「アーバン・シャーマン」

  サージ・カヒリ・キング著 小林加奈子訳

  ヴォイス刊

 80年代の半ばからハワイの民族運動が活発になってきた。その結果、ハワイ州の公立学校でハワイ語を教えるようになった。アメリカ合衆国のなかで正式に、公立学校で国語の授業として英語以外の言語を教えているのはハワイ州でのハワイ語だけだそうだ。ハワイはもともとアメリカに侵略された島だった。それ故、かつてのハワイの文化の神髄は観光客用にゆがめられ、もとの形をとどめていない。フラダンスはもともと祈りのためのもので、ダンスではなく、単にフラだった。しかも女性がフラをするのは禁じられていたという。このことはあまり知られていない秘密のひとつだ。つまり本当のフラは封印されてしまったのだ。

 フラ同様、封印された知恵に「フナ」がある。フナとはわかりやすい言葉でいえば、ハワイの人生哲学だ。物事の隠された側面、見えない側面についての知恵をフナという。その哲学を実践する導師を「カフナ」という。

 カフナはどの神についての知恵を持っているかによって三つに分けられる。

「ク」の知恵を授かったカフナは身体の治療や儀式を中心とする宗教、政治、戦闘などの技術を専門にし、「ロノ」の知恵を授かったカフナは漁猟、農耕、造船、航海、木彫、薬草などを専門とし、「カネ」の知恵を授かったカフナは魔術、霊的な教え、心理学を専門とした。

「アーバン・シャーマン」の著者サージ・カヒリ・キングは「カネ」のカフナである。

 去年六月、ハワイに行ったとき、カウアイ島に渡った。サージ・カヒリ・キングに会うのが目的だ。アポイントも何も取らずに行った。精神的指導者に出会うためには多少の偶然が必要だと私は考えている。うまく行けば会える、うまく行かなければ会えない。そして会えなければ、そこには会えなかったことによって私の内側に、会えなかった何かの理由や感覚が浮上する。会えなかったことによって私が得る教訓がそこにはある。

「アーバン・シャーマン」にはカパアに彼の主宰する「アロハ・インターナショナル」があると書かれているのでワイメア渓谷を見た翌日にカパアへ行こうと考えた。しかし、カパアのどこに「アロハ・インターナショナル」があるのか知らなかった。

 グランド・キャニオンのように切り立ち、緑が濃くて美しい、ワイメア渓谷の素晴らしい景観のなかでひとりの青年が上半身裸で太鼓を叩きながらハワイ風のチャントを歌っていた。もしかしたらこの青年ならサージ・カヒリ・キングのことを知っているかもしれないと思いたずねてみた。すると彼は英語の下手な日本人がどうしてサージのことを知っているのかと驚いていた。彼は乗っていた車が故障して、レッカー車が来るまでチャントを詠じていたのだ。彼は車の故障による自分の内面の荒廃を、チャントすることによって癒していたのだ。

 彼に詳しい場所を聞いて「アロハ・インターナショナル」に向かった。

 カウアイ島はすべてが色濃い島だ。海の青、山の緑、土の赤、そして花。何をとってもくっきりとした色を持っている。そして色の濃さが、命の濃さも表している。

 カウアイ島はカフナの島と言われている。その昔、カメハメハ大王がハワイ全島を統一しようとしていたとき、カウアイ島だけはなかなか征服できなかった。大軍を率いてカウアイ島へ上陸しようとすると嵐になるのだ。この風をハワイの人たちは「カミカゼ」と呼んでいる。恐らく日本から移民した人たちがそう呼んだのが定着したのだろう。その「カミカゼ」はカフナの力だったと言われている。カメハメハはついに軍事力によって征服するのではなく、和解によって委譲してもらうためにカウアイ島へ渡りたいと、神にお祈りしてから船を出したところ難なくカウアイ島に着いた。そしてカウアイ島の王と話し、全島統一を実現する。

「アロハ・インターナショナル」のアトリエはキラウエア灯台のそばにあった。残念ながらサージ・カヒリ・キングはそこにいなかった。ドイツでセミナーをやっている最中だと言う。そのアトリエで僕はただの棒を見せてもらった。そこにいた女性は、「この棒にはパワーがこめられている」と言う。当時の僕にはわからなかった。そしてサージ・カヒリ・キングに会えなかった理由もわからなかった。

 現在、私は目黒にあるワン・ネットワークという精神世界についてのカルチャースクールで講師をしている。「ヒーリング・ライティング」という講座だ。その講師を勤めているうちに気がついたことがある。それは言葉がある力を生み出すことだ。そして「アーバン・シャーマン」を読み直してみると、かつて僕には読みとれなかった言葉についての知恵が書き記されている。

 私の手元にはないが、あの棒のことを思い出すと、ある種の力を感じる。もう一度、実際にあの棒に出会ったとき、私はそこに力を感じるだろう。かつての私と、今の私の違いを知ることが、あそこをたずねた意味だった。

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