょっとイヤだなぁ。

第十一節 強迫觀念

症候

(一)常に頭痛がし頭皮に何者かを貼り付けたる如き感じがして、頭腦明快なりしことがない。

(二)意思薄弱にして少しのことに驚く。

(三)心中常に妄想を畫きて、神經を苦しめ爲に讀書に注意が集まらぬ。

(四)異性の爲に種々の妄想を畫きて神經を勞し、殊に自分の意に適ひたる異性なれば、たとへ自分の掌中の者では無くとも、彼に對する親切愛情の爲に(色慾敵愛情には非ず)煩悶する事甚大にして、且つ其れ忘るゝ事能はず、之が爲に金錢を費ふも惜しまぬ。

(五)恐れず共よき事を恐れ、心配せでもよきことを心配する。即ち強迫觀念が強ひ。

(六)始終詰まらぬことで心を痛め、何事にも飽き易い。

(七)身分不相應な高尚な議論をし度く、又不道理なる行爲を見れば無關係の者にでも意見を加へ度くなる。

(八)常に高尚過た考を起して心を勞し、又何をしても愉快と思はぬ。

(九)恥づべき事にあらざることに恥かしい感が起きて困る。

(一○)讀書するも諸種の妄想に精神を奪はれて記憶せぬ、從て其意味を解せぬことが時々ある。

(一一)生殖機能障害。(早漏、快感缺乏、神經過敏)、及胃膓が惡く、眩暈がし、時々脊髄が痛む。

以上の病癖ありて名醫と云ふ名醫を尋ねて診察を受け、服藥をなし又温泉療法と轉地療法とを試みたら、少しは良き樣なるも、忽ちにして亦元以上に惡くなる、故に精神療法の外道なしと信じ治療を願ふ次第であります。

此の患者は九囘の施術にて根治し、如何程詰めて勉學するも腦の疲勞を知らざる樣なれり、且つ素行大に改まつた。
(p.63-64)
こちらは、「早漏」「快感缺乏」「神經過敏」のコンボ。「快感缺乏」「神經過敏」が共存するというのが、イメージが湧かない。普通は、「快感缺乏」と「神經鈍感」のコンビネーションか「快感過多」と「神經過敏」のコンビネーションで来ると思うのだが。

第十二節 寢小便癖

症候

(一)注意散亂して記憶非常に惡く、又辛うじて覺えたる事も直に失念する。

(二)讀書判斷等聊かにても心力を要すると、直に頭痛を生じ終に眠くなる。

(三)寢小便の癖ありて困る。

(四)頭がぼんやりして、決斷力が鈍い。

(五)臆病小膽にて人に呑まるゝ。

(六)早く斯うしなければならないと思ひ、焦り乍ら此次に此の次にと延引してそれをせぬ。

(七)非常なる拙辯と意志薄弱なる爲め、議論談判には必ず敗るゝ。

(八)人の前に出ると羞かしき樣なる氣持がし、赤面して思ふ事を充分に述べ盡せぬ。

(九)自分の妻に間夫があると思はれ日夜妄想と煩悶とが絶えぬ。

(一○)音聲澁りて清朗とならぬ。

(一一)今迄誰にも話したことなき胸中の煩悶(それは口にて申上ぐ)が絶えぬ。

右の如き諸病癖有之候ては、生存競爭の激烈なる今日の社會に立つて、多數の人の頭上を飛び越して立身出世することは到底至難なることを覺悟致し、是が矯正を名望高き先生に願上候次第、不憫者と思召され、前記の諸病癖を何卒矯正被下樣御願上げ候。

此の患者は九囘の治療にて全快し、歡天喜地の人となつた。殊に此患者は自己の妻に不貞の事があると妄信して忘れず、氣にかゝりて止まず、よりて余は其妻君を本會に伴ふて來らしめ、妻君の不眠症を治してやるとて施術し、其妻をして患者の見て居る處にて前後不覺の状態となし暗示を以て種々の祕密を語らしめた、然かして其妻は全く潔白なること明自となり、其患者をして安心せしめ圓滿の家庭を結ばしめた。
(p.64-65)
「今迄誰にも話したことなき胸中の煩悶」というのは、細君の不貞疑惑だったらしいが、旦那の治療目的とはいえ、催眠術によって意思に反して妻の心の秘密を明らかにするというのは如何なものか。それよりなにより、妻が不貞を告白してしまったらどうするつもりだったのだろうか。

第十三節 赤面癖

症候

一、人と對話してる時に若しいやな顏をしたらいけない赤面してはならぬと思ふとすぐ其れが顏に表はれます。

一、何事に依らず此塲合はかう云ふ風をしてはいけないと思ふと直ぐさう云ふ風が現はれます。

一、何事にも恐怖と心配とがともなひます。

一、婦人と對座して居る時、妙な樣子をしてはいけないと思ふとすぐ其樣子が現れます。

一、神經が過敏で困ります又針小の事を棒大に思ふ癖がある。

一、夜臥床に入り一時間位は眠れません。

一、夜眠ると直ぐ夢を見、稀には怖い夢をみて大聲で呼ぶことがあります。

一、文章が下手で困ります。

一、人の前では恥しくて歌が唄へません。

一、何を見ても聞いても不快で愉快と思はれません。

一、一度決したことも、人の意見を聞くと直ぐ變ります。

一、本を讀んでも物事をしても注意が集まらず、次から次へと雜念が生じて、讀むことなすことそばから皆忘れてしまひます。

一、根氣が無く何事にも直ぐ飽きます。

一、下らぬ事に腹が立ちます。

一、他人がすることでも自分が思ふやうにならないと、不愉快で堪らない、其癖斯うして呉れとも何とも言はず、唯他人のすることが不快と思ひ、氣にかけ一人で心を困しめてゐます。

一、何でも無いことに動悸が高まり、病氣ではないかと思ふことが間々あります。

一、意志が弱くやつてはならぬと思ふことでも制止出來ずにやつた後に悔ゆることがあります。

一、何か仕事をしたり書物を讀んだりする時に、こんな下らぬ事が氣附かなかつたかと既に過ぎ去りし後に思はるゝことが時々あります。

一、世間の事や、婦人の事や、金錢の事や、虚榮の事等下らぬ事を考へ妄想を描く、これが大事の事を考へなければならぬ時にも起つて困ります。

一、人と對話中、何でも無い塲合に逆上して顏が赤くなります。

一、消化不良になつて困ります又夜妻と寢た翌日頭が重い。

一、始終ソワソワして心に少しも落附がなく、町を歩いてゐても、きよろきよろします。

此の患者は二十五回の施術にて、此の惡癖は悉く根治し、心の清き平和な快活な人となつた。
(p.65-67)
「人の前では恥しくて歌が唄へません」とあるが、カラオケもない当時にそんなに人前で唄う機会があったのだろうか。宴会で三味線に合わせて唄ったりしていたのだろうか。「町を歩いてゐても、きよろきよろします」とは、ちょっとカワイらしい感じがする記述。「きょろきょろ」ぐらい構わんのではないか?

第十四節 モルヒネ中毒

症候

一、初め胃痙攣に罹りモルヒネの注射をなしたるが、其れが中毒して今では如何にしても廢められぬ。

一、事務が輻輳する時は、悠然として處理する力更になく、どう整理してよいか、手の下し樣がつかぬ。

一、一寸した出來ごとにも手足がふるえ、動氣はげしく言語がまちまちになる。

一、計算は迅速に正確に出來たことなく、注意が散亂する。

一、理解力判斷力はゼロである。

一、婦人に接して潔白ならず、兎角劣情がおこる。

一、外出すると不案の念が起きてたまらぬ。

一、臨機應變的の才はゼロである。

一、口角泡を飛ばして、辯駁することを好めども、吶辯にて意の如くならぬ。

一、兩親の親切が却つて嫌に感じ、今では腹が立つて耐らぬ。

一、他人に對する思ひやりが薄い。

一、度量狭く思慮淺薄で人の意見を用ひず自分の考へを通す癖がある。

一、堅忍持久の信念とぼしく、少しのことに腹を立てゝ自ら事を破る。

一、血色惡く愉快にニコニコ出來ぬ。

此患者に九囘の治療を施したれば前記の症候悉く消えた、殊にモヒ中毒は七囘で根治し、完全無缺の理想的の人となつた。
(p.67-68)
なにより、治療の結果「完全無缺の理想的の人」になるところがすごい。神経衰弱治療に成功すると、普通の人になるのではなく、人並み外れた優れた人物になるらしい。

第十五節 癲癇病

症候

(一)頭がはつきりせず、おさへ附けられている樣である。

(二)人と話して居ると、顏が赤くなつて來て言葉が出來なくなる。

(三)むやみにあまい物が食したい。

(四)手がふるへいぢけて字が上手にかけぬ、且つ文も上手に綴られぬ。

(五)名士と交際したきも尋ねることが何となく嫌に思ひ面會しても交際下手で親密になれぬ。

(六)人が私の顏を見た時、此人(私)は馬鹿だと思ふ樣な氣がしてたまらぬ。

(七)威嚴のある人の前に出ると、只さへ出ない言葉がよけいに出ない。

(八)物おぼえ惡く、おぼえた事もすぐ忘れる。

(九)今して居る事に心集まらず、外の事に氣が移る。

(一○)朝早く起きるのがいやでいやでしかたがない。

(一一)目がはつきりせず暗い燈火にては細字は讀めぬ。

(一二)道を歩く時ふらふらすることがある。

(一三)後の首筋の處が張り、又肩が張つたりする。

(一四)何をするも面倒で倦む。

(一五)手足のフシブシがにぶく痛む、後の帯のむすびこぶの處が一寸よけいに痛む。

(一六)皮厚性にかゝり鼻穴が塞がりてつまることがある。

(一七)神經質で少しの物音が氣になり呑氣無頓着になれぬ。

(一八)癲癇が月に五六囘位宛起きて困る。

此病人は九囘の施術にて全治し、肉體は鐵の如く強固となり精神を清らかに何事にも安心する人となつた。殊に癲癇は九囘の施術にて其後十年を經し今日一度も起きぬ樣になつた。
(p.68-69)
「朝早く起きるのがいやでいやでしかたがない。」「目がはつきりせず暗い燈火にては細字は讀めぬ。」「道を歩く時ふらふらすることがある。」なんていうのは、神経衰弱のせいなのだろうか。

第十六節 短氣癖

症候
(一)幼時腦を病み、何事にも強情にして家族の者と爭論絶へぬ處へ失戀が加はり心大に亂れ候。

(二)昨年の春外國語學校の入學受驗の爲め、過度の勉強をなし、入學後も過度に勉學せしため神經過敏となり、少しの事に怒り、安眠出來ず、同年十月同校を退學致し候。

(三)昨年十月より本年四月迄慈恵院入學準備のため、過度の勉強をなしたるも入學試驗に失敗するや人に當り散らし暴行をなし、○○病院の診察に依り、神經衰弱なることを知り候。

(四)本年九月明治大學商科に入り、忽ちにして法科に轉じ、又明年は商科に行くと申して居り候。

(五)小生(患者の兄)に最も甚だしき暴行を加へ、次は父次は母に候へども、他人には決して亂暴致さず、又小生等に對しても平常と變り無きことも有之候、私に對して亂暴をなし忽ちにして其非を悟り、又忽ちにして亂暴を致し候。

(六)私に對する亂暴の理由とする處は、私が彼の受驗を失敗せしめたりと申し候、尚疑ひぶかき事驚く程にて候。

(七)又亂暴をなした事が、他人に知れはせずやとて大いに心配し遂には怒り出し候。

(八)怒り出し候時は、實に口惜しさうな樣子を致し、時には自ら自分の頭を柱に打ちつけ自殺を圖ることさへ有之候。

(九)頭がいたむ時は、必ず小言を申し後には亂暴致し候。

(一○)殆んど問題にならざることを理由として怒り悲しみ、一度は自殺せんとして遺書を認めしこと有之候。依つて左の通り暗示をなし被下度候。

イ、必ず人に暴行を加へざる事。
ロ、怒らざる事。
ハ、人を疑はざる事。
ニ、樂觀者となる事。
ホ、物あきせざる事。
ヘ、頭の痛まざること。
之は患者の兄が患者には秘密にて記したる症候と、希望の暗示を余に示したのである。聞診の結果患者の病根は患者の許嫁婦を兄が犯せりとの猜疑により起りたることを確め、其原因除去の治療をすること、十二囘にして根治し、生れ變りし樣に温順となり、父母に孝に、兄弟に友にして學業を勵めり。
(p.69-71)
今ならば、家庭内暴力と言われる事例だろう。「自ら自分の頭を柱に打ちつけ自殺を圖る」ってのも、家庭内暴力では、よく聞く話だ。上に引用したひきこもりの例でもそうだが、現在では様々に異なった名称で呼ばれる症例が、当時は「精神衰弱」という名で総称されていたことが分かる。

第十七節 肺尖加答兒及肺結核

實例

年齢三十一歳の會社員、發熱して咳嗽出づ、其れで著名の病院に行き診斷を乞ふたら肺結核なりと宣告せられ、大に失望して歸宅し家族の者に向ひ我は肺結核と診斷されたる故、早晩死することに定まれり、よりて迎へしばかりの愛妻に向ひ我は死することに定まれる故汝は離縁して他に良縁を求めよと云ひ渡せり、其妻夫れを聽き聲を擧げて大に泣き家内は忽然として大悲慘を呈せり、時に其會社員の友人が之を聞き君決して落膽するに及ばぬ、僕は先年肺尖加答兒を病み醫師より死の宣告を受けしも念の爲に東京芝琴平町の精神研究會に行き精神療法を受けたが少しも感應せず術に罹りしや否や少しも何等の心持も變らざりしより、詐僞に會ひしと心窃に思ふて歸宅し、寢ねたら其夜より胸が樂になり、熱が下がれり、精神療法の効の偉大に驚き其後一ヶ月半精神研究會に通ひ、今は斯く健全になれり、君も行きて受術したまへ、必ず全治するからと云はれ半信半疑にて參りましたと述べた、よりて本會にては施術し歸宅せしめたるに其夜は却て前より病症惡くなれりとて苦状かたがた其翌日再び本會に來たれる故、更に檢診したるに前夜の心身の變化は全く全治する前兆であることを確め其趣を噺し、重ねて施術したれば初めて効顯を感じ、爾後は本會に通はしめずに遠隔療法を行ふこと二ヶ月にして全く健康の人となり家庭の和樂を永遠ならしむるを得たり、殊に肺結核を必ず治する藥は目下なくして醫師の行ふ肺結核の療法も多くは修養法攝生法に外ならず、其修養法攝生法をよく守りし人は全治し非觀して藥のみ飲んで居りし人は遂に命を取られたのである。
(p.71-72)
何故か箇条書きでなく、長文で書かれている。この症例はどうみても結核患者の治療であって、神経衰弱とは関係ないように見える。

第十八節 精神不統一

症候

(一)常に元氣銷沈して氣乗りせざること。

(二)信念あれども眞劍になり得ざること。

(三)外見沈靜の如くなるも心内動搖甚だしく落ち付きがなきこと。

(四)短氣にして直ちに逆上し易きこと。

(五)持久力に乏しく意志薄弱なること。

(六)如何に熱心に専心にならんとするも、雜念發生して歇まず、有益の事に精神を統一し難きこと。

(七)心廣く安樂に安心の氣持になり難きこと。

等擧げ來れば際限なき程にて、勉強するも少しも進まず、何事をなすにも専心になり得ず、常に不安の状態にあり、從來種々の塲合にあらゆる不面目と失敗とを重ね來りて、志す事一つも成らず、何事も遅れ勝ちにて、實に自分乍ら殘念に堪へざる次第に候。其れで自療法では癒らぬと思はるゝから先生の御術にて根治したく、左の諸點に就きて、最も強烈なる暗示を願上候。

第一、仕事に向つては専念になり、眞劍となり得る事。
第二、熾烈なる元氣が常に充溢する事。
第三、萬事に落付き無念無想となり得る事。
第四、呑氣無頓着談論風發となる事。
第五、心身を込めて神を祈れば、心身爽快となりて希望を成就し得る事。
第六、不動の大安心、常住の大安樂を得る事。
第七、大膽になり何者にも動ぜぬ事。
第八、意志の力強烈にして、決然斷行し得る事。
第九、常に愉快活溌にして、何事にても明快敏捷に行ひ得る事。
第十、何事にも趣味を豊富にして氣乗りする事。
第十一、腦、心臓、胃、膓、生殖器、肛門健全なる事。
第十二、完全無缺の人となる事。

此の患者は初め三囘の施術は不得要領に終りしも四囘五囘と囘を重ぬるに從ひ次第に効果現はれ、九囘の施術にて全く全治し理想の人となつた。
(p.72-74)
「不動の大安心、常住の大安樂を得る事」「完全無缺の人となる事」と患者が希望を述べているが、これが心霊術治療によってかなえられるのである。なんと素晴らしいことであろうか。おまけに肛門の健全さまで得られる。

第十九節 失戀及色情狂

症候

肉體的の苦痛

一、常に肩が張り後頭部より頸筋の邊迄が張りて押へらるゝ樣感じ不快極まりなし。

一、人と複雜なる談話を交換する際は汗出で、心臓の鼓動が高まり考へが澁り間違ひが多し。

一、目瞼が時々振動する。

一、顏の各部及手足が時々痲痺する。

一、胸部と心臓部が壓迫せらるゝ樣に感じて心臓病かと疑はる。

一、頭腦錯雜し、生殖器旺盛にして野獣的となることあり。

精神的の苦痛

一、二三囘面接せる人の姓名及び容姿が少し經過すると思ひ浮ばぬことあり。

一、記憶力鈍く、讀書するも記憶せられず、暫時にして嫌怠す。

一、雇人の動作總て緩慢と思ひ氣に喰はず心焦る。

一、思ひ立ちたることは即時に實行したくて耐へられず。

一、自分の意志が用ひられざると感情を損じ、反抗心が起きたり自暴自棄になりたりする。

一、家庭の人が親切にして呉れることも冷酷の如く思はれ、凡て他人の行爲を曲解する。

一、自己の目的とする彼岸に到達する徑路が、實際以上に困難に想像され、到底自分の力にては及ばざる樣感じされ、秩序ある行動を怠り空想にふけり又は焦慮する。

一、人の主張さるゝ處は道理に合致し、一點の批難すべき個所なきと思ふに拘らず、無暗に反對することがある。

一、人の好運を羨望し、己の不運を悲觀し懊惱する。

一、文章を作るも只徒らに文字の華やかなる形容詞多き文に成り、其主張する論旨の明晰を缺き前後支離滅裂の形態をなす、言論の塲合は猶一層甚だし。

一、忘れたる文字が必要ならざる時突然思ひ出すことあり。

一、自分の言行に反對者出でんことを恐れ、大膽に決行すること能はず。

一、仕事が億劫にして感情に激し易く、人の對話出入等少しの音も喧囂に感じ、強く神經を刺衝する。

一、自分の崇拝せざる上長の命令に服從するが實に嫌ひ。

一、人の煽動に係りやすい。

要するに意志薄弱にして、健忘症に罹り、羨望焦慮恐怖等のために煩悶し、意中の女と結婚出來ぬを悲觀し失戀し、短氣のために、人に迷惑を及ぼし、身體は頭痛と不消化のために常に不快なり、甚だ汗顔の次第ですが先年盛に自爲的遂情をなし、其後懇意の人より其害を注意され驚きて爾後其れを苦にすること甚だし。

此患者は十二囘の施術にて根治し、前記の症候悉く消えて健全の身體となつた。
(p.74-75)
これも、神経衰弱の王道「自爲的遂情」が原因とされている。「先年盛に自爲的遂情をなし、其後懇意の人より其害を注意され驚きて爾後其れを苦にすること甚だし。」とあるが、つまり懇意の人から注意されるまでは特に苦にして悩んだりすることもなかったのである。もしかしたら、「自爲的遂情」について注意さえされなかったら神経衰弱にならなかったかもしれない。無闇に人に手淫の過多について注意するのも考え物だ。

以上は著書鐵石の治療に依つて全治したる患者幾萬の中より一、二を擧げたる者である。術者を煩はせずして拙著記載の修養法をよく實行すると、之と同樣の症候を有する人も確に全治することを保證します。併し乍ら書籍は讀みし丈にて其修養法を實行するの勇氣なき者、及び早く全快せんとする人は、著書に就て直接治療を御受け下さい。同じ心靈療法にても、其術者に巧拙あること勿論である、故に研究の届かざる拙劣の術者の就き、受術すると効果見えざることがある。故に受術せんとする人は術者の選擇を誤らざる樣注意せないと折角受術しても無効に終ることがあります。
(p.75-76)
 「樂天喜地の人となつた」「鐵の如き強固な身心となつた」「學校の成績は頗る良好となつた」「交際は上手となり學校の成績は優等となつた」「理想の人となつた」「如何程詰めて勉學するも腦の疲勞を知らざる樣なれり、且つ素行大に改まつた」「歡天喜地の人となつた」「完全無缺の理想的の人となつた」etc...。とにかく、素晴らしい治療結果である。まるで、全ての神経衰弱患者は神経衰弱でさえなければ、他とは異なる数段優等な人間であるかのようだ。もし、神経衰弱という病が誰でもが罹りうるものだとするならば、「治療によって神経衰弱から解放された平凡で普通の人間」がもっと存在する筈である。しかし、そういう例は本書では扱われない。あるのは、神経衰弱から解放されて超人的な姿を取り戻した患者ばかりだ。一体なぜこのように現実離れした治療結果をうたう必要があったのだろうか。これを理解するためには、先に述べた「敗者の自己防衛」としての神経衰弱を考える必要があるだろう。

 敗者の自己防衛として神経衰弱という病が存在していたとするならば、「治療によって神経衰弱から解放された平凡で普通の人間」になることは患者にとって治癒ではありえない。なにしろ、自分が「平凡で普通の人間」あるという、つらい現実から逃れるために神経衰弱という場に逃げ込んでいるのだから。となれば、患者にとって神経衰弱から治癒とは、すなわち「勝者」になることとイコールでなければならない。本書で述べられる、「完全無缺の理想的の人となつた」といった治療結果は、患者側からの暗黙の養成から導き出されたものと思われる。  


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