「小鳥の歌〜東洋の愛と知恵」

  アントニー・デ・メロ著 谷口 正子訳

  女子パウロ会刊

 ニューパラダイムを考えるとき、そのパラダイムは実はちょっと昔にはあたり前にあったパラダイムであることが往々にしてある。地球環境についてのパラダイムは先住民の知恵であったり、コミュニケーションの構造は曼陀羅が基礎であったり。かつてのパラダイムを現代の背景のもとに読み直すと、様々な新しいパラダイムが見えてくる。そしてそのパラダイムは古いパラダイムを読み味わった人の心のなかに生まれてくるものだ。この新しいパラダイムは古いパラダイムについて読んだ人が、ただ読んで、それに批判をくわえるだけでは現れてこない。読んだ本人の心のなかでの創作が必要となる。

 創作と書くと、なんか明確な答えがあるもののようにも思えるが、実際にはその答えは当意即妙を必要とし、具体的な形のないものの場合が多い。そしてそのことを禅では問答を通じて伝え、スーフィーは物語として伝える。

「小鳥の歌」にはいくつもの短いお話しが書かれている。それらの多くは禅問答やスーフィーの物語、ユダヤの話、中国の話など、世界各国から引用されてきたものだ。本の冒頭にこんなことが書かれている。

「この本のなかにはたくさんのお話があります。<中略>これらのお話には、それなりの面白さがあります。しかし、もし特別の方法で読まれるなら、あなた方を霊的に成長させてくれるでしょう」

 そしてさらに、こんなことも書かれている。

「お話を、司祭であれ、師であれ、教会であれ、隣人であれ、あなた自身以外の誰かに当てはめぬように気をつけなさい。もしそうするなら、その話はあなたにとって霊的な損失となるでしょう。これらの話のひとつひとつは、他のだれのためでもない<あなた>のためなのです」

 だから僕はこの本を<あなた>があなた自身でお読みになることをおすすめします。僕が書いたこの文章は僕の体験や解釈を伝えはしますが、「小鳥の歌」の本質については何ひとつ伝えていません。

 僕がこの本をどのようにして知ったかというと、田口ランディさんの書いた「忘れないよ!ヴェトナム」という本を読んだからです。このヴェトナム旅行記に「小鳥の歌」が登場してきます。著者の田口さんが旅行する先々で「小鳥の歌」を開くとそこに自分の置かれている立場や状態、そのときの田口さんへの指針というべき内容を田口さんは読みとっていくのでした。

 たとえば、旅行記を書くためにはじめてヴェトナムに着き、右も左もわからない田口さんはガイドをお願いして町中を歩くのですが、どうも楽しくない。自分の部屋へ戻り、「小鳥の歌」を開くとそこには、

「もしも、だれかがまえもってかみ砕いておいた果物をあなたにくれたとしたら、あなたはそれが好きになれますか?」

と書かれている。それ以降田口さんはガイドに頼らずに旅行を始めるのでした。

「忘れないよ!ヴェトナム」に「小鳥の歌」のことがとっても素敵に紹介されているので、田口さんに会ったとき僕はそのことを告げたのです。

 すると田口さんはなぜか僕に「小鳥の歌」をくれました。

「この本と一緒に旅行して、はじめての本が出版できたから、つなぶちさんもきっと近いうちに本を出版できるよ」

と言って。

 「小鳥の歌」をもらって半年が過ぎ、確かに一冊の本を出版することが決まりました。「小鳥の歌」のおかげかもしれません。この話を知人のライターにすると誰もが「小鳥の歌」を欲しがります。でも僕はいまのところ誰にもこの本をあげようと思いません。僕がケチだからでしょうか? 違います。

 僕がこの本をあげる人には、きっとなぜかが読みとれるでしょう。

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