○以下はニフティサーブの『現代思想フォーラム』に、971223日にアップしたものです。

『ぼくらの勇気  未満都市』を見ましたか?

21日(日)に最終回を迎えた『ぼくらの勇気』というドラマ、これは、
3年前には絶対に成立しなかったドラマだと思います。
キンキキッズ(正式にはローマ字表記だけど)が主演しているから、
単なる子供向けのドラマだと思われていたかも知れません。
もちろん、それなりにファンサービスもあり、甘いところもあり、
政府次官役の加納典明はヘタくそだし、チラッと見てやめた方
も多かったでしょう。

しかし、この話を見おわった全体として、こういう物語が成立した
土壌にこの3年の日本の激変があったことを感じ、少なくともテレビ
ドラマの世界では、恋愛の変奏と、過去に成立した物語の相対化(パ
ロディと言ってもいい)しかなかったところに、ある意味新風を吹き
込んでいた気がしました(おそらく、それゆえに、キンキが出ていな
がら大ヒットはしなかったのだろうと思う)。

筋を簡単に紹介すると(実は後半しか見てないが)「幕原」という所
にある日隕石が落ち、それに伴う謎の微生物の影響を受けて、
20以上の大人が死滅してしまう。
政府はこの地区を隔離し、閉ざされた世界で、少年少女たちだけの
生きる戦いが始まる……。

が、実は落ちた微生物は隕石についていたのではなく、政府が食料問題
解決の研究のために飛ばした人工衛星に積まれていたものだった。秘密
を知った主人公たち(キンキキッズたち)は、人工衛星に付着していた微
生物の危険もなくなり、解放されたはずの幕原に戻り、最後の戦いを挑む…。

新しく感じたのはラスト。かつての全共闘よろしく、幕原のバリケード内に
残ったキンキたちは、取り囲む政府軍(自衛隊?)に10分の猶予を与えられる。
「正義のためにカッコ良く死のう」という仲間に対して、堂本光一扮するヤマ
トは、(ちなみに、堂本剛はの役名は「タケル」これが何をイミするかは明白)
「俺たちが死ねば政府の思うツボだ、今日のことを忘れず大人にならなけれ
ばイミがないんだ」と説得する。そして、証拠の品(衛星のカケラ? 定かに
はならない。ムダなものかも知れない)を分け合い「20年後にここで合おう」
と誓い合う。

石丸謙二郎扮する(これが最高に良かった)対策本部長に、ヤマトたちは笑って
対する
石「何を笑っている、何をたくらんでいるんだ!」
ヤ「かわいそうだからさ、あんたたちは、どうしたって俺たちにはなれない
    だが俺たちはなれる、そして、あんたらのようにはならない」
石「突撃!」
ヤ(証拠の品のひとつである白い花を活けたビンを仲間たち全員が石丸に差し出す)
(そして、<20 、と描かれた旗が落ち、少年たちが両手を挙げる)。


「ぼくらの勇気」とは、古い物語の枠内に死ぬことではなく、日常に帰って
たたかいを続けることだったのである。

説明だけだと理屈っぽく感じられるかもしれないが、幕原のサバイバルの描写
が、神戸に5日めに入った私から見ても、リアリティが感じられて胸に来るも
のがあった。

大人は今の生活を捨てられず、したがって今の文明(大きく出すぎか?)を捨て
られないが、子供(まあ、キンキくら育っちゃえばムリと思うが)はいくらでも
ゼロから始められる。

かつて魯迅が「狂人日記」の中で「人を食ったことのない人間は子供だけだ」
と書いた。なにも子供が天使だなどと言う気はない。ただ、今もなお、生まれ
た瞬間に白紙であることは事実だし、誰もみな、白紙から始まっている。それ
を思えば、すべてが行き詰まりであるワケではないと信じたくなってくる。

ヤマトたちは日常に帰って何かができるのだろうか? 今は何もできまい。だが
忘れないための誓いであり、忘れさえしなければ何かできる日も来るだろう。

政府がヤマトたちを抹殺しないハズはないとか、そんな現実論で見るよりも、
これを見たキンキファンの子供たちが、どこに共感するのか、それが興味で
ある。

と、いうわけで、再放送でもあったら見てみてください。

今、明日最終回の『少女革命ウテナ』と並んで、非常に興味を持っていたド
ラマの最終回のご紹介でした。




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