photo一九九○年当時、僕は小さな出版社で編集

の仕事をしていた。

仕事がら調べものをすることには慣れてい

たので、早速、近頃頭を去らなくなった

〈講談〉について、できる限りの情報を収

集してみることにした。

近年、とみに発達した情報メディアにコンピュー

タ通信というものがある。簡単にいうと、普通の

電話回線に手持ちのパソコン(ワープロでも代用

できるものが多い)をつなぎ、情報を沢山もって

いるサービスセンターにいくばくかの料金を払っ

てそこのコンビュータに、自分が調べたいことに

ついての情報を分けてもらうのである。

タイトルはその接続ポイントのことである。

たとえばあるサービス・センターに「コウダン」

という項目の情報を請求する(これはカタカナで

しか打ち込めない)。

このま一まだと「道路公団」なんていうのがでて

くるので、「エンゲイ」という項目も加えておく。

すると……。

当時にして79人もの「コウダン・エンゲイ」

に係わる人との名前と生年、経歴などが、

実にA3の用紙に13枚ぶんもズラズラーッと

ながれ出てきた。

一人目は先月も本誌(「東京かわら版」)で紹介の

「本牧亭の灯は消えず」の石井英子氏。続いて

「一龍斎」の一門

が並ぷ(情報は物故者を含む)。さらに明治新

講談の祖伊藤痴遊、落語家ながら講談にも興味

を特ったとして円朝一門の快楽亭プラック……。

おお、かの天才・上岡龍太郎の名も見える。なになに、

43年に「漫画トリオ」を解散後、講談の旭堂南陵に師

事して講談を修行とある。なるほど、あのメリハリの

効いた語り口調は講談からのものだったのか。

さらに「神田」一門、「旭堂」(関西)、「宝井」「田辺」……。

驚いたのは演目の多彩さである。「赤穂義士伝」

大岡政談」」「太閣記」は当然ながら、数々の自浪もの、

怪談もの、「大菩薩峠」「マ

ラソン講談瀬古物語」、「雇用機会均等法物語」、反核

護談、フラメンコ講談・…・、およそ講談にならない素

材はないのではないかとさえ思われるほどである。また、

講談師たちの経歴も、どうも他の演芸人とはちがった色

があるようだ。まず平均して入門の年齢が高い・落語家

からの転身もなくはないが、サラリーマン、新劇俳優、

などが目立ち、中には政党党員や理系の大学院卒(旭堂

小南陵師)というのも。こんなにヴァラエティにとんだ

講談という演芸が、今まで自分と接点を持たなかったの

は不勉強のゆえなのか、それとも・……、本牧亭の休止

した年のうちに、近年としては異例な4人もの入門者

が神田、宝井に入り前座となる。前述の関東四門に小金

井、挑川の各1名(※)を加え、今年5月現在、関東の

講談協会に60人の講談師がいる。僕の<講談>へのアク

セスはさらに熱を増してゆくのだか、あとは次回の講釈にて。




(※92年当時)
(すいませんねえ、読みにくくて…↑。なんか、いい見せ方ないすかね?)