ニセ首相の顔イラク戦争後の軍事バランス問題について

イラク戦争後の軍事バランス問題について


 2003年4月9日、バグダッドの陥落をもってフセイン政権は事実上崩壊しました。米軍は3月20日の攻撃開始以来たった20日ほどで一国の統治機能を壊滅させてしまったのです。欧州と米国との離反や、国際連合の威光の陰りなど、このイラク戦争では様々な世界史的な事象を引き起こしましたが、その中でも最も大きなインパクトを与えたのは、世界を震撼させた圧倒的な米軍の戦闘能力と、それを支えた兵器の進化でありましょう。

 現在のところ、この軍事力の問題は米国一国の軍事力の突出に対する懸念という形でのみ顕在化しているようですが、近年の兵器の進化の様相を見るに、それだけでは済まない点が隠されているように思われます。第二次世界大戦終了時にも、枢軸国側を物量で圧倒し、原子爆弾という究極の兵器を開発した米国の一人天下が予想されていましたが、現実にはソ連という対抗勢力が現れ、米ソの対立する冷戦体制に突入しました。この米国の一人勝ち状態を終わらせた最大の要因は、なんといってもソ連がいち早く核兵器を完成させたという点にあるといえるでしょう。1949年8月29日ソ連は原爆実験に成功し、アメリカによる核兵器独占は終結してしまったのです。

 イラクにおける戦争が終結した現在、かつての原爆がそう思われたように、経済的・技術的な面から先進的なハイテク兵器は米国のみが所有することが可能であると一般的に信じられています。確かにコンピュータ技術・電子制御技術などハイテク兵器の前提となる技術の掌握、そして他国を圧倒する莫大な軍事予算を見れば、これは疑う余地のないもののように思われます。しかし、現在のハイテク兵器がどのような背景の中で生まれ、何を目指しているのかを考えた時に、この独占も永劫に続くものではないことが明らかになるでしょう。

 まずはハイテク兵器に先立って20世紀を支配した核兵器について考えてみましょう。次の文をご覧下さい。

「待ってくれ」私はあわてて彼にいった。「ミサイルの発射台はどこにあるんだ。セットで売ってくれるんじゃなかったのか」
「発射台は部落で作ったらいいだろう。最近のミサイルは軽量化しているから、材木だけで簡単に作れるよ。とにかくこのミサイルは、どこかへ立てかけておいて尻に花火を仕掛けたらそのまま飛んで行くように作ってあるんだから。しかし」彼は少し考えてから、にやりと笑った。「発射装置というのは、ほんとはナンセンスだぜ」
「どうして」
「どこへ向けて発射するつもりかは知らんが、爆発地点には関係なく、このミサイルがいったん爆発したが最後、人類のすべては滅亡するんだからね」
(筒井康隆『アフリカの爆弾』<「筒井康隆全集第五巻 アルファルファ作戦・アフリカの爆弾」, 東京:新潮社, 1983 注: 初出「オール讀物」昭和四十三年三月号>p.259)
とあるアフリカの小国の核ミサイル(一発で地球を滅亡させる威力がある)購入騒動に巻き込まれた駐在営業マンの姿を描く傑作「アフリカの爆弾」からの引用です。現実には、一発の爆発で人類を滅亡させるほどの核弾頭は作られませんでしたが、一兵器の攻撃力を極限まで高めようとする核兵器の本質が現れている文と言えるでしょう。核兵器開発初期の第二次世界大戦中の段階では、枢軸側がまだ開発していない攻撃力のより高い武器を作り出して戦局を連合国側に有利にしようという、核兵器登場以前の兵器開発と同様の意図があった筈です。しかし、その後の冷戦構造下でソ連が核兵器開発に成功すると、いわゆるMAD(Mutual Assured Destruction:相互確証破壊戦略・・・相手の核兵器による第一撃を受けてもそれに対する報復核攻撃が可能であり、逆にこちらが先制核攻撃を相手に加えてもそれに対する報復核攻撃を受けるという状況を作って互いに核攻撃が不可能な状態とする戦略)の下、核兵器は「絶対に使用できないが、常に生産・整備をしておかなければならない兵器」と変質していきます。

「アフリカの爆弾」にあるような、一発の爆発で人類を滅亡させるほどの核弾頭は、先ほども書いたように実際には作られませんでした。しかし、MAD戦略の下では、一発でも核兵器が使用されればそれを引き金として米ソ大国の互いの核兵器が連鎖的に作動する恐怖のシステムが作り上げられていたのですから、実質上は「爆発地点には関係なく、このミサイルがいったん爆発したが最後、人類のすべては滅亡する」に近い状態が実現されていたと言えるでしょう。引き金となる核兵器による第一撃が、ホワイトハウスもしくはクレムリン宮殿に命中しようが、ネバダ砂漠もしくはシベリアに落ちようが報復攻撃を受ける可能性があまり変わらないのであれば、ミサイルや爆弾の精度は大した問題ではないからです。

 MADについて最も驚くべき点は、この「MAD」という略称の通り狂気の沙汰としか思えない恐怖の戦略が、かなり有効に機能したというところにあります。MAD体制が確立された1960年代以来、米ソの直接の全面対決は起こりませんでした。核兵器の極大化された殺傷能力が奇妙な世界平和をもたらしていたのです。米ソという2つの超大国は、互いの国民すべてをそれぞれ人質と見なすことでぎりぎりの平和を保っていました。MADとは史上かつてなかった程の殺傷能力を持つ核兵器を手にしてしまった人類が、この究極の兵器をなんとか手なずけようとして編み出した悲壮かつ滑稽な知恵だったとも言えるかもしれません。

 MAD戦略の下、核兵器による超大国の直接対決はないものの、一方で朝鮮戦争・ベトナム戦争のような通常兵器による局地代理戦争が勃発しました。これらの地域紛争では、超大国といえども苦戦が続き、ベトナム戦争では米国が、アフガン紛争ではソ連が大きな打撃を受けました。敵のゲリラ戦術の前に、戦いの終結の展望は見えず、いたずら死傷する兵士の数が増大していったのです。結局、戦費の負担増や死傷者の増大、また戦場の残虐さを伝える報道などもあいまって、世論の反発が高まり、超大国は撤退していきました。ハイテク兵器の開発は、この通常兵器による局地戦の敗退という苦い経験から生まれたものなのです。

 では、敗走への反省から生み出された武器開発の根本思想とはいったいどのようなものでしょうか。端的に言ってしまえば、「攻撃者の安全を守ることを第一義とする」というものです。この考えは、とにかく殺傷能力を極大化して敵味方の区別なく破壊してしまおうとする核兵器の設計思想とは大きく異なっています。湾岸戦争からイラク戦争まで、米国のハイテク兵器は大きな役割を果たしましたが、巡航ミサイル、スマート爆弾、装甲技術の改良や、ステルス技術といった新開発のテクノロジーの傾向を見れば、何よりもまず攻撃者の安全性を高めることを主眼として兵器の設計がなされていることは明らかです。この安全性重視の姿勢は、物理的な損害による純粋な軍事面でのダメージそれ自体というよりも、ベトナム戦争時の米国に見られたような、人的損害による国民全体の厭戦感の蔓延とそれによって世論が一気に戦争反対へと流れることへの恐怖に根ざしているように思われます。こうして見れば、ハイテク兵器とは、ただ単に最新科学技術を用いた兵器というよりも、まず攻撃側の人員の安全を守るという目的があって、その目的の達成の為に様々なハイテクを用いていると考える方が、より実態に即しているものと思われます。

 攻撃力の極大化を目指す20世紀の潮流から生まれたの流れから出た究極の兵器が核兵器とするならば、攻撃側の安全を重視する21世紀の究極の兵器は一体何でしょうか。恐らくそれは「無人攻撃兵器」ではないでしょうか。無人攻撃兵器であれば、たとえどれだけ敵の攻撃を受けても人的被害を被ることはありません。なにしろ、兵器自体が攻撃によって破壊されたとしても兵士がダメージを被ることはないのですから。これは、どれだけステルス技術が高まろうと装甲技術が高まろうと有人兵器にはあり得ないメリットです。


無人攻撃機「PREDATOR」

 今回のイラク戦争では、米軍は10種以上の無人攻撃機(UCAV : Unmanned Combat Aerial Vehicle)を使用したと伝えられています。米軍の無人攻撃機は、1999年のコソボ空爆で初めて実戦に参加した「PREDATOR」を嚆矢として様々な機種が開発されました。初期においては主に偵察用途で使用されてきましたが、アフガニスタンでの対タリバン戦争では偵察だけでなく地上攻撃にも用いられ、イラク戦争においても対地攻撃に大きな役割を果たしたと考えられています。このような遠隔操縦によって地上にいるパイロットによって操作される無人攻撃機は、自軍兵士を危険にさらすことはありません。巡航ミサイルによる地上攻撃においても似たような安全性を確保できますが、巡航ミサイルの場合、あらかじめインプットされた経路に沿っての目標攻撃しか出来ません。一方、遠隔操縦された無人攻撃機では、哨戒飛行を行いつつ発見した敵目標に対して攻撃を行うなど、より柔軟な作戦行動を行うことが可能です。米軍では、アフガン戦争・イラク戦争で有効性が確認されたとして無人攻撃機開発をさらに推し進めようとしています。

 現在のところ、無人攻撃兵器を頂点とするハイテク兵器は米国の独壇場と思われています。前述しましたが、イラク戦争後の世界で米国の圧倒的な軍事力が外交上の一つの焦点とされている点を鑑みても、この懸念が裏付けられているように思われます。しかし、無人攻撃兵器のコンセプト自体はそれほど古いものではなく、また、それほどの技術を要するものではありません。確かに現在の米軍のPREDATOR等のUCAVは様々なハイテク技術の塊ですが、無人攻撃兵器の最小限のコンセプトは、端的に言ってしまえばラジコンの航空機模型や戦車模型の技術で実現できてしまいます。現に、第二次大戦中ドイツ軍はGoriathという有線遠隔操縦の火薬運搬車両を生産し、施設や地雷原の破壊を行っていました。また、全世界的なIT化の進行により、現在は軍事機密として米軍が独占しているようなコンピュータ技術も、民生用の技術として世界中に広がっていくのにそれほど時間がかかるとも思えません。とすれば、兵器としての優秀さの面では米軍のものとは比較にならないものかもしれませんが、無人攻撃兵器が米国以外の国に登場するのは時間の問題でありましょう。つまり、遅かれ早かれ無人攻撃兵器の米国独占は破られるに違いないのです。無人攻撃兵器よりも技術面でハードルが高かったと思われる核兵器でさえも米国独占が永続しなかった過去をみれば、これは首肯できる筈です。

 では、この無人攻撃兵器の世界的な普及にともなってどのようなことが想定されるのでしょうか。これは、ハイテク兵器装備で世界に先駆ける米国の動静が参考になると思われます。苦渋に満ちたベトナム戦争の後、しばらくは大きな軍事的な行動を押さえていた米国でしたが、1990-1991年の湾岸戦争・2001年のアフガン戦争で圧倒的な勝利を得ました。軍事面での勝利だけでなく、短期終結と自軍兵士の損傷の少なさでベトナム戦争時のような厭戦感を抑え世論の圧倒的な支持を獲得に成功したのです。この結果には、軍のマスコミ対策や、分かりやすい大義名分(クェートを占領したイラクや、悲惨な同時多発テロを引き起こしたビンラーディンを攻撃対象とすること)も影響はしているでしょうが、派遣されたほとんどの兵士が生きて帰国できたことが最も大きな要因だったと言えるでしょう。つまり、攻撃者の安全性を第一義とするハイテク兵器がその本領を発揮した結果だったのです。そして、引き続くイラク戦争では、湾岸戦争・アフガン戦争に比してあまり分かりやすいとはいえない大義名分(イラクが大量破壊兵器を密かに隠し持っているという疑惑等)に対しても米国民はあまり大きな疑問を示しませんでした。これは、ベトナム戦争当時では考えられないことです。やはり、イラク戦争に先立つ二つの大きな戦闘で米軍の損害が予想以上に小さかったことがこの世論の動きに大きな影響を与えているものと思われます。もしアフガンの戦闘での米軍の被害が甚大なものであったならば、イラクでの作戦を危ぶむ声はもっと大きかったであろうと想像されるからです。

 こうして見ると、無人攻撃兵器は核兵器を使用しない通常兵器による戦争行為を助長するのではないかとの懸念が生じます。特に世論の動向によって政治が左右される民主国家においては、無人攻撃兵器を所有した場合には所有していない状態に比べて戦争に対するハードルが低くなると予想することができます。また、世論をそれほど考慮する必要のない好戦的な独裁国家においても、戦争遂行に関して兵士の補充について頭を痛める必要がなく、ただ無人攻撃兵器を購入する費用さえ用意できればよいとなると、やはり民主国家の場合同様これまでよりも容易に戦争を引き起こす可能性が高まると予想できるでしょう。

 敵味方の別無くとにかく全てを焼き尽くし破壊しつくしてしまおうとする核兵器が危ういバランスの上とはいえ平和をもたらしたのに対して、敵方への攻撃はさておいて少なくとも攻撃者の安全を守ろうとするという点では核兵器に比してある意味人道的な兵器とも言えるハイテク兵器が、逆に戦争勃発の可能性を高める効果を秘めている事に歴史の皮肉を感じてしまうのは私だけでしょうか。

 また、無人攻撃兵器が国と国との戦闘だけでなく、一国内の治安維持活動にも用いられ得ることを考えると、さらなる懸念が生じます。たとえば、独裁国家に無人攻撃兵器が採用され、この兵器が自国民に向けられた場合、どうなるのか。これまでも、様々な暴虐な独裁者が歴史上の存在してきました。しかし、いかに民衆の意志を踏みにじり傍若無人に統治していた独裁者と言えども、唯一国内にその動静を気にしなければならない集団がありました。それは、軍隊です。軍部全体を掌握しないことには、国内治安を維持することができないからです。しかし、無人攻撃兵器が発達しそれを利用して極めて少ない人員で一国の治安を維持できるようになれば、独裁者は軍部全体の意向すら気にせずに国を統治できるようになるでしょう。つまり、歴史上の独裁者が皆望んでいたであろう、本当の意味での絶対的な権力を手にいれることができるのです。これを恐怖と言わずに何と言いましょうか。

 こう見てくると、無人攻撃兵器が普及する前、まだ問題が顕在化する前に、無人攻撃兵器に対する国際的な規制の枠組みを定めることが必要であることがご理解いただけると思います。我が国が、この規制の制定に関して先導的な役割を果たすことは、間違いなく国際平和実現の為の大きな貢献なのです。

 では、どのように規制の枠組みを定めるのか。理想的には、無人攻撃兵器を全面的に撤廃できればよいのでしょうが、既にこの兵器を開発して所有している国・米国が存在する以上、これは現実的には難しい方策です。いたずらに理想論を振りかざして国際的な規制が全く行えないような状態にまで至ってしまうのは避けたいところです。規制の大枠として我々が最初に想定したのは次のようなものです。 漸進的な規制強化を目指して、3つのフェーズを置く点については特に説明は不要でしょう。兵器保有数の目安として人口を使う点について補足します。独裁国家が兵士の補充について悩むことなく戦争が可能になる、と上述しましたが、これについて具体例をあげて考えてみましょう。ここに人口100万の小国を想定してみましょう。この国は、人口は少なくとも稀少金属(たとえば金)が豊富にとれる鉱山があって財政には余裕があるとします。この場合、豊富な資金力を生かして無人攻撃兵器を保有すればかなりの軍事大国になれることになります。かつての中世の都市国家では、傭兵を雇って他国へ戦争を仕掛ける、といった事が行われていましたが、それと同じように無人攻撃兵器を使用することで人口が少ない国であっても、金の力で戦争を起こす事が可能になる訳です。これは世界の軍事バランスの観点からは好ましいものではありません。何らかの形で人口(つまり潜在的に兵士に成り得る人材の数)に比例した保有上限数を定める事が必要となるでしょう。

それでは、我々の提案する無人攻撃兵器軍縮の各フェーズを順に紹介していきましょう。

無人攻撃兵器規制 フェイズ1
これは無人攻撃兵器規制の最初の一歩です。規制の実現の為に、あまり細かい点にはこだわらず、分かりやすい条件を示すように腐心しました。

 保有上限数についてですが、ここでは人口と同一にするように考えています。まず一国の人口全員が潜在的な兵士と成り得るものとし、次に一兵士の能力を一無人攻撃兵器の能力と想定して、それぞれの国が限度一杯に無人攻撃兵器開発・保有しても軍事バランスが大きく崩れないことを第一に考えました。厳密に考えると生身の兵士一人に対して無人攻撃機の能力係数が同等の一でよいのか等、難しい問題が生じてしまいますが、我々は議論が袋小路に入るのを防ぐためにとりあえず兵士一能力に対して無人攻撃兵器一能力とすることにしたのです。

 また、戦時の無人攻撃兵器の生産・保有禁止条項ですが、戦争状態になった場合に敵の攻撃による損傷を補い続けることで、無人攻撃兵器の延べ保有数が増え、結果として規制の目的の一つである「軍事バランスの保持」が崩れることを防ぐためのものです。この条項はまた、第一次世界大戦やイラン・イラク戦争のような消耗戦が、無人攻撃兵器の増産によって長期化が助長される事を防ぐ効果が期待されます。

 フェイズ1では、一兵士の能力を一無人攻撃兵器の能力と想定しましたが、この想定がフェイズ2ではさらに推し進められます。

無人攻撃兵器規制 フェイズ2
フェイズ2では、「一無人攻撃兵器 = 一兵士(国民)」の結びつきがさらに強められます。ある無人攻撃兵器が壊れてしまった場合には、登録名義であった一人の兵士が死亡してしまったものと考えますから、その名義の人物が実際には生存していたとしても無人攻撃兵器登録名義としては使えません。逆に、登録名義の人物が実際に死亡してしまった場合には、その兵器はまだ登録名義として使われていない人物によって登録されるまでは兵器として使用できません。

また、国が兵器を用いるにあたって登録名義の人物の許可を必要としていますが、これは「良心的徴兵拒否」の権利を無人攻撃兵器にまで拡張するものです。この条項は国家による対外戦争の抑止もさることながら、国内の治安維持活動に関して無人攻撃兵器が濫用されることを防ぐ意義があります。

 ここまでは主に、フェイズ2における兵器の濫用を防ぐ手立てを考えてきましたが、「一無人攻撃兵器 = 一兵士(国民)」の原理をうまく活用して国家の防衛のために国民の力を借りる方法も考えられるでしょう。たとえば、無人攻撃兵器が戦闘で活躍したら登録名義の人物が勲章・年金をもらえる、などの工夫です。こういったインセンティブを設けた上で、無人攻撃兵器登録の際に兵器の装備のオプションを設定し、希望する登録者には有料で選択できるようにすれば、国家防衛により大きな役割を果たしたいと思う人々が、兵器に対してより大きい金額の支出を成すようになるでしょう。これによって、国民全体にとってより納得のいく軍事費負担が実現されるはずです。
(参考:無人攻撃兵器のオプション申込みページへ)

また、自分名義で登録された無人攻撃兵器に自分好みのペインティングや飾り付けなどをすることによって、国民と兵器との精神的な結びつきが強まり、これまでどこか他人まかせであった自国の防衛についても国民の間で真剣な論議がなされるきっかけになるかもしれません。

(無人攻撃兵器の飾り付けの例。素材は米軍機「PREDATOR」)



 最後に、最終段階であるフェイズ3の紹介です。

無人攻撃兵器規制 フェイズ3
「敵方への攻撃はさておいて少なくとも攻撃者の安全を守ろうとするという点では核兵器に比してある意味人道的な兵器」と、一片の皮肉をこめて上述しましたが、この無人攻撃兵器の「人道性」をできる限り生かすことで戦死者を無くそう、というのがフェイズ3の原理です。この方法では戦争自体はなくならないかもしれません。いや逆に生身の人間が傷を受けることがないと分かれば、勃発する戦争の数は増えてしまう可能性が高いでしょう。しかし少なくとも戦闘による死傷者は激減するに違いありません。核兵器の登場によってMADという危険と隣り合わせの戦争抑制法が生じたように、我々は無人攻撃兵器という恐るべき機械の登場とともに戦争の可能性は高めつつも死傷者を減少させるというぎりぎりの人命保護の戦略を確立すべき時に至ったのです。我々はこの21世紀の平和のパラダイムを先導すべく、上記の3つの規制フェーズ実現をねばり強く国際社会に向けて訴えかけていく覚悟であります。

 人類を破滅から救う新しい平和維持制度の確立に向けて、国民の皆様のご理解と御協力をお願いいたします。



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