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『チャップリン』







山高帽にチョビ髭、ヨレヨレの三つ揃いに 

身を包み、クルッと曲がったステッキを持ち 

ボロボロのドタ靴でヨチヨチ歩く…この、放 

浪紳士の喜劇映画を知らない人はまずいない 

ことでございましょう。歴史上の人物でその 

知名度を争えるのは、ナポレオンとイエス・ 

キリストだけだと言われております。およそ 

考えられる最も貧しい境遇から身を起こし、 

世界中の人に愛されました喜劇王チャップリ 

ン。しかし、第二の故郷と慕ったアメリカか 

らは追放された二十世紀最大の大衆芸術家。 

今日は、この放浪紳士のお物語でございます。






チャールズ・スペンサー・チャップリン。 

通称チャーリー・チャップリン。この、私と 

背の高さも変わらない小さくて偉大な喜劇王 

が、星の導きによりましてこの世に生を受け 

ましたのは、1889年、明治二十二年、四 

月十六日のことでございました。      

当時のイギリスはビクトリア朝の末期。産 

業革命も一通り落ちつきましたが、代わりに 

貧富の差が激しくなっておりましたロンドン。

バッキンガム宮殿とはテムズ川を挟みました 

ランベスのウエスト・スクゥエアに暮らした 

チャーリーの幼い日々は、しかし初めは大変 

恵まれたものでした。           

両親は共に有名な俳優、腹違いの兄との仲 

も良好で、用事があれば何でも家政婦がやっ 

てくれる。休みの日には動物園や水族館めぐ 

り、色つき風船、オルゴール、そして珍しい 

外国のお菓子…。時に見る両親の舞台も、チ 

ャーリーにとっては誇らしいものでございま 

した。                  






しかし、世界中に何億、何十億とある話で 

しょうが、父親が酒に身を持ち崩し両親は離 

婚。母・ハンナ・チャップリンは、幼い二人 

の子供を引き取ることになりましたが、歌手 

としてドサ回りをすれば、親子三人暮らして 

ゆくくらいの収入は十分ございました。   

しかし、チャーリーを後の喜劇王とするた 

めの、運命の重い舵輪はギリギリと軋みの音 

をたてて回り続けたのでございます。    

チャーリーが5才になった頃。ロンドンか 

ら南西へ50キロ、オルダーショットという 

所で、あまりガラの良くない観客を相手の場 

末の劇場に巡業した時のことでございます。 

いつものようにチャーリーは、舞台の袖で、 

きらびやかな衣装に身を包んだ母が、美しい 

声で歌い上げているのをうっとりと眺め聞い 

ておりました。ところが、その母の歌声が、 

突然かすれて小さくなり、ついには全く聞こ 

えなくなってしまったのでございます。女手 

ひとつで二人の子供を育てるという無理がた 

たったのでしょう。しかし、事情を知らない 

観客たちは、声の出なくなった芸人に容赦な 

どございません。             

「おーい、どうした、聞こえねえぞ!」   

「何なら俺が代わりに歌ってやろうか?」  

「金返せー。でなきゃ服でも脱ぎやがれ」  

真っ青になって袖へ駆け込んでくる母親に 

何が起こったのか、五才のチャーリーには理 

解できませんでしたが、劇場の支配人が怒鳴 

りつけるのを聞いてただならぬ事情だけは感 

じることができました。          

「おい、何だ途中で。引っ込んで来る奴があ 

るか」                  

「すいません、すいません、声が出ないんで 

す」                   

「冗談じゃない、みろ、お客が怒鳴っている 

じゃないか、どうしてくれるんだ」     

「すいません、すいません」綺麗にお化粧を 

した母の顔がみるみる涙で崩れてゆくのを見 

て、チャーリーはなんとか母を守ろうと、幼 

い頭で必死に考え、答えを出して勇気を奮い 

起こしました。              

「おじさん、おじさん、僕が代わりに歌いま 

す」                   

「何? この餓鬼、何をバカな…。ん? お 

前確か、よく舞台裏で芝居のモノマネをして 

いた奴だな? ああよし、しょうがねえ。や 

ってみろ。お客が怒ったらスグに引っ込め  

よ!」                  

なす術もなくオロオロする母親を後に、支 

配人に乱暴に手を引かれ、チャーリーは生ま 

れて初めて、満員の観客の見つめる舞台に立 

つことになったのでございます。      

「えー、今宵お集まりの紳士淑女の皆様、お 

静かに、お静かに願います。えー、ただいま 

我等が歌姫、ハンナ・チャップリン嬢が、皆 

様のあまりの大きなご声援に感極まって歌え 

なくなりましたので…」          

「そうか、じゃもっと声援してやろうか?」 

「お静かに…。えー、ハンナ嬢に代わりまし 

て、当劇場の誇ります天才少年、えー(お前、

名前は?)」               

「チャーリー・チャップリンです」     

「チャーリー少年の歌と踊りでお楽しみくだ 

さい。では、チャーリー君、どうぞ」    

ドンッと背中を一突きして、支配人はサッ 

サと袖へ引き下がってしまいました。チャッ 

プリンは母を守らねばという思いで必死にな 

り、オーケストラに合わせて、『ジャック・ 

ジョーンズ』といううろ覚えの流行歌を、身 

振り手振りで歌いはじめたのでござます。  

子供と動物には勝てないというのが芸界の 

常識でございますが、果して観客たちは、五 

才の子供が歌うたどたどしい流行歌に大笑い、

拍手喝采、そして投げ銭の嵐。チャーリーは 

びっくりして歌を止め、          

「あ、お金が…。もったいないから拾いま  

す」また大受け。歌を続けさせようと支配人 

が飛びだしてきて「恐れ入ります」と小銭拾 

いを手伝いはじめました、         

「あ、おじさん、それ僕のだよ」      

「うるさいな、手伝ってやってるんだよ」  

「嘘だい、おじさんはよくギャラをピンはね 

するって、お母さんが言ってたよ」     

「こら、バカを言うな」また観客は大喜び。 

たまらずに飛びだしてきた母親にも、惜し 

みない拍手が贈られ、降り注ぐライトの中、 

二人揃って深々とお辞儀をして幕が閉じまし 

た。                   

こうして、喜劇王チャーリーの初舞台は大 

成功に終わりました、しかしその代わり、歌 

えなくなった母親・ハンナ・チャップリンは 

この日以来、二度と舞台には立てなくなった 

のでございます。             






こうして収入の途絶えた母子三人は、陽の 

当たらない一間きりのアパートに引っ越すこ 

とになりました。ハンナの裁縫の内職を始め 

ましたが、仕事が毎日あるわけではありませ 

ん。宝石を売り、ドレスを売りそしていつか 

舞台に戻る時のためにと最後まで取っておい 

た衣装も売り払って、日々のパンを得る生活。

<チャップリンが世界中の人々に愛された理 

由のひとつに、どんな惨めな境遇でも失われ 

ない品の良さというのがありますが、それは 

正にこの時期母親から教えられたものだと言 

えるでしょう。貧しい暮らしの中でも、ハン 

ナは決して明るさを失いませんでした。チャ 

ーリーたちが下品な口汚い言葉を使うと厳し 

く叱りましたが、それ以外は精一杯の愛情を 

注ぎつづけました。楽しみの少ない中、ハン 

ナは毎日のように、昔の自分の舞台や、クリ 

スマスにはキリストの受難劇や、いろいろな 

お話を一人芝居で見せてやりました。後年の 

チャーリーの天才的なパントマイムもまた、 

この時母から受け継いだものだったのです> 

しかし運命はさらに過酷でした。部屋代が 

払えなくなってミシンを売り払い、二人の幼 

い子供たちは貧民院へと収容されることにな 

りました。                

ハンナは子供を引き取ろうと必死に働きま 

したが、世間の風は冷たく吹きました。   

それでもある朝のこと、借りてきた衣装か 

少しだけまともな格好をしたハンナが、   

「どうも、お世話になりまして。子供たちを 

引取りに参りましたわ」          

と言って貧民院を訪ねてきました。手続き 

も全て済ませ、荷物も全部カバンに詰めて三 

人で門を出ましたが、アパートへ向かう気配 

はなく、ケニントン公園でなけなしの財布を 

はたいてさくらんぼを食べ、新聞紙を丸めて 

キャッチボールをし、楽しい一時を過ごしま 

した。しかし、午後遅くなると再び貧民院の 

門へ戻ってきました。           

「どうもすいませんね」          

係の者は妙な顔をして           

「どうしました? 何かお忘れ物ですか?」 

「いいえ、お茶の時間に間に合わなくて、ど 

うもすいませんでしたね。あの、もう一度入 

所の手続きをお願いいたします」      

親子がたった一時会うためにこんな苦労を 

しなければならないのが現実だったのでござ 

います。                 






それでも子供たちは、またウソをついてで 

もいいからと母と会える日を楽しみに待ち受 

けておりました。そんなある日の夕方、チャ 

ーリーたちに届いたのは残酷な知らせでした。

「お前たちのお母さんな…、今朝、精神病院 

に収容されたそうだ」           

長年の苦労に栄養失調がたたった結果でし 

た。信じられない! あの、陽気で賢くて、 

貧しい暮らしの中にも立派な生き方を教えて 

くれた母が気違いになったなんて…。この時 

わずか9才のチャーリーは目の前が真っ暗に 

なりました。矢も楯もたまらず、貧民院の塀 

ギワまで泣きながら走り続けました。壁にぶ 

つかって空を見上げると血のようなまっ赤な 

夕陽が落ちるところでした。まるでこの世の 

終わりの気持ちになったチャップリンの耳に 

聞こえてきたのは、あの、クリスマスの時、 

母が見せてくれた、キリストの受難劇のセリ 

フでした。                

「…その時、人々は叫んだの『バラバを許せ 

ー、盗人のバラバを許せー』それで、イエス 

様は十字架にかけられることになったの。そ 

して死ぬ間際になって、イエス様はこうおっ 

しゃったのよ、『神さま、神さま、どうして 

私を助けに来てくださらないのですか』つま 

り、イエス様もまた、私たちと同じように故 

なく苦しまれたの…だから私たちの声を聞い 

てくださるのよ」             

「でも、イエス様は、今はもう天国にいらっ 

しゃるんでしょう。だったら、僕たちも早く 

天国へ行きましょうよ」          

この時ハンナは珍しく怖い顔になり、   

「イエス様はね、お前がまず生きて、この世 

の運命を全うすることをお望みなのよ。いか 

ような苦しみの時にも、決して希望を捨てて 

はいけませんよ」             

母はしばらくして回復しましたが、2年後 

に再発。そして死ぬまで正気に返ることはあ 

りませんでした。             

そしてチャーリーはたった一人で働き始め 

ました。ホテルの使い走り、花売り、ガラス 

吹き、おもちゃ作り…少しでも生活の足しに 

なる仕事を渡り歩きます。         

<後のチャーリーの映画で、例の放浪紳士が、

普段はただの怠け者なのに、誰かのためとな 

ると俄然働き者になるのは、この時の経験な 

のでしょう>               

十才にも満たない少年チャーリーは、一時 

でも母親と暮らせるようにと必死になって働 

き続けました。そして転機が訪れたのは12 

の秋。14才といつわってロンドンの俳優斡 

旋所に登録し、見事、当時の当たり狂言であ 

る『シヤーロック・ホームズ』のビリイ少年 

役を射止めたのでございます。それから地方 

回りの数年を経て、喜劇の大御所フレッド・ 

カルノー一座に所属、売れっ子となってアメ 

リカ巡業に出、マック・セネットに認められ 

ていよいよ飛ぶ鳥落とす勢いのハリウッド映 

画界にデビューした時には、チャップリンは 

24才の時でございました。        






<ここまでの出世だって凄いんですが、飛び 

込んだ先は今まさに世界を飲み込まんとせん 

勢いの映画界。主演2作目であの放浪紳士の 

スタイルを確立したチャップリンは主演・監 

督・脚本・作曲までをこなす天才ぶりをいか 

んなく発揮し、最初の3年でギャラを百倍に 

のばし、5年目には、世界の喜劇王の地位を 

確立しておりました…って「名人は上手の坂 

を人上り 5申しますが、まあ、苦節17年 

で世界一…私にもあと10年残されておりま 

すがな…>。               

そしてもちろん功なり名を遂げたチャーリ 

ーは、母をイギリスから呼び寄せ、すでに現 

実から遠く離れた魂とはいえ、ハンナの人生 

最後の七年間を、海岸の一軒家に、面倒見の 

いい夫婦ものと経験豊かな看護婦をつけ、も 

ちろんチャーリーや兄・シドニーも毎日のよ 

うに訪れて、この上ない幸せの中におくらせ 

てやりました。              

「まあまあ、立派なお家…だこと。お前、お 

金持ちにおなりだねえ」          

「そうですね、五百万ドルほどは蓄えがあり 

ましょうか」               

「まあまあ、だけどね、病気になっちゃ何も 

かもおしまいだからね。そんな…そんなお芝 

居みたいな夢の世界に居るより、地道に働い 

た方がいいんじゃないのかい?」      

「でも、私が夢の世界に入ったのはお母さん 

のせいなんですよ」            

<決していい話ばかりではありません。動物 

園に連れていくと、ダチョウの卵をなげつけ 

たり、高級なブティックで「こ、こんなウン 

コ色はいやですよ」と叫んだりしたそうです 

が>                   

その母も、『サーカス』の撮影中に、幸福 

のうちにこの世を去りました。この『サーカ 

ス』という映画はもともとは無声映画なんで 

すが、後にチャップリンが歌を吹き込んでい 

ます。その歌は、             

「虹を見たいなら下を向いてはいけない」と 

いう歌詞でしたが、これはハンナの口ぐせで 

もあったものでございました。       

チャプリンは、大衆娯楽であった喜劇映画 

を、その楽しさを損なうことなく芸術に届か 

せた人でした。自らユナイテッド・アーチス 

ツを設立してからは、あのパンのダンスで有 

名な『黄金狂時代』や無声映画の最高傑作  

『街の灯』そして今見てもまったく古びると 

ころのない『モダン・タイムス』と、キラ星 

の如き名作を発表し続けました。      

しかし、時代は確実に暗く大きな流れ淀ん 

でゆきました。第一次世界大戦、金融大恐慌、

そしてファシズムの台頭…。その動きは世界 

中いたるところで起こっておりまし。世界中 

で愛されたチャーリーは、自ら世界を回りな 

がら、それを肌で感じていました。たとえば、

こんなことがありました。         






トトンカトン、トトンカトンカラカラ、ト 

トンカトン、トトンカトンカラカラ…。櫓太 

鼓の音が響き渡ります、ここは両国国技館。 

土俵を賑わしますのはまだ幕内に入ったばか 

りで伸び盛りの双葉山。あるいは横綱昇進に 

大手をかけております大関玉錦と、人気力士 

の勢ぞろい。               

今日は大相撲五月場所のまだ三日目。とは 

いえ、今日は客席に世界的映画スター・喜劇 

の王様チャーリー・チャップリン氏を迎えた 

こともあってか、場内は溢れんばかりの熱気 

に包まれております。勝つもあれば負けるも 

あり、あるいは引き分け勝負なしと、番数と 

り進んでまいりますうちに、ちゃーりーをこ 

こまで案内し、一緒に勝負を楽しんでおりま 

した、首相秘書官の犬飼健氏があわてて席を 

外しました。               

やがて戻ってきた犬飼氏は、顔を真っ青に 

して唇を震わせております。その震える口か 

ら出た言葉は…。             

「たった今、わが父、総理大臣犬飼毅が、軍 

人らしき闖入者によって暗殺されました。実 

は、その連中は、あなたの命も狙っているら 

しいのです。私と一緒に官邸までいらしてい 

ただけますか?」             

時は昭和7年5月15日。戦前日本の政党 

政治の息の根を止めました五・一五事件の起 

こりましたその日、内閣総理大臣犬飼毅と共 

に、喜劇王チャップリンもその暗殺の標的に 

なっていたのでした。           

チャーリーはこの後、両国国技館から官邸 

へ向かい、血だらけになった犬飼毅の部屋を 

訪れ、目の前で夫を父を殺された家族たちの 

嘆きを目のあたりにいたします。それが貧し 

い農村出身のテロリストたちの所業であった 

ことを聞いても、チャーリーは暗澹たる気持 

ちになりました。「なぜ人間は? 人の不幸 

によって幸せになれるなどと考えのか?」。 

そして、ドイツにはあのヒットラー率いる 

ナチスが台頭し、周辺の国に進行を始めまし 

た。運命の皮肉か、ヒトラーはチャーリーと 

同じ年、同じ月の生まれ。しかもトレードマ 

ークはチョビ髭…。第一次大戦は偶然起こっ 

たが第2次大戦はヒトラー個人が引き起こし 

たとも言われております。この、自分と全く 

反対の場所にいる人物と、チャーリーは自分 

の映画で対決できないかと考えるようになり 

ました。やがて、ヒトラーが故郷ロンドンに 

爆撃を加えるに至り、その思いは頂点に達し 

ました。                 

そして日独伊三国同盟の成りました194 

0年の10月、公開された『独裁者』は大変 

な反響を呼びました。当時アメリカはまだド 

イツと交戦していず、しかも、ヒットラーの 

国家主義に影響をうけたナチス党員がアメリ 

カ中にいたという大変な時代でした。    

外交上の問題があると、ルーズベルト大統 

領にまで釘をさされたチャップリンでしたが 

自分の作品には絶対の自身をもっていました。

開けて昭和16年の1月、米国愛国婦人会の 

招きにより、この独裁者のラストシーンを講 

演してくれということになったのです。とこ 

ろが会場に到着したチャーリーに大変な知ら 

せが届きました。             




「ども、ご苦労さまです。実は…今日の講演 

会場に、かなりのナチス党員が何人か紛れ込 

んでいるらしいのですが…」        

「え? 冗談じゃない。今日はヒトラーを攻 

撃する講演なんですよ。じゃあ、もし講演中 

に妙な動きをする奴があったら、すぐにつま 

み出してくれるんだろうね?」       

「いや、何分、生放送ですし…。あ、時間が 

ないんで、よろしくお願いします」     

チャーリーは驚き、おののき、講演は中止 

にしようかとも考えましたが、会場のほとん 

どが、ただ講演を楽しみにして来たお客さま 

だ。芸人として後には引けません。     

チャーリーは、まさに、あの独裁者の床屋 

さながらに、一歩、一歩講演会の壇上に進ん 

でゆきました。              

「えー、お集まりの皆様こんばんわ。本日は 

米国愛国婦人会のお招きによりまして、私の 

新作映画『独裁者』のラストを講演せよとの 

ことで…。いやなに、映画の方は喜劇ですか 

ら楽に見ていただいて、ちょっとマジメなと 

ころをガマンしていただければ結構なので…。

しかし、あの、チョビ髭の旦那は、何を考え 

てるんですかね。特にあの、ハイルッてやつ。

あの格好を見ると私はあの上に汚れた皿をド 

ーンと置いてやりたくなるんですがね…」  

会場は笑いに包まれましたが、中に何人かシ 

カメ面をしている連中がおりました。そして 

それ連中は、ワザと大声で咳をしたり、上着 

のポケットに手を突っ込んで見せたりしまし 

た。                   

チャーリーの脳裏に、あの、日本で見た犬飼 

毅の血だらけの部屋が浮かび、緊張して、講 

演を2分間中断し、水を酌んできてもらうよ 

う頼みました。              

誰も彼もが自分の方にピストルを向けてい 

るように見える…しかし、チャーリーは目の 

前の一杯の水を呑み干すと、講演を続けまし 

た。                   

「ええ…あの、私の映画は、もうご覧いただ 

けましたでしょうね? まだの方は表にカボ 

チャの馬車が待っておりますのですぐに映画 

館へお運びいただきたいのですが…。映画の 

ストーリーはこうです。まず、舞台はトメニ 

アという架空の国。そこには、例のチョビ髭 

のヒンケルという独裁者がいる。ところが、 

その国のユダヤ人街に済む善良な床屋や、こ 

の独裁者にウリ二つという設定で…。    

収容所に入れられてしまった床屋は友人の 

シュルツと共にそこを脱走いたします。その 

時たまたま近くに来ていた独裁者ヒンケルと 

ヒョンなことから入れ代わってしまい。間違 

われたまま、隣のオーストリッチへ進行する 

こととなります。             

オーストリッチへやってきますと、独裁者 

を迎える何十万という熱狂的な群衆が待って 

いる。壇上では、宣伝相のガビッチが叫びま 

す                    

『この国は今日から我等が総統のものとなっ 

た。ユダヤ人はすべての権利を剥奪される。 

総統は必ず我等を導いてくださる。聞くがよ 

い。やがて世界の王となられるヒンケル総統 

のお言葉を』。              

隣にいるシュルツは床屋に『何か話せ』  

『とてもムリです』『話すんだ、それが唯一 

の希望だ』『希望…』希望という言葉に促さ 

れ、床屋はゆっくりと大群衆の待つ壇上へ上 

がります。                






直立不動で待つガビッチの前に来た床屋は 

帽子を脱いでゆっくりとお辞儀をし、マイク 

の前に立ちます。             

『折角ですが、私は王様にはなりたくありま 

せん。とてもそんな柄じゃないんです。ただ、

できれば国や宗教の違いを超えて人の役に立 

てればと思っております。         

私たちは、本来そう思っているはずです。 

人の不幸ではなく幸せのために働きたいと思 

っているはずです。そして、世界には私たち 

みんなが楽しく生きていけるだけの余裕があ 

るはずのものなのです。          

人生はもともと自由で美しいもののてはず 

なのに、私たちはそれを忘れてしまった。そ 

して欲望や憎しみに毒されて、バカげた戦争 

を繰り返しています。科学は自分の世界を広 

げることよりむしろ、どんどん独り善がりに 

なるために使われています。生活を豊かにす 

るはずの機械が、逆にわたしたちを貧しくて 

います。情報は私たちの心を冷し、いつでも 

ただ正しい答えだけを出すように求められて 

います。私たちに必要なのは、まず何よりも 

人を思いやる心です。それがなければ、人生 

には何も、何も残らないでしょう。     

飛行機や通信機はわたしたちの距離を縮め 

ました。たとえば、今この瞬間にも私の声は 

ラジオを通じて、世界中の何百万という人々 

に届いているはずです。罪もなく苦しみ、牢 

屋に入れられ、拷問を受け、苦しんでいる人 

たちの耳にも届いていることでしょう。   

皆さん。『いかような苦しみの時にも決し 

て希望を捨ててはいけません』独裁者はいつ 

かかならず滅び、私たちの望みの叶う日が来 

るでしょう。               

兵士諸君! 君たちが何を考えるべきか、 

感じるべきか、全てを押しつけようとするケ 

ダモノたちの思うままになってはいけない。 

彼らは君たちから自由を奪い、生活を奪い、 

家畜のようにあつかって、結局大砲の的にす 

るだけです。               

自分が人間であることを捨ててはいけませ 

ん。独裁者は機械に魂を売り渡した機械人間 

です! でも、あなた方は機械じゃない、牛 

や馬でもない! 人間です! 人を思いやる 

心を持った人間なのです! 愛を知らぬ人間、

愛されたことを忘れた不幸な人間だけが憎し 

みに囚われ続けるのです。         

兵士諸君! 独裁者の奴隷になるな! 彼 

らのためではなく、我々自身のために力を使 

おう。人間には力があるのです。自由に生き 

る力、機械を作り出す力、人を幸福にする力 

…。それらをひとつに集めて、新しい時代を 

作りだすために戦おうじゃありませんか。  

すべての人に働くチャンスを与え、若者に 

は未来を与え、老人には安心を与える真っ当 

な新しい世界を作り出すために、みんなで戦 

おうではありませんか。          

ヒットラーもムッソリーニも似たような約 

束をして権力を手入れた、だが、それは嘘  

だ! 彼らは他人を犠牲にして自分たちだけ 

が自由になろうとするのです。       

本当の自由のために戦いましょう。欲望や 

憎しみに囚われず、文明の進歩が我々すべて 

を幸せにしてくれる自由のために戦いましょ 

う。そのためにこそ、我々は力を合わせまし 

ょう!』                 

会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれ 

ました。その歓声にまぎれてナチス党員たち 

の姿は見えなくなりました。        

一体何がチャーリーにここまでの勇気を与 

えたのでしょう。それは、映画でこの後に続 

くセリフ。床屋は、たった一人の恋人、ハン 

ナに向かって呼びかけ続けます。      

『ハンナ、この声が聞こえますか? どこに 

いようと、希望を持って、空を見上げて!  

見てごらんよ、ハンナ! 雲が切れた! 光 

が射してきた! 人類は、暗い闇の時代を乗 

り越えたんだ…』この、ハンナこそは、チャ 

ーリーに人生の素晴らしさを教えた、母ハン 

ナの名前だったのでございます。      

「お母さん、聞こえていますか? 今私はこ 

こで殺されてしまうかも知れない。いや、ヒ 

ットラーが世界を征服すれば、こんな映画を 

作った自分は間違いなく死刑になるでしょう。

でも、あなたに教えられた通り、自分は『こ 

の世の運命を全う』せずにはおれないのです。

そして、もし、命を落とすことがあったら、 

その時は、また天国で一緒に暮らしましょう 

…」。                  

この演説が世界の平和に寄与したこと、い 

かばかりであったでしょうか。       

やがて戦争は終わり、ヒットラーは自殺を 

しますが、チャップリンも、この演説が反ア 

メリカ的であったという理由で追放されてし 

まいます。                

しかし、1972年、アメリカは間違いを 

直しアカデミー特別賞を送ります。     

それから5年後の1977年、奇しくもク 

リスマスの朝、スイスの自宅で、子や孫たち 

に囲まれながら静かに息を引取ったのでござ 

います。                 

放浪紳士・喜劇王チャップリンのお物語り 

これをもって読み終わりといたします。   








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