『講談ビル・ゲイツ』
(イントロ、及び本文)
(注・文中の〔 〕は高座での図表の提示を意味しています)

<イントロを飛ばして本文を読む>

★★★『講談ビル・ゲイツ』の有効性★★★


たとえばあなたが旅に出て、遠い国に着いたとしよう。

宿に着くと番頭に、見たことも聞いたこともない物体を

目の前に出されて「これは大変便利なモノで、この国で

はみんなこれを使っています」と言われたとしよう。 

見ると何やら四角いモノで、押すところが並んでいた

り、板や円盤を入れるところがついていたりする……。

だが、それが何かは見当がつかない。躊躇していると番

頭が急かすのだ「さあ、早く使ってください。使わない

とこの国では生きていけませんよ……」当然あなたはた

ずねるだろう。                  

「これは何に使うモノですか?」「どういう時に使うの

ですか?」「どうしても、使わなくてはいけないのです

か?」それには番頭がこう答える。         

「何にでも使えるんですよ」「いつでも使えるんですよ」

「使った方がいいに決まっているでしょう」。さあ、あ

なたはどうしたらいいのでしょうか?        

96年現在、日本社会でパソコンの前で途方に暮れて

いる人々はまさにこの旅人と同じ立場にあります。しか

し多分誰も、旅人を満足させる答えを思いついていませ

ん。何故なら番頭の答えは間違っていないからです。 

ならば、その物体に近づくためにはどうすればいいの

でしょうか? 旅人がこう聞けばどうでしょう。「これ

は何のために作られたのですか?」「どういう人が作っ

たのですか?」「どういうシクミで動くのですか?」。

どんなに大雑把な理解でも、直観的にそれが腑に落ちる

ようになれば、少なくとも「パソコンアレルギー」など

と言ってせっかくの利器を無用な疎外感や焦燥感の源に

変えてしまうことはないはずです。そのために、膨大な

量のマニュアルを与えるのとは全く反対の、一人の人間

が語りかけるという「講談」という方法論の有効性を検

討することは益なきことではないはずです。マクルーハ

ン流にも「クール」と「ホット」の両極端と言える「パ

ソコン」と「講談」の組み合わせによる『講談ビル・ゲ

イツ』。メディアの新世紀はそこまで来ているようです。

☆☆☆『講談ビル・ゲイツ』の概要☆☆☆

『講談ビル・ゲイツ』は、講談師・神田陽司が1996

年に発表した講談読み物である。          

講談としては長い40〜50分の内容は大まかには三

部で構成されている。               

まず一部はイントロとしての「ウィンドウズ95」の

発売や、世界一の資産(王室関係をのぞく)を記録した

ビル・ゲイツという存在について。そして彼を今の地位

に押し上げた力の源としてのパソコンについて。図解や

軽口を多用して、観客の興味の中心をパソコンとビル・

ゲイツに導いていく。口演という性格上、場所や観客に

応じて臨機応変に内容が変えられる。また必要に応じて

より突っ込んだコンピュータの歴史(バベッジの解析機

関など)や、「ウィンドウズ95」以降の内容を盛り込

むための導入部(インターネットなど)も用意されてい

る。                       

二部はビル・ゲイツの生い立ちをはじめ個人史、ボー

イスカウト経験やコンピュータとの出会い。そして初プ

ログラムとそれに伴う友人との別れというドラマチック

なエピソードで構成されている。ほとんど知られていな

いビル・ゲイツ個人の、いわば人間的な側面を垣間見せ

ることで、その業績全体に感情移入できるような興味を

引きつけるパートである。             

三部の初めにあたって、ビル・ゲイツが参入する前後

のパソコン界の動静を追って、実際に業界を作り上げて

きた偉人たちの横顔も紹介する。そしてマイクロソフト

とIBMの提携に際しての裏話。あらゆる点でその後の

歴史を変えた「MS−DOS」の契約のシーンを頂点と

して物語はクライマックスを迎える。日本では希薄だと

いわれる「起業家精神」の権化、ビル・ゲイツの真骨頂

ともいえる(一部フィクションを含む)エピソードは、

人物紹介にとどまらない「講談」の面白さを発揮する。

この三部の比重を変えることよって、パソコンの状況

をめぐる様々なテーマの表現に対応することができる。

これが演者=作者である「講談」というメディアの最大

の利点であることは論を待たないであろう。     



本文のイントロ(ここからが高座で読む部分)

(〔ビル・ゲイツ〕などカッコ内は図表を見せたところ)


『講談ビル・ゲイツ』         

元来、講談には「立志伝」と申しまして、

英雄あるいは時の人、大金持ちといった方を

とりあげるジャンルがございますが、現代に

おいてその「立志伝中の人物」と申しますれ

ば、この人をおいて他にないでしょう。  

〔ビル・ゲイツ〕        

この方、名前をヘンリー・ウィリアム・ゲ

イツ三世と申しまして、今年の個人資産が驚

くなかれ1兆9800億円(私の一万倍)。

社員は全世界に16万人。年わずか40才に

して世界のパソコン界を支配するマイクロ・

ソフト株式会社の創業者にして総帥。天才プ

ログラマーとの誉れも高い、「偉大なるビル

・ゲイツ」その人なのでございます。   

さて、物語に入ります前に、話の展開上ど

うしても、「コンピューター」なるものの説

明をしなくてはなりません。この方が世界一

の大金持ちになれたのは「パソコン」の「プ

ログラム」を作って売ったからです。えと、

これ、ご存じですよね。         

〔ウィン95〕         

ご記憶に新しい方もおられることでしょう

昨年11月23日、午前零時に秋葉原で花火

を上げて文字通り鳴りモノ入りで売り出され

た「ウィンドウズ95」でございます。すでに

国内で〔500万〕本、世界中では〔4千 

万〕本売れたそうですが、ちょっと中を覗い

てみましょう。ああ、CDのオマケつきです

ね…って、実はこのCDが「ウィンドウズ9

5」そのモノでして、これ、プレーヤーにか

けても音楽が入ってるわけではないんですね

これをパソコンに入れると、この中に記録さ

れているのが「プログラム」これを売るのが

この方のご商売なんですが…。      

そもそも『パソコン』とは何か? パーソ

ナル・コンピューターつまり、「個人用のコ

ンピューター」のことですね。では、コンピ

ューターとは何か? あの、今では何処へ行

ってもみることのできる、前に画面があって、

キーボードをカタカタ叩いて…今は「インタ

ーネット」を知らないと時代に置いていかれ

るような脅迫観念すらありますが。    

「コンピューター」なんて偉そうなこと言

っても日本語でいえば「電子計算機」なんで

すね。では「電子計算機」とは何か?   

「電子」をとれば「計算機」       

          

実はコレです。ジーッ、パチパチににんが

4、ニイチテンサクの5…ソロバン。大きな

声で自信を持って言いましょう。     

「パソコンとは、全自動ソロバンである」 

ソロバンは指で弾きますが、パソコンは  

「1」っと入れると勝手にイチが入る。4つ

上げると、電気仕掛けで5ダマが下りてくる

ただそれだけの機械なんですよ、あれは。 

え、? パソコンの画面を見てると、写真

が映ってたり、絵が動いたりしている? い

や、それは不思議ではないでしょう。たとえ

ばこのソロバン、こうやってタマを上げると

〔ソロバン「一」〕       

ホラ、ここに「イチ」の文字が見えるでし

ょう? ホントは「タマ一個」で「イチ」を

表せるのに、判りやすいように漢字のイチを

出すと、タマが8個もかかりました。どんな

にモノ凄い映像でも、「インターネット」で

世界中から情報が届くとか言っても、要する

に、この一個一個の玉が上がるか下がるして

「イチ」を表している、これが、何億倍も複

雑になっただけなんです。何も驚くような事

はありません。まあ、ご不満な方も多いでし

ょうが、少々お待ちください。      

お次は「プログラム」です。たとえば、こ

こにあるこれ、実はコンピューターなんです




ね。あの、机の上でカタカタのものとどこが

違うかというと、それには、「プログラム」

が2つしか入ってないんです。ほら、こう、

1を押すと…計算ができる。で、これを押す

と…音楽が鳴る。で、プログラムが切り換わ

ると。どーいう仕組みになっているかと申し

ますとね…。              

箱の中の本体を分解しますと、大まかには

CPUとメモリーに別れます。でこれがま、

エンジンと思ってください。ペンティアム1

00とか150とか、ま、時速100キロ出

るとか150キロ出るとかと同じです。で、

メモリ、これがいわばソロバンのタマ、真空

管の詰め込まれたトコなんですが…。   

で、このCPUでもって仕事をさせるところ

に、この、小人が沢山いるワケで…。



何しろ、コイツらは「ワチャワチャ」とか

言って、人間の言葉通じないんですね。それ

が何しろ、だいたい今の普通のパソコンには

1億2千800万人いますからワケわからん

わけです。で、この小人に、どういう仕事を

したらいいのか、命令をするのがプログラム

なんですね。「お前は一のボタンが押された

ら1を出せ」とか、別のプログラムでは「お

前は1のボタンが押されたら」「ド」と歌え

とか…。まあ、かなり、メチャメチャ単純に

言うとそういうことになります。     

このプログラム、というのは、人間の言葉

は通じませんからこの小人に読める「命令 

書」の形にします。ことでして、昔はパンチ

カードで、今はこの、CDね。これは実は5

0億個も穴が開いてまして、これでダーーッ

と教えるわけです。ですから、極端な話、こ

の楽器の中のコンピューターに別のプログラ

ムを教えれば、小人が絵を書いたりもするワ

ケです。ま、ちょっとこれでは力不足かと思

いますけど…。             

何にせよ「プログラム」は「命令書」のこ

とですから、ちょうど音楽と同じように、こ

こに入ったら何万枚でも複製して、その印税

は莫大なものになる…ということでビル・ゲ

イツです。               

え〜、このままだとパソコン教室になって

しまうんで、『講談ビル・ゲイツ』しばらく

の間おつき合いを願っておきます。



    

☆☆☆☆★★★★「講談ビル・ゲイツ」本文★★★★☆☆☆☆

今を逆上ること40と1年、日本ではまだ

GHQの占領が終わったばかりの時代昭和3

0年。西暦1955年10月28日。アメリ

カはワシントン州の中程、かつてゴールドラ

ッシュの時代にはその入口として繁栄をほこ

りましたシアトルという町に、父・ヘンリー

・ゲイツジュニア、母、メアリー・ゲイツの

間の長男として生まれ落ちましたのが、ウィ

リアム・ヘンリー・ゲイツ3世でございます

もちろん、母の胎内よりい出ましたその時に

口には銀のスプーンをくわえておりましたが

すぐに本人が口からとりあげて、「すぐに相

場を見て、高値で売ってくれたまえ」   

と言ったとか…アメリカンジョークにござい

ます。                 

この男こそ誰あろう、40年後には全世界

の何千万台のパソコンをたった一人で支配し

かつ個人資産が2兆円に届くという世界一の

大富豪、人呼んで「偉大なるビル・ゲイツ」

その人なのでございました。       

と、申しましても豊臣秀吉や松下幸之助の

ように、裸一貫で叩き上げ…というのではご

ざいませんで、父は弁護士、母は銀行家の家

柄という、シアトルでも指折りの上流階級で

出でございました。           

さて、一男二女のまん中に生まれましたビ

ル少年。体は小さく、遅生まれのことも手伝

ってあまり体力はありませんでしたが、大変

活発な少年で、この写真や伝説から見るよう

な家に籠もりきりのガリ勉オタクということ

ではなく、ドッヂボールが大好きで、ローラ

ースケートやボーイスカウトにも熱心に参加

をするというま、「ヤンチャ坊主」だったそ

うでございます。            

しかし、栴檀は双葉より芳しと申しますか

9才の時には百科辞典を読破、好きなものは

数学だったというから、ま、コマッシャクれ

たガキ、だったわけでございます。    

そんなビル少年にまず大きな影響を与えま

したのが、1962年、地元シアトルで行わ

れた万国博覧会でございました。丁度ソビエ

トのガガーリン少佐が「地球は青かった」と

言って宇宙に飛びだした矢先、アメリカでは

アポロ計画が始まり、万博のテーマは「21

世紀」天高くそびえ立つ空中回転レストラン

から故郷を見下ろしたビル少年、科学の進歩

の素晴らしさをその胸に深く刻んだことでご

ざいましょう。             

(この1962年というのは…)。    

さて、月日に関守なくビル少年も、12才

いよいよ中学へ進むことになりました。しか

し、母親は、息子の将来を案じておりました

ビル家ではいつもトランプで皿洗いを決めて

おりましたが、ビル少年は、負けるとわかっ

ていても「僕は頭を使っている間は絶対に勝

負をあきらめないんだ〜」と言って聞きませ

ん。母親のメアリーは「こんなにヤンチャで

は、普通の友達とはうまくやれないだろう」

と考えて、地元の公立校には入れず、自由な校風

で聞こえた私立の「シアトル・レイクサイド

・スクール」に通わせることとなりました。

ここで、ゲイツ少年は2つの大きな出合い

をいたします。まずひとつ目は、この学校に

はコンピューターがあったこと。いや、正確

にはコンピューターにつながるタイプライタ

ーがあった、てなところでございましょうか

と申しますのも、1970年当時、まだこ

の世には「パソコン」なるものは存在してい

なかったのでございます。コンピュータはこ

のホール一杯くらいに大きな機械で、一台が

何億円もするものですから、少々高級な私立

学校でもおいそれと買えるものではなく、時

間決めでコンピューター会社と契約をしまし

て、電話線を通じて学校のタイプに繋ぎ、生

徒たちは代わるがわるそのタイプの前に座る

…これがパソコン通信のハシリとでもいうわ

けですが…当時はまだ絵が出るような装置も

なく、ワープロもなく、せいぜい簡単な計算

問題や、3目並べといった数学的なプログラ

ムを、各自で書いて遊ぶ、といった程度のも

のでした。               

生徒たちの何人かは夢中になり、コンピュ

ータールームに入り浸りになりましたが、中

でも頭角を表してきたのがこのビル少年。た

だ通信するだけでは飽き足らず、コンピュー

ター会社のパスワードを盗んで、時間決めの

はずを何時間もタダで使ったりと、タチマチ

「コンピュータールームの問題児」となった

のでございます。            

そんなある一日、太った、いかにも貫祿の

ある大人びた一人の生徒がビル少年に声をか

けて参りました             

「やあ、君が噂のビル・ジュニアだね? 君

はホントにコンピューターが好きなんだね」

少年の名はケント・エヴァンス。牧師の息

子ながら独立心旺盛な子供でした。ケント君

はビルの側へ近づいてきて…。      

「どんな本を呼んでるの…へえ『エレクトロ

ニクス・ニュース』に『ポピュラー・エレク

トロニクス』ふーん、コンピューターの本ば

かりだねえ」              

「ああ、今はたんなる楽しいオモチャだけど

いつかこいつが、世の中を変えるような気が

するんだ」               

「本は他にどんなのを読んでるの?」   

「『ドリトル先生』とかターザンの本も好き

だけど、ヤッパリ一番は数学の本だね。数学

はなんていうか、ワクワクするんだ。君は」

「ぼくはコンピュータも好きだけど、こうい

うのも面白いよ」とケント君が見せたのは 

『ビジネス・ウィーク』や『ウォール・スト

リート・ジャーナル』と言った商業誌でした

牧師の息子ながら実業家をめざすエヴァンス

の知識や堅実な考え方にはさすがの天才ゲイ

ツ少年も舌を巻いたそうでございます。  

(こいつら中学生のくせに…)。     

このケント君との出合いがなければ、ビル

少年は単なる数学者かエンジニアで終わって

いたかも知れません。中学から高校へ進むに

つれ、「ヤンチャ坊主」のビルと「大人び 

た」ケント君はますます仲良くなっていきま

した。ある日、キャンプに行くと突然の雷雨

が襲いました。全員が建物に避難したのに、

ゲイツとケント君だけが雨で潰れたテントの

中で頑張っていました。         

「ビル、みんな逃げ出したのに、君はいつも

勇気があるなあ」            

「ケントだって逃げずに頑張ってるじゃない

か」                  

「僕は動作が鈍いからさ…。ビルはボーイス

カウトでも、いつもドロンコ賞をもらってる

じゃないか」              

「あれはキャンプに行く時、いつも母さんが

白のシャツを着せてくれるからさ…。だから

目立つんだよ。でも、ボーイスカウトは好き

だな。僕は何でもいいから、冒険がしたいん

だよ。僕は自分がチビだってことは自分でも

分かってる。だけど、冒険は体力でやるも

のじゃない、心でやるもんさ。どんなキャン

プの帰りでも、みんなヘトヘトなのにいつも

僕だけは元気だから。それでいつも大声で言

うんだ、『早く次へ行こうぜっ』ってね」 

「凄いなあ。僕みたいなフトッチョでもやれ

るかな?」               

「やれるよ、君には商売の才能があるじゃな

いか」やがて嵐が去ってテントから出ると、

そこには満天の星空がありました。    

「よしビル、僕はいつかでっかい会社の社長

になるよ。その時には、君も一緒だよ」  

「ああ、きっと、約束する」       

空に吸われし十五の心…やがてふたりは大

学へ進み実業界へ…となるのがフツーの展開

でございます。             

ところが70年代のヤング・アメリカンは

そんなものを待つことはできません。(ある

いは徴兵制のことが頭にあったかも知れませ

ん)2人はさっそくコンピュータの会社を作

り、実際に仕事を受けはじめたのです。その

名も「レイクサイド・プログラマーズ・グル

ープ」なにしろ天才ビル少年がいる。そして

ケント君の知識を活かした巧みな売り込みも

功を奏して、いくつかはコンピュータ会社で

採用になったものもありました。そんな中で

二人に嬉しい大仕事が舞い込んできました。

それは、母校レイクサイド・スクールの 

「時間割りを作るプログラム」でした。ビル

少年が高校に進む時、レイクサイドはセント

ニコラス女子校と合併をすることになったの

です。なにしろ私立高校の授業は完全選択制

ですから、全員の希望を通そうとすると体育

が3時間続く生徒とか、5クラスが一遍に音

楽室に入るとか、大混乱になりまして、とて

も人間技では公平に裁けません。そこで、天

才ビル・ゲイツの名を聞きつけて、校長自ら

「レイクサイド・プログラマーズ」正式のア

ルバイトとして依頼してきたのでした。  

「わがグループ初の大仕事だな」     

「そうそう。それに、うまくいけば、女子ば

っかりのクラスに入るのも簡単だよ。プログ

ラムを作るのは僕たちなんだし」     

「うまくいけば一気に名前が売れて、本格的

な会社が作れるかもしれないよ」     

彼らはすっかり仕事に入りこみ、時には2

晩徹夜をしてプログラムを続けました。(後

のマイクロソフトの、日本人も真っ青という

仕事中毒ぶりはこの時に培われたものです)

在学中の生徒に金を払って公務をさせるとい

うのも、なんというかアメリカらしい所です

ところが、完成をま近いにしたビル少年の

所に電話がかかってきました       

「もしもし、あ、校長先生ですか? 大丈夫

です。9月の新学期にはきっとプログラムを

完成させますよ。ケントも燃えてますから」

「…そのことなんだがね…、さっき知らせが

あって、ケント君が……」        

1972年5月28日、ケント・エヴァン

スは、プログラムに疲れ切った体だったのに

無理矢理登山訓練に参加してベリンガムのシ

ャクサン山で足を踏み外し、岩に頭をぶつけ

て救助のヘリコプターの中で息をひきとった

のでございます。            

「ばかなケント。冒険は体力じゃない、心で

するものだって言ったのに…」      


うちひしがれたビル・ゲイツでしたが、一

度受けた仕事は完成させなくてはなりません

急遽、コンピュータールームでビルと並んで

天才の呼び声高かったすでに卒業していた2

年先輩のポール・アレンに助けを求めプログ

ラムを完成させました。その報酬4200ド

ル。それがソフトウェアの帝王・ビルゲイツ

の悲しき第一歩となったのでございます。 

………完成したプログラムでは、実際ビル

少年以外は全部女子という授業を組んだらし

いから、こんなシリアスな話ではないのかも

知れませんが、私生活には控えめなビル・ゲ

イツがこの「女子ばかり集めたクラス」とい

う話を好んでひけらかすのは、その裏の悲し

い思いでを隠すため…と考えるのは私だけで

しょーか?               

ところで、そんなビルの青春時代、実はコ

ンピュータ界に一大革命が起こっていたので

ございます。              

1971年4月、「インテル、入ってる」

で今はお馴染みのインテルが、世界初のマイ

クロ・プロセッサを発売したのです。その頃

までのコンピューターはばかでかい冷蔵庫ぐ

らいある装置が部屋中にあるようなサイズで

した。なぜかと言うと…さっきの、コンピュ

ータ=自動ソロバン説を思い出してください

このソロバンの玉、これが、上に上がるか下

がるか、電気が入るか切れるか、それがコン

ピューターでは真空管からトランジスタにな

り、そのトランジスタがICになり、それが

何十個、何百個、何千、何万と詰め込まれた

モノがこのマイクロ・プロセッサでございま

す。その小型化、高性能化はすざまじく、か

つてアポロ11号が月に着陸した頃のNASA

の全部のコンピュータの性能よりも、今、家

庭にあるパソコンの方が上回っていると言わ

れるくらいです。            

〔カシオ内〕            

★★★★★★★★★★★★★★★★    

さて、                

両親が進めたハーバード大学を早々に中退

し、あの、時間割プログラネムを組んだポー

ル・アレンと共に、わずか19才にして本格

的に「マイクロソフト」でプログラムを書き

そして売り始めたビル・ゲイツ。もはやビル

少年ではない、たった2人の会社でもれっき

とした会社社長となったのでございます。 

そして、1975年9月、世界初のパーソ

ナル・コンピューター「アルテア」にこれま

た世界初の「パソコン用BASIC」を書い

たのを皮切りに、天才プログラマーの才能と

ケント・エヴァンスから受け継いだ商魂と限

りない前進への情熱とで業績を上げ、その間

に日本から西和彦が現れて副社長になったり

あの、大統領候補ロス・ペローに見いだされ

て会社を買われそうになったり。波瀾万丈な

中をビル・ゲイツは一日20時間労働で走り

続けました。そして今や社員40名のマイク

ロ・ソフトの〔40名〕人を率いるリーダー

となりました。ちょっとその頃の主要メンバ

ーを見てもらいましょう。        

〔マイクロソフト〕       



この頃のパソコン業界というのは、ヒッピ

ーとコンピュータオタクで作られていました

有名な話があって。ヒッピータイプは「正し

いことをいいかげんにやる」オタクタイプは

「間違ったことでも一生懸命にやる」一緒に

働かせるとと>「間違ったことを一生懸命に

やる」……多くの会社はそうして業績を下げ

時代の流れに消えてゆきました。しかし、マ

イクロソフトは、ビル・ゲイツの理想主義で

その逆を行きました。さて、5年前までは影

も形もなかったパソコン市場が、わずかの間

に奇跡の成長を遂げ1977年に発売された

「アップル2」             

〔アップル〕          

このマークのついたパソコンは大ブームを

巻き起こし、今や年間1兆円億円の巨大市場

となっていたのでございます。      

このアップル社もまた、スティーブン・ヴ

ォズニャク、スティーブン・ジョブズという

ビル・ゲイツたちと同じ同級生で始めた若者

たちの会社でした。           

ここで、このパソコン業界の趨勢に遅れま

じと、成りだして参りましたのが、眠れる巨

人IBMでございました。        

〔IBM〕           

インターナショナル・ビジネス・マシーン

ズ。日本語に訳すと「国際事務機械」なんか

たいしたこと無いですが、このIBM・別名

「ビッグ・ブルー」こそが、1944年の世

界初のコンピューターアメリカ海軍の「マー

ク1」その歴史の始まりから係わってきた唯

一のコンピューター会社だと言えるでしょう

その社員数は全世界で38万人、年商6兆円

まさに「コンピューター帝国」の名にふさわ

しいのIBMは、それまで大型コンピュータ

ーを中心に歩んできましたが、年商1兆円に

も膨れ上がったパーソナルコンピューターの

市場に遅れてならじと、その巨体を進めてき

たのです。               

IBMの至上命令は「1年以内にパソコ 

ン」を売り出せ、でした。ところが、本体部

分は今までのノウハウで作り出せましたが、

内容となると、大型とはあまりに勝手が違い

すぎました。コンピーュターの基本は同じな

のですが、その上に乗るOSとなると…そこ

で、運命の白羽の矢が、ビル・ゲイツ率いる

マイクロ・ソフトに向けられたのでした。 

技術者とか、プログラマーとか、チャント

この小人の言葉を習得した人にはどうどうや

ったら言葉が通じるか分かるんですが、それ

では普通の我々は「ワチャワチャ」とかの言

葉を覚えないと使えない。そこで登場するの

が「OS」くん。それがビル・ゲイツの作っ

た実はこの               

○〔ウィンドウズ95〕       

もOSでございます。「ウィンドウズ95」

は、たとえば「ワープロ」とか「ゲーム」と

か画面に指示が出るので、その指示に従えば

プログラムを切り換えることができます。 

そしてその先祖である「MS─DOS」と

いうワケなんでございます。       

IBMがビッグ・ブルーと呼ばれたのは、

社員全員がキチッと「ブルー」のスーツを着

込んでいたからだそうですが、その発想の堅

苦しさが若者中心に広がってきた「パソコ 

ン」文化を吸収できず、この連中に頼らなく

てはならなくなったのでございます。   

とにかく、1980年、9月30日、ビル

・ゲイツらマイクロソフトの主要メンバーの

3人は、飛行機に乗って、IBMの本拠地、

マイアミへと乗り込んだのでございます。 

「おい、ビル、スーツは持ってきたか?」 

「もちろんさ、じゃ、着替えようぜ」と3人

は空港の男子便所でラフなスタイルからスー

ツに着替えました。まるで就職の面接に来た

ヤンキーの兄ちゃんでございます。    

「あ、しまった、ネタクイを忘れたよ」  

「もう時間がない。仕方ない、途中でコンビ

ニに寄って買って行こう」        

ようやく時間に間に合って、社員40人の

ベンチャー企業の社長たちが、社員38万人

のIBMの本拠地へ乗り込みました。   

しかし、重役室に入った3人はまるで部屋

を間違えて入って来たアルバイトの少年に見

えました、特に気に入らないという顔をした

のは、IBMのソフトウェア・エンジニアで

たたき上げの「エド・カイザー」という人物

でした。                

「重役、マイクロソフト社長以下3名、お見

えになりました」            

「ああ、入りたまえ…」         

「どうも、はじめまして。マイクロソフト社

長のビル・ゲイツです」         

「ああ、どうも。…君、ネクタイが似合わな

いねえ。まるでさっきコンビニで買ったばか

りに見えるぞ」。            

いきなり見下された3人でしたが、いざ商

品のことになると、ビルの知識は舌を巻くも

のがありました。これには居並ぶ重役たちも

目を丸くしましたが、カイザーだけは違って

おりました。なにしろカイザーはエンジニア

出身、ビルの説明にいちいち食い下がりまし

た。                  

「それで、君たちが我がIBMのために用意

してくれるプログラムのことだが…」   

「はい、われわれは、DOSという素晴らし

OSを開発しました、これをIBMのパソコ

ンの為にさらに改良をいたします」    

「君たちが作った…OSを? 本当かね?」

何やら含みのある顔でエド・カイザーはビル

の顔をねめつけました。これには、ビルも一

瞬冷や汗をかきました。何故なら、実はこの

DOSはいわく因縁つきのものだったからで

す。それはマイクロソフトのライバル会社の

ゲイリー・キルドールという人が作ったOS

とそっくりなのでした。もし、自分たちが独

自に作ったという信用を得られなければ盗作

として訴えられるかも知れないのです。  

しかし、ビル・ゲイツには自負がありまし

た。あの、コンピューター帝国のIBMがパ

ソコン業界に参入する。そしてOSを外注す

る…千載一遇のチャンス。キルドールはIB

Mもすっぽかして遊び惚けている。人は誰で

も一度だけ、全てを燃やす夜が来る…今がそ

時ためらわないで(キャンディーズ)このチ

ャンスに、ビルはかけたのでございます。 

さらにエド・カイザーは続けました   

「実は私は君たちのソフトを幾つか使ってい

るのだが…」              

「えっ? 本当ですか?」        

「驚いたかね。私は技術畑の出だからね。…

君らのソフトは確かに新鮮だ。新しい発想に

満ちている。だが…欠点も多い。ミスも多い

いいかね? IBMがパソコンに乗り出すか

らには遊びじゃないんだ。ビジネスの世界、

大人の世界なんだよ。君たちはゲームか何か

をやっているつもりでビジネスを考えてるん

じゃないか? そんないい加減な気持ちでI

BMのOSを作られては、困るのだよ」  

この言葉にビル・ゲイツは珍しく色をなし

ました。                

「お言葉ですが、重役、一言よろしいでしょ

うか?」                

「おい、おい、ビル、落ちつけよ」    

「確かに我々にはミスもあります、改善しな

ければならない点も多いでしょう。しかし、

世界は常に変わり続けています。完全になる

のを待っていたら、世界に取り残されてしま

うでしょう」              

「だからと言って、何万人にも影響が出る大

事業に、ミスが出ていいことにはならんだろ

う」                  

「勿論です。でも、今は世界はミスを補って

あまりある豊かさがあるではありませんか。

こんな時代に冒険をしないで、いつ冒険する

んですか? いつ新しいものを作り出すんで

すか?」                

「勝手なリクツだな。ビジネスの世界にはビ

ジネスの世界の決まりがあるのだ。君はパソ

コンなんかで世界を変えられるとでも思って

いるのかね?」             

「変えられないのは、変えようとしないから

です!現に、IBMはその臆病さで遅れを取

ったではありませんか?」        

「おい、言葉がすぎるぞ」        

「…申し訳ありません。しかし、きっと僕た

ちのOSは世界を変えるでしょう」    

「…何にせよ、あまり常識を知らない者とは

我がIBMは取引出来かねる。OSはもう一

度キルドール君の所と交渉してみよう」  

「待ってください。言いすぎたことは誤りま

す。でもキルドールはきっとIBM用への改

良に2年はかかるでしょう、我々ならあと半

年、いや、三ケ月でやり遂げてみせます!」

「交渉は終わった、帰りたまえ」     

その時でした。            

事の成り行きを見守っていたIBM社長の

ジョン・オペルがマイクロ・フソトの書類に

今一度目を通して、           

「待ちたまえ、カイザー君。とりあえず、D

OSには技術的な問題はないんだね? あと

はこの青年の信用だけかね?」      

「は、会長。しかし…」         

「君、ビル・ゲイツ君。君の母親は、メアリ

ーというのではないかね?」       

「はい、そうですが?」         

「やっぱりそうか。シアトルで慈善団体の役

員をやっているだろう? いや、実は私もそ

の団体の支部長をやっているんだよ…。君の

こともよく聞かされた。頭を使う余地のある

限り、絶対に諦めない性格だと…。それが保

証になるとは思わないが、どうだね、カイザ

ー君。ここはひとつ、彼の熱意を信じてみよ

うじゃないか」             

この一言で、あっさりとマイクロ・ソフト

のOSの採用が決まってしまいました。正に

事実は小説より奇なり、真実は講談より面白

い……。                

このOS─MSDOSはIBMパソコンに

正式採用され全世界で支持されました。何し

ろこれがなくてはパソコンは普通の人には使

えないのですから当然です。おまけに、母体

であるIBMが「日米半導体摩擦」の打撃を

受けても、ソフトウェアであるMSDOSは

痛くも痒くもなく、やがては、IBM以外の

パソコンにも無くてはならない存在となり、

パソコンのユーザーは、「IBMのパソコン

だから買う」のではなく、「MSDOSが入

っているから買う」に変わりました。   

現在、日本で〔アップル〕のマークの入っ

ていない全てのパソコンに、このMSDOS

そしてその徹底的な改良版「ウィンドウズ」

が入っております。そして世界の8割を超え

るパソコンが、ビル・ゲイツのソフトを使っ

ているのです。今や、母体だったIBMを抜

いて、ビル・ゲイツはまさにパソコン界の 

「帝王」となったのです。        

1986年、株式を公開して一挙に300

億円の価値を持つ会社の総帥となったビル・

ゲイツは始めて一週間以上の休みをとった。

普段は出張の飛行機もエコノミーを使うビル

が、珍しく豪華なヨットをチャーターして、

ガールフレンドと共にノンビリとオーストラ

リア旅行。この時ビル・ゲイツ未だ30才で

あった。                

ただ前を見て走り続けてきた10年間に思

いを馳せて、ビル・ゲイツは、親友ケント・

エヴァンスのことを思い出していた。   

「ケント、君の夢見ていた通り、でっかい会

社の社長になったよ。でも、僕は何も満足し

ていない。まだまだ、世界一になるまで走り

続けるだろう。そして、その夢がかなったら

その時また言うのさ。さあ、早く次へ行こう

ぜってね」               

わずか20年で会社を世界一にした、現代

の英雄の物語、講談ビル・ゲイツ。これをも

って読み終わりといたします。



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長いものをお読みいただき、ありがとうございました。

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