Industrial Rock & Roll Productions

電話で遊ぼう!




きっかけ

 留守番電話というのはすばらしい発明だと日々感謝している。たとえ電話が鳴ったところで必ずしも受話器を取る必要がない、というのは精神衛生上大変によろしい。なににもましてありがたいのは睡眠中に電話でおこされることがない、ということである。まあ、私の友人には真夜中にろくでもない話をするために電話でたたき起こす、などという非常識な輩はいないのだが、昼寝が大好きな私としてはたとえ昼間でも気持ちよく寝ている最中には電話ごときで邪魔はされたくないのである。留守番電話さえあれば、「留守にしているから、用件を喋れ云々」とあらかじめ吹き込んでおけば、もう電話なんぞに出る必要はない。こちらから好きな時間にかけ直せばよいのである。

 ところがである。この便利な文明の利器を貶す人達がいるのである。この手の人達には2種類あって、1つには、全く留守番電話を認めないグループがある。自分でも留守番電話を所有しておらず、電話をかけた時に留守番電話に応答されると「相手もいないのに、ぺらぺら喋れるかい」とぶちっ、電話を切ってしまう人達である。思想としては一貫しているし、気持ちもわからないではない。

 もう1つのグループは自分でも留守番電話を所有しているし、重宝しているのだが、「留守番電話」という名前にいたずらに拘泥し、その使い方にうるさい人達である。「留守番電話はあくまでも留守番電話なのであって居留守番電話ではない」ということを頑なに信じ、留守番電話で応答されても、本当に留守なのか居留守ではないのかと執拗に確かめようとするのだ。この人達を我々は「留守電教条主義者」と呼ぶ。

 確かに、「ただいま留守にしています」といっておきながら、電話の横で寝ているというのは居留守には違いないけれども、居留守を使って電話にでない時の為に「ただいま居留守にしています。ピーッという音がしたら.....」とメッセージをわざわざ吹き込む奴はいないわけで、そこはめくじらをたてないというのが大人の態度ではないのだろうか。留守電教条主義者どもは、そこいらへんの人情の機微を理解せず、「居留守ではないのか」と居丈高に人を指弾するのだ。

 この「留守電教条主義者」からの典型的な電話があった。1990年6月のことである。彼の名を生駒という。電話の内容は次の通り。

内 容
「生駒ですけど、あの、いるんなら出なさい。出ろおー。ヒューヒュー。おーい。うむ、いないようなので切る。」
留守電教条主義者からの電話を聞く・・・RA(Ver.2)

御想像の通り私はこの時とても安らかに寝ていたのだ。ところが、この懐疑的で人の迷惑を考えない教条主義者のせいで目が覚めてしまった。くそ、せっかく気持ちよく寝ていたのに。まだ半分寝ぼけている頭でぼんやりしていたある考えが頭をもたげてきた。この、留守録の生駒の声を使って遊んでやろう、と。

計 画

遊び方はきわめて単純で、以下の通り。

生駒の顔見知りに電話をかけて、この留守録メッセージを流す

 まず、留守番電話の中のミニカセットに録音されていた生駒の声をラジカセのカセットに移した。相手に電話をかけ受話器をラジカセのスピーカーに近づければ目的は達成される筈だ。

 今すぐこの生駒の声を使うと、かけられた奴が生駒に問い合わせの電話をかけた場合、「そういえばさっきそんな留守番電話を吹き込んだなあ」と思い出される可能性があるだろうから、少し時間をおいて一週間後、生駒の友人の中から一人を選び出し、電話をかけることにした。(ちなみにこの生駒の友人は現在産業ロック製作所の一員である。)

実 行

何回か電話をかけたのだが不在のようで、やっとつながったのがもう午後10時くらいだった。相手が出たのでラジカセのスピーカーに受話器を押しつけ再生を始める。ここまではうまくいっているようだ。ところがやりはじめてから気がついたのだが、受話器をスピーカーに押しつけている状態では相手の反応をほとんど聞くことができないのだ。なにかしら慌てているようなかすかな音は聞こえるのだが、正確な内容はわからない。これはまずい。ラジカセの生駒の声が終わったのでとりあえず電話は切ったのだが、全く達成感がない。おそらくは、いたずらとしてはうまくいったのだろうが、それを確かめるすべがないのだから達成感がないのは当たり前である。だいたい、いたずらというのはこっちのしかけに相手がはまってもがいているのを、自分は安全な場所にいながら鑑賞するというのが醍醐味なのであって、「きっと相手はもがいているだろうなあ」などと推量するなんていうのはちっとも楽しくない。かといって、電話をかけて「びっくりしたか?」などと尋ねるなんて子供っぽいことができるわけもない。

 なんだか、地下深い軍事基地で核ミサイルのボタンを押したような気持ちになってしばらくぼおっとしていたら、1時間程して当の生駒から電話がかかってきた。「さっきの電話はもしかしてお前のいたずらか?」とかなり慌てた様子。「えっ、何のことだ?」としらばくれたら事情を説明してくれた。部屋でテレビを見ていたら電話がかかってきて「電話が途中で切れたようだけど、何か用事か?」といきなり尋ねられたというのだ。もちろん電話なんかした覚えはないので、「電話なんかしてないぞ」というと、いや、あれは確かに生駒の声だったと言い張るからだんだん気持ち悪くなってきて、もしかして超常現象か?などと二人で恐怖におののいていたという。「どんな電話だった?」と話をしているうちにそういえばそんな留守録をいれた覚えがあるぞ、となってめでたく私のところに電話をかけてきたという次第。いやあ、やっぱりうまくいっていたんだなあ。うれしくなって、いやいや、あれは御推察通り私のしわざだよ金田一君、てな具合でめでたしめでたし。

 「その生駒のところにかかってきた「何か用事か?」という電話は聞きたかったなあ」、なんぞとしゃべっているうちに、「そうだもう一人騙すからそいつが電話をかけてきたら録音しといてくれ」「そりゃ面白いやろうやろう」と悪い相談というのは、どうもはやく決まるもんで、そのターゲットとして瀬尾といういたって気のいい奴を選びだし電話をすることになった。こんどはさっきの失敗に懲りて、私のほうの電話も通話内容を録音するようにし、瀬尾に電話した。内容は下の表の通り。

内  容

生駒瀬尾
もしもし。もしもし。
生駒ですけどおう。
あの、いるんなら出なさい。
出ろおー。ヒューヒュー。
はっ?
おーい。もしもし?
うむ、どうした?
いないようなので切るえっ?

瀬尾にかけた電話を聞く・・・RA(Ver.2),51KB)

今度は通話の内容を聞くことができ、満足できた。最後の「えっ?」という瞬間にぶちっ、と電話が切れるところなんていうのはなかなか傑作だ。しばらく待っていると生駒から電話があった。予想通り瀬尾から電話があったので録音しておいたとのこと。早速聞かしてもらった。内容は下の表の通り。

内  容

生駒瀬尾
はい生駒ですけど。もしもし、瀬尾。
おー、久しぶり今、お前電話した?
今って?いつ?15分前
15分前って、11時前?うん。
なんで?してないよ。あれ?
どうしたの?電話あって、なんかさあ、
生駒です電話下さいって
なんか流れたんだ。
ええっええっ?違う?
え、だって、知らないよ、
だって俺....

瀬尾と生駒の電話を聞く・・・RA(Ver.2),59KB)

この電話では生駒は真相を知っていてしらばくれているので、いささか不自然さは拭えない。が、それでも瀬尾の戸惑いは窺い知ることはできる。

総 括

留守録のメッセージを用いて遊ぶというのは、予想以上に楽しいことはわかった。読者のみなさんも是非実行してみていただきたい。ここで、経験からわかった実行上の注意を列記してみる。

今回の私の試みでは、留守録メッセージの吹き込み者の生駒も最終的に仲間にしたのだが、これはやはり失敗だったと思っている。というのは、最初から生駒を仲間にするのであれば別に留守録のメッセージなど使わないで、生駒が瀬尾に直接電話をかけ、好きな事を一方的にしゃべり、途中で一方的にぶちっと切ればいいだけの話なのだからだ。上に掲げた実行上の注意の最後の文の、仕掛人を自分だけに限るというのはそういう意味である。やはり、このいたずらの真骨頂はもともとの留守録のメッセージの吹き込み者と、そのテープを聞かされるもう一人の人物を同時に引っかけるというところにある。実行の後、たまたま自分とその引っかけた3人が同席したとき、「こんな不思議なことがあってね」という会話に「いやあ、これだけ科学が進んだ世の中でもそんな恐いことがあるんだなー」などと適当に相槌を打ちながら心の中で「ばあーか。それは全部俺の仕掛けじゃい」とほくそ笑む、というのがもっともエレガントな楽しみかたではないだろうか。


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Industrial Rock & Roll Productions 1996
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