「しろちゃん追悼 To HeartSS」

 いのちの輝き(仮題)

    〜 序 章 〜

 「かわいいっ」
 突如あがったあかりのそんな声に、浩之は思わず足を止めて振り返った。
 薄いピンク色のマタニティウェアのあかりと、見ようによってはメイド服にも見える
白い縁取りのある青い服を着たマルチが、中腰になって熱帯魚屋の前に並べられた水槽
をのぞき込んでいた。
 「浩之ちゃん、見て、みて!このお魚、ウィンクするよ」
 ちょっと興奮気味にあかりが言う。
 すでに妊娠八ヶ月目に入ったそのお腹は、もうかなり目立つほど大きくなっていた。
 童顔のあかりではあるが、何故かマタニティウェアがよく似合っているのは、優しく
家庭的なその雰囲気のせいだろうか。
 「熱帯魚がウィンクするわけねーだろーが」
 ぶっきらぼうに、そう言ってふたりの立ち止まっているところに戻ってきた浩之であ
ったが、そのぶっきらぼうさの中に優しさを隠していることを、あかりもマルチもよく
知っていた。
 「でも、本当だよ。ね、マルチちゃん」
 あかりが、かたわらのメイドロボに同意を求める。
 「そうですぅ。パチッとウィンクしました〜」
 ちょっぴり間延びしたかわいらしい言い方で、マルチが答える。
 緑色の髪と、耳に取り付けられたセンサーから、中流階級の家庭に人気のある、HM
−12「マルチ」型のメイドロボとわかる。
 しかし、その「マルチ」型メイドロボをよく知る人が見たら、そのあまりもの情感豊
かな表情と、機械的な感じからかけ離れた雰囲気に不思議な感じを覚えただろう。
 浩之が学生時代にバイトで頭金を作り、父親にローンを組んでもらって購入したこの
メイドロボは、実は浩之が高校の時に出会ったマルチ、試験機のMHX−12だった。
 何故か他のメイドロボと違って人間と同じ「こころ」を持ち、浩之を愛したマルチは
来栖川研究所の開発スタッフの尽力によって浩之の元に届けられ、大学を卒業後に幼な
じみのあかりと結婚した浩之たちの家族の一員となっていた。
 あと数ヶ月したら、藤田家に家族がもう一人増える。
 当然メイドロボとして、保育に関する機能やデータも備えているので、浩之とあかり
の赤ちゃんが産まれたら、そのお世話をすることができる。
 そう思うと、マルチは嬉しくなってくるのだった。

 にこにこと、水槽の中の熱帯魚を指さすマルチを横目に、浩之は水槽をのぞき込んだ。
 水槽の中を泳ぎ回っているのかと思っていたら、その熱帯魚たちは底の方にちょこん
と鎮座ましていた。
 大きさは2〜3センチくらいだろうか。体型はずんぐりしており、まるでドングリに
尾鰭や背鰭をつけたようである。口の周りに数本の髭が生えていて、ナマズを思わせた。
しかし、色は真っ白で、目は赤く透き通っているようだった。
 その不思議な色合いに新鮮な感じを覚えて、浩之はじっと見つめた。
 『まあ、結構可愛いかもな…でも魚がウィンクなんてするわけねーし…』
 浩之がそう思って目をそらそうとしたとき、その小さな白いナマズもどきがパチッと
目を閉じた。
 「おっ本当だ、ウィンクしたぞ、こいつ!」
 浩之も驚きの声を上げた。
 実際には、片目をつぶったわけでなく、単に瞬きをしただけなのであるが、一般的な
魚類の常として目が体の側面についているため、横や斜めから見ると一方の目しか見る
ことができず、それがあたかもウィンクしたように見えるのである。
 「ね、ね!かわいいでしょ!!」
 あかりは喜色満面である。

 「何をお捜しでしょうか?」
 そのとき、傍らから元気良い声が響いたので、3人はびっくりしてそちらを振り向い
た。
 そこに立っていたのは、マルチとそうかわらないくらいの小柄な女の子だった。年の
頃は十八、九歳というところだろうか。ポニーテールにした長めの髪が頭の後ろで揺れ
ている。
 エプロンの胸のあたりには、さきほど見たナマズもどきによく似た魚の絵が描かれて
いた。
 「い、いや、別に捜し物があるって訳じゃないけど…」
 浩之があわてて答える。
 「そうですか。では、ごゆっくりご覧下さい。何かありましたら、いつでもお声をか
けて下さいね」
 女の子がにこにこと笑いながら言った。
 その人なつっこそうな笑顔につられて、あかりが思わず訊ねた。
 「あ、あの、この白いお魚、なんていうんでしょうか?」
 「これですか?コリドラスっていうんです。ナマズの仲間なんですけど、とても丈夫
ですし、底面に落ちた餌をきれいに掃除してくれますから熱帯魚を初めてお買いになる
方にはぴったりですよ」
 「ナマズの仲間?そうするとかなり大きくなるんじゃねーか?」
 と浩之が言うと、女の子がはきはきとした声で説明を始めた。よっぽどこういう話を
するのが好きなようである。
 「いえ、コリドラスは何百種類もいるんですけど、どれも数センチくらいにしかなり
ません。小さな水槽でも十分飼えますよ。これは、コリドラスの中でももっともポピュ
ラーな種類で、アルビノなんです」
 「アルビノ?色素欠乏症のことですかぁ?目が赤いのが特徴ですね〜」
 記憶データを瞬時にチェックしたマルチが確認する。
 「そうです。よくご存じですね。コリドラス・アエネウスっていう種類のアルビノを
固定したものなんですが、通称では白コリって言われてます」
 「ね、この白コリちゃん、ウィンクするのね」
 「ええ。わたしもウィンクするところがたまらなく好きなんです。家でも飼っている
んですけど、疲れて帰ってもこの子のウィンクで元気になっちゃいます」
 「かわいいですぅ〜」
 「でも飼うの大変なんでしょう」
 「いえ、最近は安くて良質な濾過器や温度調整機がありますから、簡単ですよ。セッ
トになっているものもありますし…」
 急に熱帯魚談義に花を咲かせはじめた3人を見やり、浩之はこの後どのような展開に
なるかをうすうす察知していた。

 やがて、話がとぎれたかと思うと、あかりがおずおずと浩之を見上げた。
 「浩之ちゃん…」
 「ダメだ」
 あかりが何を言いたいのか、浩之にはわかりすぎるくらいわかっていた。
 「でもぉ…」
 「ダメと言ったらダメだ。もうじき赤ん坊が生まれるってのに世話なんかできるわけ
ねーだろーが」
 「浩之さん、わたしも一生懸命お世話しますから〜」
 とマルチ。
 「マルチだっていろいろやることがあるだろ。それにオレはもう生き物は飼いたくな
いんだ」
 「でも、あかりさんがあんなに欲しがっていますから…」
 「ダメだ…」
 「浩之さん…」
 「もういいよ、マルチちゃん」
 その時、あかりが言った。
 「浩之ちゃんがダメって言っているんだからしょうがないよ。ごめんね、浩之ちゃん
わがまま言って…」
 あかりはにっこり笑ってそう言った。
 「あかりさん…」
 「ありがと、マルチちゃん。でも、もういいの。帰りましょう」
 あかりは、大丈夫というふうに、にこにこ笑っている。
 「でも、ごめんなさい。せっかくいろいろ教えていただいたのに…」
 そういってお店の女の子に頭を下げた。
 「いえいえ、とんでもありません。見るだけでも結構ですので、またいつでもいらし
て下さいね」
 女の子もぺこりと頭を下げる。長いポニーテールが尻尾のようにばさっと揺れた。
 「ありがとう。じゃ帰りましょ、浩之ちゃん、マルチちゃん」
 あかりはそう言って笑顔を崩さずに歩き出した。
 買い物袋をかかえたマルチがそれに続く。
 そんなあかりを、じっと見やり、ちょっと遅れて二人の後を歩き始めた浩之であった
が、その口から小さなため息が漏れ、二人には聞こえない小さな声でこうつぶやいてい
た。
 「ったく、しょーがねーな…」



 その次の日曜日も雲一つない、いい天気だった。
 遅い朝食の後、気分が悪くなったあかりを二階の寝室のベッドに寝かしつけると、浩
之は階下へ降り、食後の後かたづけをしているマルチに声をかけた。
 「マルチ、片づけが終わったら、ちょっと買い物につきあってくれねーか」
 「は〜い、すぐ終わりますからまっていて下さいね」
 いつものように明るい声でマルチが答える。
 やがて、片づけが終わり、支度をすると浩之とマルチは家から出た。
 浩之の両親は、不在がちだったこともあり、とうとう勤務先の近くにマンションを購
入し、息子夫婦にこの家を提供してくれていた。三人で住むにはちょっぴり贅沢な環境
であったが安月給の浩之にとって、家賃がかからないというのは大助かりであった。
 もっとも、マルチの購入にかかったローンはまだ残っていたが。

 「で、浩之さん、どちらにお出かけですか?」
 マルチが訊ねると、浩之はそっけなく答えた。
 「ちょっと、熱帯魚屋にな…」 
 「えっ?」
 マルチは大きな目をさらに大きく見開いた。
 「でもぅ、浩之さぁん、確か先週はダメっておっしゃってぇ〜それにあかりさんも…」
 予想外の出来事に出くわすと、ろれつが回らなくなるのがマルチの癖であった。
 浩之はちょっと遠くを見るような目で言った。
 「マルチ」
 「は、はいっ」
 「あかりな、本当にがっかりしたときは、笑うんだ」
 「え?」
 「あん時もそうだった。小学生の時だったかな、近所の兄ちゃんが修学旅行に行って
オレと雅史とあかりにってお土産を買ってきてくれたんだけど、兄ちゃんの勘違いで2
個しかなかったんだ。奪い合うオレたちを見て、あいつは笑いながら、『わたしはいい
から、浩之ちゃんと雅史ちゃん二人でもらって。そのかわりケンカしないでね』と言っ
ていた」
 「優しいですからね。あかりさん」
 「だけど、そのお土産ってな、あいつがわざわざ兄ちゃんにお願いして買ってきても
らったものだったんだよ」
 「………」
 「先週久しぶりに見たよ。そん時と同じ笑い顔…」
 「浩之さん…」
 「オレがなぜ、生き物を飼いたくないと思っているのか、あいつはよく知っている。
生き物はいつか死ぬ。そんときの悲しい思いをもう味わいたくないんだ」
 「浩之さん、わたし…」
 マルチの声は詰まっていた。
 「けど、思い直した」
 「えっ?」
 「もうじき、オレとあかりの子どもが生まれる。生命の誕生って、凄いものなんだな、
と最近思っている。そして、その命との出会いってなんて素晴らしいことなんだと…」
 「………」
 「死をおそれて避けていたら、新しい命と出会えない。そう思えるようになった」
 「その考え方…素敵です。浩之さん」
 「それに、ペットって胎教にも良いらしいし。ま、あかりもあの様子だと、当分の間
世話はマルチにやってもらうことになると思うけどな」
 浩之は笑ってそう言った。
 「はいっ、頑張ってお世話いたしますぅ」
 マルチもとびっきりの笑顔でそれに応えたのだった。

 お店の女の子――名前は妙子ちゃんと言っていたが――の薦めで買った、入門用の6
0センチ水槽セットを浩之が重そうに抱え、マルチが新聞紙にくるまれた包みを大事そ
うに手に持って帰ってきたときの、あかりの表情といったら、「鳩が豆鉄砲をくらった
よう」という表現をこれ以上にないくらいに体現していた。
 新聞紙にくるまれた包みの中には、白い小さなコリドラスが5匹入っていた。
 早速、浩之が妙子ちゃんからもらった『水槽の作り方』という小冊子を見ながら水槽
をセットした。まず、器具をざっと洗い、底に1〜2ミリ位の大きさの青緑色の砂を敷
く。よく洗った小さな石をいくつか置き、水草を植えてカルキ抜きをした水を入れる。
 全自動式の水温調整器をセットし、上部に置いた濾過器に櫨材を入れ、電源を入れる
とブーンという音とともに濾過器が動き出して水が循環しはじめた。
 「砂の中に、こいつらが入っていた水槽の砂も少し混ぜてあるんだ。そうするといい
水ができるんだってさ」
 と、浩之があかりに解説する。あかりは嬉々としながらそれを聞いていた。
 水温が適温なったところで、白コリたちが入っているビニール袋をしばらくの間水槽
の上に浮かべて温度あわせをし、そっとビニール袋の水と水槽の水を少しずつ混ぜ合わ
せながら、コリドラスを水槽の中に移した。
 新しい環境にびっくりしたのか、白いコリドラスたちはしばらくの間落ち着きなく上
下に泳ぎ回っていたが、やがて底面の砂をついばむように泳ぎ始める。
 あかりとマルチは、嬉しそうに水槽をのぞき込んでは、活発に泳ぎ回るコリドラスた
ちを眺めていた。
 そんな二人を見て、浩之もなんとなく嬉しくなってくるのだった。



 白いコリドラスたちは、たちまち藤田家のアイドルの地位を独占した。あかりやマル
チは暇があると、リビングに置かれた水槽の前に腰を下ろして、じっとコリドラスたち
のかわいらしい動きを眺めていた。浩之ですら、会社からの帰宅後、ウイスキーの水割
りで一杯やりながら、水槽の中を眺めるのが日課になってしまっていた。
 特に、マルチは世話を任せられたこともあって一生懸命だった。「毎日決まった時間
に餌をやることと、それからなるべく水換えをしてあげて」という妙子ちゃんの言葉に
従って、毎日のように餌をやり、水換えを敢行していた。
 しかし、マルチが一生懸命世話をしているのにもかかわらず、コリドラスたちは次第
に弱っていった。だんだんと元気がなくなり、小さいコリドラスから順番に横たわった
ようになって死んでいった。そのたび、マルチやあかりは悲嘆にくれ、浩之は眉をひそ
めるのだった。
 「こんなに一生懸命にお世話をしているのに…どうしてでしょうか…」マルチが涙声
で言った。
 「生き物を飼うってことは、簡単じゃないってことさ。でも、オレからみても特に飼
い方に問題はないと思うんだが、なんでかな…」
 そこで、浩之ははたと手を打った。
 「そうだ、確か雅史がハムスターだけじゃなくて、熱帯魚も飼っていたな。あいつに
聞いてみよう」
 「でも、浩之ちゃん、雅史ちゃんも忙しいんじゃないの?」
 と、心配そうにあかりが言う。もうすぐ臨月なので、そのおなかはまるで西瓜でもか
かえこんでいるように膨らんでいた。
 浩之とあかりの幼なじみの雅史は、高校を卒業後、地元のJリーグの選手としてスカ
ウトされた。しばらくの間FWとしては伸び悩んでいたが、浩之のアドバイスをきっか
けにMFに転向し、元FWの攻撃力と冷静な判断力を生かして、前期から攻撃的MFと
してレギュラーの地位を不動のものにしていた。
 「大丈夫、昨日ホームゲームが終わったばかりだから、今日は軽い練習だけの筈だし、
あいつにも気分転換が必要さ」
 と、浩之が言って、雅史に電話をかけるためリビングに置いてある子機を取り上げた。
 「もう、調子いいんだから。雅史ちゃんだって都合っていうものがあるわよ」
 あかりはそう言いながらも、何となく嬉しそうである。
 「お、雅史、オレだ。ちょっと用があってな、うん、終わったとこ?丁度いい、これ
からオレんちに来てくれねーか…」



 「こんにちは、あかりちゃん、ずいぶん元気そうだね」
 玄関まで迎えに出たあかりを見て、雅史はそう声をかけた。
 「うん、この頃はつわりもそんなにひどくないの」
 あかりがにっこりと答える。
 「こないだ来たときは起きあがれないくらいひどかったからね。それにしても、おな
か、ずいぶん大きくなったね。あ、こんなこと言って失礼だったかな」
 「ううん。みんなそう言っているし。それに雅史ちゃんだったらそんなこと気にしな
くてもいいよ」
 「ふふっ、でも浩之が聞いたら何て言うかな」
 「聞こえてるぞ、オラ」
 浩之がリビングから玄関に顔を出してそう言った。
 高校の時までは体格にかなりの差のあった二人であったが、今では身長はやや浩之が
勝っているものの、サッカーで鍛えている雅史の方がたくましい感じがする。
 「あ、聞こえたの、ごめんね」
 悪びれず素直に謝る雅史。そういうところは昔と変わらない。
 「ま、いーさ。練習で疲れているところにわりーな、さ入ってくれ」
 「うん、お邪魔するよ」
 そういって雅史は、何度も来て見慣れているリビングに入ってきた。
 「あ、雅史さん、いらっしゃいませ」
 リビングにいたマルチが挨拶をする。
 その声はいつもの覇気がない。
 「こんにちは、マルチちゃん。どうしたの?元気がないね」
 それに気がついたのか、雅史がこう応えた。
 すると、マルチの両目からぽろぽろと涙がこぼれてきた。
 「ううっ、すみませぇん…わたしが満足にお世話できないばかりに、雅史さんにまで
ご迷惑をおかけしてしまって…」
 あわてたのは雅史である。
 「泣かないで、マルチちゃん。いったいどういうことなのか説明してくれない?」
 マルチが涙でくしゃくしゃになった顔をあげる。
 「あのぅ、浩之さんからお聞きしていないのでしようか?」
 「うん。頼みたいことがある、来ればわかる、とだけ」
 それを傍らで聞いていたあかりが、あきれるように言う。
 「また、浩之ちゃんったら…」
 浩之が頭をかきながら、ぶっきらぼうに言う。
 「まあ、いいじゃねーか、それでな、雅史、その水槽なんだが…」
 「うん、コリドラスを飼ったんだね。なんかちょっと弱っているみたいだけど」
 「よく分かるな。5匹いたんだが3匹死んじまってな。原因はわかるかな?」
 「ううっ…」
 マルチの目からまた涙がこぼれる。
 「なるほど、そういうことだったの。そうだね、水はきれいみたいだけど、餌はどの
くらいやっているの?」
 「1日3回、朝の8時と、午後1時、それと午後7時にあげてますぅ」
 鼻をぐすんと鳴らしながらマルチが答える。
 「う〜ん、ちょっと多いかな?でも水が汚れている様子もないし…水換えはやって
る?」
 「はい、毎日やっています」
 「毎日!?量はどのくらい?」
 「半分くらいですぅ、塩素中和剤もちゃんと入れてます〜」
 それを聞いて、雅史は納得したというようにうなずいた。
 「うん、それで分かった!」
 「ほんとですかぁ、雅史さん?やっぱりわたしのお世話のしかたが悪かったのですか
ぁ〜」
 止まっていたマルチの涙がまたこぼれそうである。
 「そんなことないよ、マルチちゃんは一生懸命世話していたんだから。きっと病気だ
よ。ね、雅史ちゃん」
 あかりがマルチをかばってそう言う。
 雅史はそんな二人を困ったように見つめて言った。
 「マルチちゃん、あかりちゃん」
 「はい?」
 「う〜ん、なんて説明したらいいのかな。たとえばだけど、マルチちゃんやあかりち
ゃんが住んでいるお家がね、毎日壁の色やレイアウトが変わる家だったらどんな感じが
するかな」
 「雅史さん…えっと、わたしにはわかりません…」
 とマルチ。
 「そうね、最初は面白いと思うかもしれないけど、やっぱり落ち着かないかしら?」
 これはあかり。
 「そう。毎日色とかが変わる家に住んでいたら、落ち着かなくて、ストレスが溜まっ
ちゃうよね。熱帯魚だって同じだよ」
 「雅史さん…?」
 「水換えすると水質が変わるでしょ。マルチちゃんが毎日水換えしてたから、落ち着
くヒマがなくてストレスで弱っちゃったんだと思うよ。本当は水換えなんかしないのが
理想なんだけどね」
 「でも、妙子さんが、なるべく水換えをするようにって…」
 「妙子さん?」
 「あ、熱帯魚のお店の店員さんです。とってもお魚のことに詳しいんですけど…」
 「うん、水換えも必要だけど、それはたくさん飼っている場合だよ。それに毎日じゃ
なくて、2、3週間に一度でいいんだ。飼っている数が少ないくて濾過器がきちんと動
いていれば、1、2ヶ月くらい水換えをしない方が魚も落ち着いていいかも」
 「そうだったんですか…」
 肩を落として、つぶやくように言うマルチ。
 「でも、水はきちんとできているみたいだから、しばらく水換えをしないで様子を見
てみたらいいと思うよ。それから餌は1日2回くらいで、少なめにね」
 「はいっ、ありがとうございました。雅史さん!とっても勉強になりました」
 マルチが深々と雅史に向かっておじぎすると、その動きに驚いたのか、白いコリドラ
スの一匹がふわっと浮き上がって、目をぱちくりさせた。

 残った2匹のコリドラスのうち、動けないくらいに弱っていた一匹は、その晩静かに
息を引き取っていた。しかし、最後に残った一匹――せわしなく動き、しょっちゅう目
をぱちくりして、あかりやマルチに一番人気のあったこの白いコリドラスは――生き残
った。
 水が安定してくると、この白コリの動きはますます活発になって、広い水槽中を元気
に泳ぎ回るようになった。時々疲れて上の方が平らになっている石の上でひと休みして
は、のぞき込むあかりやマルチに向かってウィンクしてみせた。
 こうして、誰かともなく「しろちゃん」と呼ばれるようになったコリドラスが藤田家
の一員となったのである。


<第1章に続く>

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