産業ロック製作所推薦図書


阪神見聞録

谷崎潤一郎「阪神見聞録」(『谷崎潤一郎全集』 第二十巻 東京 中央公論社, 昭和43年)


抜粋
以前、このコーナーで紹介した、「大阪人と東京人」 (木村恒著 婦人公論 第13巻 第四号 昭和3年 p.44) でふれられていた谷崎潤一郎の文章を発見したのでまた紹介する。

「大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である、-------と、かう云つたらば東京人は驚くだらうが、此れは嘘でも何でもない。事実私はさう云ふ光景を二度も見てゐる。尤も市内電車ではなく、二度とも阪急電車であつたが、此の阪急が大阪附近の電車の中で一番客種がいいと云ふに至つては、更に吃驚せざるを得ない。(中略)

二度目の時も矢張り満員の電車だつたと覚えてゐるが、それも女親が幼い子供に、小便でなく糞をさせてゐた。念入りにも車台の床へ新聞紙を敷き、その上へさせてしまつてから、今度は新聞紙を手で摘まみ上げ、お客の鼻先へ高々と翳して、雑踏の間を辛うじて分けながら、窓の外へ捨てるのである。甚だ尾篭なお話で、東京人には恐縮であるが、此方の人はこんな事を何とも思つてゐないらしい。」(p.63)


寸評
関西在住経験のある方なら解るだろうが、文中にもあるように、阪急といえば、 関西地区では随一の格式を誇る路線なのである。その阪急ですらこうだから、 後は推して知るべし、と谷崎氏は書いているわけだ。だが、この谷崎氏の驚き方は間違っている。ここは、 「さすが阪急、やっぱり上品やなあ」というのが正しい驚きかたなのだ。 正しく驚くポイントは、次の通り。

  1. 糞をするのが子供という点
  2. 床に新聞紙を敷いている点
  3. 糞を車外にきちんと捨てている点

見てみなさい。さすが阪急と云えましょう。これが、少し格がおちる近鉄とか国鉄なら、 まず、床に新聞紙など敷かない。よしんば、敷いたとしても、車外に捨てるなんて 上品な行動は思いもつかないだろう。これが、阪神や南海の車内にいたっては、新聞紙を 敷かないなんてものじゃなくて、老若男女をとわず、ひっきりなしに糞をひっていて、 もう床などまんべんに茶色い物体に覆われていて見えやしない状態になっていたに違いない。

谷崎氏は「此方の人はこんな事を何とも思つてゐないらしい。」と書いているが、 彼の目は偏見に曇っていたから車内の人の表情を見誤ったのだ。彼には 「ああ、きちんと糞を車外に捨てているな、まわりの人の衣服を汚さないように きちんと処理をしているのだな。なんという、礼儀正しい奥ゆかしいひとなのだろう。 やっぱり他の電車じゃなくて阪急に乗っていてよかった。なんといっても乗客の格式が違うもの」 という満足げな乗客達の表情に気づくことができなかったのだ。



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