リアルの条件(2)
 
バカ万歳               桜井圭介

 最近、「おバカな」という言い方がある。これは、オヤジギャグ、駄ジャレなど
今まで「寒い」と言われていたような笑いを、肯定的に見る態度のあらわれであろう。
つまり、気の利いた、計算された、「頭」で考えた笑いに対する「身体」の逆襲だ。
(無頭の)身体は愚鈍である。愚鈍だから仕方なく出てきてしまう「駄ジャレ」は、
せっぱ詰まっている。つまりそこには身体の「リアル」があるのではないか。その意味
で、某芥川賞選考委員が「言語遊戯というより最低のレベルの駄ジャレ」などと言って
町田康を理解出来ないのは、完璧ズレてる。『きれぎれ』の、壊れたオートマティッ
クから止まらなくなって(しょーもなく)連射され続ける“駄ジャレ”は、せっぱ詰ま
った身体の「ダンス」ではないか。もちろん「おバカ」は反面では、笑いのセンスの
「モラル・ハザード」とも言えるわけで、小林信彦が「恥語」と断じたのも理解できる。
たしかに、小林が引き合いに出した『オースティン・パワーズ』などは、意図的に「バ
カ」をよそおうという小賢しさばかりが鼻につく。「人間、じゃ俺今日からバカになる
から、といってなれるもんじゃない」とは宮沢章夫の名言だ。

 さて、ここはダンスの話をする場所であった。夏のダンス公演で「バカ」一等賞は、
カンパニー・マリー・シュイナール。写真を見て欲しい。これ、昆虫
の触角みたいなものが生えたエイリアンなのだな、たぶん。で、いかにもエイリアンのよ
うな「形態模写」(芸人用語!)を踊る、ただそれだけ。確かに「ダンス」として見て
かなりカッコいい、なのにそれはエイリアンの踊り、って一体? 身体も動きもきわめて
精度が高く、勤勉で、丁寧。コンセプトの「バカ」さを考えれば、それはあまりにも愚直
なのではないか。こんなおバカなことのために、己の身体を浪費・蕩尽・消尽するなんて、
理解出来ないけど「止むに止まれず」感だけはひしひし伝わってくるよ。やりたかったん
だよね、エイリアンをさ。
 あるいは“巨乳の肉襦袢を着込み、乳首に着けた房飾りを回す”などという、とんでも
なく「くだらない」ことを本気でやっちゃう「大バカ」は『薔薇の人−Roll−』の
黒沢美香。前半部分ではごくごく小さくとりとめのない所作を、いつもながらの天才
的な身体コントロールで行ない、中間部分は平均台の体操競技のように細心の注意で(ス
トリップの?)テーブル・ダンスが踊られ、ダメ押しのように件のシーンに突入するのだ
った。延々ひたすら房(のついたおっぱい)を回し続けること十数分。圧巻。
 “「サンプリング」「スクラッチ」を生身の身体で行なう”という発条トの『タイ
ムニットセーター』もアイデア自体はそれなりに「バカ度高し」であろう。だが、ここで
必要なのは、例えば優れたパントマイムの技ではないか。当然ながら、白井剛にはそうし
た技術はない。もちろんそれが完璧に出来たからといってダンスが成立するわけでもない。
正確にスクラッチを反復・再現していた人間ビデオデッキが、耐用時間を超えてしまい壊
れていくとき、そこに否応なく露呈してしまうものこそがダンスなのではないだろうか。
 ケイ・タケイの『ライト8』は「それ」を、すんでのところで取り逃がしている。“裸
で出てきて山のようにうず高く積まれた大量の衣類を全部着る”というのがコンセプト。
ところが、それを、般若心経を使ったインディアン風フォーク・ソングかけてインディア
ン踊りしながらやるから、つまり「ダンス作品」としての体裁を繕うから、白々しいもの
になる。ただ淡々とフツーに黙々と着るべきではないのか、愚直に。そして、ついには身
動き出来なくなっても、それでもまだ着ようと試みる。そうすれば、ダンスになったはず。
 では、“ただ意味もなく「あんま」をする”というパフォーマンスは面白いだろうか?
普通に考えれば、そんなもん退屈に決まってる。ところが、不覚にも笑ってしまったのだ、
オプス・エクレクトの『杜撰(ずさん)』で。これは間違いなくダンサーの身体、
とりわけ奥睦美の身体に負うところが大きい。ちょっとこれは見た人でないとわからないの
だが、きわめて特異なキャラ。そこから出てくるひとつひとつの動きは、本人がどう思って
いようと、どうしたってオカシい。何をしてもオカシい。だからわざわざオカシな仕草をす
る必要はないのだ。笑かそうと狙う必要もないのだ。こうなるとこわいものなし状態で、
「究極の不条理ギャグ」の世界だ。「オチなし」どころかすべてのコンテクストが廃棄され
たところでわけもわからず、笑ってしまう自分に驚くことになる。もっとも、この「ただ
いるだけでオカシい人」の場合、普通の人と違って何をしても演技過剰に見えやすい。それ
を計算に入れて舞台に立たなきゃいけないのだから「異能の人」もツライね。
 

(この文章は『バレエ』誌2000年11月号に掲載されたものを加筆・訂正したものです。著者に断りなく転載を禁じます。)
 


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