大江戸相場講談・           
『出羽の天狗と江戸の鬼平』

     
時は江戸時代半ば。近世と近代、ふたつの

時代を橋渡しするような、1700年代終盤

・寛政の時代でございます。       

季節は冬、暮れも押し詰まった師走の一日

。                   

年頃四十半ばといった所でしょうか、上背

のある、身のこなしに隙のない、腕の立ちそ

うな一人の侍が、腕組みをして通りかかりま

したのは、卍巴と振る雪の両国橋。墨絵ぼか

しの川面に足を止め、欄干にもたれかかり、

遙かあなたを眺むれば微かに見える隅田の堤

、目先に見ゆる首尾の松。        

「ふ、雪景色に目を取られるとは、柄にもな

い…俺もヤキが回ったかな…」     

一人つぶやいておりますこの男こそ、江戸

市中関八州は言わずもがな、遠く上方・ミチ

ノクにまで、スネに傷あるものにその人あり

と恐れられた「鬼平」こと、火付け盗賊改め

オカシラ・長谷川平蔵その人でございました

。                   

三年前、将軍の警備隊長から火盗改めの長

官に抜擢されて以来、抜群の実力で数多くの

犯罪者を張り付け獄門にしてまいりました、

鬼の平蔵、雪の隅田川に一体何を思うのであ

りましょうか。             

「この橋を渡ったすぐ先の吉良上野の屋敷に

赤穂義士の連中が討ち入ったのはもう百年も

昔だ。忠義だの仇討ちだの、サムライの時代

はその頃に終わったのかも知れん。俺のよう

な根っからのサムライには、生まれるのが遅

かったのかもな…」           

本所に生まれ、若い頃を無頼で過ごし、 

「本所の鉄」と恐れられた平蔵。なればこそ

悪党たちの心が良く分かる。そこでそのウラ

をかき、抜群の検挙率を誇っている。であり

ます……、               

「だが、いつまで経っても悪党は減らぬ。 

それは世の中には、どうにもならぬ巡り合わ

せがあるからだ…。巡り合わせの良いヤツは

うまい飯を食い、要領の悪いヤツは木の根を

かじる、それが世の理というものだ」   

火付け盗賊改め。町奉行・寺社奉行の管轄

を超え、幕府天領の区別なく、いかなる捜査

も自由に行える、今でいえば、連邦特別捜査

官・FBIのオカシラ、鬼平は、しかし、た

だ怖いだけの鬼ではありませんでした。  

犯罪を減らすにはまず犯罪者を減らさねば

ならないと石川島(あの、佃煮で有名な佃島

の横、今巨人軍の松井が住んでいるマンショ

ンがあるという)石川島に、「人足寄場」を

作り、そこに軽犯罪者や無宿人を収容して、

職業訓練をさせようと、時の老中、松平定信

に提言したのでございます、ところが…。 

人足寄場を作るのに、費用としていただい

たのはタッタの500両でございました。い

ろいろと基準が違いますが、今でいえば50

00万円といったところでしょうか    

「それで一万坪の砂地を埋め立て、300人

からの罪人を賄えというのだ。何を考えてい

るんだ、あの老中は…」         

テレビでも大岡越前を見るとさかんに直属

の上司の将軍様が出てまいりますが、鬼平犯

科帳を見ても、決して出て来ないのが、鬼平

の上司、老中・松平定信でございます。  

(ちなみに、その時の将軍は十一代・家斉。

この人は、ただ単に子供を55人作ったとい

うだけの人ですが…)。何故なら松平定信は

アノ暴れん坊将軍・徳川吉宗の孫にして、元

・白河藩主・すなわち福島県知事。毛並み抜

群の超エリートですから、たかだか400石

取りの旗本の鬼平とは合い入れないことがし

ばしばでございました。         

しかし、江戸の平和のため、どうしても人

足寄場を作りたい鬼平は、なんとか費用を作

ろうと私財を投げ打って相場に手を出しまし

た。最初のうちは調子が良かったのですが、

そのうちに裏目裏目と出て、大きな穴を開け

てしまったのでございます。       

「もとより処分は覚悟の上…だが、俺が失脚

したら、江戸の町はどうなるのだ…」   

さすがの鬼も、相場には勝てず、途方に暮

れておりますその肩越しに、声をかけたのは

一人の六十かっこうの上品そうな町人態の老

人でございました。老人は、鬼平と並んで欄

干にもたれかかり川を見つめ       

「これは…飛び込んだら冷たかろうございま

しょうなあ」              

鬼平は、不意の言葉に驚いて、     

「な、何を申される、拙者決してそのよう 

な」                  

「いや、別にあなたの事とは言っておりませ

ん、ただ、水は冷たいでしょうなと…。せっ

かくの墨絵ぼかしの墨田の景色、冷たいもの

よりあったかいモノでもいかがですかな。鬼

…いや、長谷川平蔵殿」         

あるイミで秘密捜査官である鬼平、不意に

名を呼ばれましたので、身構えツカに手をか

け、「さては盗賊一味か」と思いましたが、

どうもそういう殺気が感じられない。   

鬼「さてさて、不意に現れて、人の胸のうち

を見透かすそのお言葉、狐か狸か、はたまた

、鬼、天狗のたぐいか」         

「おやおや、鬼はそちらではござりませぬか

。確かに、手前は、さる所では天狗などとも

呼ばれておりまするが…」        

そのとぼけた受け答えに、鬼平刀から手を

離し、                 

「ふ、鬼と天狗とは面白い取り合わせ…。こ

れも一興、あたかかいモノでも取るといたそ

うか…」                

どうも鬼平という人は天性のカンの鋭い人

だったようで、これは悪い話ではなさそうだ

、と老人と両国橋を渡ったのでございます。

<現在の両国のグルメ紹介>       

軍鶏鍋をつつきながら、老人の言うことに

は、                  

「本当に長谷川さまのお陰で、盗賊どもも以

前よりはナリをひそめまして、手前ども、安

心して暮らせるようになりました。あ、申し

遅れましたが、手前、江戸・根岸に住まいし

ております、ま、世の中の流れを見る商いと

申しましょうか、本間宗久と申します。今日

は江戸の平和のお礼でございます。さ、おひ

とつ」                 

「ウム…では、遠慮なく頂戴するといたそう

。ところで、天狗殿、俺が相場にて失敗した

原因だが…」              

「まず、長谷川さまは、生来大変にカンのお

よろしい方でいらっしゃる。悪党とそうでな

い者をたちどころに嗅ぎ分けてしまわれる…

」「俺自身が悪党の素質十分だからな。おか

げで老中からは山師だのホラ吹きだのとえら

い言われようだわ。何しろあの老中ときたら

、石部金吉金カブトという奴でな、大奥での

艶本を禁止して論語を読ませたかと思えば、

銭湯での混浴は禁止、淫らな言動は禁止、こ

の間などは「茶臼禁止令」というワケのわか

らぬお触れを出しておった。俺が相場で損を

したなどと別れば、即日切腹は免れまいな」

「よろしいですかな。相場道というものは、

長谷川さまのように、そういった天性のカン

・野性のカンだけでなんとかなるものではご

ざいませんぞ。(たとえば、今のジャイアン

ツを見なされ)…かく言う私も、今でこそ、

ほんの少し人様より見分けがつきますものの

、若い時には手痛い目にあいました。故郷・

出羽の酒田で相場を張り、連戦連勝で蓄えま

したる一万両。それをフトコロに、自信満々

江戸へ出てきて、アッという間の内に露と消

えてしまいましたわ」          

「…これはまた、俺とは大きさが違うな、俺

は高々五百両…たったそれだけで身投げと間

違われるほどにショボくれてしまった」  

「手前は、庄内米の米所、出羽の酒田港の商

家に生まれました。ですから、米のことなら

作柄、売れ筋、どんなことでも知っておりま

す。熟知した商品の相場で負けるワケがない

……。そう思っていたのです。しかも、モト

デもたっぷりある…しかし、相場道というも

のは手ゴマがたっぷりあるだけで何とかなる

ものでもございません(今のジャイアンツ見

なさい)。               

…1文なしになってしまった私は、すっかり

落ち込んで、丁度今日の長谷川様と同じく両

国橋の上で川面を見つめ、地獄なら、三途に

あらで墨田川、因果はめぐるみ巡り堤、儚き

縁牛島の…」              

「いや、芝居のセリフは、いい、それで、い

かがしたのだ」             

「はい、これはもう、自分が『目に見えてい

ると思ったことが、じつは見えていないのだ

』と悟りました。そして、それを見るために

は根本から考え直そうと心得えまして、仏門

に入り、座禅を組んで修行をいたしました」

「ははは…面白い冗談だ」        

「いえ、冗談ではございません、本当に出羽

の国酒田・曹洞宗・・河運山海晏寺(かうん

ざん・かいあんじ)にて苦しい禅の修行を来

る日も、来る日も重ねたのでございます」 

「それで……まさか神通力がついて、相場に

勝てるようになったなどと申すのではなかろ

うな。よせよせ、武士は怪力乱神を語らず、

俺はそんな話に興味はないぞ」      

「いえいえ、神通力などではございません、

ただ、座って座って座りぬいて、苦しんで苦

しんで苦しみぬいて、それで悟ったことが」

「ふん、悟ったことが?」        

「お聞きになりたいですか?」      

「あたり前だ、今喰っおる軍鶏肉が、収まる

べき腹が開いちまうかどうかの瀬戸際だ」 

「うーん、そうですなあ、言葉で言うのは難

しゅうございますが…」         

この時、何を思ったか老人は、その場から

やおら立ち上がり。夕べの雪に風強く、やや

ともすれば吹き込む風をものともせずに、表

通りに面した障子を開け放ちますと、たちま

ち冷たい風が吹き込んでまいります。あおら

れて、店の中に飾ってありました、    

「五鉄」と書かれたのれん『旗』ががビュウ

ビュウとひるがえり始めます。      

「長谷川さま、これをご覧なされませ、この

旗を何と見ますかな?」         

「これ、何をする、寒いではないか…。何と

見ると言われても、旗が動いているのであろ

う?」                 

「旗が…ほほう、ではこの旗は生きているの

でございますか」            

「旗が生きておるはずがなかろう。では、風

が動かしているのであろう」       

「では風が生きておるのですかな?」   

「馬鹿を申せ、風は風ではないか…」   

「よろしゅうございますかな。この旗を米の

作柄と致しましょう。さすれば、風は天候…

いわば自然の条件…」          

「ふむ…では、米を知り、自然を知れば、相

場をも知ることができる…」       

「…と、私も若い頃は思っておりました、で

すからこの二つに通じれば、絶対に勝てると

…」                  

「だが勝てなかったと…、もうよいから、寒

いから、障子を閉めよ」         

宗久が障子を閉める、ピタッと風は止み、

のれん旗はダラリとたれ下がる。     

「これを何と見ますかな」        

「?」                 

「米の作柄、自然条件、しかし、実際にその

ふたつを結び付けたのは、障子を開けた私に

ございます。すなわち人の手。米、自然、し

かし何よりも人の心。「人気」でございます

。すなわち、大事なものは常にこれらの、物

と事との絡み合い。目の前で動くものににイ

チイチ気を取られていては、決して相場など

見えないでしょう」「なるほど」     

「このように『見えざるものを見るために』

ものごとを、仮に三つに分けて見つめ直すこ

とを手前は『三位の伝』と名づけました。 

ただ今、お話した『のれん旗』の「米」「

自然」「人気」は、相場の動く「原因」につ

いて三位の伝。他には相場の状態の「天井」

「中段」「底値」。また戦術の「売る」「買

う」「休む」などがございます。こうした事

柄を、常に心に置いて相場を見続けるならば

、相場師にとっての一番の敵を退けることが

できましょう」             

「相場師にとっての一番の敵、とは?」  

「それは、一人善がり、目先の欲に走り、感

情を昂らせ、頭に血が登って全体が見えなく

なること、すなわち『相場道』を見失うこと

にござます」              

「で、では相場道とは、どういうものなのじ

ゃ」                  

「それもまた一言では難しゅうございますが

…そう、                

『相場道は戦に同じ』。戦の時、大将が頭に

血がのぼり、冷静さを欠いていたらどうなり

ます。勝てる戦でも、全滅の憂き目に遭いま

しょう。相場は『天性自然の理(ことわり)

』。その理を求めようとせず、一時の儲けや

欲に溺れて結果を焦る者は必ず、相場に破れ

ることと相成ると存じまする」      

フームとうなる長谷川平蔵。この時、表で

ドサーッ、ドサッ。屋根に降り積もりました

雪が、己の重みで落ちてゆく音。平蔵は、ハ

ッと、我に返ります…          

「なるほど、天狗殿、いちいちうなづくこと

ばかり…。しかし、さいぜん、天狗殿は『相

場の秘訣は決して人に語ってはならぬ。失敗

すれば恨みを買うだけだから』と、申された

ではないか、なにゆえそのような大事な話を

を俺に…」               

「はは、私が長谷川様に力をお貸ししようと

思いましたのは、長谷川さまは、人足寄場を

作り、江戸の盗人を一人でも更生させたいと

いう、大きな望みをお持ちだからでございま

す。そのためならば己を殺し、目先の欲のま

まに儲けたいという貪りの心を捨てて、誠の

相場道を知りうる方と見込んだからでござい

ます…」                

すこし照れたようになって平蔵。    

「鬼を見込んで、か。はははさすがは天狗じ

ゃ。で、俺は、どうすればよかろうな」  

「さようですな。長谷川さまが、最も通じて

いて、冷静に見る目を持てるものから、手を

お付けになることが肝要かと…」     

「通じていて冷静に見れるものか…か。相場

は軍略、ならば根っからサムライの俺にもで

きるか? 目先の欲を捨て、誠の相場道を求

める…。いや、今宵はよい話を聞いた、さ飲

んでくれ出羽の天狗殿」         

「ありがとう存じます、江戸の鬼平さま」 

店の外は相変わらずの雪。こうして、鬼と

天狗の出会いは幕を閉じたのでございます。

この後、平蔵は自分の専門は悪党、悪党の

一番欲しがるのは山吹色、すなわち金・銀・

銅貨と考え、銭相場に投資をして大成功をお

さめ、見事人足寄場を開設。この成功が江戸

の治安にもたらした功績はいかばかりのもの

だったでありましょうか。また、その後の火

盗改めとしての活躍ぶりは、皆様の知るとこ

ろでございましょう。          

ところが、この一件が、老中・松平定信の

知るところとなってしまいました。    

「人足寄場運用金のことに不審これあり」

と、老中に呼び出され、覚悟を決めました鬼

平は、家族とも水杯を交わしまして、白装束

に着替えて定信の前へと参りました。   

評定の間にて待つことややしばらく、奥の

唐紙が開きますと、現れましたのは、筆頭老

中・楽翁公・松平定信。         

「火付け盗賊改め方、長谷川平蔵宣為、表を

上げよ」                

「ハハッ」               

「その方、公儀より遣わしたる御用金・五百

両、銭相場にて運用したるの由、誠なるか」

「仰せの通りにございます。公儀の質素倹約

令のこの折りに、その罪重々承知、この長谷

川平蔵、この身を以てお詫びを…」    

と腹を肩衣を脱いで腹を切ろうといたしま

す。                  

この時、御座をすべって楽翁様が、   

「まて、待て平蔵。そのお前の、機を見て敏

なるを以てこそ、人足寄場は成ったのではな

いか」と、手を取ってお止めになる。   

「は? では、ご容赦くださると…」   

「うむ…。確かに、余の考えとは相いれぬ方

途ではあったがな…。知っての通り、余は白

河藩主として民百姓に率先して質素倹約に勤

め、あの天明の大飢饉の時にも郷内からは一

人の飢え死にも出さなかった…。その功をか

われて幕府老中となった。だが、ある所でや

れたことが余所へ行っても同じようにやれる

とは限らぬ。余所で旨く行ったものがどこへ

行っても旨くゆくなら、『今のジャイアンツ

の最下位はなかった』」         

「お前も言うか?」           

「お前?」               

「いえ」                

「余は、今も霊巌島吉祥院に誓詞なし、天下

万民に金穀融通ある時には、我が身はもとよ

り我が妻、子に至るまで、命を差し出しても

よいと誓っておる。手立ては違えど、天下の

為に身を棄てるその方の覚悟、しかと受け止

めておくぞ」と、鬼平の手を取る楽翁公。 

「は、ハハーっ」            

こうして、近世から近代を繋ぐ橋となった

寛政の名コンビの絆ができたのでございまし

た。                  

その後、、出羽の天狗こと本間宗久は、幕

府財政の相談にも乗りながら、晩年、長い相

場師人生の経験から掴んだ相場道の『本間翁

秘録』を完成させますが、みだりに人に見せ

ぬようにと遺言して、一八〇三年、享和三年

の春、梅の香りにむせぶ根岸の里で、怒濤の

生涯を閉じたのでございます。      

時代は十九世紀を迎え、長崎にロシアの使

節・レザノフが押し寄せ通商を求め、いよい

よ動乱の幕末の序曲が始まる頃のことでござ

いました。               

大江戸相場物語り「出羽の天狗と江戸の鬼

」…これをもって読み切りといたします。




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