雲と水面

ちょっと言い話


” ちょっといい話”をご紹介しましょう。

ただでさえ育児には不安がつきもの。
それが、障害を持つお子さんとなればなおさらのこと。 ネット上で、そんな悩みが癒されたお話です。

ある母親(ひよまま)がある悩みをうちあけました。
それを読んだ先輩ママはどうこたえたでしょうか。


2000年3月27日

こんにちは、ひよままです。
娘のひよ(3歳)が人工内耳を装用しています。
さて、ひよの聾学校幼稚部入学まで、あと10日となりました。
でも、ちょっとすっきりしない気分なのです。
実は、ひよは、私の産休明けの生後57日目から保育園に通園しており、たくさんの人に囲まれスクスクと元気に育ちました。
1歳2カ月で難聴がわかってからも、言語訓練施設や聾学校に通いつつ、通園を続けていました。ひよのことを理解してくださり、そのための勉強や配慮もしていただけたので、安心してお任せすることができました。
そのおかげで私は、精神的にも肉体的にも随分助けられ、家にいるときはひよに対し、穏やかな態度でしっかり向き合い、付き合っていくことができたので、本当に感謝しています。
しかし、前々から、言語訓練施設や聾学校では、『難聴児は、母親が一日中しっかり付き合って声をかけてこそ言葉が伸びるのです。今の年齢で保育園に預けるなんて、もってのほか。』と言われており、このことに大変批判的でした。
ひよのためにと思って、そう言ってくださるのは解るのですが、その頃のひよと私には、言われた通りにすることは不可能だと思いました。
それに、そもそも、私は保育園に『預けている』という意識はありませんでした。
小さいうちから家庭だけでなく、たくさんの大人や子供のなかで、ふれあいをもちながらの生活をさせたいと思っていただけなのです。
難聴がわかってからは、なおさら強くそう思うようになりました。
人工内耳の手術が決まると、手術医の先生からは『保育園に行っているのは、言葉を覚えるためにもメリットが多いから、そのまま続けた方がいい。』といわれました。すこし、ホッとしました。
この春からは、聾学校幼稚部への入学を決めてはいたものの、できれば週に1〜2日は保育園に通わせたいと思っていました。
しかし、学校から『3歳児は本校通学に専念するように』と念を押されてしまい断念しました。これを不自然なことだと思うのは私だけでしょうか?
4・5歳児は、職員会議で審議の結果『その子にとって、交流保育が必要と認められればOK』とのことですが、どうもその基準は、言葉が理解でき、言葉でのやり取りが出来ること、らしいのです。
なんだか、納得がいかないのですが、皆さんどう思われますか?こんなことに疑問をもつ私がおかしいのでしょうか?
引っ越したばかりで、近所にお友達のいないひよを学校だけの世界に閉じ込めてしまうのにも抵抗があるので、4月からは毎週土曜日に児童館の親子体操教室に行くことにしましたが、それもちょっぴり不安です。
ひよは術後6カ月ですが、音には慣れてきたものの、言葉はまだ出ません。
先輩ママさん達は、どう対処されているのか、また他の聾学校ではどうなのか、是非教えてください。


2000年4月6日


ひよまま、もう入学式おわっちゃった?
春休みで少しは気分が晴れましたか?
春休み中に返事を出そうと思ってたんだけど、うまく書けなくて、時間がかかってしまいました。
>難聴児は、母親が一日中しっかり
>付き合って声をかけてこそ言葉が伸びるのです。
これは、事実です。
一日中というのは、理想論ですが、、、。
>『保育園に行っているのは、
>言葉を覚えるためにもメリットが多い
これは、難聴の乳幼児にはちょっと疑問だと思います。
健聴児なら、家庭で母親と二人でいるよりは刺激が多くて、そう言えるかもしれませんが、難聴児は、普通に接していては言葉が頭に入りません。これが本当なら、補聴器をつけ、もしくは人工内耳をつけて保育園に預ければ言葉を覚える事になります。
いかに他人が好意的に接してくれようとも、母親(家族)ほどには危機感をもって、言葉をいれこむために留意してはくれません。
そこまで期待するには無理があります。
>小さいうちから家庭だけでなく、たくさんの大人や子供のなかで、ふれあいを
>もちながらの生活をさせたいと思っていただけなのです。
>難聴がわかってからは、なおさら強くそう思うようになりました。
この気持ち、よくわかります。私たち狭い世界の中で生活しているからね。
私も子どもが小さかった頃、なるだけ多くの、かつ馴染みの友達もつくれるようにと、決まった公園に出かけ、児童館の幼児教室に通いました。ただ、ひよままとの違いは、いつも私と一緒である事が基本であったことかな。
私は聾学校の事はよくわからないけど、幼稚部入学になれば、とっても忙しくなるのではないでしょうか。通う日数も課題も増えるでしょうし、それをこなすのも大変なのでは。普通に保育園・幼稚園に入園すると思えば、2つの園に通う人なんていないでしょう。
>ひよは術後6カ月ですが、音には慣れてきたものの、言葉はまだ出ません。
術後数ヶ月は、言葉を覚えるためにとても大切な時期と言われています。
人工内耳の音に慣れ、言葉が出るまで、ひよちゃんを離す事よりは、逃げる我が子をいかに手元におびき寄せて、楽しくお話できるかを考えて。そこがママの腕の振るいどころよ。

私も週に3日、半日から一日、統合教育として保育園に娘を預かってもらっていますが、コードは切れないか、電池は大丈夫か、頭をぶつけないかなどなどとても心配でした。今でも心配です。
一度保育中にコードが切れましたが、誰も交換できず、迎えにいくまで
そのままということがありました。
迎えに行くと娘は、「聞こえなかったよ」とあっけらかんと話してくれました。まだまだ、安心して預けられない、子離れのできないダメな母親です。
娘の通っている通園施設は、言葉の訓練だけの施設なので、しかるべき年齢になると、保育園とか幼稚園に通いながら通う事になります。
娘は通いはじめて1年半、1歳クラスの3学期(2歳6ヶ月)から統合教育として同系列の保育園に半日、週に2日ほど遊びにいかせてもらうことになりました。
もちろん、まだ言葉のやりとりなどできない時期です。
言葉は持たないけれども、精神的にその方が娘は自立・成長すると先生方が判断されたのでしょう。
なんせ、難聴の母子は母子べったりの生活でしたから。
私は心配で、最初は遠慮した(断った)のですが、やはり最終的には先生の判断にまかせ、預けました結果、娘はとても精神的に伸びました。
昔の熱心なお母さんの中には、保育園に入れる時間がもったいなくて仕方なかった人がいたとききました。
そんな時間があるんなら、自分で言葉をいれこみたいと。そんな熱心な人もいたんですねえ。

私もそうですが、東京の某聾学校の友達も、子どもといつも一緒である事が耐えられない事の一つであるといっています。
ひよままの保育園に預けたい理由が、純粋にひよちゃんに大きなふれあいを期待するだけで、ひよちゃんと離れていたいという理由でなければ、もう少し二人でがんばって。
今や、私にとって保育園の時間は、娘と離れられる唯一の救いの時間です。
保育園に預けると、やっと普段の焦燥感から解放された気分になります。
いつもやるべき課題に追われ、愛するべき子どもの顔を見ると課題の終わらない事にイライラする毎日です。
こんな気もちになるぐらい、ひよちゃんといつも一緒にいたら、その頃は、ひよちゃんも言葉が理解できて、言葉でのやりとりができるよ。

普通の子は、3歳・4歳くらいから、幼稚園などの集団生活を体験し、母親から離れていきます。
それが、難聴児の場合、その時期に母子べったりで言葉をいれこむことを要求されます。
どんなに好きな恋人同士でも一日中365日一緒にいたらウンザリすると思うのですが、愛する我が子でもそう言えます。
それが話も通じない、訳の分からない物体となると、ますますストレスがつのります。
でも、それは子どもでもそう言えると思うのです。
四六時中母親からなんだかんだと言われているのです。子どもも、少しは母親から離れて伸び伸びするのがいいのよね。
難聴児には、母親のその存在自体がプレッシャーになってる気がします。
離れる時間って必要よね、その兼ね合いが難しいけど。
それを自分で決められないのももどかしい、、、。

ひよままの聾学校で基準があるとすれば、それに従わないといけないのでしょうが、聞く耳を持ってくれる先生であれば何でも相談すればいいのではないでしょうか。
この先、学校の方針に疑問を感じる事も増えるでしょう。
何でも我慢で不満に思い、ため込んでストレスをためるよりは、歩み寄る姿勢を持つ事がいいと思います。

娘は、慣れない保育園に一人で放り出されるのが嫌で、ずっと保育園が嫌いでした。
ただ、我慢強い子でしたので、何も言わず行ってましたが、、。健聴さんは毎日保育園に通っているし、みんな仲良しになっています。
難聴なのに週に2日、半日しか行ってなければ、ますますみんなの話についていけないし、馴染む前に帰る時間になります。
保育園が好きになったのは、つい最近です。
特に手術をして、聞こえがよくなり、娘もみんなの言う事がよくわかるようになり、みんなも娘の発音が聞き取りやすくなり、やりとりがしやすくなったのでしょうか。いえ、このうるさい母親と離れられるのが嬉しいのではないかと思っています。

>引っ越したばかりで、近所にお友達のいないひよを学校だけの世界に
>閉じ込めてしまうのにも抵抗があるので、4月からは毎週土曜日児童館の
>親子体操教室に行くことにしましたが、それもちょっぴり不安です。
児童館の親子体操は母子一緒だと思いますが、不安に思う事はないと思いますよ。
楽しんでやって下さい。
新しい学期、晴れ晴れと迎えましょう。


2000年4月6日


ひよままさん、はじめまして。
> この春からは、聾学校幼稚部への入学を決めてはいたものの、できれば
> 週に1〜2日は保育園に通わせたいと思っていました。
> しかし、学校から『3歳児は本校通学に専念するように』と念を押されて
> しまい断念しました。これを不自然なことだと思うのは私だけでしょうか?
すっきりされないとのこと、そのとおりだと思います。
一度しかないひよちゃんの3歳のこの時期を、どの環境で過ごしたらいいのかというのは、先になってみなくては答えが出ないしことですしね。
今まで上手くやってこれたのに・・・という気持ちもありますよねぇ。
参考になればと思い京都聾学校の経験で紹介します。
京都聾もやはり3歳からの母子通学でした。
息子の学年は14名いたんですが聴力別に3〜4人のクラスに分けられ小学校にも負けないくらいの厳しい授業体制でした。
親は子供達の学習を後ろからノートをとりながらの見学です。
この幼少時の教育システムに他府県からの賛否両論があるのが現実ですが、息子が2年生になる今の状況を見てみると、生活面では普通学級の子供達と大きく違うことも無く、遊びもいたずらも一緒にやっています。
入学時を思い出すと、難聴学級の子供達は普通学級の子供達よりも傾聴姿勢がよいように思いました。
というわけで、息子の聾学校の3年間は有意義だったと思っています。
でも息子は年長の夏に人工内耳の手術をしたわけでひよちゃんとは状況が違いますよねぇ。保育園のお友達も捨てがたいでしょう。
でも、聾学校での一年は身につく事も多いでしょうから保育園は来年まで待っても遅くはないかも?
> 4・5歳児は、職員会議で審議の結果『その子にとって、交流保育が必要と
> 認められればOK』とのことですが、どうもその基準は、言葉が理解でき、
> 言葉でのやり取りが出来ること、らしいのです。
聾学校の先生は「小学校入学時に困らないように」という配慮での言葉だと思います。
保育園は健聴児も幼いですし、体でわかることも多く、みんなにもまれて成長できると思うんですが、小学校へ行くと、やっぱり言葉でのやりとりが重要になってきます。
難聴児という大きな枠の中での考え方はこうだったのですが、人工内耳を装用したひよちゃんの場合は、発達状況が変わってくるでしょう。
先生方にお母さんの思いをどんどん伝えていったらいいですよね。

これを読んだひよままは、、、、

2000年4月7日

ひよは昨日、入学式を終えました。
小学校入学までの3年間を、どのように過ごさせるのがひよにとって最適なのか?と悩んでも答えの出ないことに気を取られ過ぎていたのかも知れません。
保育園と同じくらい、聾学校も大好きなひよの入学式での様子を見ていて、そう思いました。
>聾学校での一年っていうのは身につくこ事も多いでしょうから
>保育園は来年まで待っても遅くはないかも?
実際、この一年が、一番大切な時期だと思っています。
順調にいったとして、一年後にまた保育園と交流をもてる訳ですが、子供って順応性があるから、一年くらいのブランクは関係ないのかも。
また、今の時点でも自分の置かれている状況を考えて納得したりしているようなので、何故こうなったかということも、きっと分かってくれるだろうと思います。

問題は、いつも定員一杯の保育園に、その時点で入れてもらえるか?
(これもあるので、できれば今年もつないでおきたかった)ということと、私の(ひよも)精神力がもつかしら?という心配。
>>難聴児は、母親が一日中しっかり
>>付き合って声をかけてこそ言葉が伸びるのです。
>これは、事実です。
そうは思うのですが・・・
元々、口数が少なく、声も小さい私は言葉かけがとても苦手です。
ついでに子育ても不得意です。(本当になさけない親ですね)
それでも、ひよのためにと一生懸命言葉かけをしてきました。
それがいつも、取って付けた様な言葉かけになってしまうのです。
しかも、たくさんお話しした日は、めちゃめちゃ疲れます。
当たり前ですが、音を知らないころのひよは、こういう私の話しかけに全くの無反応で、人の顔すら見ない子でした。
もちろん自分の思いの伝え方など知らない訳で、すぐにかんしゃくを起こし、ひっくりかえって何十分も泣きわめく。抱いてなだめようとしても、私の腕も払いのける。仕方なく落ち着くまで呆然と我が子を見ている。という状態でした。
もし、保育園の存在がなければ、こんなひよに対し私はきっと無言の子育てをしてしまっていただろう、と思います。
人工内耳にして音が入るようになったひよは、驚くほどの変化があり、(・・といっても言葉以外の事でですが)私もやっと心から子育てが楽しいと思えるようになりました。
それでもまだ、一日中ひよと二人きりでいることに不安があります。
父親は仕事で平日はいないも同然なので・・。でも、神様がそういう機会を与えてくださったのかなぁ、と考え、(いつも最後にはこう考えて自分を納得させている私・・)
学校のいうことにあまり神経質にならず、でも言いたいことはきちんと言って、学校生活を楽しむくらいの気持ちでやっていけたらと思います。

それから、また続々と応援メッセージが、、、。


2000年4月8日


ひよちゃん、ひよまま、入学おめでとう!
>ひよにとって最適なのか?と悩んでも答えの出ないことに
> 気を取られ過ぎていたのかも知れません。
・・・私もよくこれをします。
悩んでもしょうがないことにトコトン悩んでしまう。でも、これも私。
こんな自分のことも気長に見守っていきたい、最近そう思えるようになってきました。
> 元々、口数が少なく、声も小さい私は言葉かけがとても苦手です。
> ついでに子育ても不得意です。(本当になさけない親ですね)
> それでも、ひよのためにと一生懸命言葉かけをしてきました。
> それがいつも、取って付けた様な言葉かけになってしまうのです。
> しかも、たくさんお話しした日は、めちゃめちゃ疲れます。
・・・これもよくわかる。私もこんな感じだから、、、。
結果として知る人ぞしる、「イライラママ」になっちゃうの。
難聴児の母親だからって、みんながみんな、言葉かけが上手なはずはないのよね。
だけど、私ずっと上手にできない自分が母親失格のような気がしてた。
当然、親として、努力は必要だし、がんばるけど、そんな”私”のことも、今は見守っていこうと思ってる。
> それでもまだ、一日中ひよと二人でいることに不安があります。
> 父親は仕事で平日はいないも同然なので・・。
うちも平日はほとんど父親不在だよ。
朝7時過ぎには出て行って、夜は11時頃だからね。
息子とびっちり、一緒にいることに息苦しさを感じる事もある。
だけどねー、最近いたずらも度を越して、めちゃめちゃ腹立つことも多い代わりに、すっごく可愛く思えることも増えてきた。
ひよちゃんとの暮らしの中で、良い事も、悪い事も色々あるだろうけど、楽しめたらいいね。(と、半分自分に言ってる・・・。)


2000年4月8日

ひよままさん&ひよちゃん入学おめでとう!
ひよちゃんが学校が大好きでよかったね!
行事とか多くて大変かもしれないけどひよままさんも一緒に楽しんじゃうくらいの気持ちでいてください。
私は悲しいサガが身についてて、何かあるとつい「これは絵日記のネタに使えるな」と考えちゃうけど。。。
ひよちゃんも絵日記あるのかな?
> 問題は、いつも定員一杯の保育園に、その時点で入れてもらえるか?
> (これもあるので、できれば今年もつないでおきたかった)
これはその園によって違うと思うけど、枠が違うんじゃあないかな?
今からその園に聞いておけば?
「先の事だけどどうしてもここにつれてきたいんでどうでしょうか?」などなど。
私も園を止める前に聞いておきました。うちもすごい人気の園だったけど「なんとか考えてみましょう。」とその時は言われました。
でも実際は引っ越したのでそこには通っていませんが。
> そうは思うのですが・・・
> 元々、口数が少なく、声も小さい私は言葉かけがとても苦手です。
だけどね。いっぱい話しているうちにだんだんと話し方も変わってくるよ。
(はじめははっきりゆっくりと意識してね)私も子供の言葉が出てないうちは、「会話」と意識すると難しいので、独り言のようにブツブツと大きな声で言っていました。
今はそう意識しなくても子供が聞き取れるので、またもや早口に戻ってしまう時もたーくさんあります


2000年4月9日

ひよちゃん&ママさん御入学おめでとうございました。
我が家の娘も, ひよちゃん同様幼稚部への入学式を終えました。
ところで、先輩方のひよままさんへのエ−ルは、まだまだ経験不足の私にも大変参考になりました。
私も学校や先生に不満だらけ(交流保育も含めて)だった時期があったのですが、2人の先生のなにげない言葉が私の視点を変えてくれたのでそのことを書いてみます。
「私は、『理想の難聴児の母親になりなさい』って言える立場ではない。
もし、自分がそうだったら、完璧にこなすなんて絶対にできないだろうから・・。それだけ大変なことだけど、でも、母親にしかできないことでもあるよ。」
「みんな本当に聾学校に来たくて来た訳じゃないよね。
でも、いろいろな思いを超えてせっかく学校の門を叩いてくれたのだから絶対に責任をもって送り出したい。」
それまでは、先生方のアドバイスを受け入れる反面、難聴の子を持つ親の気持ちなんて、所詮、先生にはわかってもらえない、と心の中で反発していました。
上の2つの言葉は、先生側からではなく、私達親の立場から発してくれたと思えたので、きっと私の心にす−っと入ってきたのだと思います。
先輩ママさん方が書かれたように、最初から理想の言葉かけなんてできない。
完璧となったら尚更のこと。
ひよままさんが書かれたように、地域の多くの友達と関わって育って欲しい。
きっと、同じ様な思いをされている先生方がたくさんいらっしゃると思います。
しかし、先生方は立場上、母親のお尻を叩きながら、喝もいれなければならないでしょうし、学校という枠のなかで、御自分の考えとは別の方針で進めなければならないこともあるのでしょう。
交流保育の条件のことですが、うちの学校もひよちゃんの学校と全く同じ条件です。
だからもしかすると、学校レベルのことではなく、県レベルの基準かもなんて思っています。(違うかもしれませんが・・・)よく先生が「県が厳しいからね−」とおっしゃるし、、、。
先生方も先生方ではどうにもならないことをたくさん抱えていらっしゃるかもしれませんよね。うちも、交流保育はまだまだ先。
一体どうなるかわかりませんが、せっかく入った学校なのだから「本当は行きたくなかった学校」ではなく「聾学校に入って本当に良かった」と思えるぐらいにやってみること、それが今大切なことかなと思ってます。
ひよままさんも一緒に、しばらくは聾学校一本でがんばりましょう!!

そして、そして、ひよままは、 とても元気に聾学校に通っています。
反抗期真っ盛りのひよちゃんと戦いながら、、

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