「イルカと話す日」

    ジョン・C・リリー著       NTT出版刊

 中学一年生のとき、僕ははじめて友達と洋画を銀座に見に行った。「イルカの日」。

 ストーリーは主人公の海洋学者がイルカに言葉を教え、意思疎通ができるようになると、そのイルカを政府組織が誘拐、大統領の暗殺に使おうとするというものだった。ラストシーンの海洋学者とイルカの別れに涙ぐんだのを覚えている。

 その映画以来「イルカ」というとなぜか「日」のつくタイトルが多い。「イルカがほほ笑む日」、「イルカと泳ぐ日」、そして「イルカと話す日」。きっとイルカは未来や希望を示す象徴として存在するために「日」がつくタイトルが多いのだろう。今回紹介する「イルカと話す日」も未来と希望を示す書だ。

 著者はジョン・C・リリー。「サイエンティスト」「意識の中心」などの著書でも知られている脳生理学者だ。そして「イルカの日」の主人公のモデルとなっている。

 去年ベルギーでおこなわれた第5回イルカクジラ会議で直接本人にお目にかかった。「イルカの日」の話しをすると、「ああ、あれで訴訟を起こしてお金をもらったよ」とあっけらかんと言っていた。

「イルカと話す日」は、リリー博士の1955年から68年にかけてのイルカとのコミュニケーションについての研究結果を読みやすく書き直した物に後年の考察を加えている。この本でリリー博士が試みるのは人間の「種の孤立」からの脱却だ。人間は地球上で唯一の知性を持つ動物と一般的には信じられているが、イルカや鯨などの鯨類にも知性があることを示し、彼らとコミュニケーションを取るための研究の軌跡がここに示されている。

 人間は他の種とコミュニケーションが取れないために利己的になり、他の種にとって生存が困難になるような環境を作り出しても一顧だにしない。そのような人間がもし他の種とコミュニケーションを取るようになったらどうなるかを終章近くで述べている。

 もし本当に人間がイルカとコミュニケーションを取れるようになったらどうなるだろうか。リリー博士はこのように述べている。

「いつの日にか、人間が人間以外の生物とコミュニケーションを交わせるようになり、その生物を教師として受け入れることができれば、われわれは基本的な物の見方を変えて、人間中心のものの見方から脱却し、少なくともその生物と共通したものの見方ができるようになるだろう。そのときが来れば人間の環境クオリティーの概念は、人間中心のものから、新しい形の概念へと変化することだろう。だが、人間がおかれた現在の状態では、この新しい概念は、視覚化することも、予想することも、推測することも困難である。人間の考える環境という概念の中に、人間以外の生物が含まれ、その生物とコミュニケーションが交わせるようになったとき、はじめてわれわれは人間中心的な思考から脱却し、異なった視点で人間を眺め、その言語と思考法について考えられるようになるのである」

 人間はすべての理屈を人間中心に作り上げてきた。「地球のために・・・」という標語も人間が中心となって考えられている物ばかりで、本当に地球のものになっているかどうかは疑わしい。何かが地球のためになるかどうかは、地球上の人間以外の生物に聞いてみるしかないだろう。しかし実際には人間は人間以外から話しを聞くことができない。ちょっと前までは人間以外に意識のある動物は存在しないのだからそれは当然と考えられてきた。

 最近では人間以外の動物にも意識があることが広く認められるようになってきたため、「イルカと話す日」が書かれた頃からは状況がだいぶ変化してきている。

 英語がちょっと使えるようになると、英語で話しているときと日本語を話しているときでは、態度や考え方に変化があることを体験するようになる。つまり言葉という思考のための器を変えると、それにともない中身も多少の変化を余儀なくされる。それと同様もし人間が他の動物のコミュニケーションの方法を学んだら、新たな世界観を手に入れることとなるだろう。そして環境について考えるのならば他の生物の世界観も人間の世界観と同様大切にする必要があるとリリー博士は主張している。リリー博士ははじめて研究する他の生物としてイルカを選んだ。象も候補にあがっていたそうだが、飼育費が莫大なためイルカにしたという。

 人間は他人との相互理解さえ難しい、まして他の生物との相互理解となるとその苦労は想像を絶するだろう。しかしその作業を続けない限り人間にとっても明るい未来はないのではないだろうか。リリー博士はさらにこんなことも書いている。

「異種間学が進歩を遂げ、人間の諸制度が発達するにしたがって、人々はしだいに理解するようになる。こうした異種間の結びつきや交渉の一切は、ひとつの準備の課程であって、やがては地球と、銀河系の彼方からやって来る地球外生物の観察者との接触が実現するのであると」

 とてもSF的ではあるが、もし本当に人間以外にこの宇宙に知的な生命体があったとすれば、現在の地球にはとても恐くてやってくることができないだろう。人間が作り出した以外の言語形態を理解する能力を人間が持たない限り、知的生命体は地球に来たくないであろうことは想像に難くない。

「イルカと話す日」は人間にとって新たな価値観を手にする日となるだろう。人は数学という言語形態を手に入れて科学を発達させた。次に手に入れる言語形態が、人間の文化にとってどんな進歩をもたらすか、この本はそのための啓蒙の書でもある。

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