ニセ首相の顔経済諸制度の抜本的改革について

経済諸制度の抜本的改革について


 米国の経済情勢好転や株式の空売り規制などの対策により、2002年3月29日の日経平均株価(225種)は、1万1000円台を維持することができました。これにより、巷間でささやかれていた金融システムのいわゆる「3月危機」はなんとか回避できたものと見込まれます。金融関係者、そして国民の皆様のご協力とご支援の賜物と、厚く感謝を申し上げる次第であります。

 しかし、我が国の経済情勢はまだ楽観を許すものではありません。総務省が3月29日発表した2001年度平均の東京都区部の消費者物価指数(2000年=100)は、98.6と前年度に比べ1.1%の下落で、現在の統計方式となった1971年度以降最大の下げ幅でした。また、3年連続しての指数下落は初めてのことです。今年度についても、このデフレ傾向に歯止めはかかってはいません。米国やEU諸国が、我が国に対して一層の内需拡大による景気回復を強く求めているのも、日本がデフレスパイラルの魔手に落ちる可能性は完全には払拭されていないと見られている証でありましょう。バブル経済の崩壊以降、内需の拡大、特に個人消費の拡大を促す政策が模索されてきましたが、未だにこれといった決定策は見つけられていません。

 元々、日本は個人の貯蓄志向が米国などに比して高い国でした。戦後の経済復興にあたっては、この志向はプラスに働きました。個人個人の貯蓄は企業の資金需要を支えてきたのです。しかし、第二次大戦後の世界で、初めてのデフレ局面をむかえつつある我が国において、この貯蓄志向は致命的といってもいいダメージを経済に与えています。ただでさえ高い貯蓄志向が、将来に対する不安によってさらにかき立てられて個人消費が低迷し、個人消費の低迷が企業の収益に悪影響を与え、企業の収益の悪化が労働者の将来に対する不安をさらに高め、個人消費が抑制されて貯蓄に向かい、消費の低迷から企業の収益がさらに悪化するという悪循環が起きているのです。P.Samuelsonが、自著「Economics」で掲げた「合成の誤謬(fallacy of composition)」という有名なテーゼ(個々の合理的判断の積み重ねが必ずしも全体の合理的判断と一致しないことを、個人の貯蓄志向と経済全体の動向の齟齬を基に説明するテーゼ)がありますが、まさにこのテーゼそのままの情況に陥っているのです。

 ともかくも、この悪循環を断ち切る工夫が必要なのでありますが、上の「合成の誤謬」でも述べたように、個別の局面の判断においては合理的であるだけに、断ち切ることが困難なのです。新たな対策のためには、「貯蓄を志向する心」のなかにもっと立ち入ってよく観察する必要がありそうです。特に、「将来に対する不安」の本当の意味を省察しなければなりません。

 こういった中、注目されてきている政策があります。2002年03月21日経済財政諮問会議は、今年の最重要課題の一つである税制改革の中で、贈与税を相続税と一本化することによって生前贈与の負担軽減を実現することを検討課題としました。この政策は、我が国において高齢者の貯蓄率が極めて高いことに注目したもので、これまでの税制において、生前贈与に対する税率の高さのため、高齢者の貯蓄が贈与されずに、言わば「死蔵」の状態にされているのではないか、という疑念から出発しています。生前贈与の負担を軽減すれば、この「死蔵」分の貯蓄が若年層に贈与されて、個人消費に回るのではないかという算段であります。

 しかし、この政策によっても思惑通りに生前贈与が進むかどうかに対しては大きな疑問があります。高齢者の貯蓄率については、日本銀行調査月報に、「90年代入り後も日本の家計貯蓄率はなぜ高いのか?」という記事がありますが、この記事によると、「自らの貯蓄を遺産として子孫に積極的に残したいという人の割合は、60歳代、70歳以上とも6%に過ぎない。」とのことでありますから、生前贈与の負担軽減をしても「死蔵」貯蓄が大きく動くことはないと言わざるを得ません。その意味では、この政策も内需拡大の決定策とは成り得ないとは思われます。が、上に述べた「将来に対する不安の意味を省察する」とい観点からは、高齢者の貯蓄率に注目するという事自体に一つの意義があると思います。何故ならば、高齢者の中にこそ、「将来の不安」が顕在化しているからです。

 先の「90年代入り後も日本の家計貯蓄率はなぜ高いのか?」を更に引用してみます。

平均余命の長期化が進む中で、高齢者は、自らが要介護となる可能性を含め、高齢化に伴って増加する様々な負担等に対する不安を強め、このことが、貯蓄を増やす、ないしは、少なくとも取り崩さない行動につながっていると考えられる。
これを言い換えれば、平均余命の長期化にともなう、必要十分な貯蓄量の量りがたさが、「将来の不安」となって貯蓄志向を異常なまでに高めているわけです。ここで誤ってならないのは、人々が不安を感じているのは「長生きすること」自体なのではない、という点です。そうではなくて、「どれだけの期間生きるのかが分からない」という事に不安を抱いているのです。

 サラリーマンを例にとるならば、60歳で定年をむかえるとして、70歳まで生きる人と100歳まで生きる人で、30年もの違いがあります。仮にあらゆる人が80歳まで生きると決まっているならば、人々はその年数の生活に見合っただけの貯蓄をすることでしょう。しかし、現実には80歳よりも長生きする人もいれば80歳まで生きられない人もいます。サラリーマンが定年退職時に将来の生活設計を考えて必要な生活費を見積もるにしても、年数の不確定要素がかくの如く大きすぎますから、とりあえずは平均的な余命以上の年数の生活を前提として「貯蓄を増やす、ないしは、少なくとも取り崩さない行動」を採ろうとするのも当然であります。しかし、この合理的な判断が日本の経済全体に対して悪影響を及ぼしているのは先に見た通りなのです。

 では、どうすれば「将来の不安」を軽減することができるのか。ここは、科学の力を借りなければなりません。ここ数年で、遺伝子研究の分野で生物の寿命に関わる成果が上がってきています。現在では、まだ種のレベルでの最大寿命の算出にとどまっていますが、近い将来個人個人の最大寿命を遺伝子の検査によって算出できるようになる筈です。現在国立長寿医療研究センターを中心に、この研究が進められておりますが、この研究の成果を活用することを前提に高齢化の進展とともに軋みが生じてきている年金制度の抜本的改革をも含めた革新的な政策を立案いたしました。詳細は以下の通りです。


  1. 成人に対して、年1回の余命検査を義務づける。

  2. 余命検査は、遺伝子検査と各臓器の診断等によって個人の余命を検査することをいう。

  3. 余命検査は、国立長寿医療研究センターの統括のもと、各保健所にて行う。

  4. 余命が不明であることを前提として成立していた掛金制の国民年金は、これを廃止する。

  5. 廃止する国民年金の代替として、国は社会保険庁が管轄する「国民手当制度」を発足させる。

  6. 余命検査による死亡予定年の10年前から死亡予定年まで、国は該当者に対し歳出区分「社会保障関係費」から国民手当を支給するものとする。

  7. 余命検査の結果は、被検者と社会保険庁にのみ通達することとする。個人情報保護の観点から、それ以外の他者には一切公表しない。

  8. 余命検査結果から算定された寿命を越えて生存した場合、国民手当は打ちきられるが、希望者はすべて国立長寿医療研究センターにおける寿命算定研究の為の検体としてセンター非常勤職員となることができるものとする。
各個人が、自らの余命を知ればどうなるでしょうか。上で引用した日本銀行調査月報の記事によれば、我が国においては遺産を子孫に残そうという人の割合も、親の遺産に期待する人の割合も低いということですから、一般的な貯蓄志向は「死亡時に貯蓄の残高がプラスマイナスゼロをめざす」ことを目標としていると想定されます。ところが、現在のところ、将来の生活設計において、「年数」という不確定要素が大きい為に、過剰な貯蓄が生じていた訳です。とすれば、各個人が自らの余命を知れば、将来の生活設計における不確定要素が大きく減少しますから過剰な貯蓄は減少する筈です。

 上述の「合成の誤謬」では、個人による貯蓄志向という合理的な判断が、経済全体に悪影響を及ぼし、ひいては貯蓄自体の意味を損なってしまうことが問題とされていましたが、我々は、精確な余命を明確にすることで、この過剰な貯蓄志向に歯止めをかけて、いわゆるデフレスパイラルをくい止めようと考えています。

 かつて、経済学者のケインズは、「長い目で見れば我々は全て死んでいる(In the long run we are all dead.)」という有名な言葉を残しました(John Maynard Keynes, A tract on Monetary Reform (New York : Cambridge University Press for the Royal Economic Society, 1971. Note:First published in 1923), p.65)。これは、当時の新古典派経済学が、市場の自動調整機能の万能さを説明する際に「長い目でみれば(In the long run)」という言葉を多用していたのに対して、「長い目」で見れば自然に解決される問題であろうとも、その問題に苦しんでいる実際の人間にはそれは解決でも何でもない、という反論の為の警句だったのです。机上の理論に対して、人間の実生活を問いかけた言葉と言えるでしょう。そして、我々は、このケインズの言葉に対して、「『長い目』とは一体どれくらいなのか?」とさらに問いかけようとしています。これは、人間の経済活動を根元的に変革し得る真にラディカルな問いかけなのです。

 デフレスパイラルを防ぎ、かつ高齢化社会に対応した社会を作るこの改革に、国民の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。


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