凡例

 武林男三郎の被告事件は稀覯の疑獄なり。三個の殺人犯中、果して孰れを信とし、孰れを僞とすべきや。或は自ら犯しいたりと自白し、或は犯したることなしと供述し、人をして五里霧中に彷徨せしめたり。其一審判決に於て彼れは其自白に係る都築事件の爲めに死刑の宣告を受け、野口事件と河合事件とは犯罪の證據不充分なりとして無罪の宣告を受けたり。而も事件は茲に終局を告るに至らず。檢事は野口事件、河合事件共に男三郎の犯せるものなりとして控訴し、男三郎も亦一度認めて自白したる都築事件を自己の行爲にあらずとして控訴し、又直に之を取下げ、疑獄をして益々疑獄たらしめ、遂に事の眞相を知る能はざらしめんとせり。

 本書『獄中之告白』は、豫審終結決定書に對する男三郎の疏明書にして、獄中より數囘花井辯護士に送りしものを取纏めたるものなり。文章固より拙劣にして、讀むに堪えずと雖も、之を添削せざる所以のものは、本人の意思をありの儘に傳へんが爲めなり。唯文中官廳に對する彼れの不平と、第三者に對する人身攻撃に屬するものと、又事の風教秩序に關するものとは嚴に之を削りたり。

 原文中『被告』と稱する場合多し。讀者の便を圖りて總べて之を『私』と改めたり。欄外の頭註及び本文の目次とは、讀み易からしめんが爲め、故らに編者の加へたるものにして、固より原文にはなき所なり。

 卷頭の寫眞版は男三郎の自筆にして、之に附したる批點及び頭註バイロン云々の文字は花井氏が辯護上の覺書として朱筆せられたるものにして其儘寫取りたるものなり。

 本書は花井氏の校閲を經たるものなりと雖も、本書刊行の際、花井氏は病床にありて、筆研自由ならず。從て本書に對して、負ふべき責任は總べて編者に在り。

 本書對照の便を圖り、豫審終結決定書の全文を載せたり。決定書中、圈點を附したるは『獄中の告白』に疏明せし個所に當る。
明治三十九年九月              澤田撫松 記

『人肉事件を論ず』全体構成ページへ戻る

Industrial Rock & Roll Productions 2001
s-muraka@mail.t3.rim.or.jp