明治三十八年十二月念一日。武林男三郎、突然獄中より書を寄せ、囑するに辯護の事を以てす。而して余は實に之を諾するに躊躇したり。曾て新聞紙に依り、豫審終結決定書を讀み、其の意思を憎み、其の行爲に驚き、衷心彼れを囘護することを欲せざりしを以てなり。然れども飜て思ふ。未だ其の人に接せず、其の記録を閲せず、豫審決定を過信するは、職として早計に失せり。且夫れ、疑獄は疑疾の如く、難件は難病に似たり。而して法律家の罪因を探らんとするは、刀圭家の病原を究めんとするに同じ、博捜審究事の眞實を法廷に得るは、寧ろ刀圭家の臨床實驗に比して、快事に屬せずや。然り而して救ふべき寃あらば之を救ひ、服すべき罪あらば之に服せしむ。豈に辯護士の本分にあらずや。

 余は如此にして、本件を受任したり。於是、其の人に接し、其の記録を讀み、研鑽之を久ふして纔に信條を發見し、遂に論陣を法廷に張り、檢事と論戰するに至れり。然れども人の解すべからずして、事の解すべからざる人各〃見る所を異にす。而して余は決して余の意見を以て肯綮に中れりと主張するものにあらず。依て曩日井關源八郎君の請を容れ、辯論速記を刊行し、江湖法曹界の批判に訴へたり。

 越えて數日、澤田撫松君余を病床に訪ひ、更に男三郎自記の書を編せむことを謀る。書は彼れが余に寄せたる豫審決定の辯解文にして、其大半は當時電報新聞紙上に載せられたる所のものなり。余曰く既に法廷の閲を經、又現に公衆の前に現はる。百僞中、一眞を探くるは法術の應用にして而して又罪囚の性格、犯罪の原因を研究する此書に若くはなし。編して世に問ふ、必ずしも不可なりとせず。然れども書中、事の官廳の祕機に渉るものあり。又往〃私人の祕事に關はるものあり。公の秩序は之を保たざるべからず、人の名譽は之を重ぜざるべからず。故に全文を網羅するは余の欲せざる所にして、又世道人心に害ありて益無し。這般の事項にして君嚴に遵守することを約せば、余は敢て君の擧を非なりとせず。而して庶幾くは刑事學研究の資料として獲易らざるの好標本たるべしと。君曰諾、責任以て事に此に從はんと。床上君の編次に閲を加へ、遂に本書を成せり。

 思ふに男三郎は無名堕落の一青年のみ。以て傳るに足らず。而も彼れの被告事件は眞に一世の一大疑獄にして、研究微に入れば入るに隨ひ、眞相捉へ難く、彼れ自身亦之と共に不可解の人と爲る。余辯護士となり、裘葛を換ふること茲に十又六。未だ曾て彼れが如きの事件を見ず、又彼れが如きの被告に接せず。憎むべくして有罪を斷ずるに足るべく、證據完備せる事實あり。疑ふべくして無罪を信ずるに足るべく、證據不充分なる事實あり。若夫情況と自白との推斷に至りては、虚々實々更に大に研究に値せるものあるを覺ふ。而して余は法律家として、刑事學の爲めに、疑獄難件を研究する、猶ほ刀圭家として病理學の爲めに疑疾難病を研究するが如く、而も彼れが世間實在の標本として、法廷に運ばれたるを憐むの情に堪えず。

 序は序なり。其事を序するなり。乃ち本書の由來を述べ責任を澤田君に讓るの意を昭にす。終りに臨み、畏友岡田博士、小河博士、登張學士の序評を辱くしたるを、深謝す。

 明治三十九年九月十二日秋雨濛々の夕、病床に於て

花井卓藏記   

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