さとるとサトリ いまからだいぶむかし、といってもわたしたちのおじいさんのそのまたおじいさんがまだ 子どもだったころ、山奥にサトリという妖怪が棲んでいました。 サトリは人間の子どもくらいの大きさの、いたずら好きの妖怪で、山奥に迷い込んだ人の 前にあらわれて、 「だれだこいつは、と思っているだろう」 「うすきみわるいやつだ、と思っているだろう」 と人の心を読んで驚かせるのが大好きでした。 で、ちょっとふもとの方へ降りてみることにしました。 ふもとの方は、昔とだいぶ変わっていました。山道はずいぶん広くなって、ところどころ 轍(わだち)の跡がついています。轍というのは馬車や荷車が通った跡のことなんです。 ふと見ると山道の向こうから男の子がやってきます。 「しめしめ、また心を読んで驚かせてやろう」 サトリはそう思って男の子の前に姿をあらわしました。 男の子はサトリを見て、びっくりした表情をしました。 サトリはその男の子の心を読んで、「なんだ、このまっくろなやつは、と思っているだろ う」といいました。 いつもなら、相手はビックリして、「どうして、考えていることがわかったのかな?」と 思うのです。サトリはまたそれを読んでさらに驚かせるつもりでした。 ところが、この男の子はただ初めとおなじことを考えながらサトリをじっと見つめている だけです。これにはサトリもちょっと戸惑いました。 サトリもどうしたらいいかわからなくなって、しばらくじっと見つめ合っていました。す ると男の子も少し恐くなってきたようです。 「こわいなあ、と思っているだろう」とサトリはまたいいました。 でも、男の子はやっぱり、何も考えていません。 サトリの方がだんだん不安になってきたとき、男の子が考えていることが頭に入ってきま した。 『さっき口を動かしていたけど、何を言っていたのかな?』 このとき、初めてサトリは男の子が耳が聴こえなくて声もだせないのだということに気が つきました。 サトリも耳が聴こえない人と会ったのは初めてでした。 サトリは困りました。せっかく何十年ぶりに人に会ったのに、このまま分かれるのはなん ともしゃくです。何とか驚かせる方法はないかと考えました。 そのとき、サトリの頭に、ある考えがひらめきました。 『心が読めるなら、心に話しかけることもできるんじゃないかな』 『ようし』 サトリはやってみました。 『おいらは、サトリ』サトリは直接男の子の心の中に話しかけました。 男の子は直接心の中に語りかけてきた言葉にビックリしました。 サトリは試みが大成功だったのと、望み通り男の子を驚かせたので大喜びです。 『心の中に聴こえるこの声はなんだ、と思っているだろう』 男の子はうなずきました。 『なんだか知りたい、と思っているだろう』 男の子はまたうなずきます。 『おいらが、心で話しているのさ』 男の子はおおきく目をみひらいてサトリをみつめました。 『おまえの考えていることもわかるんだぜ』サトリは男の子の頭にうかんだ疑問に答えま した。 そのとき、突然男の子は泣き出しました。 サトリはビックリしましたが、男の子の心を読んで、すぐわけがわかりました。 男の子は話ができる相手が欲しくて欲しくてしかたがなかったのです。 ようやく、話ができそうな相手が見つかって、嬉しくて泣き出してしまったのです。男の 子はとても淋しがりやでした。サトリも何百年もひとりぼっちで過ごしていたので、男の 子の気持ちが少しわかりました。 『もう泣くなよ』サトリは心に話しかけました。 『これから、おいらが話し相手になってやるよ』 サトリと男の子は仲良しになりました。 心と心で話し合い、サトリは、男の子が「さとる」という名前で、もっと小さいときに高 い熱を出して耳が聴こえなくなったこと、聴こえなくなってから友だちが一人もいなくな ったこと、家族からも相手にしてもらえなくなって、ただ一人かわいがってくれたおばあ さんも去年亡くなったことを知りました。 『だから、ぼく、ずっとずっとお友だちが欲しかったんだ』とさとるが心の中で言いまし た。 『ほかの子どもたちはどうしてるの』とサトリ。 『遊んでくれないんだ。お話ができないから』 『おいらとはできるぜ』 『ほかの子は心が読めないよ。ぼくの言っていることもわからない』 サトリはすこし考えてからいいました。 『じゃあ、おいらが他の子の言っていることをさとるに教えて、さとるの言っていること を他の子に伝えようか』 『そんなことできるの?でも他の子がサトリを見たらビックリして逃げ出すよ』 『大丈夫、おいらは姿を見えなくすることもできるんだぜ』 さとるとサトリは、村はずれの橋のところへやってきました。 そこでは、さとるの家の近くに住んでいる、ふたごの一葉ちゃんと双葉ちゃんが石けりを して遊んでいました。 『じゃあ、おいらは見えなくなるからな』というと、サトリはさとるの前から消えてしま いました。 さとるがふたごに近づいていくと、ふたごは石けりをやめてさとるを見つめました。 『つんぼのさとるが来た、と思っているぞ』とサトリが教えてくれました。 さとるはドキドキしてきました。そして逃げ出したくなってしまいました。 一葉ちゃんと双葉ちゃんは、さとるよりひとつ年上でしたが、さとるの耳が聞こえなくな るまでは、よく遊んでくれました。聞こえなくなってからは、話が通じなくなって、いっ しょに遊ばなくなってしまいました。 お姉さんの方の一葉ちゃんが、ときどきさとるに話しかけてきましたが、なにを言ってい るかわからなかったので、いつもさとるは逃げ帰っていたのです。 一葉ちゃんがさとるに話しかけてきました。 そのとき、頭の中にサトリの声が聞こえてきました。 『いっしょに遊ばない?と言っているぞ』 優しい一葉ちゃんは、いつもさとるに遊ぼうと話しかけていたのです。 でも、さとるはそれがわからなかったために、逃げ帰っていたのです。 さとるの顔はぱっと明るくなって、思わず『うん!』と強く思ってしまいました。それを サトリが「うん!」と、ふたごに大きな声で伝えたので、とつぜんどこからか聞こえてく る声にふたごはビックリしてしまいました。 「さとる、しゃべれるようになったの?」 さとるはあわてて考えました。サトリのことを言うわけにはいきません。誰にも言わない と約束したからです。 『山の神様にお願いしたら、神様が願いをかなえてくれたんだ』 「そう、よかったね」 さとるとふたごは、いままでの分をとりかえすかのように、思いきり遊びました。 やがて、夕日が空を赤く染める時間になりました。 「もう夕方だから、おうちに帰ろう」 『もう少し遊びたいな』 「でも、おうちに帰って、おかあさんにしゃべれるようになったこと教えないと」 『うん……』 「また、明日遊ぼうね」 さとるはふたごと分かれて家に帰りました。 家では、おかあさんが晩ご飯のしたくをしていました。 さとるは、またドキドキしてきました。 おかあさんは家の中に入ってきたさとるに気がつくと、悲しそうな顔をして、深いためい きをつきました。 『かわいそうに、と思っているぞ』とサトリがいいました。 『この子の耳が聞こえなくなったのは、あたしのせいだ、あたしがもっと早く気がついて 病院に連れていったら、こんなことにならなかったかもしれなかったのに、と思っている ぞ』 さとるは驚きました。おかあさんがこんなふうに悲しんでいたなんて知りませんでした。 いつも話が通じないと、厳しく怒ったり、殴ったりしていたので、おかあさんはさとるの ことを嫌っていると思っていたのです。 『おかあさんに何か言わなくっちゃ』さとるは思いました。サトリは黙っています。 『サトリ、どうしたらいい?』 『自分で考えなよ。おいらはさとるの言うことを伝えるだけさ』 さとるは決心しました。 そして、『おかあさん!』と呼びかけました。 おかあさんは、びっくりしてさとるの方を見ました。 「さとる、今の声はおまえかい?」 『うん』 「おまえ、しゃべれるようになったのかい?」 『山の神様にお願いしたら、お話ができるようにしてくれたの』 「そうかい、そうかい、これも死んだばあちゃんのお導きかのう。ありがたや、ありがた や」 『一日だけだよ。神様が帰っちゃったらまたお話できなくなるんだ』 それを聞いたおかあさんは、また悲しそうな顔になりました。 『でも、おかあさん、ぼく、話したいこといっぱいあるんだ』 さとるとおかあさんはサトリの力を借りて、時のたつのを忘れて話し合いました。 さとるはおかあさんに、聞こえなくなってからとても淋しかったこと、いつもお話をした いと思っていたこと、そして何よりも、みんなが何を考えているか、何を言っているか分 からなかったことがとても残念だったことを話しました。 それを聞いたおかあさんは泣きだしてしまいました。 さとるとおかあさんはようやく心が通じあえるようになったのです。 でも、サトリが山に帰ってしまったら、またお話ができなくなります。 そう思ったら、さとるもおかあさんも、だんだん悲しくなってきました。 サトリがいなくてもお話をするにはどうしたらいいでしょう。 サトリはふたりの話を伝えあいながらいっしょうけんめい考えました。 そのとき、サトリは、山の天狗がいっていたことを思い出しました。 天狗というのは長い鼻をした山の神で、とっても、もの知りなんです。 「海の向こうの、アメリカという国にいるインディアンという人々は、何でも言葉だけで なく、手や身ぶり、煙なんかも使って話をするんだと」 これだ、とサトリは思いました。 『さとる!』サトリはさとるに話しかけました。 『これから、おいらの言うことをよく聞けよ。耳が聞こえなくたって話はできるんだぜ』 そして、サトリはさとるにインディアンのこと、手や身ぶりで言葉を伝えあう方法がある ことを話しました。 『それがどんな方法かはおいらも知らない。でも話をする方法は言葉だけじゃないってこ と!』 さとるはうなずきました。 さとるはそのことをおかあさんにも伝えました。おかあさんもしばらく考えてから、 「そうね、やってみましょう。手で話ができるなら、ふたりで考えてみましょう」 といいました。 それから、さとるとおかあさんは、いろいろなものをあらわす手の形を決めました。 たとえば、『木』は木の幹の形から、『山』は連なった山の形から、神様は手をあわせて 神様をおがむ様子から……さとるとおかあさんはいろいろなものに手の形の名前をつけて いきました。 さとるとおかあさんは、そうやって手の言葉を作っているうちに、だんだんサトリが言葉 を伝えなくても話ができるようになっていきました。 サトリはそれを見て、『どうやら、おいらの役目は終わったな』とそうつぶやくと、そっ とさとるとおかあさんのそばをはなれました。 さとるとおかあさんは、サトリが離れていったのに気づかず、楽しそうに、手の言葉を作 り、話し合っています。 明日からさとるの笑顔が消えることはないでしょう。 いまも、山奥にサトリという妖怪が棲んでいます。 とっても淋しがりの気のいい妖怪なんです。 <さとるとサトリ 完>