ミースのファンズワース邸

米・シカゴ郊外 01/6

この写真のファンズワース邸は既にない。なんと幸運なことに我々視察団が最後の日の最後の客となった。ボランティアに支えられてきたこの世界で一番有名な住宅は解体されて博物館入りするようである。なんと残念なことか。博物館の中ではこの建築の面白さを伝えることはできない。我々の目の前で最後の姿をみせるその建築は森の中にあって美しいの一言だった。

 ファンズワース邸はミース・ファンデル・ローエが設計して1951年に完成した。
 独・テッサウのバウハウスで校長になったミースだが、ナチスに追われて1938年に渡米した。イリノイ工科大学の建築学部長を勤めていた45年、エディ・ファンズワース女史(シカゴの著名な医師)から予算4万5000ドルで建築の依頼を受けた。しかし、完成した時は7万3000ドルかかっていた。当時、予算オーバーはよくあったというが、両者の間で金を払わない、払えと互いに訴訟問題になり、ミースが勝って、ファンズワース女史は全額払った。


 ファンズワース邸は白く塗った鉄骨に四面ガラス張りの平屋建て。62エーカー(62×1200坪)もの広大な敷地の中に、周囲を林に囲まれて建てられている。週末、静かに思索にふけるための別荘として造られたが、ミースは住む人のことはあまり考慮しなかったようだ。例えば、完成した時、クローゼットはなかった。ファンズワース女史の要請で設置したが、ミースは設置を嫌った。洗濯する場所もない。開閉できる窓は1カ所だけ。夏は暑くて過ごしにくかったようだ。ただし、空気を入れる設備は2つあったという(今はエアコンが入っている)。暖房は温水式床暖房を採用(当時)しているが、暖炉は形だけの小さなものだけ。


 

1972年、英国在住のロード・パロンボ氏に売却された。現在、売りに出されているが、買い求める個人はいない。しかし、イリノイ州が買い上げる話が9割方決まっているため、我々が見学した日を最後に一般公開はなくなった。いずれ、整備した後、再び公開されるのでは…ともいわれているが。


※この文章はツアー参加者の日本住宅新聞・中島記者によるものです

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