「水とセクシャリティ」

     ミシェル・オダン著

     佐藤由美子・中川吉晴訳

     青土社刊

 波打ち際にいると心が安らぐ。岩に砕ける波を見るのも良いし、砂浜に描かれる模様を見つめるのも良い。そして水の音。人はなぜ水に慰められるのだろうか。

 1996年5月、僕はベルギー・ブリュッセルでおこなわれた第5回国際イルカクジラ会議に出席した。その席上見せられた一本のビデオにとてもひきつけられた。波打ち際の映像から始まるそのビデオは水中出産についてのプロモーションビデオだった。

 大きなプールで何組みもの夫婦がエクセサイズをしている。夫が水のなかに立ち、妻を支え、水に遊ばせている。エクセサイズの名称は「ワッツ」。「water shiatsu」の略(wattsu)だそうだ。出産予定日を迎えた妊婦は陣痛が始まると小さなプールでおなかの子どもの父親とワッツを始める。リラックスをして水に頭までつかると陣痛がやわらぐそうだ。そうやって産まれるときが来ると痛みがうすく筋肉が弛緩しているため、比較的楽に産むことができる。

 産む瞬間には透明なバスタブに移り出産する。出産口が次第に開き、赤ちゃんの頭が出てくる。頭が出て、肩が出て、背中が出て、つるっと産まれる。頭が出てからからだ全体が出るまで一、二分。産まれたあとも、しばらく水のなかで遊ばせる。赤ちゃんの目はしっかり開かれ、表情は笑っているように見える。窒息しないかと心配になるが、へその緒がつながっているのでまったく心配ない。母親のおなかのなかとほとんど同じ環境なのだ。しばらくしてへその緒をつなげたまま、母親の胸に抱かせる。このときほとんど苦しむことなく呼吸を始める。普通の出産ではこのとき赤ちゃんはこの世の終わりが来たかのごとく泣きじゃくるが、水中出産の子どもはあまり大袈裟には泣かない。ほとんど泣かない子どももいる。逆子や双子の出産も非常にスムースで安全におこなわれる。何度となく出産のシーンを見せられ、僕は人間が動物であるという当たり前の事実に深く感動した。

 帰国後このことをマタニティ・コーディネーターのきくちさかえさんに伝えると、「水とセクシャリティ」を読むことを勧められた。著者のミシェル・オダンはイルカ・クジラ会議のパネリストのひとりだった。

 この本には水中出産の歴史、水の力について、ヒトとイルカの関係、サルからヒトへと進化する過程に水が大きな役割を果たしたというアクアティック・エイプ理論などが紹介され、ヒトと水、そしてエロチシズムの関係について論じられている。

 小学生のとき、プールの授業で、足を手で抱え、からだを丸くして水のなかに浮いた。そうやって浮きながら目をつぶり、そのとき聞こえた水中の音、上下感覚の喪失、閉じたまぶたを通して感じられる光の具合に僕は興奮していた。その理由がわかったような気がした。

 海で自然に育ったイルカたちと一緒に泳ぐとき、とても気持ちがよかった。頭の中で聞こえるようなイルカの声、イルカと絡みながら深みへと潜る海、ゆらめきながら差し込んでくる日の光。その快感はもちろんセクシャルなものではない。しかし、この本を読んで、そのときの快感がセクシャルなものにつながっていることを思い出した。

 深みへと潜るときの状態は頭が下になっている。胎児と一緒だ。イルカは深いところへ行くのが好きだ。深く潜っていくときの水圧でからだが締め付けられる感覚もきっと胎児のときに感じたのであろう。そしてイルカと絡みながら泳ぐとき、いつしか上も下もわからなくなる。その目がまわったような感覚も母親が動きまわったとききっと胎児は感じているのだろう。

 心理学者の一部はセックスには胎児の頃への退行現象が見られると唱える。胎児のときの暖かさを感じ、胎児のときの不自由な感覚を味わい、胎児のときの圧迫感を楽しむ、それがセックスだという。そしてセクシャルなセラピーは水辺で効果が高まるとオダンは書いている。

 この本を読んで、僕の心の奥底が求めているものに近づけた気がした。