■◇■僕が食べた旨いもの Vol.11     麻布十番の焼き鳥

 麻布十番にすごく美味しい焼鳥屋さんがある。知人の親戚がやっているということ

で十年ほど前に連れていってもらった。カウンターが二十席程度の小さなお店だが、

作りがとても高級で、一歩店内にはいるとただならぬ雰囲気があった。

 お酒を頼むと竹のとっくりに入れられて出てきた。いまでこそ珍しくはないが、竹

のとっくりは当時はじめて見たものだった。

 もちろん焼き鳥は炭火で焼く。そこの主人はひとりでお店を切り盛りしていた。接

客から調理まですべてである。

 出てきた焼き鳥はどれも芸術的なできであった。火の通り具合、肉質にあわせた味

付け、肉の大きさ、出てくる焼き鳥の味のリズム。タレが出たら塩、塩の次はわさび、

わさびの次はレモン、と次々と肉質にあわせて味が変わっていく。火の通り具合は、

表面がパリッとし、中はジューシー。この焼き加減をすべての焼き鳥に持続する集中

力は並大抵ではない。

 高級店のため値段が高いのでそうしょっちゅうは行けなかったが、何度か通った。

開店後、二年ほどしてひさしぶりに行った。すると一歩店内に入っても、ただならぬ

雰囲気は薄くなっていた。何が違うのかはわからなかったが、何かが違った。カウン

ターに座ると、ご主人のいつもの元気がない。出てくる焼き鳥もほかのところに比べ

れば十分に旨いのだが、以前の驚きは感じられない。

 

 ご主人とのカウンターごしの会話の中でひとつ質問をした。

「毎日同じ味を出すのは大変でしょう」

「そうなんですよ、それが一番難しい。肉の質も変わるしねぇ・・・」

 その言葉を聞いてふと思った。焼き鳥の味が変わったのではなく、僕が変わったの

ではないかと。どの焼き鳥も以前と変わらぬ味と焼き加減を保っているにもかかわら

ず、僕が変わったのではないかと。はじめて来たときは何を食べても感動していた。

こんな焼き鳥食べるのははじめてだったからだ。ところが何度か通ううちに、その感

動的な味が当たり前になってしまったのだ。はじめて来た頃は何を食べても感嘆し、

ご主人にその感動を伝えていたが、当たり前になってからはいちいち感動を伝えたり

はしなくなっていた。もしお客さんの大半が僕と同じだったらどうだろう? 以前は

入ってくるお客さんがみんな「旨い」と感嘆をしていたのに、最近では「旨い」と言

う人が少なくなったとしたら。ご主人が元気をなくすのも当然だろう。

 しかし、プロの仕事とはそういうものである。

 去年、巨人の高橋は開幕戦からしばらくのあいだ四割の打率だった。ところが梅雨

に入る頃から三割になった。すると途端に「以前の元気はない高橋」と呼ばれる。三

割打っているにもかかわらず。プロ野球の選手にとって三割の打率はあこがれの打率

だ。観戦者はそれでもあえて高橋の四割に期待する。そんな期待をされるプロ中のプ

ロになることが本当のプロたる所以だろう。

 ひさしぶりに麻布十番の焼き鳥が食べたくなった。今度行ったらどこかに驚きを見

つけることができるだろうか。

僕が食べた旨いもの

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