序言

世人動もすれば、獄裡の人を視ること異人種の如く、之を自己と相比較して、全く其の人格と異にし、其の性情を同ふせざる者なるやに速了するの傾なきにあらず。然れとも是畢竟犯罪者の如何なる階級より産出せられ、又如何なる事情の下に犯罪に陥らしめられしかの原因を研究せざるの致す所なり。故に若し一たび此に其の思を凝さは、罪囚に對して、獨り其の自我を標置するの權利なきのみならず、彼れと我れとは神の前に、若くは純正道徳の前に、殆ど何等差別なきの理を悟了することを得べし。モンチエー曰く吾人人類は、一として其の腦裏に睡れる犯罪者を宿ささるはなし、人に依て睡りの程度に深淺の區別あるべしと雖も、若し強き外部の刺激に接するときは、多くの人は即ち其の睡りより覺醒せしめられて、此に犯罪者たる不幸の境遇に陷らしめられざるを得ずと。吾人の幸にして罪人たらざる所以のもの、葢し強き外部の刺激に接する所なきに由るのなりと知らば、今日の犯罪者は明日の吾人にして、今日の吾人は明日の犯罪者は、總べて今日の吾人なり。吾人、豈に今日の獄裡に呻吟せる薄運兒に對して、之を異人視するの權利あらんや。況んや之を凌辱し若くは之を侮蔑せんと欲するに於てをや。其の罪を惡んで其の人を憎まず。吾人は寧ろ吾人の失へる同胞即ち獄裡の總べての人に對して、一片の同情を寄輿すべき義務ありと言ふの適當なるを信ず。

 人の心は常に境遇に依つて變化を生ず。罪囚の心も亦境遇の支配する所となるを免かれざるは自然の理なり。試みに惡漢無頼の徒として、世人より指彈せられし所の者に就て之を見んか。自由界に於ける彼れの擧動は、恰も是惡魔の如く、羅刹の如く、神を蔑みし、法を侮り、風儀道徳毫も顧みる所なく、至大なる國家の權力の恐るべきを知らず、況んや父兄師傳の威嚴をや。郷黨に疎んぜられ、妻子路頭に迷ふも、毫も其の感情を動かすに足らず、殆んど社會の總べてを敵として之と鬪ふの勇膽豪氣ありしにも拘らず、一たび監獄に入り、鐵窓の下、寂寥孤獨の境遇に其の身を處するや、一變して忽ち猫の如く、又羊の如く、飽迄小膽となり、又飽迄從順となり、深く失望に沈み、又憂鬱に煩悶す。然り而して煩悶の前途に光明あり、自省追悔の念、茲に萌し、久く忘れたる慈親を懷ひ、長く音信を絶ちし昆弟を慕ひ、又路頭に迷へる妻子の悲況を想ふて、切に己の罪惡の深きを悟る。彼れは嘗て法廷の神聖をも顧みず、あらゆる詭辯を弄して、法官、辯護人其他の人人を瞞着せんと試むるの勇氣ありしも、今は即ち彼れの總べてを献げて、彼れ自身の良心の前に裁判を委ねざるを得ざるが爲に、最早一言半句の虚僞も彼れの舌頭に上るを得るに由なし。境遇益〃靜寂にして、良心の聲は愈〃分明なり。之を聽取ること益〃明らかにして、愈〃其の悔恨の情を切實ならしめられざるを得ず。是余輩監獄當局者の實際に經驗する所にして、惡漢無頼目に一丁字なく、耳に倫理道徳の片聲だも聽くことなかりし者にして、仍且つ斯の如し、況んや多少の教育あり、信念あり、若くは相當の身分を有し、殊に偶發犯罪者として、初めて獄に繋がれ、四面闇黒、深き沈默を以て鎖され、至寂の別天地に勾禁せられたるものに於てをや。其の心的の變化推して知るべし。於是乎、始めて人性の至眞を見るべく、其の告白する所、又一點の虚僞なかるべきなり。

 斯學の大家ベルネル曰く殺人犯罪者を目して、一概に改良の望なしとは謂ふべからず、實際に於て寧ろ改良の望ある者は此種類の犯罪者に多し、物極まれば即ち通ず、極罪を犯したる後の瞬間は却て是れ遷善に心を傾くる動機の生ずる時にあらざるなきを得んや、死刑と改良主義とは、絶對に氷炭相容れざるものと謂ふべからず云〃と。死刑の可否は姑く言はず、極罪を犯すもの、啻に必ずしも本來の惡漢兇徒にあらざるのみならず、此種類の犯罪者に就て之を見るに、恰も驟雨一たび過ぎて一天拭ふが如き快晴あり、心中忽ち眞如本性の光を放ち、自ら其の罪惡を省みて痛恨の情に堪へず、或は進んで官に白首し、甚きは即ち刄を己れに加へて以て其の命を絶つに至るものすらあり。是又余輩當局者の常に實際に經驗する所にして最も改良の望みある者は却て極罪を犯す種類の者に多く之を見るなり。而して余は實驗上決してベルネル一家の私言にあらざるを信するものなり。

 世上の人多くは唯犯罪事實を見て犯罪人格の如何を顧みず。實際に於て社會に危險少き一時的偶發犯罪者を責むるに酷にして、之と反對なる所謂職業的犯罪者若くは慣行的犯罪者を寛容するに過ぐるの幣あるを免かれざるは何そや。目的觀念の基礎の上に成立すべき刑事制度の根本的確信を見る能はざるは畢竟之が爲めなり。而して世人をして此誤解に陷らしめたる所以のもの、應報主義を以て千古不磨の典則と認めたる古代觀念の暗示的勢力の影響に依るものなるべしと雖も、抑も又世人が自ら犯罪者の人格を研究するの機會及び材料を得ること乏しかりしに依るなきを得んや。世人若し一たび之が機會に接し、又之が材料を得るに至らば、研究の趣味亦此に生じ、犯罪者の眞相を知ることを得て、其の犯罪觀の大に過まれるものありしことを自覺するなるべし。而して世人が此を自覺するの時は、即ち健全なる刑制革新の發展を見るの機運なるべし。

 畏友花井卓藏君は、斯道に造詣する所甚だ深く、又熱心なる刑制革新の急先鋒を以て自他共に之を許す所の人なり。其の業務劇忙の身を以て、敢て本書を校閲して、之を世人に頒たんとするの決心を起されし所以のもの、其の意蓋し是を以て刑制の革新に資せんと欲するにあるなるべし。君と其の所見を同ふする者の一人として、此に本書歡迎の辭を述ぶることを得たるは、余の自ら以て深く光榮とする所なり。

  明治丙午九月
法學博士 小河滋次郎識    

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