マフ・ポッターの裁判 







本日は、あまり知られておりませんところ 

の、大岡裁きの一席を申し上げます。    

われわれ講談の方で麹町平川町三丁目とい 

えば、希代の悪党医師・村井長庵の住み家と 

して知られておりますが、そこから、四谷の 

方に寄った二番町のはずれに、杉田玄黒とい 

う医者が住んでおりました。        

この人は長庵のようなニセ医者とは違いキ 

チンと漢方医学を身につけたお医者でしたが 

その一方、なんとか世間に名を上げてやろう 

という野心家で、大変勉強熱心なことでも知 

られておりました。            

ところが、熱心さというものも、あまり度 

を越しますと災いの元となります。時しも八 

代の将軍吉宗公が規制をゆるめまして入って 

きた西洋の医学書から人体解剖に興味を持ち 

ました玄黒先生、医術の進歩のためとは名ば 

かり、自分の名声のために、原因不明の病気 

で死んだ人の死骸を墓から掘り返して調べた 

いと思うようになりました。        

しかし、夜中と行ってもどこに人目がある 

かわかりません。短い間に一人で墓を掘り返 

して死骸を盗んでくるというのは容易なこと 

ではありませんので、二人の手伝いを頼むこ 

とにいたしました。            

その手伝いは、一人は、二番町上九長屋に 

住む、相撲くずれで犬をひと殴りで殺すとい 

う大きな拳をもっている人呼んで犬殺しの彰 

吉、この男は人殺しだのなんだのという噂の 

絶えないうさんくさい男でございます。もう 

一人は、元お屋敷勤めで名字までもらいなが 

ら、何かの不始末で落ちぶれていつも飲んだ 

くれている堀田林蔵という爺さんでした。今 

日も長屋でポックリと死んだ耕太郎という男 

の墓を暴きに、町外れの上祐寺にやってまい 

りましたのが真夜中でございます。     

月にむら雲のかかる暗い夜、墓へ来た時に 

は玄黒、彰吉、林蔵の三人だったのですが、 

戻る時には何故か二人。次の朝になりますと、

病気で死んだ男ではなく、背中を朱に染めて 

血を流し、虚空を掴んで息絶えた玄黒先生の 

死骸が、墓場に横たわっていたのでございま 

す。                   




さっそく町内でも評判の悪い目明かしの山 

哲という男が長屋中を嗅ぎ回ります。    

そうして、いつにもまして飲んだくれて、 

家の中にも入らず、井戸端で酔いつぶれてい 

る林蔵爺さんを見つけたのでございます。  

「おう、起きな、起きな、林蔵。堀田の爺さ 

ん、ちっ、よく寝てるぜ、おう、しっかりし 

やがれってんだ」             

「ムニャムニャ…あ、こ、こりゃ山哲の親  

分」「ちょっと聞きてえことがあるんだがな。

お前、確か、お医者の玄黒先生とは 前から 

顔見知りだったよなあ…」         

「いや。し、しらねえ、知らねえよお」   

「おやそうかい? よく話をしてるとこを見 

たって長屋の連中が言ってるんだがな」   

「誰が何て言っても、と、とにかく、俺は知 

らねえ。俺は玄黒先生には恨みもねえし、殺 

すなんてとんでもねえ」          

「……おや? 俺がいつ、殺しの話しをし  

た?俺はただ、顔身知りかどうか聞いただけ 

だぞおい、堀田の」            

「え、俺、今そんなこと言ったかね?」   

「ちょっと番所まで来てもらわなきゃなんね 

えようだな」               

目明かしに引っ立てられて番所まで来てみま 

すと、同じように呼ばれておりましたのが、 

犬殺しの彰吉でした。彰吉はあまり慌てた様 

子もなく、                

「おう、堀田の。ドジッちまったようだな」 

「彰吉…おめえ、まさか喋っちまったんじ  

ゃ…」                  

「シッ、だからお前は間が抜けてるってい  

うんだよ」                

「だ、だってよ」二人の前にドッカと座りま 

した目明かしの山哲。           

「おっと、二人でコソコソ喋るんじゃねえ。 

お前ら二人が、昨日の夜遅く、墓場から戻る 

のを見たって者がいるんだ。いまさら隠し立 

てしたって始まりゃしねえ。な、責めを受け 

る前に、とっとと吐ちまってくんねえ」   

「…なんですか、親分。夜中に墓場に行っち 

ゃいけねえって法がいつ出来たんで? 俺は 

聞いたことねえなあ、なあ、爺さん」    

「そ、そうだ。墓に用があったかも知れねえ 

だろう」                 

「おう、大きな口を聞くなよ、彰吉。お前が 

叩けばいくらでも埃の出る体だってのは、こ 

こら辺りじゃみんな知ってることよ。それに 

林蔵、墓に用だと? お前が墓に用ってった 

ら、白木の箱に入って行くより他に何がある 

ってんだ?」               

「や、山哲。てめえ、口に気をつけろ。俺は 

こう見えても、元は麻布村の庄屋の血筋、堀 

田林蔵って名があるでぃ。さ、酒さえ飲んで 

なきゃ、手前なんぞ」           

「まあまあ、落ちつけよ、爺さん。何にせよ 

墓に行ったってだけで、玄黒先生を殺したの 

が俺たちだってワケにはいかねえよ。んなこ 

とは山哲の親分もご承知のこった、ねえ、親 

分」                   

確かに、いくらプンプン匂う二人でも、証 

拠なしには下手人と決めるわけにはまいりま 

せん。困っておりますところへ、飛び込んで 

まいりましたのが山哲の子分の新公で、   

「親分、やりやした。玄黒先生を刺した匕首 

を見つけましたぜ。長屋の井戸の中に放り込 

んでありやした」             

「でかしたぞ、新公」           

この時、彰吉と堀田の爺さんは目を見合せ 

ましたが、                

「な、なんでい、そんなわけのわからねえ匕 

首持ち出したって怖くねえぞ」       

「ほう、そうかい。俺は知ってるんだぜ。お 

前が普段から金がなくなると、酒屋の裏に積 

んである酒樽削って盗み飲みしてやがったの 

をな。お前、あの時使ってた匕首、どこへや 

ったんでい?」              

「な、無くしちまった」          

「爺さん、お前まだ酔っぱらってんだ、余計 

なことは喋らない方がいいぜ」       

「だ、だってよ」             

「おう、彰吉。よけいな事を言うんじゃねえ。

今度勝手に口ききやがったら、手前を下手人 

と決めてみっちり痛めつけるから、そう思  

え」「わかりやしたよ。オイ」と今度は林蔵 

を肘でつっつきましたが、爺さんの方は二日 

酔いと胸さわぎでそれを受け取るどころでは 

ございません。              

「おう、新公、ちょっとこれ見ろ…。お〜お、

堀田の。えらいもんが見つかったぜ。お前も 

落ちぶれる前はお屋敷勤め、自分の名前が書 

けるのを自慢にしてたが、何もこんな物騒な 

もんにまで書かなくても良かったのになあ」 

「え? う、嘘だ嘘だ。俺は匕首に名前書い 

たりなんぞしねえ」            

「ほう。お前、普段から酔うと何でも落っこ 

とすじゃねえか。自分の持ち物どうやって見 

分けてたんでい?」            

「お、俺は、自分のもんには二つ傷がつけて 

あるんだ。名前なんぞ面倒だから、それで俺 

のもんだと分かるんだ」          

「(ニヤリ)聞いたな、新公」       

「へい、両の耳で、確かに」        

堀田の爺さんの鼻っ先へつき出された匕首 

の柄には、はっきりと、二つ、目立つところ 

に傷がつけられていたのでございます。   




『へい、こうなったら何もかも話すしかあり 

やせんね。昨日の晩、確かに俺と、堀田の爺 

さん、それに玄黒先生の三人は、墓場へ参り 

やした。訳? そりゃあ玄黒先生の頼みです 

よ。なんでも、医術の発展のためには死骸を 

調べるのが一番なんだそうで。本当は生きた 

ままのをバラしたいなんて言ってやしたがね 

…。もう六ぺんくらい行きましたか…でね、

なにしろあんまり気味のいい仕事じゃねえん 

で、いつもより酒手を弾むように言ったんで 

すよ。そしたら野郎、俺たちに悪態ついて、 

塔婆でもって殴りかかってきやがったんで。 

俺はよけたんだが、爺さんの頭に当たりやし 

てね。爺さん一ぺん倒れたんだが、やにわに 

起き上がると、持っていた匕首で…一突きで 

やしたねえ」               

結局、彰吉は、正直に喋ったというので、 

お裁きの日まで家で待つことを許され、申し 

開きもできなくなった堀田の爺さんは、その 

晩は番所に泊められることとなりました。  

ところで、ここに、いま一人の人物が登場 

して参ります。早くに両親に死に別れ、大家 

の情けで長屋の端の壊れかけに住み、普段は 

惣菜屋の手伝いをして暮らしております留と 

いう男の子、年は十三、貧乏に押し込められ 

てすっかり臆病になりイジけてしまい、いま 

で言う町内のイジメられっ子でしたが、同じ 

はみ出し者の堀田の爺さんとは普段から何か 

と仲良くしておりました。         

林蔵が留められた番所には、見張りに新吉 

が泊り込んでおりますが、今はもう白河夜船 

の高いびき。すっかりしょげ返った爺さんが 

見上げる窓の外には、針を曲げたような月が 

うら寂しいくあたりを照らし出しておりまし 

た。                   

「ああ、俺はなんてことをしちまったのかな 

あ。いくら酔っぱらっても、刃物なんぞ振り 

回したことはなかったのになあ…」     

と、ふっと窓に蓋がかかるように暗くなり 

ますと、そこに二つの星のような目の光。  

「じいさん、じいさん、俺だよ」      

「だ、誰でい…お、おめ、留か?」     

「そうだよ。ほら、にぎりめし持ってきたん 

だ。お腹へってるんだろ」と、格子の間から 

ちいさな手を延ばして、差し入れるのは惣菜 

屋の留吉。                

「すまねえな。留、だがな、俺は縛られてて 

手が使えねえんだ」            

「ちょっと待ってな」           

留吉、天水桶からおりて、今度は丁度腰の 

あたりの板張りがずれてできたすき間から小 

さな手を伸ばします。           

「こっちきなよ、今ほどいてやるよ」    

「す、すまねえな、ああ、楽になった」   

と、今度はその隙間から先程の握り飯。   

「あ、ありがてえ、ありがてえ」      

「なあ、爺さん。もう、町内中の噂になって 

るけど、本当に玄黒先生殺しちゃったの」  

「……。いや、本当はな、本当はよく覚えて 

ねえんだよ。昨日の晩、彰吉と三人で墓場に 

ゃ行ったんだ。で、耕太郎の墓を掘り返した 

ところで、かねての手筈通り、手間賃をもう 

一分寄越せってな。欲をかかなきゃ、いい小 

遣い稼ぎだったんだが…彰吉の奴が言いだし 

てなあ」                 

「昨日も酔っぱらってたんだろ?」     

「ああ、どうせ力仕事は彰吉がやるし、俺は 

見張りとか、仏さんの服を脱がすとか、そん 

な仕事だったからな…で、掘り出した棺桶の 

上に座って、彰吉が玄黒先生と話つけてたら、

先生怒り出しやがってよ…。彰吉にゃ力でか 

なわねえもんだから、俺のこと突き飛ばしや 

がった。で、こっちも頭に血が登ってもみ合 

ってるうちに…塔婆で脳天殴りやがって…俺 

は、それから訳がわからなくなって……。そ 

いで、そいで、フト気がついたら、気がつい 

たら、匕首握ってて、目の前にゃ先生が血だ 

らけになって倒れてたんだよ………」    

「自分で刺したって、覚えてないの?」   

「……酒だよ、酒がいけねえんだ。お前も知 

ってるだろ。俺は酒さえ飲まなきゃ、悪い事 

もしねえし、お前にも時々…」       

「ああ、爺さんは、親なしっ子の俺に小遣い 

くれたり、知ってる字教えてくれたり、世話 

になったもんな」             

「ああ、長屋じゃ、お前だけがいつも俺に口 

を聞いてくれたな。どうだ、長屋の連中は何 

て言ってる?」              

「…聞かねえ方がいいよ。普段は爺さんに石 

投げてたような連中まで、自分らがさんざ迷 

惑かけられてたような事言ってやがらあ」  

「なあ、留。世間の連中が何と言おうと、お 

前だけは信じてくれよ。俺は殺すつもりなん 

てなかったんだ。魔がさしたんだよ、酒のせ 

いで…」                 

「わかってるよ。でもなあ、爺さん、医者殺 

しなんて大罪、殺す気はなくても、打ち首獄 

門は免れないぜ、どうだい、逃げる気はない 

かい。今なら新公も眠ってるし…」     

「いいんだよ。留。俺はもう諦めた。たとえ 

その気はなくても、人一人殺しちまったんだ 

から」                  

その時のことでございます。月明かりの作 

る家の軒軒の影に紛れて、近づいてくる大き 

な影。それを見るや否や、留吉は震え上がり 

まして、                 

「じゃ、俺行くからさ。元気出しなよ」   

「あ、留」                



留吉の軽石擦るような足音が遠のきますと、

今度は静かながらも岩を押し出すような草履 

の音が番所き前でピタッと止まりますと、  

「おう、堀田の、いるか?」        

「彰吉か?」               

「昼間は悪かったな。全部喋っちまってよ。 

だがお前も、どうして匕首を井戸なんかに捨 

てたんだ。すぐにバレにる決まってるだろ  

う」「いや、いやそれも覚えてねえんだ。昨 

日逃げる時にそのままにして来たと思ってた 

んだがなあ…」              

「フン、不思議なこともあるもんだが、とに 

かく、証拠の品があっちゃあな。ま、お白州 

じゃ、お前がへべれけだったからと、お情け 

かけてもらえるようにするからよ。お前も、 

俺の余計なこと喋るんじゃねえぞ」     

「ああ、分かってるよ。お前とは馴染みじゃ 

ねえか」                 

「ああ、そうだな、とんだ馴染みだ。じゃ、 

俺は行くからな」             

「ああ」                 

番所の回りを伺いながら、彰吉が立ち去ろ 

うとしたその時です、           

「彰吉」                 

「何でい。まだ何か用か?」        

「…本当に俺、玄黒先生を、刺しちまったん 

だよなあ」                

「…悪いのはお前じゃねえ。手前は世の為人 

の為の医者でございって面して、俺たちのこ 

とは虫ケラみたいにコキ使いやがったクセに 

酒手もはずまねえあの医者と、それに酒だ  

よ」「あ、ああ、そうだな」力なく応える声 

を背に立ち去って行く彰吉。        

そして、林蔵は逃げ出すこともなく。留吉 

に解いてもらった縄を自分で縛り直して、お 

裁きの日を待つことにしたのでございます。 

さて、それから暫くの後、ご公儀のお定め 

を破りましての墓暴きの大罪、そしてお医者 

殺しの下手人、堀田林蔵のお調べが行われる 

こととなりました。            




所は月日の担当によりまして江戸南町奉行 

所、八代将軍吉宗のご時世ですから、お奉行 

様は、大岡越前守忠助。このお奉行さまがご 

存じの通り名奉行と呼ばれておりますのは、 

お白州で下手人の顔を見る前に、よーく、そ 

の事件について調べてからご出座になられる 

からでございます。で、お白州の場では下手 

人の顔を見ないで、こんな大きなヒゲ抜きで 

髭を抜きながら取り調べをしていたそうで、 

(ところがヒゲが薄かったそうで、長いお裁 

きになりますとアゴが血だらけになっていた 

そうでございます)。           

それでいながら、後にかの源氏坊改行の凶 

相をたった一目で見破る見破るほどの天眼力 

の持ち主でございます。          

一段高い所に大岡忠助、お白州には犬殺し 

の彰吉をはじめ証人として長屋の連中。その 

前に引き据えられてまいりましたのは、見る 

影もなくあわれにやせ細った林蔵でございま 

す。                   

お裁きの初めに与力が口を開きます。   

「この者は二番町上九長屋に住まいする堀田 

林蔵と申す者にございます。常日頃より酩酊 

して過ごすこと甚だ多く、生業も定かならず、

この度は、同じく二番町に住まいいたします 

医師、杉田玄黒、および彰吉なる者とともに 

二番町外れ上祐寺にて、墓を荒らし、酒手の 

こじれより林蔵の持ちたる匕首によって、凶 

行に及んだものとの調べができております」 

「林蔵とやら、表をあげよ」        

「へへーっ」               

「その方、去る月三十日に、二番町外れ上祐 

寺墓場において、医師・杉田玄黒を匕首を持 

って殺害したるの事、相違ないか?」    

「へえ、でも、あっしゃ、何も覚えてないん 

でございます。玄黒先生に塔婆でど頭をした 

たかにぶたれたまでは覚えてるんですが、そ 

の後のことは…何にも」          

「お奉行、それについては、後ろに控えおり 

ます、彰吉が…」             

「うむ、では、彰吉、申しのべよ」     

「へい。あの日、あっしらは、いつものよう 

に玄黒先生と寺の前で待ち合わせて、本堂か 

ら一番遠い壁へ回って乗り越えて入ったんで 

す。で、耕太郎さんの墓を掘り返して…。で 

ちっとした争いになりやしてね。俺が、もう 

一分酒手を出さなきゃ運べねえ、って言って 

その林蔵も『そうだそうだ』って言いやした。

そしたら、いきなり、玄黒先生、『この酔っ 

ぱらいめ』って、林蔵の方に。な、そうだっ 

たよな? で、もみ合って、突き飛ばした所 

で、先生が塔婆を引っこ抜いてガツンと。で、

爺さん一旦こう倒れたんでやすが、やおら起 

き上がるってえと懐から匕首を出しやしてね、

この野郎とか何とか言いながら、逃げる先生 

の背中からブスッと。…いやあ、あの日も、 

けっこう酔ってやしたからねえ、自分でも何 

したか覚えてないんでやしょう」      

「林蔵、それに相違ないか」        

「へ、へえ…」              

「後ろに控えおる長屋の者どもはどうじゃ。 

何か見たものはおらぬか」         

と、この時与力から前もって証言するよう 

言われていた一人が、           

「あっしは、その次の日の朝に、堀田の爺さ 

んが井戸端でゴシゴシ体洗ってるの見たんで。

長いこと住んでますが、爺さんが朝体洗うの 

なんて見たのは始めてでしたね」      

「つまり、体に受けたかえり血を洗っておっ 

たということであるな。では、匕首をこれ  

へ」 与力の差し出す匕首をためつすがめつ 

しておりましたが、            

「この二つ傷のついた匕首、その方のものに 

相違ないか?」              

「へ、へえ、間違いありません」      

「なるほど…。ではこの場に召し出された者 

の話し、出された証拠、そのひとつひとつが 

玄黒殺しは堀田林蔵のものであるということ 

を明らかにしておる。そして林蔵自身もそれ 

を認めておる。よって裁きは明々白々……こ 

のお白州に召し出されし者、誰一人として納 

得のいかぬ者はない…はずであるが、ただ二 

人、この場に得心のいぬ者がおる」     

とたんにお白州がザワッといたします。  

「まずその一人は、この大岡忠助じゃ」   

「お奉行、それはどういうことで」     

「いや、だがな、この越前は奉行の身である 

から、得心がゆかずとも、証拠は証拠として 

吟味せねばあいならぬ。あとは、もう一人の 

得心のいかぬ者が、訴えるかどうか、であ  

る」 と、言葉を途切れさせ、例のヒゲ抜き 

の手を止めて、忠助の見やる目線の先には、 

かの留吉の姿がございました。       

「そこの子供。その方は、吟味の初めから、 

何度も何度も余の顔をうかがい、前に出よう 

と草鞋の上の尻を持ち上げては下ろし、持ち 

上げては下ろし。しておったたな。すでに吟 

味も終わりに近い、申すことがあるなら前に 

出よ」                  

「へへっ」                

「何も無いのならば、これでお裁きは終わり 

じゃ」                  

「申し上げます。手前は、惣菜屋の留吉と申 

しまして、上九長屋にお情けで置いていただ 

いている者にございます。お奉行様に訴えた 

き義がございます。どうぞお聞き届けくださ 

いませ」                 

「苦しゅうない、前へ出て申せ」      

膝をにじりましてフラフラとよろけるよう 

に、前へ進み出ようとしました時に、大きな 

背中を向けておりました犬殺しの彰吉が、  

「うへん」と咳ばらいをいたします。そして 

留吉が横を通ります時に、もう一度     

「ウヘン、ウヘン」            

「こりゃ、彰吉、静かにいたせ」      

「お奉行様に申し上げます。て、手前は…手 

前は…」                 

「いかがいたした、落ちついて申せ」    

「手前は、…あの、去る月三十日の夜中、上 

祐寺におりました」            

ふたたびお白州にザワザワッと波が立つ中、

彰吉だけが、穴があくかと思う形相で留の背 

中を睨みつけておりました。        

「なぜそんな夜中に墓にいたのじゃ」    

「はい、手前はいつも度胸がない、親なしっ 

子で意気地がないことを長屋の衆に馬鹿にさ 

れておりましたので、死人の出たその夜の墓 

で自分の度胸を試そうと入りこんだんです」 

「と、留」                

「続けよ」                

「そ、そこで手前は大変なものを見てしまっ 

たのでございます」            

後ろから彰吉が小声で          

「俺にゃ仲間も大勢いるぞ」        

「ヒッ」                 

「留、見た通りを話せ」          

「はい、闇に紛れて、三人の男が耕太郎さん 

の墓にやってまいりました。そ、それから墓 

を掘り返しはじめて、棺桶を掘り出すまでは、

さっき彰吉…さんの言った通りです。でもそ 

の後……揉み合いになって玄黒先生が塔婆で 

堀田のじいさんを殴り倒した後…し、彰吉が、

こう言ってるのが聞こえました…      

留吉の話しはこうでございます。     

『なかなかやるなあ、先生。だが、俺を相手 

にそんな塔婆じゃむりだな』        

『フン、お前には腕じゃなくて口だ。医者と 

いうのはなかなか重宝な仕事でな。私は知っ 

ておるぞ。先月麹町で殺されたお滝という女。

あれは前に家に子卸に来たんだ。その時苦し 

まぎれにお前との仲を洗いざらい話して行っ 

た。あの女に生きていられたら一番困るのが 

誰かってこともな。それに左内町の小林屋殺 

し、あの時店の者に盛られていた毒の出所、 

あれは確かお前の仲間がからんでいるよな。 

それに…』                

『おっと、そこまでだ、先生…わかりました 

よう』                  

『私はお前らみたいな、世の中のクズのいい 

なりになる人間じゃないんだ、わかったらさ 

っさと言う通りに死体を運べ』       

……ここまで話しが聞こえて、…その後、 

その後、彰吉は、玄黒先生が後ろを向いた隙 

に、堀田のじいさんの懐から匕首を取り出し 

て、背中から……、そしてえ、その匕首を爺 

さんに握らせて…、お前だ、お前だ、玄黒先 

生を殺したのはお前だ…』         

「野郎ーッ」と獣のような声を上げまして彰 

吉が、犬殺しの太い拳で殴りかろうといたし 

ました時に、カーーッ! と彰吉の眉間に飛 

んでまいりましたのは、あの大岡愛用の巨大 

なヒゲ抜きでございます。ガッと眉間が割れ 

てタラタラと血潮が流れます。       

「それ、彰吉を取り押さえろ」       

あっけに取られておりますのは、長屋の連 

中、何よりも、堀田の爺さんでございます。 

「と、留…」               

「ごめんね、爺さん」           

「さて、留吉とやら。その方、今の今まで、 

その目で見て物覚えしておるはずのものをご 

公儀に対して秘匿いたしたるの事、お裁きに 

差し支えこれあり、重々許し難し。本来なら 

らば入牢申しつけるところである。……しか 

しながら、調べによると、留とやらは親もな 

く忙しく働き暮らすによって、物覚えをする 

暇がないと見える。今後は堀田林蔵とともに、

長屋に暮らし、堀田は酒を慎み、留に物覚え 

読み書きなどを教えてやるがよいぞ」    

「ヘヘーっ」               

「これにて一件落着」とは、本当のお奉行は 

言わなかったそうでございますが…。    



こうして、留と堀田林蔵は一緒に暮らしは 

じめ、留吉はのちに手伝っていた惣菜屋を受 

け継ぎ、麻布村で堀田の姓を名乗って大きな 

店を開き、「惣屋の留」と呼ばれる立派な商 

人になって、末永く幸せに暮らしということ 

でございます。このことが「本朝浮世草紙」 

という本に書かれ、後にこれがアメリカに伝 

わりまして、これを呼んだマーク・トウェイ 

ンが書き直しましたのが、「トメ・ソーヤの 

冒険、麻布・ポッターの裁判の章」でござい 

ます。                  

マーク・トゥエイン原作『マフ・ポッター 

の裁判』より「大岡政談」。        







<登場人物>               

飲んだくれの(麻布村)堀田林蔵     

惣菜屋・留               

犬殺しの彰吉              

杉田玄黒                

山哲の親分               

新公                  

大岡忠助                








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