アフリカの記憶 〜 人間の匂いは不快なものか

 アフリカのケニアにダフニー・シェルドリックは住んでいます。ダフニーは親が死んでひとりでは育たない野生動物を引き取り、育てては自然に返すという仕事を続け、動物孤児院を作りました。先日そのダフニーをたずねてケニアまで行ってきました。動物孤児院に着き、そこで育てられている子象たちに会ったとき、ダフニーが象への挨拶の仕方を教えてくれました。象は人に興味を持つと鼻を伸ばして来るので、その鼻先に息を吹きかけるのです。僕もその挨拶を何頭かの子象にしました。

象の挨拶

 ダフニーの動物孤児院出身の象にエレナがいます。エレナは自然に帰ってもたびたびダフニーのところに現れ、三十年以上も人間との交流を続けています。動物孤児院である程度育ち、自然に帰る年頃の象を引き取っては自分の群に入れ、自然に暮らしている象の間にある掟やマナーを教えながら、人に育てられた象が象の社会でも一人前に暮らせるようにサポートしているのです。

 僕に同行してくれたコーディネーターが十年前に一度 エレナに会ったことのある人でした。ある日、ツァボの草原を車で走っていたとき、遠くの森から出て来たエレナを見つけました。エレナは、僕たちとは関係ない方向に向かって歩いていました。そこで力一杯「Eleanor,come here!」と叫ぶとクルッとこちらを向き、はるばるのしのしと歩いてきてくれたのです。僕たちに近づくとエレナはまず動物孤児院の職員に鼻を伸ばして挨拶しました。そして次に僕の隣にいたコーディネーターに挨拶をしたのです。コーディネーターはエレナがたった一度しか会っていない自分のことを覚えていてくれたと大喜びでした。

 ダフニーは言いました。「象は一度挨拶した人を決して忘れません。きっと本来は人間もそうだったと思います。だけど何か、私たちの文化の中にそういう能力を弱めてしまう要素があるのでしょう」

体臭や口臭は本当に臭いか

 象は人の息の匂いを覚えてくれますが、私たちは体臭や口臭をいやなものと思い込んでいます。そのことが私たちの嗅覚を鈍いものにしているのかもしれません。都会に住む日本人の多くは、ほとんど毎日のように体を洗い、髪を洗います。都会人は「体臭や口臭は臭い」と思い込んでいます。確かに、我慢の限度を越えて匂う体臭や口臭はうっとうしいものですが、それはすべての人が毎日お風呂に入り、髪を洗い、口臭スプレーを使わなければならないほどのものでしょうか。

 同じツァボでゴンダ・トラディショナル・エンターティナーズというバンドのパフォーマンスを見ました。彼等はアフリカン・ドラムに合わせ、歌って踊るのですが、彼等のパフォーマンスには汗の香りがしました。僕にはなにか、確かな人の存在が感じられて嬉しかったのです。昔、友達と野原を一日駆けずりまわり、汗をかいたあと日に照らされた、そんなときの匂いがしたのです。

 匂いは最も記憶と結び付きやすい感覚と言われています。人は必ずなにか特定の香りに思い出が結び付いています。それと同じに体臭や口臭がするたびに「臭い」と言われつづければ、人は何も考えずに体臭、口臭は臭いと思い込んでしまうようになるのではないでしようか。一生のうちでほとんど風呂に入らない人たちも世界にはいます。都会生活で人と人の距離が近づき、体臭や口臭が臭いと思い込むことによって石鹸や消臭剤の消費量を増やし、水を汚染することよりも、体臭や口臭からその人が誰かを知ったり、漢方医学の先生のようにその人の健康状態を知ったりするような匂いの感じ方を学ぶことが大事だと思いました。僕の匂いを覚え、匂いの重要性を教えてくれた象たちにいつかもう一度会う日が楽しみです。

1994年 月刊セブンシーズ掲載