エジソン〜二十世紀を発明した男   







ハロー、マイ・ネーム・イズ、トーマス・

エジソン。ドゥユーノウミー? …じゃすと

、もーめんと、プリーズ……。      

ああ、今、新しく発明した「自動翻訳機」

のスイッチを入れた。わしはトーマス・エジ

ソン、世界一の発明家じゃ。わしが発明した

ものは、たとえば、このマイク、電球、映画

、レコード、それにソケット、コード、発電

所、つまりは、現代文明を支えとるものすべ

てじゃ。そうそう、最初に言った「ハロー」

というコトバもわしが作った。わしは耳が悪

いから電話の最初の呼びかけも聞こえやすい

ように大声で「ハーロー」というようになっ

たんじゃ。世の中の実際に役に立つものを作

るのは科学者でもなければ技術者でもない、

「発明家」じゃ。もっとも最近はドクター・

ナカマーツとかいうバカ者がおって「発明家

」というとなんじゃ町のインチキおじさんみ

たいな響きになるが、わしの時代には「発明

家」といえば、まさに人類の進歩をになう存

在じゃったがなあ。まあ、よいわ。新しい装

置の開発に忙しくて時間がないのに、神田陽

司がどうしてもというから25分だけ時間を

取ってやったんじゃ。しばらくの間おつきあ

いを願っとこう。う? これはこうやって使

うのか? なんなら「自動貼り扇マシーン」

を作ってやろうか? いらん? そうか、で

は…。                 




わしは1847年、日本でいえば明治より

遡ること20年、まだペリー提督が黒船で日

本に来るよりも前に、アメリカ合衆国東部の

オハイオ州はマイランちゅう所で生まれた。

それからミシガン州に移って学校に入ったん

じゃが、ここの先生てのがイヤなヤツでなあ

。ある日のことじゃ。          

「先生、一+一はどうして二になるんですか

」                   

「トーマス、おまえ、今年いくつになった」

「七つになりました」          

「七つにもなって、一+一がわからんのか。

おい、教室のみんな、いいか、先生の言うこ

とをキチンと聞かないと、このトーマスのよ

うな低脳になるぞ。さ、みんな、言ってみろ

、一+一はいくつかね?」        

「はーい、二です」と、教室中が声を揃えた

。わしはどうしてもそれが納得できなくてな

。「どうしてですか? どうして一+一は二

なんですか?」             

「まったく…。よろしいかね。ここに一本の

鉛筆がある、これに一本の鉛筆を加えると、

二本になる、違うかね」         

「はあ、? そりゃ鉛筆はそうでしょうけど

、これが粘土だったら一つの塊と一つの塊を

加えると、やっぱり大きな一つになるでしょ

う?たとえば火が一つ燃えているところへ、

水を一つ加えると消えてなくなってしまうじ

ゃないですか? それでも一+一は二なんで

しょうか?」              

さすがの先生もこの時はコトバに詰まって

おったなあ。そうすると他の生徒たちも、 

「そういえば、一匹の鼠に猫を足したら、猫

が鼠を食っちまって、一匹だなあ」    

「そうだ、猫しかネコらないぞ」     

「キャットそうだ」教室は大変な騒ぎになっ

た。先生は真っ赤になって怒り出したな、 

「こら、トーマスの言うことなんか聞いては

いかん、こら静かにしろ。いいか、このトー

マスエジソンは頭が腐っておるんだ、言うこ

と聞いちゃいかん」           

アッドルト〜頭が腐っておる。あのエンゲ

ル先生は、確かにこう言った。このコトバは

わしの人生を変えた最大のコトバだったな。

わしはただ、思ったことを言っただけなのに

。先生は何でも知ってるというから教えて欲

しかっただけなのに…。その後、わしはさん

ざん鞭で叩かれて泣きながら家に帰った。 




おっ母さん。懐かしいなあ、わしのおっ母

さんはナンシーというてコロコロ太って優し

い人だったが、怒ると怖くてな。あの日、先

生に頭が腐っとるといわれて泣いて帰って、

布団の中で泣きつづけていたら、     

「どうしたの」ちゅうから        

「今日、先生にお前は頭が腐っているって言

われたんだ」と言ったら、普段のおっ母さん

とは思えないほどいきり立ってな、    

「いっしょにいらっしゃい」て、泣いてるわ

しを無理やり先生の家まで引っ張って行った

んじゃ。                

で、乱暴にドアを叩いて、先生が出てくる

やいなや、               

「先生、今日、うちの子に、<お前の頭は腐

ってる>といったそうですね」      

「いや、落ち着いてください、奥さん。残念

ですが、正直申し上げて、おたくのトーマス

君には手を焼いております。授業中も上の空

で私の話を聞かない、そうかと思えば妙な質

問をして授業の邪魔をする…。まあ正直、学

校の授業にはついて行けないんですな。しか

し、がっかりすることはありません。わが国

では三年前に<義務教育>という立派な制度

ができたんです。これは何人たりとも教育を

受けることができるという法律で、たとえば

トーマス君のような役立たずの子でもですな

…」                  

「なんですって? うちのトーマスが、役立

たずですって? 先生、たかが学校の授業に

ついていけないだけで、役立たずですって」

わしは、あの時ほど怒った母親の顔を見た

のはあれきりだったなあ。たぶん、おっ母さ

んは涙さえ浮かべておったと思う。    

「よござんす。あなたには任せておけません

。私も嫁入り前は先生をしていた身です。明

日からは学校には寄こしませんからそのおつ

もりで、はい、さよなら」バタン、と、多分

あの時、エンゲル先生はドアで鼻の頭を打っ

たと思うなあ。なんにせよ、わしはそれきり

学校へは行かなかった。今なら学校でも大問

題になるじゃろうが、ま、あの頃はアメリカ

ものんびりしとったからな…。その日からは

おっ母さんと二人きりの学校が始まったちゅ

うワケじゃ。              

おっ母さんの授業は面白かった。厳しいち

ゅうよりは、わしが何に興味をもっとるかを

よく知ってて、国語より社会、算数より理科

が好きと知って理科の本ばかり読ませてくれ

た。ワシもそれが面白くてな、特に理科の実

験、小遣いをもらうとそれを全部科学薬品を

買って、十歳の時には地下室に実験室を作っ

てな、来る日も来る日もいろんな薬を混ぜ合

わせたもんじゃ。            

ま、ちとやりすぎたこともあったがな。酢

と重曹を混ぜるとできる炭酸ガスが空気より

も軽くて空に浮かぶことを知って、隣のマイ

ケルに飲ましてやったこともあったなあ。 

「ほら、これ飲んでみろよ。空を飛べるよう

になる薬なんだぜ」           

「ほんとかい? トム君…飲んだよ。飛べな

いよ」                 

「薬が足りなんだよ。もっと、ほれ、飲んで

飲んで、イッキ、イッキ、梶原イッキ」  

「…おなかが痛いよ、痛いよ〜」     

「そりゃ大変だ、じゃこの、僕が作った胃薬

を…だめかい? じゃ今度は僕の作った痛み

止めを…だめ? じゃ、今度は麻酔薬を…」

けっきょく隣のマイケルは病院に運ばれま

したが…。ま、子供ちゅうのはムチャをする

もんで。そういえば、神田陽司なんぞは幼稚

園の頃友達の住んでたマージャン屋のビルを

一軒丸々燃やしてしまったそうじゃな。「子

供の火遊びと当局では見ている」ちゅうて記

事になったが…。あれが科学の実験だったこ

とを知っておるのは本人だけなんじゃが…ま

あこれは、去年の11月1日に民事の時効が

成立したから初めて言えることじゃが…。 




ま、それはさておき。今時の子供は二十歳

を超えても親のスネばっかりかじっておるが

、わしは違うぞ。おっ母さんが止めるのもふ

りきって、列車の中で新聞売りを始めたんじ

ゃ。朝7時に出る列車に乗って、三時間かか

ってデトロイトに着く、往復で商売をして、

帰る頃にはもう夜の9時じゃ。一日14,5

時間は働いたかな。12歳ちゅうたらまだ小

学生のはずじゃが、その頃には近くの図書館

の本はあらかた読んでしまってとったからな

。それで、列車の中で、新聞やらキャンディ

やら果物を売る。そのうち実験道具も列車に

持ちこんで移動実験室を作る、そのうち「週

刊ヘラルド」ちゅう新聞を自分で書いて発行

した。わしは理科だけでなく文才もあったん

じゃ。 それに商売も上手かった。大きな事

故があると電信でそれを各駅に伝えて伝言板

に書いてもらうんじゃ。ちょうど南北戦争の

頃じゃから「本日、グラント将軍、シャイロ

ーにて南軍と天下分け目の戦いをなす」とな

。そうして、新聞をいつもの十倍も仕入れて

、5倍の値段で売る、儲かった、儲かった。

え? 12歳の子供の考えることじゃない?

だからわしは天才と呼ばれとるんじゃよ。

実はな…その頃材木商をやっとった親父の商

売が左前になってきてな。自分の知恵が家計

の足しになれば、それに好きな実験を続ける

にも金がいるしな…。          

そうそう、わしは、蓄音機の発明者

でありながら耳が聞こえんことで有名じゃが

、日本の偉人伝では「列車の中で薬品が落ち

て燃え出し、怒った車掌に殴られて聞こえな

くなった」と伝わっておるがあれは違う。も

ともと中耳炎があった上に、ある時、わしが

列車から落ちそうになった時に車掌が、とっ

さに耳を掴んで引っ張りあげてくれてな…、

その時「プチッ」ちゅう音がしてそれ以来聞

こえなくなったんじゃ。まあ不便じゃったが

、おかげで集中して本も読めたし、後年、女

房のうるさい愚痴を聞き流すことができた。

要は考えようじゃ。           

さて、いつまでも新聞売りもしてられん。

あれは一五の時。列車に引かれそうになった

子供を助けたらそれがマッケンジーちゅう駅

長さんの子供で、運というのはどこに転がっ

ておるかわからん。その駅長さんから「電信

」の技術を教わったんじゃ。いわゆる「モー

ルス信号」じゃな。これを、打ったり、電線

を伝わってくるトン・ツー・トンちゅうのを

聞いてそれを文字に書き起こしたり、それが

電信通信士の仕事じゃ。子供の頃からの熱心

さ、何よりもこれからは電信の時代と思って

いたから、そりゃもう熱心に勉強した。これ

で手に職がついてそれから6年ほどはアメリ

カ中を渡り歩いたな。ツーツーツートントン

ちゅうて、電信機が鳴り始めると他のものは

慌てて書き取るのに、わしはまず、鉛筆を削

って、それから紙を探して、やっと電信機の

前に座ってそれまでの分を、ザーーッと書き

とめて、四時間くらいは書きつづける…ちょ

っとでも間が開くと逆に打ち返してやる  

「ドウシタ、アシで打っているのか?」開い

てはびっくりしとったな。何にせよ、多分、

技術としてはアメリカナンバーワンじゃなか

ったかな。それも耳の聞こえにくい集中力の

おかげか、何事も考え方じゃよ。     




もちろん、そんなことをしながら、稼いだ

金はすべて新しい発明のため使っておった。

そして、二十一歳の時、ボストンで始めて機

特許、つまり「発明」の第一号を作った。そ

れは『電気投票記録機』というものでな。今

でもそうだが、議会の投票中ちゅうのはハタ

で見ててものんびりしとってイライラする。

あれじゃ税金のムダ使いもいいところじゃ。

そう思って、電気仕掛けでパッと議員の入れ

た賛成反対が議長に分かるような装置を作っ

たんじゃ。これなら世の中のためになるし、

国中の州議会や村議会で売れる、そう思った

んじゃ。しかし、ワシントンの市議会に持ち

こんだ時も、              

「どうです、この機械を使えば、一瞬にして

賛成何票、反対何票というのが分かるんです

、それには、各議員さんがこの、手元のボタ

ンを押してですね、それが電線を伝わって、

この議長の手元の賛成のランプと反対のラン

プをですね…」             

「ああ、わかったわかった。この機械が便利

なことはよくわかったよ」        

「え、じゃあ、こちらの議会で採用していた

だけるんですね」わしは自信満々じゃった。

これで大もうけができる。なにしろ国中には

何百という州議会や町議会があるんじゃから

な。                  

「いや、うちでは採用できない。いやあ、た

とえアメリカ中回ったところで、君のこの機

械を買ってくれる議会はないだろうよ」  

「ど、どうしてですか?」        

「いいかい。政治というのは簡単なものじゃ

ないんだ。なるほど、この機械を使えば、賛

成と反対が一瞬にして分かる。時間の短縮に

もなるだろう。しかし、そうなると、少数意

見は切り捨てられる。たとえば少数意見の党

は投票の時、議長席まで歩いてきて、投票す

るからこそ、たとえば、わざとゆっくりゆっ

くり投票して少数意見を主張することもでき

る。世の中は便利だけで動いているわけでは

ないんだよ」              

今でもあるじゃろ、「牛歩戦術」というヤ

ツじゃ。あれも散々税金のムダ使いとか他に

やることがあるだろうとか言われつつ、それ

でもたとえば消費税が決まる時、野党が何を

やったかと考えると、とりあえずはあのノロ

ノロ歩き思い出される。……まあ、わしはそ

んな政治の駆け引きまで考えておらんかった

から、この「発明第一号」は失敗に終わった

んじゃ。                

やがて22歳、わしは花の都ニューヨーク

に出た。そして、その機械を応用して、駆け

引きなんぞよりもとにかく便利さが要求され

る世界で「株式相場通知機」というのを作っ

て、これがわしの、売れた発明の第一号にな

ったんじゃ。ちょうど明治が始まった頃のこ

とじ今時、パソコンで株取引なんて騒いでい

るがその基礎は全部もう発明しとったんじゃ

な。ああ、エジソンちゅうのはエライ。…話

を続けよう。              




二十二歳の時、初めて売れた発明品は、一

万5000ドルで売れた。今の日本のお金に

直せば2000万円というところかなあ。わ

しはふるさとおっ母さんに、半分の一千万円

を送った…それは当然だと思ったな。なにし

ろわしの先生はおっ母さんだったからな。そ

して残りの金で工場を借りて、今度は「印刷

電信機」を作った。これは、あのモールス信

号で入ってくるりツートントンを、ちゃんと

文字に変える装置じゃ。考えてみれば、自分

が人に誇っていたワザを機械ができるように

してしまったんじゃな。いってみりゃ日本の

スーシー職人が、自動押しズシの機械を作っ

たようなもんか……いやいや、スーシーみた

いに微妙な味が関係するものと違って、電信

なんてのは速さが勝負じゃとわかっていたか

ら…そしてこの印刷電信機は、4万ドルで売

れた。これを元手にニューアークに会社を作

り、いよいよ、後世に残る、いや、後世を作

りあげるような大発明の数々を、毎日20時

間労働で作り出すことになるのじゃが…。 

自動通信機、複写機、そしてライト兄弟に

先を越されたが飛行機などの発明・ 設計に夢

中になり、故郷にも帰らずにすごしておるあ

る一日。                




おっ母さんが死んだという知らせが届いた

。体が強くないことは知っとるはずだったの

にな…。わしは、発明に熱中すると、時間ど

ころか自分の名前まで忘れてしまうようなヤ

ツじゃったから…。ニューアークから電車に

飛び乗って、数時間、おっ母さんはもう、2

度と目を開けない姿で迎えてくれた。   

「お父っつあん。なんでオイラが帰ってくる

まで持たしてくれなかったんだ…おっ母さん

もおっ母さんだ、ひどいじゃないか、これか

ら大もうけして楽さしてやろうと思ってたと

こなのに…まだこないだ送った金じゃ、大し

て贅沢もできなかったろうに」      

「トーマスよ、お父っあん、お前に誤らなき

ゃならないことがあってな…実は…」   

と、お父っあんが奥の部屋から持ち出して

きたのは、この前送った一万5千ドルの半分

の封筒でした。             

「なんで、これが丸々残ってるんだよ? さ

てはお父っあんが独り占めしようとしてたな

?」                 「

いや、違うんだトーマス。わしが郵便局に行

くのをグズグズのばしてたせいでこんなこと

になっちまってな…。開けてみろ、おっ母さ

んの手紙が入ってる」          

「……トーマス、元気で何よりです。さて、

このたび、得意の発明で大もうけをしたとの

こと、大変喜んでおります。しかし、その半

分を私たちに送ってきたのはどういうわけだ

い? お父っつあんは年をとりましたが、ま

だ働けない年ではありません。暮らしに困る

ことは一つもないのに、こんな大金を送られ

ても困るだけです。いや、むしろ、これから

世の中の役に立つ研究をするために必要なこ

のお金を、自分の親を喜ばすだけに使おうと

いうお前の気持ちが情けないくらいです。む

しろこちらから小遣いを送って応援してやれ

ないのが残念です。このお金は気持ちだけ受

けとっておきます。どうか世の中の役に立つ

発明を続けてください。それだけをたのしみ

に待っております。お体に気をつけて。かし

こ」                  

頭が腐っているといわれたわしを、役立た

ずとののしられたわしを、最後の最後まで信

じてくれていたおっ母さんの心にはわしは言

葉もなかった。だから、おっ母さんの心に報

いるためにも一生懸命やらなくては、心に誓

った。ひとつだけ言っておきたいのは、二十

世紀の文明の基礎を築いたのは、天才発明家

名のわし・トーマス・アルバ・エジソンかも

しれんが、このわしの基礎を作ってくれたの

は、ナンシー・エリオット・エジソンという

一人の女性であったこと、わが偉大なる母デ

あったこと。これだけは申しておきたいと思

います。                

はは、貼り扇ちゅうのは便利じゃな。心の

転換ができる。わしはやがて2度結婚して6

人の子供を作った。なにより1300もの特

許を取った、いまさらそのひとつひとつを並

べる気はないが、ひとつだけ自慢しておきた

い。1931年、昭和6年、10月21日に

わしの葬儀が行われた時、午後10時になる

とアメリカ中が一斉に電灯を消してわしを見

送ってくれた。わしは、天に上りながら、た

まには暗いのもいいなあ、と思っておった。

諸君もたまにはテレビもラジオも消して、わ

しの偉大さを思い出してみてはどうかね? 

おっと、もう時間がない。わしは今、あの

世で大きな仕事に取り掛かっておる。それは

天国と地上をつなぐ通信機じゃ。それができ

たら、またお会いするとしよう。それでは、

グッド・バイ。             

二十世紀を発明した男、トーマス・アルバ

・エジソン。これをもって読み終わりとさせ

ていただきます。            










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