恐るべきこの眞相 東京へ來るべからず

恐るべきこの眞相 東京へ來るべからず
大西春翠著
東京:大雄社, 1925.2

 関東大震災の復興も未だし、という大正14年の発行の本である。序文にはこうある。


巻頭に序して

 東京へ! 東京へ!!
 都會の文化にあこがれ、功名を夢み、虚榮にとらはれた地方の青年處女諸子に、上京心をそゝり立つるが如きことのみ書かれた書物は、隨分多ほく發刊されて居る、然しながら私は斯う言ひたい。
 東京へ來るべからず。と。
 諸子の賛美の都東京は、それは果して其様に可(よ)い處であらうか、私はかう答える。
 恐怖すべき處である。と。
 活氣あり而うして華やかな帝都の半面、其處は恐るべき諸種の犯罪の根源地ともなつて居る、怖ろしい誘惑の魔の手は八方から諸子の上京を待ち受けて居るではないか、之等奸輩の毒手に罹つて、悲哀惨苦の境遇に陷つたもの、其數實に限りない。
 恐ろしき東京よ。
 本書は東京の暗黒面を、赤裸々に解剖し、最後に、達て上京せんとする人の爲めに、極めて親切に其の進むべき最善の途を説いてある、諸子は本書によつて能く其の眞相を知り、無暴なる都會憧憬熱を冷却し、併て其の前途を誤らざらんことに、細心の考慮を拂つて頂くことが出來たならば、著者の欣快此の上もない、重ねて云ふ。
 東京へ來るべからず。

  大正十四年書き初めの日

池袋の寓居にて  著者春翠生識

ご覧の通り、この本は主に地方在住の人について東京の有り様を警告し、変な希望だけを持って上京するのを戒めるものなのである。序文に引き続き、第一章では、鋭い舌鋒が上京希望者に向けられる。

 東京へ行けば何の苦労もなく必ず立身出世が出來る、きつと成功が出來るに相違ない、行け!行かう。

 斯う思つて田舎の人々は、前後の思慮もなく、何等の準備もなく、漫然と東京出て來て終(しま)う、其の結果はどうであらう。

 誰某は或富豪に其の才能を認められて其の家に養子の身分となつて、出るにも入るにも自働車の中に納まり返つて居る、彼女は某法學士の細君となつて榮華な生活をして居るさうな、某氏は商賣が當(あた)つて今では數十萬の財産を造り上げたと云ふではないか、俺も男だ、某氏位の腕は振るつて見せる、私だつて女です、何々婦人と侍(かし)づかれる身分になつて見せますわ・・・・・。

 人間の意氣、それは此れ位にありたいものだが、然し東京はそんなに容易く思ふ様になる場所であらうか、それは、或は苦學してゞも立派に功成り名遂げた人もあらう、何かの因縁で名門の家に嫁付いた幸福な女もあるだらう、されど、これ等は萬人の中の一人である、否幾萬人の中に一人をも見出すことは出來ないであらう。(p.1-2)
明治や大正期の煽動文章はリズムが素晴らしくて、つい音読したくなってしまう。「きつと成功が出來るに相違ない、行け!行かう。」とか「俺も男だ、某氏位の腕は振るつて見せる、私だつて女です、何々婦人と侍(かし)づかれる身分になつて見せますわ」なんてところはやはり声を出して読みたいところだ。

 今も昔も「現代の風潮を嘆く」時に引き合いに出されるのは性風俗と相場は決まっているが、この本も多くを「東京における男女間の嘆かわしい堕落」に割いている。読んで面白いのもやっぱり性ネタなので、いくつか引用してみたい。


 昔の講談本の中に、容姿のよい娘を持つた父親が切迫(せっぱ)つまつて金を借りる時、若し期日になつて返濟が出來ない塲合は、娘を妾奉公に差上げます、とかなんとか約束したと云ふやうなことが、作りごとかは知らぬが能く書いてある。

 然るに大正聖代の今日、野蕃國(やばんこく)にもあるまじい珍無類の話がある、それは細民の仲間に行はれて居る借金の抵當物件それである、それが普通の品物でなく自分の女房を書き入れるのであるから隨分滑稽否悲慘極まる次第である、而して抵當となつた女房は返金するまでは貸主の許へ赴いて、身體の凡てを任して仕舞ふことになる、其代り貞操料として貸金に對する利息は取らぬことゝし、返金の曉は再び亭主の家へ戻つて來る、萬一妊娠でもする塲合は其の子は借主の負擔となる代りに元金を半減することになつて居る、如何に生活に窮し如何に貞操の價値がない今日とは謂へ、これは又餘りに酷ごたらしい話ではあるまいか、夫れに付いて彼等の云ひ草が面白い。

『亭主持ちで淫賣稼業をして居るものもある、双方合意の上なら公然娼妓勤めに行くものすらある今日だ、そんな淫賣稼業もせず娼妓のやうに多數の男の慰みものになりもせず、只一人の債權者に身を任せるだけで濟む事なれば此の方法は頗る賢明な遣り方と云はねばならぬ云々』

 いやはやどうでも理屈は付くものだが、餘り賢明とも云はれないではなからうか、此れ又時勢の推移と不景氣の生んだ一つの産物とも見てよからう。(p.19-20)
俗に「女房を質に置いてでも」と言うが、その実地版。他の記事を見れば分かるが、この著者の取材はどうもいい加減であんまり信用できないので、上記の件も真偽ははっきりとしない。が、ま、今でもよく「嫁をソープに売って借金返さんかい」っとすごむ悪徳金融業者の紋切り型が通用しているところを見ると、まんざらなかった話でもないのだろう。

 次は女魔の誘惑を著者が撃退した話。


 半月ほど以前。  私は淺草の友人を訪づれての歸り途、夜更けて電車がない、生憎にも其邊に自働車も見當らない、えい儘よ、上野あたりまで行く間には、自働車か俥を見付けることが出來るだらう、と急ぎ足で菊屋橋の手前まで來た時に、暗がりの裡から現はれた一個の若い女。

 『もう電車はお終ひなのでございませうか』

 と、馴々しく言葉を掛ける。

 知れ切つた事だ。眞夜中の一時半。特種の夜でない限り、電車の動きさうな筈がない。

 『さあ、赤電車が通つてから、もう一時間の餘にもなるでせう』と私は素氣ない返事を與へる。

 『今晩學校のお友達と、淺草の活動寫眞を見に參りましたが、閉場(はね)てから公園内を話ながらぶらぶらして居て、遂う遂うこんなに遅くなりました』

辻褄の合はぬことを、私が聞きもせぬのにぺらぺらと喋舌(しゃべ)つて了まふ、不可解な女だ。

 的つきり魔性の女。

『一體お宅はどちらなんで』と問ふて見た。

『はい、本郷の森川町で宮澤と云ふ乾物問屋を營(し)て居ます、ほんとうにどうしたら可いでせう』

女はさも當惑の様な顔をする。

『譯はありませんよ、自働車でゞも歸れるぢゃありませんか』、私はからかつて見た。

『だって、こんなに遅く家を起こすと、近所の方にも變に思はれるぢゃありませんか、私、困つて仕舞ひました』

 同情を求めるが如く、訴えるが如うな眼でぢつと私を見上げる、年は若い、色は白い、輪廓の整つた振ひ付きさうな美人である。

 『仕方がございません、どこか此の邊に宿屋はないのでせうか』と、そろそろ奥の手が出掛けて來た、桑原々々。

 『ありますよ、稲荷町の方には幾軒でも』

 私はこれ以上對手になつて居ることは出來ない、吐き出すやうに斯う云つて急ぎ足に歩るき出した。

 『でも、私一人で泊まるのは、何だか怖ろしいやうな氣がしますもの、貴方も付き合つて下さいな、後生ですから・・・』

 何方がおつ怖ないか分からない、どうとも勝手にしろと許り、折柄通り合はせたタクシーの厄介になつて、無事平穏に宅へ歸つた。

 それから五六日經つての事である、私は用向あつて通り懸つた森川町、先夜のことを思ひ出し、好奇心にかられながら、宮澤と云ふ乾物問屋を、一軒々々探して見たが、遂にそれらしい家を見出すことが出來なかつた。

 寝静まつた夜更を、斯くしてゞも女は男を捉へんとするか、實に大膽千萬のことである。 (p.47-50)
 文中「赤電車」とは、終電のこと。この頃の路面電車は終電のときは赤いランプをつけて走っていたのだという。それにしても、「年は若い、色は白い、輪廓の整つた振ひ付きさうな美人」に真夜中、声を掛けられるなんて東京っていいところだ、行ってみたい----って野郎なら普通思うんじゃないだろうか。


 東京に於ける女魔の毒手は、どの邊にまで擴がつているかは、実に想像以外である。

 魔窟と謂えば、向島、龜戸、千束町、道玄坂等に指を屈することが出來る、新聞縦覧所、銘酒店などの看板だけを掲げて表向きを濁し、裏面に數人の淪落の女を活躍させて色餓鬼共を吸集したものであつた、今では其の筋の取締まりも嚴重になつて、若干其の弊風は改められたが、拂へ共去らぬ蒼蝿の類で、或は小間物店とか化粧品店とか眞面目くさつた商賣に見せ掛け、其實賣淫業をやつている、(中略)

 丸の内あたりの大會社や大商店に勤める女事務員、△△や○○の女店員、活動の女給、これ等も虚榮を滿たす費用の爲めに肉の切り賣りをする、何れも此處彼處に巣窟があつて其處で密會賣淫の慾望が滿たされる、試みに午後の四時頃、丸の内邊から乗る女事務員達の電車内の會話を聞け、男と云ふものを除外して、何等話題となるものはない私の友人の或る者は『東京の女は皆賣春婦だと思つて差支えない』とまで極言して居る、まさかそんなでもあるまいが、兎に角淫風吹き荒ぶ都會である。(p.50-52)
『東京の女は皆賣春婦だと思つて差支えない』って、そりゃいくらなんでもあんまりだ。じゃあ、東京の子供達はみんな、sons of bitches ってのか?「淫風吹き荒ぶ都會」ってフレーズも凄い。エロ風がビュービュー吹きまくる大都会ってのは、一体どんな感じなのか。なんだか永井豪的だなぁ。

道玄坂がかつて魔窟だったとは初めて知った。戦後になってようやく開けたという渋谷だが、ストリップ小屋とか小さな風俗店が道玄坂あたりに密集しているのはそういうことだったのか。


 大學の角帽を冠つて、巧みに女學生を釣る偽大學生がある、(中略)

 近頃東京では非常にカメラの流行を來たして居る、此のカメラを利用して女を手に入れる奸策が隨所に行はれる。

 公園の花の下、うつとり立つた女學生、後ろにパチンと小さな音、振り返つてみると、寫眞機片手に學生が、莞爾(にっこ)と笑つて立つて居る。

 『甚だ失禮でしたが貴女のお姿を撮らせて頂きました、どうぞ悪しからず』と近寄つて來る。

 泣いても悔やんでも後の祭り、女學生は顔を赫らめて、何と返事をして可いやら只俯向いて居るばかり、

 『まだ昨今稽古し始めたばかりです、完全には出來ますまいが、焼付ましたら一枚お届け致しませう』

 甚だ人を馬鹿にした話ではあるが、女にはそれを拒むだけの勇氣がなかつた、まして對手は大學の帽子を冠つた好男子だもの。

 『ねえ、聞かせて下さい御住居を』

 女はとうとう負けて了まつた。

 其れから數日後、この女學生の許(もと)へ寫眞が届く、手紙が來る、つい禮状を出すこれが始まりで始終レターの往復となる、レターの上へラブが付く、互いに喋(しめ)し合はせて公園あたりで密會をする、手を握る、接吻(きつす)をする、果ては其の肉體まで任すやうになる。

 一度、戀に陥つた女は弱いものである、それからは却つて女の方が熱心になり三日に上げず逢引をする、其の潮時を計つて、男は女に無心を吹つ掛ける、女は愛する男の爲めと思つて、金も與へ、品物も與える、終ひには宅の品物まで持ち出してコッソリと男に貢いで遣る、こんな事から兩親に手嚴しい責め折檻、それでも男が忘れられなくて、自暴自棄となり、男の歡心を買はんが爲めに、萬引をする、女だてらにスリも行る等、再び救ふべからざる身の上になつてしまふ、吁(ああ)其の罪、そも何處にあるか、女性は最初の出發點が大切である、心すべきことではないか。

 それでまた、女の方から充分に金品をせしめることが出來なかつた場合、彼等は自分の寫眞に女の寫眞を焼き付けて『お宅の令嬢と私とは、先程からかう云ふ可い戀仲になつて居ます、どうか何とか處置を付けて頂きたい』と白晝(はくちゅう)公然と玄關から強請(ゆすり)に行く、僞りとは知れど身分柄、後の報復手段を恐れて幾干の金を與へることになる、馬鹿馬鹿しい次第ではないか。(p.57-60)
「この女學生の許(もと)へ寫眞が届く、手紙が來る、つい禮状を出すこれが始まりで始終レターの往復となる、レターの上へラブが付く、互いに喋(しめ)し合はせて公園あたりで密會をする、手を握る、接吻(きつす)をする、果ては其の肉體まで任すやうになる。」っていうのも見事にクレッシェンドな文章。要音読。特に「レターの上へラブが付く」ってとこは暗唱すべし。

写真で脅迫といえばついこの間(1999年11月)の神奈川縣警でも写真を使った脅迫事件がありましたな。同僚の女性警官のセミヌード写真を使って恐喝するってやつ。考えてみれば古い手口ですな。

 古い手口と言えば、こんな悪徳商法の話もあった。ちょっと性風俗とは離れるが紹介する。

この廣告が貴下の福音    この廣告郵便が手に入つた貴下は實に幸運な方である、一萬枚中僅かに三本しかない一等が、正しく貴下が引き當てられたのである、この券を封入して何品をお買ひになれば一等景品として其品の代價以上の價値のある女の丸帯一本を差上げる・・・かう云ふ風の葉書も時々舞ひ込むことがある、僅か三本しかないと云ふ其の一等、それは一萬枚中一萬本が悉く一等であるから不思議なことだ、品物は前にも述べた通りの胡魔化(ごまか)しもの、景品の丸帯、實は申し訳ばかりの屑物同様、さてさて上手なことをやる。 (p.115-116)
今でも、街頭の携帯電話屋などで空クジなしくじを送って電話機自体は無料にし、回線契約で儲けようとする手口そのまんまですな。一時は、電話による英会話学校やリゾート会員権の勧誘でもよく使っていたが。

 悪徳商法に関しては、ひどい職業紹介所についての記述がある。婦人に職業を紹介すると募っておいて、女郎として売り飛ばすというもの。

恐ろしいのは、何ごとも云はず、堅い奉公口と云ふ口實の下にコッソリ上州とか、千葉縣とか或は北海道あたりの淫賣婦として賣られて行くもある、北海道の後家、上州信州のだるま、東北地方の草餅、中京邊のもか等(何れも淫賣婦の別名)にはかう云ふ惡漢に誘拐されたものが頗る多い(p.88-89)
興味深いのは、地方における売春婦の呼び方。「後家」という呼称は、いかにも、という感じ。また「だるま」というのは、やはり女郎屋に押し込められて手も足もでない、というところから出たのだろうか。近頃の都市伝説でよく聞く、「手足を切られて外国に売られる」話を想起させる。しかし、後の「草餅」は見ただけでは何でその言葉を使っているか想像がつかないし、「もか」にいたっては、それが何を意味しているのかすら皆目見当がつかない。「もか」って一体なんだ?

 さて、また淫風吹き荒ぶ東京の話しに戻ろう。 

 試みに、混雜した電車に乗つて見よ、若い女の前にはきつと若い男が吊革にぶら下がつて居る、人に押されるやうな風をして、ぐんぐんと女の股へ兩足を突つ込んで來る、何と云ふ失敬な何たる猥がましい行爲だ、それでも女は別段惡るい顔もしない、につと笑つて意味ありさうな素振り、男は女を、女は男を誘惑しやうとする鉢合わせだ。

 淺草公園の活動街、能く注意して歩いて居ると、一々寫眞の繪看板などを見て廻はる呑氣さうな女、それを見えかくれに後を付ける男がある、私は或る日、女を追ふ男の後を追ふて見た、女は活動街を見終はつて公園の樹立の中を縫ふて行く、男もまた私も、雷門から仲見世の雜踏の中も依然追ひつ追はれつする、女は品川行の電車に乗つた、男も乗つた、私も乗つた、女は駒形で降りる、男も私も降りた、雷門から駒形までは僅か一停留場、何も電車に乗る必要はない、女は恐怖を抱いたやうな態度で急ぎ足に行く、男は之れを見失はないやうにと矢張り急ぐ、私はこう考えた、不良青年が後を付けるのを感付いて女はこれを避けんとするに相違ない、私は駆足で女に近寄り小声で『後ろから來る男は貴下のお連れなんですか』と囁(ささや)いた、女は嬉しさう『有り難うございました、淺草からずつと後を追はれて、私困つて居るんですわ』と云ふ『ぢゃ僕と一緒に歩行きませう、彼男もそれで諦めるでせうから』と連れ立つて話しながら行く、例の男はと振り返つてみると、其の邊に影も姿もない。

 『もう大丈夫でせう、氣を付けていらつしゃい』と私は別れて行かうとすると、女は叮嚀に。

『ほんとうに助かりました、然し甚だ失禮でございますがまだ途中で惡漢が待ち受けて居るか知れませぬ、宅はついこの先きなんですから、御無理でもお送りを願へないでせうか』

 なる程尤もな話である、私は別に急ぐ用もないので女の家まで送つて行つた、家は駒形劇場の裏手、とある小路の突き當たり、ささやかな二階建であつた。

 『お母さん、この方に不良少年に捉へられる所を助けて送つて頂いたの、お禮を云つて頂戴』
『さうかい、それはまアとんだ御世話様になりました、お寄りなすつてお茶でも召しあがつて・・・』

 と愛想よく餘りにすゝめられうので、私はツイふらふらと上がり込んで了まつた、二階が私の部屋なんで日當りもようございますから、とまた二階へ上がつた。

 小薩つ張り(こざっぱり)として居るが何となう陰鬱な室である、お茶が出る、菓子が運ばれる、話して見ると相當に學問もあるらしい、その内に膳部が持ち出されてお酒を勸められる、私は何だか狐にでもたぶらかされたやうな氣分になつた、夫れでも一杯二杯と過ごす内に非常に醉いが廻はつて來た。

 夫れから幾時間經つたのであらう、私が目を覺ました時には、女は私の側に横になつて居た、さうして莞爾と笑つた、私は思わずぞつとした。

 助けやうと思つた女、それは魔性のものであつた、後で聞くと其女は不良少女の團長格のものであると云ふ。 (p.69-72)
著者ついに誘惑に負け、一敗地にまみれるの図。しかし、夜中に美女に声を掛けられる話といい、この不良少女の団長に誘惑される話といい、なんだか、「自分はもてるんだぞ」ということが本当は言いたいのではないかと思われてくる。

 そう思って読んでいると、もっと強烈な話があった。最後にこの話を引用しておこう。

 去年の夏

 私は、房州の海岸△町に住む古い友人を訪ねた時のことである、薄暗い淋しい停車場に降りた私は、非常の疲れを覺えて居(お)つた、夫れで、友を訪づれるのは明日にして、すゝむる車夫に任かせて落ち着いたのは、花家と云ふ小綺麗な旅館であつた(中略)

階段を降りて風呂場に行く曲り角、摺れ違つた一人の女中、莞爾と會釋して向ふの客室へ吸ひ込まれるやうに入つて行く。

 『おや・・・・』と私は立ち停まつて後姿を見送つた。

 『慥(た)しかに千惠さんだ』私はこう決めて見たが、夫れでも餘りに意外なこの町で、而も女中なんかをしている筈はない、と打ち消しても見た。(中略)

『いや僕が知らう筈がない、而(しか)し彼(あ)の女は一體何處(どこ)の生れか君は知つてゐないのかい』

『大分御熱心なんですねえ、何なら今夜彼(あ)の女をお執り持ち致しませうか可いでせう』

 私は再び驚いた、千葉縣の海岸、其邊の宿屋は隨分淫靡な處(ところ)と聞いては居たが、かうも眞正面から、淫蕩をすゝめて來るとは思わなかつた、更に驚いた、千惠さんがこんな淫(みだら)がましい家にいようとは。(中略)

 五年以前

 私が△△の或る新聞に筆を執つて居た時代、お桂さんと云ふ師匠に就いて舞踊の稽古を行(や)つたことがある、同じお弟子の中に千惠さんもいた、千惠さんは▲▲家と云ふ藝者屋の娘で其の頃は十七歳、氣前の好い美くしい女であつた。(中略)

 夏の夕ぐれであつた、私は裏座敷の欄干に寄つて恍惚(うっとり)とお濠の松に月の懸つたのを眺めて居ると、其處へ千惠さんが來て。

『まあ好い月だこと』

と私と並んで腰を掛けた、華美な浴衣が一層美くしさを引き立てる。

『アノ月が松に懸つた處など、繪にも筆にも及ばないね』

『いつまでも斯うして眺めて居られたら、どんなに嬉しいか知れないけれど』

千惠さんの眼は涙で光つて居る。

『どうかしたの・・・』

私はいぶかしさの餘りに聞いて見た。

『いゝえ、別に・・・只何だかきつう悲しくなつて來たものですから』

パタパタと仰ぐ團扇の下から色氣ある襦袢の袖が風に飜る。

『千惠さん』

と私は餘りの愛らしさに斯う叫んで、きつと彼女の體を抱きしめた。

抱かれながら。

『私等はどうで離れねばならぬ運命を持つたものでせうね』

『何故?』

 私の胸は轟いた、お互に家を継ぐべき身の夫婦になることは覺束ない、されど二人は永遠に離れまい。

『なァに、例令(たとえ)どうであらうともお互の心さへ堅ければ、夫婦になれるさ、きつとなつて見せる』

『貴郎(あなた)もさう思つて・・・・變つて下すつては厭やですよ』

 相抱き合つた二人の心は、恍惚(うっとり)として殆ど世間の何物をも忘れる程、お互に温かい血が通つて居た。

『千惠ちゃんお母様が呼んで入らしやるよ』と向ふで呼ぶ聲。

 ハツと思つて離れた、千惠さんの顔には、又急に曇りを帯びて居た。

 其の後、私は、千惠さんの家を訪づれることは無くなつた、何故かと云えば、彼女のお母様は私の行くのを厭ふと云ふ風がありありと見えて來たからである、さうして成るたけ千惠さんにも逢はせぬ様にするのみか、或る時は。

『女許りの家へ男の方が、さうさう出入りされては世間の手前もありますから』

 私はこの言葉を聞いてからは再び行く氣にはなれなかつた。

 無論千惠さんは可愛さうだけれど。

 かくして私と千惠さんとの仲は裂かれた、折も折、私は社の都合で東京へ移住することゝはなつた。

 最後に千惠さんに逢つた時『貴郎(あなた)は華やかな東京で樂しいお生活(くらし)が出來るか知れないけれど、貴郎(あなた)と別れた私は、最う永久に精神上死んだも同じ體です』と悲しみと怨みとにせめられたあの時の面影、今に忘れ得ぬ處である。

 私と千惠さんとの間には、かう云う悲哀なローマンスがあつたのだ、私が今ゆくりなくも房州の淋しい此の町で逢つたんだもの、睡むられないのも穴勝ち無理ではない。(中略)

『千惠さん、僕は逢ふか逢うまいかと、どれだけ苦しんだか知れなかつた、夫れでもよく來て呉れましたね』

萬感交々せまり來て私も聲をうるませた。

『私もお目に懸らないで・・・・・と思ひましたが、もう・・・・何だか一生逢はれないと思ふと・・・・堪忍して下さいね』

私の膝へ泣き崩れる。

『どうしたんです、話して下さい、此家へ來た理由を』

『△様、私ほど不幸な女はないでせうね』

 千惠さんの泪は新たに湧いて泉の如(や)うに流れた。

 その話によると、私と別れて後、母はさる會社員と結婚せよと云ふ、千惠さんは厭やだと云ふ、母の怒りは益々募つて、詮方なしに結婚すると間もなく母は此世を去つて行つた、夫は其後非常な不身持で、自家の藝妓と關係し、千惠さんを苦るしめ果ては何處へか行つてしまふ、他の藝妓達も千惠さん一人だけなのを侮つてか或は自由廢業するとか、又は遁(に)げ失せて、さしもの▲▲家も遂にみじめな終りを告げることになつた。

『貴方が東京に入仰有(いらっしゃ)るものですから、どれほど廣くともお目にかゝれる事もあるだらうと、東京へ參りましたが、その晩上野の廣小路でスリに罹つてお金をすつかりなくし、どうとも仕様もないので一層(いっそ)藝者にでもならうと致しました』

聞くこと皆驚きの種である。

『ところが其の頼んだ周旋屋が惡るもので、甘(うま)く僞(いつ)はられてこの家へ賣られて參りました。』

私はもうそれ以上を聞きたくない、千惠さんに対して余りに残酷な話である、それ、このやつれた姿を見、その青ざめて色氣のない顔を見ては・・・・。(p.93-104)
尾崎紅葉的というのか新派芝居的というのか、ともかくも一大大正ローマンスである。こんな話を聞いて涙で袖を濡らさないものがあろうか。この薄倖のヒロイン千惠さんへ向けた著者の言葉は以下の通り。


『千惠さん、運命です、諦めるより他ありません』

私はかう慰めるより他に途はなかつた。(中略)

 私は其翌(あ)くる日、友を訪づねるとスグ東京へ歸(かえ)つてしまつた、千惠さんに逢はずに、それ以來また再び逢ふ機會もないが、時々寄越す音信には、只無事だとのみ書いてある、憫(あはれ)なる女、私は彼女に幸多かれと祈つて居る。 (p.104-105)
うぉーい!君君、「運命です、諦めるより他ありません」って、そんなんありか?普通、ここは陰にまわってこっそり金を出して身請けするなり、二人一緒に駆け落ちしたりするところちゃうんか?東京に出てきたのにはあんたの責任も多少なりともあんねんから。今更「幸多かれと祈」られても、何の解決にもならんだろうが。

結局、この本を読んでの結論は、「東京は危なくて行ってはいけないところかもしれないが、それ以上に地方支局に左遷させられた若僧新聞記者のほうが危険であり、近寄ってはイケナイ」という事であった。

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