雲と水面

人工内耳レクチャー集

虎ノ門病院 耳鼻咽喉科
  医長 熊川 孝三先生(ご寄稿)


1.わが国における人工内耳の現況

 85年に第1例が行われた人工内耳は,94年にコクレア社製22チャンネル人工内耳に対して保険適用が認められてから患者の経済的負担は大幅に軽減され,年間の手術件数はそれ以降急速に増加した.98年には1年間で255例の手術が行われ,患者総数は99年10月までに1500人に達した.また実施施設も54施設まで増加した.

 わが国で18歳以下の小児の占める比率は約10%であり,他国で小児が30〜50%を占めるのと大きく異なっていたが,最近は小児の占める率が増加している.98年には255例中58例(22.7%)とこれまでで最も小児の占める比率が高くなった.

2.人工内耳の最近の適応基準

@成人では両側90デシベル以上、小児では100デシベル以上の高度感音難聴であること。
A補聴器の装用効果が乏しいこと。

1)言語習得後(5〜6歳以後)の失聴者

 @は98年に日本耳鼻咽喉科学会で制定された基準である.しかし90dB以上でも補聴器が有効である例は多く,実際は聴力レベルの数字よりも,Aの補聴器装用効果が問題となる.

 客観的評価を行うためにビデオテープに収録された語音検査により,聴覚のみ,読話のみ,聴覚+読話の3通りについて正答率を求める.この正答率が母音について20%未満,単音節について数%,単語について0%であり,かつ補聴器+読話でも読話単独の場合よりも正答率が上がらないこと,が示されれば補聴器装用効果がないと判断してよい.

 しかし、現在の人工内耳の成績から考えて、単語の了解が10%前後である場合には、すでに人工内耳に切り替えた方が成績が良くなることが判明している。

2)先天聾で成人した者

 すでにteenagerあるいは成人した先天聾は環境音の聴取には役立つが語音聴取能の改善が乏しい,という点から積極的に手術の対象とされていない.しかし心理学的,行動学的な効果があることは大きく評価されており,全く適応なしとは言えない.

3)先天聾の小児

 小児では手術時期が重要である.正確な聴力検査ができる年齢まで待てれば,より確実ではあるが,十分な音刺激がないままに言語獲得の臨界期(4〜5歳)を過ぎれば脳の聴覚中枢の発達に限界がある.

 欧米ではよりよい成績を求めるためには,早期に人工内耳による刺激を開始するべきだ,という方向に向かっている.その場合にも,2歳前から補聴器を装用し,聴覚を活用した聴覚口話法による言語訓練を受けていること,それでも言語の発達がきわめて悪い場合には,2歳以降少なくとも4歳までに手術を行うべきであること,この場合にも2〜3歳で手術した例は4〜5歳で手術した例よりも聴取能の発達が早いこと,が確認されている.小児の人工内耳適応に関する1995年NIHコンセンサスでも,2歳以降で聴力レベルが両側とも90dB以上,補聴器装用効果が不良なもの,とされている.

 しかしこの結論を導くためには補聴器による徹底的なfittingと聴覚訓練を行った上で,という前提が必須である.周波数圧縮変換型補聴器は人工内耳の前にもう1つの段階を作れる可能性を示している.

 3.現在の人工内耳の成績

 低年齢では成人で行う語音検査ができないので,聴性行動観察による音声・言語機能の評価でみている.これによれば2年間で補聴器が有効であった難聴児と並ぶ,あるいは追い越すほどの効果が確認されている.あと2〜3年で小児の語音検査の報告が各施設から出れば,その有用性が明らかになるものと考える. 言語習得後失聴者(術前聴力レベルは全例110dB以上)を対象とした人工内耳の聴覚のみによる評価では,正答率の平均値は,母音85%,単音節34%,単語32%であり,従来の方式よりも大幅な改善が認められた.また,これらの成績は同一検査で評価された,聴力レベル80〜85dBの補聴器装用者の聴取能に匹敵した.補聴器装用下の聴覚のみによる単語の聴取能が10%程度の例でも,人工内耳の適応について検討されてもよいであろう.

 ただし適応決定にあたっては,手術による副損傷や機器の故障の可能性,モノポラール電気メスやMRI検査が禁忌となる,などのデメリットについても十分な説明と同意が必要である.

 環境音の弁別は図2のように,ことばよりももっと容易であることがわかる.しかし楽器についてはまだ不十分である.

4.適応者数の予測

 厚生省によって平成3年11月に行われた調査によれば,6級以上の聴覚・言語障害者の総数は35万8千人で,聴覚障害者がこのうちの90%を占めていた.このうち3級以上の障害者は17万2千人で,これは人口の0.14%に相当した.人工内耳の適応条件を満たすのは,うち半数と考えられる.

5.今後の展望

人工内耳の有効性,安全性,生体との適合性については,かなり満足できる段階にあり,すでに内耳性高度難聴に対する有効な外科的治療法としての評価を得ている.すでに2000年からは耳掛け型のスピーチプロセッサが保健適用となったので,更なる利便性と成績の改善が期待される.
 


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