危険な講談2〜核兵器の正しい作り方〜   




(●は、高座では字幕として表示しました) 




●20世紀以前<太陽の秘密>      

突然ですが、「インデアン嘘つかない」、 

という言葉を作ったのは円楽師匠なんだ 

そうですね。いや本人が言ってたんですが、 

「私は前から文明というのはもう進まない方 

がいいんじゃないかと思ってたんです。それ 

で、文明に頼らないインデアンの純粋さを誉 

めるつもりで作ったんで」…まあ、ホントか 

嘘かは知りませんが。インデアンがアメリカ 

移民にやられるまで、いわゆる機械を使うよ 

うな文明を持たないでやってこれたのは、彼 

らには自信があったからなんですね。つまり、

彼らは空に輝く太陽の子供である、太陽が守 

ってくれているから、怖いものなど何にもな 

いんだ、という自信と誇り。現代の人間には 

ない自信ですね、だから、あのヒゲのオッサ 

ンを神とか思ってしまう…。実際、太陽の恵 

みてのは有り難いもんで<こないだもウチの 

アパート、雨戸の代わりにシャッターがつい 

てるんですが、台風の日に閉めたら開かなく 

なんちゃって。台風一過の秋晴れで、真っ暗 

な中で過ごすのはそりゃミジメなもんでござ 

いました>で、太陽なんですが、実際、太陽 

がなんで燃えているのか、百年前までは誰も 

知らなかったのでございます。仮にあのカタ 

マリが全部石炭みたいなものだったとしても、

何千年、何万年燃え尽きないのが何故かはわ 

からない。で、そして、それが核反応である 

と実験で確かめられてから、まだ50年チョ 

イしか経ってはいないのでございます。本日 

は「理科系講談」でございますので、まずは 

その物理学の歴史を少しふり返ってみなけれ 

ばならないのでございます。        



●1902年<放射能>         

物理学と申しますと、みなさんは学校でや 

った「力学台車」の実験を思い出すでしょう 

が、あれは「ニュートン力学」でございまし 

て実は現代科学の最先端では通用しないもの 

なのでございます。ちょうど20世紀の始ま 

ります寸前、1900年ごろにようやく「放 

射能」α線、β線γ線、の存在が明らかにな 

って参りました。実はこれに大変な貢献をい 

たしましたのが、誰あろう、八百屋のオカミ 

サンだったんですね…「キュリー夫人」…… 

…とにかく、1902年にラジウムの分離に 

成功し、「放射能」というものを解明した。 

これがまさに、「原子力」時代20世紀の幕 

開けであったと申せましょう。え〜、理系講 

談でございます。「原爆」にも大変関係のあ 

る放射能の解説をいたしましょう。凡そこの 

世に存在しますものは、全て「原子」からで 

きているということはご存じかと思います。 

このセンスも、釈台も、あなたも、私も、目 

に見えない空気も、すべてこれ、細かく細か 

く砕いていきますと、最後には「原子」の粒 

になってしまう。それ以上は壊せないという 

イミでギリシア語で「アトム」「原子」とい 

うわけでございます。原子というのは「核」 

と「電子」からできておりまして…ええと、 

要するに真ん中に強い磁石があって、それに 

パチンコ玉が沢山くっついている、これが原 

子だと思ってください。で、パチンコ玉のと 

ころがくっついたり離れたりして、原子が水 

をつくったり、空気に溶けたりするんですが 

…一番軽い水素は、パチンコ玉が一個ついて 

るだけなんですが、中には、パチンコ玉が1 

00も200もついてるものがある。これが 

いわゆる「放射性元素」でして、あんまり沢 

山パチンコ玉がくっついてるんで、ボロボロ 

こぼれる、これが体に当たるとエライことに 

なる、これが「放射能」でございます。ま、 

正確にはパチンコ玉飛んでくるのがβ線で、 

磁石の方が飛んでくるのがα線……。    



●1905年<アインシュタイン>     

さて、この「放射性元素」の中に潜む巨大 

な力を計算で出したのがかの有名なアルベル 

ト・アインシュタインでございました。多分 

あの舌をペロッと出した写真はご存じかと思 

いますが…。かつて私の芸人として最高に尊 

敬いたしますチャップリンとこのアインシュ 

タインが体面いたしました時の有名な会話が 

ございます「チャップリンさん、あなたは素 

晴らしい。世界中のすべての人があなたの芸 

術を理解している」「いやいやアインシュタ 

インさん、あなたこそ素晴らしい。世界中の 

誰もあなたの学説を理解できないのに、世界 

中に知られているんだから」…。アイシュタ 

インは大正11年には日本にも来ておりまし 

て当時はビートルズ来日並のブームになった 

そうでございます。本当はこの人の人生その 

ものについて語ってもかなり面白いかと思う 

んですが、本日は「理系講談」なので……さ 

て、この人が原爆とどう関わっているかと申 

しますと、ヒロシマにある原爆に関する彫刻 

で、少女が胸に抱いた石版に書かれている、 



●<E=mc2>            

という式を考えたのがこのアインシュタイ 

ンでございまして、さあ、ここが今日の眼目 

でございます。果して、講談で<特殊相対性 

理論>の説明ができるかどうか?      

ええと、アインシュタインは実験ではなく 

頭の中でいろいろ考える科学者だったんです 

が、ある時、こういう事を考えついたんです 

な。アインシュタインが新宿から中央線に載 

る(笑)そして振り返るとマイシティとか都 

庁が見える。都庁が見えるのはつまり太陽か 

らの光が反射して目に届いているからだ。で 

は、もし、この中央線がドンドンドンドン早 

くなって、光よりも早くなったら、光は目に 

届かないから都庁は見えなくなる、いや、都 

庁どころか何にも見えない真っ白けになる? 

いや、光が来ないんだから真っ暗か? そ 

れともどうなる?いや、それは変だ……。そ 

う考えて発見したことが「この世界には光よ 

り早いものはない」ということだったんです 

ね。つまり、どんなに中央線に高性能のエン 

ジンをつけても、「絶対に光より早くならな 

い」てことなんです。ちょっとわかんないで 

すか? ところが、これは実験でも確かめら 

れたんですね。地球は自転してますね、一日 

で4万キロ一周するワケですから、時速にし 

て1700キロ近くで。。で、太陽に向かっ 

て回る午前中と、太陽から逃げていく午後と 

ではプラマイ3400キロの差があるわけで 

す。ところが、太陽の光はどっち向きでも同 

じ秒速30万キロで地球に届く、ヘンでし  

ょ? もう少しわかりやすく? しますと、 

ノモが160キロのスピードでストレートを 

投げますわな、するとボールは時速160キ 

ロで飛んでいく。もしノモが100キロで走 

るトラックの上から進行方向に向かって投げ 

たら、ボールは何キロになります? 160 

+100で260キロです。ところがノモが 

ムチャクチャトレーニングして、秒速30万 

キロで投げたら、秒速100キロのトラック 

から投げても30万百じゃない変でしょ?  



●<特殊相対性理論>          

ところが現実にそうなんです。これは学校 

で習ったニュートンの力学に反しますが、こ 

れが現代の最先端技術を動かしている物理学 

なんです。いやホント。衛星中継の「ニュー 

ヨークの内田さん?」「…ハイハイ」あのス 

ピードはどんな機械を使ってもどうにもなら 

ないんです。そこから考えて、では、いくら 

エネルギーを多くしても30万キロを越えな 

いのは何故 か? それは、実は、ものは早 

くなればなる程、「重くなる」んですね。で、

光のスピードに近づくとイッペンに重くなっ 

て、光のスピードになると無限大に重くなる 

から動かなくなる。ムリヤリ分かりやすくい 

えば、物の重さというのは、それにかけられ 

たエネルギーの量で決定する。小さいのに重 

い物というのは、、できる時エネルギーが沢 

山溜まったから重くなった、と。それがこの 

E=mc2という式なんです。つまり、あら 

ゆる物質は重さカケル光の速さの二乗のエネ 

ルギーを「秘めている」これがアインシュタ 

インの発見したことだったんです。このエネ 

ルギーというのは、燃やしたりしても出ませ 

ん。物の一番 小さい粒、原子を壊さないと 

出ません。これが、「核反応」、これを使っ 

た武器が原爆、発電が「原発」ということに 

なるわけです。この「核反応」のがどのくら 

い凄いかというと、何と一円玉一個の重さ、 

1グラムが全部エネルギーに変わると……ど 

のくらいだと思います? 何と1グラムで、 

100万軒のフロが沸くんです甲子園で阪神 

が負けて、5万人が「あ〜あ」言って返って 

「クソッタレ、アホッタレ」と言いながらシ 

ャワー浴びて風呂に入る、これが20回でき 

る、それが1グラムで……もちろん、まだ1 

円をエネルギーに帰る方法は誰も知りません。

ウランとか、壊れやすいものしかできないん 

ですが、これが、「核兵器」の恐ろしさとわ 

かっていただけましたか?         



●1933年<ナチス・ドイツ>     

しかし、アインシュタインはこの式を考え 

ただけで、実際にこのエネルギーを使う方法 

は考えなかった。それどころか、この人は大 

変な平和主義者だったのでございます。   

1914年4月、アインシュタインはベル 

リンのフンボルト大学に教授として迎えられ 

ます。そして7月、ヨーロッパ中を巻き込ん 

だ第一次世界大戦が起こりました。ともに学 

んできたフィリッツ・ハーバーが作った毒ガ 

ス兵器によって世界は大量殺人戦争の時代に 

突入したのでございます。アインシュタイン 

は文豪ロマン・ロランらと共にに熱心な平和 

運動を展開いたします。1930年にはニュ 

ーヨークでの講演で「どんなことがあっても 

戦争はいけません。人殺しのための徴兵は拒 

否しましょう。召集令状を受け取ったら破り 

捨てなさい。この運動に2パーセント、ほん 

の2パーセントの人が同意してくれれば戦争 

はなくなります。何故なら、世界のどの国に 

も、2パーセントの徴兵拒否者を入れる牢屋 

がないからです」と訴えたのでございました。

これほどの徹底した平和主義者のアインシュ 

タインでしたが、1933年、ヒットラーが 

首相となり、人類の運命は変わるのでござい 

ます。徹底したユダヤ人排斥、弾圧、なんと、

あの毒ガスでドイツに貢献したはずのフリッ 

ツ・ハーバーさえもナチスに追放れされたの 

です。アインシュタインも2人のいこを殺さ 

れ、アメリカへ亡命した頃には、もう徴兵拒 

否などとは言わなくなっておりました。そし 

て、1939年、ナチスはチェコスロバキア 

を占領。核エネルギーを持った「ウラン」の 

輸出を禁止いたします。ナチス・ドイツは何 

を企んでいるのか? まだ原爆の作り方など 

世界中で誰もわからない時代ですが、不安に 

かられるアインシュタインの、海辺の静かな 

別荘へベルリン時代の教え子、レオ・シラー 

ドと、ハンガリーからの亡命科学者、エドワ 

ード・テラーがやって来たのでございます。 



●1939年<運命の手紙>        

『緑濃き森 蝉時雨 遙かに時は 逆上る 

齢六十 ひと夏の 身を落ちつけし別荘に 

突然おとのう者ふたりあり ナチスドイツ 

に逆らいて 亡命したる若き科学者 シラ 

ード テラー。             

悪魔の申し子ヒットラーは、原子爆弾の  

開発を 密かに進めし兆しあり。     

博士、座して狂気を許してよきや? 博士 

今こそ立つ時なるぞ。我等を地獄より救う 

ため、今こそ博士の名声を 正しきことに 

ぞ 使いたまえ。            

聞くも腹立ち 胸狂おしい 驚天動地の新 

たな知らせ               

よう教えてくれた テラー殿 ああ、憎み 

てもあまりある独裁者 ユダヤ人の我が家 

族 生きて未来はあるものか       

シラードここぞと懐より 取りいだしたる 

一通の手紙 今こそ原爆研究をと ルーズ 

ベルト大統領に 決意促す 勧告文    

さあ、博士 ここにご署名を       

請われるままにペンを取り ナチース憎し 

とためらわず 署名したるは八月二日   

夏のさかり』              

その手紙にはだいたいこういう意味のこと 

が書かれておりました           

「最近の研究によりますと、ウランの元素が 

近い将来新しい重要なエネルギー源となるで 

しょう。そしてそれは強力な爆弾ともなりま 

す。あまり小さいものにできるとは思えませ 

んが、それでも船に積み込んで港で爆発させ 

れば、港全部を破壊できるようなものになる 

でしょう。そのような爆弾をナチス・ドイツ 

が作った時には、アメリカの受ける被害は甚 

大なものになるでしょう。今からアメリカで 

も、大いに財政援助をして、開発しなくては 

なりません」               

賢明なるルーズベルト大統領はこの忠告を 

受入れ、そして、原爆開発が始まったので…。



●1941年<マンハッタン計画>    

やがて、アメリカ全体が本腰を入れ始めま 

したのは、1941年12月6日、皮肉にも 

日本による真珠湾攻撃の直前でございました。

「マンハッタン」計画と名付けられたこのプ 

ロジェクトは、当時のお金で 総額20億ド 

ル、科学者12万人を動員した人類最大の武 

器製造計画でした。そして、ちょうど1年後 

には、シラードのアイデアによって、「核連 

鎖反応」(磁石の真ん中にパチンコ玉を当て 

て、つぎつぎに磁石を破裂させる。     

その時例の、一グラムで百万軒の風呂を沸か 

す恐るべき熱エネルギーが出る)が成功し人 

類は「核エネルギー」を手に入れたのでござ 

います。この研究の中心となりましたのは、 

アインシュタインと同じ、ヨーロッパから亡 

命して参りましたユダヤ人の科学者たちでし 

た。彼らは実に一日15時間から20時間 

労働でした。「ナチスが100キロ前進する 

ごとに、我々の家族が、親戚が、百万人殺さ 

れるんだ、ナチスに神の鉄槌を、ナチスに神 

の裁きを!」。その憎しみの炎こそが、人類 

最初の原爆を作り出したのでございます。し 

かし、4年の間に戦局は大きく変わりました。

そして19454月末日、ヒトラーは愛人エ 

ヴァ・ブラウンとともに自殺、5月7日には 

ナチスドイツは降伏をいたします。ナチスの 

狂気を止めるために作られた「神の兵器」は 

その存在意義を失ったのでございます。科学 

者たちは勝利に酔い、完成間近の原爆に「お 

前が使われることがなく、本当によかった  

…」と語りかけました。彼らの憎しみの旅は 

終わったのでございます。ところが!    

未だ戦争は続いていたのでございます。第2 

次世界大戦で、ナチスよりも後まで戦いを続 

けた国は、だれあろう、ほかならぬ、我等の 

国、大日本帝国だったのでございます。〓〓 

〓〓〓ナチス降伏近しと見たアインシュタイ 

ンは再びルーズベルト大統領に、日本に対し 

て原爆を使わないように手紙を書きますが  



●1945年<アラモゴード>       

アメリカ中の国民に愛されきた偉大な大統 

領・フランクリン・ルーズベルトはそれを読 

む前に天に召され、代わって、原爆が存在す 

ることも知らされていなかった、ハリー・ト 

ルーマンが就任をいたします。この人はアメ 

リカ国民にさえ「つぶれた洋品店のオヤジ」 

言われる人物で、原爆を落とした張本人です 

から少々悪口を言っておきますと、子供の頃 

からイジメられっ子で、コンプレックスが強 

く、日本の占領をめぐってスターリンと会談 

した時も 「あいつは身長が低い、165セ 

ンチをない。そのことを気にしている、写真 

を取る時もワザと段の上に立ちやがるんだ」 

とそればっかり。自分だって173センチで、

これは私よりは高いですが、アメリカ人では 

小さい方でしょう。とにかく、トルーマンの 

中には「原爆をソ連に、あの、エラそうなス 

ターリンの野郎に見せてやるんだ」という思 

いが強かったようで…これは必ずしも冗談で 

はないようです。もちろん、表向きは「早く 

戦争を終わらせなくては、100万人のアメ 

リカ兵が死ぬ」という事は言っておりました 

が。そして1945年7月16日午前5時30 

分、ニューメキシコ州、インデアン居留地ア 

ラモゴードトリニティサイトにおいて、人類 

最初の原爆が爆発したのでございます。「巨 

大な火の玉ができ、どんどん大きくなった。 

大空に舞い上がり、黄色い光が紫と緑の光に 

変わっていく。そして40秒後、立っていら 

れない程の衝撃波が来た。収まってから皆は 

外に出た…我々は世界が変わったことを知っ 

た、何人かは笑い、何人かは泣いていた」。 

科学者のリーダー・オッペンハイマーの言葉 

でございます。そして、そのたった20日後 

には、原爆を実戦に使ったのです。太平洋方 

面の総司令官、ダグラス・マッカーサー元帥 

はこう言っています。「日本は降伏寸前だっ 

た、我々はもう占領の準備を進めていた。だ 

が、8月4日突然『全ての戦闘機をヒロシマ 

から遠ざけろ』という命令が下った。総司令 

官の私が、たった2日前まで、原爆のことな 

ど何も知らず…激しい怒りを。       



●1945年8月6日<ヒロシマ>    

核科学者のジョン・グローブは、その瞬間 

多くの同僚たちとともに核開発研究所におり 

ました。そこへ、原爆投下成功のニュースは 

舞い込んできたのでございます。あるものは 

安堵の胸をなで下ろし、ある者は喜びの声を 

あげました「みんな、喜べ、成功だ。実戦で 

成功だ。5年間の苦労が報われたぞ」「まっ 

たくだ、もし、失敗していたら、ワシントン 

に家を買わなきゃならなかったぜ。残りの人 

生は、そこでお偉方に対する始末書を書くだ 

けのものになってたろうよ」        

その時、ジョン・グローブが、知らせをもっ 

てきた兵隊にたずねました         

「ところで、結局、原爆はどこに落としたの 

かね」                  

「は、広島であります」          

この兵隊の答えに、賑わっていたその場は 

水を打ったように静まりかえり、その場にい 

た科学者たちの顔から、一斉に血の気がひき 

ました。                 

「なんだって? もう一遍言ってくれ」   

「広島です」               

「おいおい、そんなはずがあるか。そりゃな 

んかの間違いだ。トラック島の海軍基地か、 

その近くの軍事要塞のある離れ島だろ? で 

なけりゃトーキョー湾の真ん中か? おい、 

こんな時に冗談はやめろ、本当はどこに落と 

したんだ?」               

「…放してください、博士。冗談ではありま 

せん。原子爆弾のビッグ・ジョンは北緯34 

度、東経132度 ヒロシマ・シティに投下 

されたんです」     

「なに?…… じゃあ、じゃあ、貴様ら、あ 

の、百万度の火の玉を…町の真ん中に落とし 

たというのか!」             

一九四五年日本時間で八月六日午前8時15 

分、日々を暮らす人々はそれぞれ職場に向か 

っておりました。小学生たちは校庭で体操を 

しておりました。この日、科学者は、いや、 

全人類は、二度と消えることのない罪を知っ 

たのでございます。            

やがて日本は無条件降伏を余儀なくされ、 

第2次大戦の幕は閉じたのでございます。し 

かしその後五〇年の間、多くの国に無数の原 

爆実験が繰り返されてきました。そして今現 

在も、中国で、フラスンで、核兵器は爆発し 

ているのでございます。          

世界で初めての原爆が使われた日。かのト 

リニティサイトの近くに住む一人のインデア 

ンはこう語ったといいます。        



「この日、神さまが作った太陽は死に、悪魔 

の作った新しい太陽が輝いた。けれどこの日 

からバラバラだったわれわれをふたたび一つ 

の家族にした。2万キロも離れたところで暮 

らす人々が、たった一つのきっかけで同時に 

命を落とすかも知れない。そう、悪魔の作っ 

た太陽の下で、われわれは沈みそうな船で2 

0世紀の海を渡るかけがえのない仲間になっ 

たのだ」                 

危険な講談その2 核兵器の正しい作り方 

講談らしくない部分もございましたが、これ 

を以て読み終わりといたします。      








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