旬の不在 〜 美味しいものは省エネで

 ある小学生に「冬野菜ってなぁに?」と聞かれ、「鍋物に入っているようなやつだろう」と答えたが、春菊は文字どおり春の野菜だろうし、自分の無知を反省しつつ本屋に出向きました。<旬>について書かれた本があるだろうと期待したのです。ところがいくら探しても<旬>について書かれている本がありません。<旬>は現代人にとって興味の対象外なのでしょうか。私たちは、あらゆる自然物を支配し、季節までも越えて作物を作り、保存するようになりました、冷蔵庫やビニール・ハウスなど、エネルギーを消費する技術の発展が<旬>の不在を可能にしたのです。

 石川英輔氏の著書『大江戸えねるぎー事情』によれば、トマトをハウス栽培すると露地栽培の三・五倍のエネルギーが必要になるとのこと。エネルギー消費によって季節感を失い、今では<旬>という言葉はほとんど死語になりつつあります。

日本の料理は最高

 四十六歳になる私の友人に<旬>というと何を思い出しますか? と聞いたところ、昔秋に食べた秋刀魚(さんま)だと答えてくれました。彼が住んでいた田舎では秋になるとどこの家も煙をもうもうとあげ、秋刀魚を焼いていたそうです。白いご飯と香の物、豆腐の味噌汁、秋刀魚、それから三浦大根のおろし。最近は大根というと青首大根ばかりですが、三浦大根のおろしは辛くて、醤油を落として秋刀魚と食べると泣けてくるほど旨かったそうです。湯気のたった食卓を囲んで家族と一緒に「いっただっきまーす」の声とともに食事を始める。あの頃の人たちは食事と一緒に家族の団欒と季節も味わっていたのです。

 アメリカはカーター大統領時代に世界の食生活を調査しました。すると日本人は栄養的にバランスのとれた食事をしていたために、それを日本型食生活と称し、その優秀性を発表しました。日本の食事は世界最高のものといえます。自然の恵みをバランスよく取り入れ、<旬>が巡ってくるたびにその恵みに感謝して食べる。一年のその時期にしか食べられないものだから自然に感謝して大切に食べる。四季があるから生まれた<旬>があるからこそ、このように優秀な日本の料理が生まれたのです。

美味しいものに感謝、自然に感謝

 現在私たちは様々な食べ物を簡単に手にいれます。マーケットに行けば色とりどりの、いろいろな種類の食べ物をいくらでも買うことができます。また、近頃八百屋さんに並ぶ冬野菜の様子も変わってきました。白菜は黄色いものが目立ち、キャベツは葉が柔らかく、軽い物が増えてきました。生産者が消費者の好みに合わせて野菜を改良しているからです。その手軽さゆえに食べ物のありがたさ、旬のありがたさ、自然のありがたさを忘れていないでしょうか。

「自然環境を守ろう」「地球を守ろう」と声高らかに叫ぶこともときには必要ですが、一番大切なのは地球という自然に支えられて生きているということへの深い感謝ではないでしょうか。<旬>があったからこそ日本人は四季の移り変わりを楽しみ、味わい、感謝したのでしょう。

 多くの人が折にふれ、当たり前のように「自然に抱かれて生きているのだな」と感じることができる機会が必要です。

 日本人はかつて、色々な食べ物の<旬>や季節ごとの祭り、節句などを通して自然への感謝をしていました。現代の人は少し傲慢です。自分を抱き、慈しんでくれる自然を支配しようとし、感謝をしません。

 暦をめくり、旬のものを食べ、家族と一緒に昔から伝わる行事に参加してみませんか。人や自然のつながりをきっと思いだし、幸せなときが過ごせるでしょう。

1994年 月刊「セブンシーズ」掲載