■◇■僕が食べた旨いもの Vol.8  フランスパンにオリーブオイルとバルサミコ

   

 去年の一月にマウイ島へ行った。ザトウクジラを見に行った。ラハイナから船に乗

って見に行った。大きな尻尾がガバーッと見えた。海からマウイ島を見ると山のふも

とに畑が広がり、とても美しかった。

   

 そんなラハイナの街は芸術の街でもある。メイン・ストリートにはギャラリーが並

び、日曜日には港の前にある大きなバニヤン・ツリーの下で絵画や彫刻が自由に売買

される。クリス・ラッセンもラハイナで絵を描き有名になった。

    

 ラハイナには三日間いたので何度も食事をしたが、一番印象に残っているのが「フ

ランスパンにオリーブオイルとバルサミコ」である。こんなもの、料理にもなってい

ない。しかし、僕の頭の中ではラハイナ=「フランスパンにオリーブオイルとバルサ

ミコ」なのである。

    

 僕が泊まったのはクレージーシャツの社長がオーナーのラハイナ・インだ。アンテ

ィークな家具がいっぱいで、部屋のベッドが高くて寝るのに苦労した。その一階にデ

ビット・ポールズ・ラハイナ・グリルがある。質素な旅だったのだが、そのグリルで

はちょっと贅沢をした。

    

 グリルに入ると目をむいてしまうような美人のウェイトレスに席まで案内される。

メニューを見てオーダーすると、しばらくして赤ワインと一緒に「フランスパンにオ

リーブオイルとバルサミコ」が持ってこられた。最近では日本でもパンにオリーブオ

イルが用意されることがしばしばあるが、ラハイナ・グリルで皿に注がれたオリーブ

オイルとバルサミコは、見てもいったいそれが何なのか皆目検討がつかず、匂いを嗅

いでも???だった。ウェイターに「これなに?」と聞いて始めて実体を知る。

     

 そもそもバルサミコなんてものはサラダのドレッシングになっているのを食べたこ

とがあるくらいで、まさかバターの代わりになるなんて鼻毛の先ほども思っていなか

ったので、フランスパンにつけて食べるときは一種の冒険だった。だいたい僕はお酢

が嫌いだ。バルサミコをそのまま口に入れるなんて飛んでもないことである。腐った

ワインにしか思えない。しかし冒険と聞くとなんかウキウキしてしまう僕であるから、

オリーブオイルとバルサミコが「冒険だ」と思えた瞬間から目が輝いてしまった。オ

リーブオイルとバルサミコは、まるで水と油のように皿のなかで分離している。白い

皿に赤ワインのどす黒くなったようなバルサミコが沈み、それを包むように薄い黄色

のオリーブオイルがたゆとうている。そこにフランスパンをつけるとバルサミコが小

さな点々をオリーブオイルに残しながらパンに吸い込まれる。オリーブオイルとバル

サミコのしみたフランスパンを噛む。まわりの固い部分がバリバリと音をたてる。そ

して口の中にオリーブオイルのわずかな塩気と甘いバルサミコの香りがやってくる。

そうだ、バルサミコは甘く感じられたのだ。

   

 なかはもっちり、まわりは固いフランスパンを口の中でもごもご噛んで飲み込む。

オリーブオイルとバルサミコの味と香りがパンの香ばしさとともに喉や鼻を駆け抜け

る。これだけでも幸せ感を噛みしめることができるが、後に赤ワインを飲む。魔法の

ようにすっきり。いっぺんで病みつきになった。オードブルが来る前にフランスパン

を食べきってしまった。もちろんお代わりをして、スープが来てもお代わりをして、

サラダが来てもお代わりをして、ワインもハーフボトルを追加して、へべれけ一歩手

前まで酔っぱらい、結局メイン・ディッシュを食べるのがつらくなった。お馬鹿さん。

だいたいメイン・ディッシュに何を食べたのかさえ覚えていない。

    

 その後、日本に帰りフランスパンにオリーブオイルとバルサミコを何度か食べたが、

ラハイナの衝撃はなかった。きっとベストマッチングをもたらすオリーブオイルとバ

ルサミコがあるのだろう。それともあの街の雰囲気が調味料だったかな? ザトウク

ジラに会える街、芸術の街、はるばる来た街。

    

 ホエール・ウォッチングも良いが、フランスパンにオリーブオイルとバルサミコを

食べに、もう一度ラハイナに行きたい。

僕が食べた旨いもの

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