『ノストラダムスの生涯』      







今から五百年ほど昔のお話でございます。

西暦一千五百とんで三年と申しますから、

日本では戦国時代真っ只中、そろそろ武田信

玄が生まれようかという時代のこと。地球を

グルーッと回りまして遙か西の彼方、フラン

スはパリイの都を南へ六百キロ。プロバンス

という地方にサンレミイという村がございま

した。十二月二十四日のクリスマス・イブ。

村役人のジョーム・ノートルダムが天より授

かりました男の子が、後にフランス国王の御

殿医となり後世にその名を残す大予言者、ミ

シエル・ド・ノートルダム、後に名を改めま

して、法印ミシエル・ノストラダムスとなる

のでございます。            




南フランス、プロバンス地方といえば元も

とはフランスと別の独立国。パリイの都を遠

く離れて、日本でいえば四国・九州という趣

の、国栄え花咲きみだれる温暖な土地でござ

います。その自然の中、ミシエル少年は長男

としてすくすくと成長いたします。二人の弟

と二人の妹がおりましたが、その頭の良さは

兄弟の中でも飛び抜けておりました。一を聞

いて十を知る、十を聞いて百を知る、百を聞

いて千万億を知る…栴檀は双葉より芳しと申

しますが、ミシエルの幼い頃からの類まれな

る知能に目を着けました祖父のピエールは、

孫に英才教育をほどこします。哲学・文学・

医学・数学…中にもミシエルのお気に入りは

天文学でございました。望遠鏡のない時代で

すからいつも二人して屋根に上っては温かい

プロバンスの夜を通して星をみる手ほどきを

受けておりました。           

「ミシエルよ、この満天の星を見て、そなた

は何を思う?」             

「はい、言葉を失うほどに美しいと思います

。けれど、おじいさま。人の運命はこの星々

によって決められているというのは本当でご

ざいましょうか? だとしたら、私はどんな

運命を生きるのでしょうか?」      

「そうじゃな…その答えはふたつとも、お前

自身の手で見つけるがよかろう」     

「はい、わかりました」         

ミシエルの家は代々ユダヤ人の家系でござ

いました。ユダヤ人と申しますと、有史以来

の流浪の民、言わば平家の落ち武者の子孫み

たいなものですから、世間の風当たりも温か

くございません。世に出るためには医者にな

るのが一番と、家を出て家族と離れたミシエ

ルは、当時フランスでも最高の水準といわれ

たモンペリエ大学の医学部へと進んだのでご

ざいます。ところが……。        




「ミシエル君、これ、ミシエル・ノートルダ

ム君」                 

「はい、教授、何でしょうか?」     

「君はいつも授業中、私の話をキチンと聞い

ておらぬようだな。今の質問、患者がペスト

と分かった時はまずどうするのだね?」  

「はあ…。まず、他の患者と離れた場所に隔

離いたします。そして患者と接触のあった者

がペストに感染していないか調べます…しか

る後…」                

実に的を得た、現代でも通用する処置でご

ざいますが、              

「ちがうだろう、ミシエル君。まず、教会で

清められた聖なる布にて患者を包み、ペスト

の悪魔に汚された悪い血を患者の血管からド

ンドン抜く……ペストを退治する基本は血を

抜くことだと、前にも教えたはずだが…」 

「いや、しかし血を抜けば体力が落ちます。

ですからまず、患者の体力をつけることが先

決だと存じますが…」          

「ミシエル君。君はこのモンペリエの医術を

真面目に学ぶ気があるのかね?」     

「もちろんです。ですが、最近フィレンツエ

の医師が行なった治療によりますと…」  

「もうよい。……やはり、ユダヤ人は我々と

は少し考え方が違うようだ。神やイエス様や

奇跡を信じておらぬようだね」      

「お言葉ですが教授、そのことと医学の技術

とは関係ありません。それに私も、私の父も

すでにキリスト教に改宗をしております」 

「もうよい。座りたまえ」        

ミシエルの天才的に進んだ頭脳にとって、

名門モンペリエ大学すら水準が低すぎました

。「こんな所にいては自分の才能が活かせな

い」と考えたミシエルは、さっさと大学に見

切りをつけ、医者として現場に出て医学の修

行を続けたのでございます。実際、ミシエル

はたった二週間で医者の免状を取る試験に合

格したという記録さえあります。時にミシエ

ル、22歳の春でございました。      




やがて村々、まちまちを巡りながら次々に

新しい薬や治療法を考え出していきますミシ

エル。マスコミの発達していなかった当時で

すら、プロバンスに名医あり。ミシエル・ド

・ノートルダムといえば、知らぬ者はないほ

ど有名になってまいります。しかしその一方

、あまりに新しい医術が理解されずミシエル

には「ユダヤ人に伝わる魔術を使って患者を

騙している」といった馬鹿馬鹿しい噂も常に

ついて回っていたのでございます。    

そんな噂から逃れるためだんだん遠出をす

るようになり、やがてミシエルが落ちつきま

したのは、プロバンスから遙か西の「アジャ

ン」という町でございました。この町には当

時、ヨーロッパ中にその名をしられておりま

したスカリゲルという学者が住んでおりまし

た。二人は互いの才能を認め、親交を結ぶこ

とになったのでございます。       

さてこのスカリゲル。言いにくいのでスカ




リ先生(Xファイルみたいですが)、専門は

哲学でございましたが、芸術もやれば、医者

もやるマルチ文化人で、…ちょうどこの頃の

レオナルド・ダ・ビンチのことを考えていた

だければ分かるかと思います。医学・天文学

・数学、そして絵も書けば彫刻も作る…そう

いうのが、この、ルネサンスの頃の学者のあ

るべき姿だったのです。もちろん、ミシエル

もその例に漏れず医学の他、学問全般に通じ

ておりました。ホントは今日の話で、ノスト

ラダムスてレオナルド・ダ・ビンチが出会っ

たことにしようかと思ったのですが……それ

だと五島勉になってしまいます。     

さてさて、奇跡の医師、ミシエル・ノート

ルダムがここ「アジャン」に来たとあって町

の人々は大喜び。スカリ先生の屋敷で歓迎の

宴が催されることとなりました。     

歓迎のパーティが興に乗って参りました時

にスカリ先生が突然。          

「ああ、ところで皆さん。高名なるミシエル

君は患者を一目見ただけで病名がわかるとい

う、大変な眼力をお持ちと聞く。これより、

ミシエル君の歓迎のため、白黒二匹のうちど

ちらか一匹を丸焼きにして御馳走しよう。人

間より簡単な豚のこと、白黒見分ける賭をし

ようではないか? 如何かな?」     

いかがも何も、理屈も何もない一方的な賭

でございます。これはパーティであまりにも

ミシエルに人気が集まるので、皆の前で、自

分の方が優れていることを見せなくてはなら

ないと感じたからでございます。しかしミシ

エルはニッコリ笑って、         

「お受けしましょう」と答えました。   

「おお、流石、天才の誉れ高いミシエル君。

潔いご返事。では。早速料理にかかれ」  

この時、スカリ先生は、豚を連れていく召

使に小声で「いいな、食事の時ミシエルが白

と答えたら黒、黒と答えたら白、反対の豚を

焼いたと叫ぶのだぞ」と耳打ちいたしました

。                   

「旦那さま、そりゃ卑怯というものでは」 

「黙れ、主人がいう通り答えればよいのだ」

この時から「白を黒と言い含める」という

慣用句ができたんだそうで。       

この二人のやりとりに、何やら怪しいもの

を感じ取ったミシエルは、        

「…皆様、せっかくの賭です。ただ出てきた

ものを見て当てるのでは面白くありません。

どうでしょう、いっそのこと、今ここで、白

黒どちらが料理されるかを予言してみせよう

ではありませんか」           

皆がオーッと驚きの声を上げる。羽ペンを

借りますと、サラサラと何事か認めました紙

を、折り畳んでテーブルの上に置きました。

宴には吟遊詩人やピエロも登場して場を盛

り上げ、一同が待つことしばし。やがて、メ

インディッシュの豚の丸焼きが出てまいりま

したが、皮は見事にコンガリと焼かれて、白

とも黒とも見分けがつきません。     

「さてさて、見事に焼けておるな。ミシエル

君、それでは、さきほどの紙を開いてもらお

うか」                 

「それでは、失礼いたします。コホン『おお

、哀れなる子豚…得意な詩の形で書いてみま

した。おお、哀れなる子豚。その豚は<黒き

豚>その身は黒々と焦がされて宴のテーブル

にに運ばれるであろう』」        

召使がこれを聞いて、         

「違いました! この豚は白豚です! さっ

きの子豚の白い方を焼いたんです」    

「外れたようだな、ミシエル君。君の力もま

だまだだな」              

この時、ミシエル少しも慌てず。    

「…おや、先生は四行詩を御存知ないので?

まだ2行目です。『だがその豚は生ある間、

活気に溢れ白く輝いておりました。ま白き子

豚の変わり果てた姿に人々は言葉を失うであ

ろう』賭は私の勝ちでございます」    

一同ポカーンとしてホントに言葉を失いま

した。なるほど、紙にはそう書いてあります

。「いや、ミシエル君。確かに、ここには白

と書いてあるが…」           

「まあまあ、スカリ先生。私の力など先生に

はおよびもしません。先生にはお教えいただ

くことも沢山ありますので、賭など気になら

さず、今後とも宜しくお願いします」と、ミ

シエルは平然と豚を食べつづけたのでござい

ます。                 




このパーティで、ミシエルは一人の美しい

女性と知り合います。女性の名はアンリエッ

ト。アジャンの郷士の娘でスカリ先生の医学

の助手をしていた女性でした。      

「私、アンリエットと申します。高名なノー

トルダム先生にお目にかかれて光栄です」 

「これは…どうぞミシエルとお呼びください

。スカリ先生の助手……スカリ先生は立派な

方ですが、いささか見栄坊なところがある。

先生の医術の方は? やはりあいかわらずの

、『呪われた血を抜く』というような治療で

すか?」                

「いえ、確かに新しい知識を取り入れてはお

られますが、とてもミシエル先生のように、

次々に患者さんを治せるようなものではござ

いません。あら、助手がこんなことを言って

はいけませんね。それにしても、さっきの予

言は面白かったわ。どうして白い豚が出ると

分かりましたの?」           

「いやあ、さっきの豚は本当は黒豚ですよ。

筋肉の発達の具合いで品種もわかるものです

。ただ、スカリ先生が何かお企みのようだっ

たので……あの時もし料理人が黒い豚だと答

えたら、続きを読まずに紙をそのまま懐にし

まえばよいだけですから」        

「ああ、なるほど…。まるで一休さんのトン

チ話ですわね」             

「は? なんですか、イッキュサーンとは?

」「何でも東洋のエライ方のお話とか…。そ

れにしても、先生は本当に、魔術はお使いな

りませんの? 噂ではお祖父様からユダヤの

秘法を伝授され、それで魔法を使って治療を

なさると聞いてましたのに…」      

「あなたのような方まで…実は私はそういう

類のものは好きではない…むしろキライなの

です。あなたは、サイエンティア、という言

葉を御存知ですか?」          

「サイエンティア? 一休さんの仲間ですか

」「いや、ラテン語ですよ。私は、知識、と

か、科学、と訳しております。これは、魔術

とは違います、神や悪魔に借りた力ではない

、人間自身の力をあらわすコトバなのです。

私はこの<科学>に基づいて正しい治療をし

ているのに、愚かな者にはそれが理解できな

くてすぐ、魔術だ何だと騒ぐ。それというの

も私がユダヤ人の家系だからです。だから、

だから私は、偏見に打ち勝つためにもこの新

しい<科学>によって、医者としての仕事を

しなくてはならないのです」       

「そうですの。…でも私、何だかつまりませ

んわ。あの噂のミシエル先生が魔法も予言も

なさらないだなんて。私星占いが好きなんで

す」                  

「星は私も好きですが……期待はずれでした

か? あ、じゃひとつだけ、予言してみせま

しょう。ウーン、ウン、ウン。出ました。明

日の夜、天空に月の満つる頃、あなたは私と

もう一度二人きりでお食事をする……こんな

ん出ましたけど」            

なんのことはない、ナンパの口実でござい

ます。このアンリエットがミシエルの診療所

の看護婦となり、やがて最初の妻となるので

ございます。まあ、うまいことやったもんで

。こう考えると予言てのも便利なもんですね

。今夜、みなさんは、帰りがけに沢山カンパ

をする…ダメかぁ…。          




さて、めでたくアンリエットを妻といたし

ましたミシエル・ド・ノートルダムは、しば

らくは彼の人生最良の日々を過ごします。医

者としての評判も良く、街の人にも愛され、

忙しくはありますが穏やかな日々。しかし、

ミシエルにはどこかに不満がありました。自

らの才能を頼むものにはありがちな焦り、こ

んなことをしていてよいのか、こんなに平和

でよいのか? いつも心のどこかに穴が空き

、何か自分のやるべきことが、ここではない

どこかにあるような気持ちなってくるのでし

た。                  

ミシエルは子供の頃のように屋根の上で星を

見ることが多くなりました。そこへ上がって

まいりましたアンリエット。       

「あら先生、こんなところにいたのね」  

「おいおい。二人きりの時に先生はやめてく

れ」                  

「どうしたの星ばかり見て、星占いはキライ

じゃなかったの?」           

「いや、占星術は科学だよ」       

「それによると、何て出てるの?     

「うーん、どうも私は一生ここでは暮らせな

いような気がするなあ」         

「なに、ホームシック? サンレミイへ帰り

たくなりましたの? そんなにいい所?」 

「いや、あのへんは見かけよりずっと厳しい

土地だ。岩だらけでロクな川がない。毎年水

不足になって、多くの百姓が苦労するところ

だ。<運河>でも掘って通せれば緑豊かな土

地になるんだが…。まあ貧乏医者がそんなこ

と考えても仕方ないな」         

「あなたは有名なんだから、もっともっと治

療代を取ればよろしいのに」       

「いや、金が欲しいというのじゃないんだ。

それより、何かもっと大事なことをしなけれ

ばいけないような…。医学の修行も積まねば

と思うし…。すまんなお前には苦労をかけて

…ご実家の父上もさぞご心配だろう」   

「そうねえ、もっと金儲けのうまい奴に嫁に

やれば良かったって、いつもこぼしてるわ」

「そうか……。うーん、うんうんうん、来た

来た。いつかお前の父上に、娘を不幸にした

罪で訴えられる」            

「もう、ばか」…なんて、ああっもう。……

仲のいいことですが、実はこの予言も当たり

ます。僅か数年後に…。         




<言っておきますが、体験談じゃございませ

ん。金にならないから独演会をやめるとか、

そういうイミで言ってるんじゃなくて…。私

なんか家帰っても嫁さんが「バカ」と言って

くれるワケでなし…どっちかというと「バカ

、アホ、甲斐性ナシ!」とどなられて、「今

日も赤字だったの? じゃゴハン抜きね」と

か言われるだけで…あーあ、今日も帰ったら

怒られるのかなあ…あーあ、嫁はん欲しいな

あ…>                 







ミシエルの生きた時代・一六世紀の半ばは

、実はこんなにノンキに暮らせる時代ではな

い、むしろ今よりも世紀末らしい暗く、厳し

い時代でございました。まずは戦争。国内に

は常に争いが絶えず、王室の権威も揺らぎ、

政情は日に日に不安になってゆく。隣国ドイ

ツから火の手が上がった宗教戦争はすでにフ

ランスにも飛び火し、新教徒と旧教徒の血み

どろの争いが各地で始まっておりました。そ

して水不足、仕事不足、食料不足…。   

しかし、何よりもこの時代の、ヨーロッパ

における最大の災いの色…、それはイスラム

教徒の三日月の光でも、魔女裁判の赤い血で

もない、黒い仮面を着た悪魔。黒死病、すな

わち「ペスト」の流行でございました。その

猛威は、後の結核やエイズと比べてもケタ違

いのもので、一度流行ると3人に一人が命を

落とす。ヨーロッパ全体で一時に四千万人が

死ぬという、まさに「神の裁き」さながら。

人々は「この世の終わりが来た」と噂しまし

た。つまり、戦があって、宗教問題があって

、そのせいで景気が悪くて、オマケに恐ろし

い病気がある。後にノストラダムスが予言書

に書いたことは、当時彼が見てきた現実ばか

りだったのでございます。        

さて、しばらく影を潜めていたペストの大

流行が再び、ミシエルの住むアジャンにも近

づいてきたのでございます。まずは東から、

南へ、そして西へ。隣近所の村や町が、ペス

トによって真っ黒に染まっていったのでござ

います。                




ミシエルはアジャンの町から出かけ、ペス

トに襲われた村の治療に飛び回り始めました

。もちろん医者としての良心もあったでしょ

う。しかし、それ以上に、彼にはやらずにお

れぬ理由があったのです。        

ある日の夕景、アジャンの街の門の前で、

馬に乗ったミシエルに声をかけた者がござい

ました。                

「ミシエル君、ミシエル君」       

「これはスカリ先生、お久しぶりで」   

「君には乳のみ児を抱えた奥方がいるのに、

またペストの治療に出かけてるのか。勇気と

いうより蛮行だ、やめたまえ」      

「しかし、スカリ先生、ほおっておけばペス

トは必ずこのアジャンにもやってきます。他

の医者はペストと聞くと逃げ出してロクに治

療もいたしません。自分が行かなくては…」

「しかし…他の病気はともかく、ペストだけ

はいかん。あれは『神の怒り』だ。天罰だ。

人間の手でくい止められるものではない。 

君は神の怒りが怖くないのか」      

この時ミシエル、不敵に微笑んで。   

「ご心配なく。実は、私にはペストに勝てる

自信があるのです」           

「どういう事かね?」          

ミシエルは懐から薬包紙に包まれた丸薬を

取り出しました。            

「これです。これは私が調合した、ペストを

治療することのできる秘薬なのです」   

「な、何!!!」            

スカリ先生が驚くのもムリはございません

。ペストの治療法が確立するのはなんとノス

トラダムスから400年も後、ニッポンの北

里柴三郎が「ペスト菌」を発見してからです

。 なお、この薬はノラダムスの著作にも成

分が正確に残されております。      

「これは私がモンペリエ大学の頃からずっと

研究を続けてきたものです。薔薇の花びら、

糸杉のおが屑とアロエ、菖蒲の根とオリーブ

を混ぜて作ったものです」        

「なんと、やはり君は、その、ユダヤの魔術

を…」                 

この時、ミシエルは今まで一度も見せたこ

とのない厳しい顔になり、        

「スカリ先生。よく聞いてください。ユダヤ

人は昔から魔術を使うと言われてきました。

ひどい時にはペストを流行らせたのもユダヤ

人だと言われてきました。しかし、私が作っ

たのは魔術の薬ではありません。長い研究の

末に調合された…これこそ新しい<科学>の

産物なのです」             

しかし、スカリ先生には、魔術でも科学で

も、それはどうでもいいことのようでした。

「し、しかし、本当に?」        

「すでにいくつもの村で試してきました。こ

の薬を用いた村では、ペストは一週間でおさ

まりました。それでハッキリわかりました。

この世からペストを無くすことが私の使命な

のです。先生には処方をお教えしますから、

どうぞ、我が家をお訪ねください」    

「そ、そうか…。い、行くのか?」    

「はい。私の、我々の未来のために」   

「で、では、気をつけてな。うん、君ならで

きる、きっと出来る。神のご加護を…」  

ハッと一鞭くれますと、馬に跨がり、パッ

パッパッパッ…己が身の上顧みず、ペストに

苦しむ人々のために山を越え谷を越える、ミ

シエル。しかし、その熱意のあまり、スカリ

先生の底意にまで気がつくことはできません

でした。                

「……、そうか。これが、これが、ペストを

滅ぼす薬なのか。世界を救う薬なのか…」 




さて、こちらはミシエルの留守宅。妻アン

リエットが生まれたばかりの乳のみ児をあや

しながら家を守っております。      

「御免。わしじゃ、スカリじゃ。奥方はご在

宅かな?」               

ハイと答えて立ち居でましたアンリエット

。その面持ちは、ずいぶんとやつれ歓迎パー

ティの頃とは別人のようになっております。

「まあ、スカリ先生。ずいぶんごぶさたでご

ざいました。ささ、どうぞ中へ…」    

「失礼するよ…」            

と中へ立ち入り、ミシエルと会った時の話

をいたしますと、アンリエットは静かに立ち

上がり、文机の引き出しのその又奥に、隠さ

れるように置いてあった一枚の山羊の皮の書

類を出してきて、スカリ先生に手渡します。

「んんん。バラの花弁三百枚。糸杉のおが屑

一オンス、野性のオリーブ6ドラーム…。こ

、これが、ペストを滅ぼす薬なのだね」  

意気あがるスカリ先生と反対に、アンリエ

ットの言葉は沈むばかりでございます。  

「その薬ができてから、ミシエルは何かに取

りつかれたようなりました。街の患者さんた

ちの診察も適当になりました。ふた言めには

使命だ、使命だと……」         

「……確かに。今日のミシエル君は鬼気せま

っておりましたな。何かあったのかね?」 

「実は…先頃診療所に、カルビン…と名乗る

患者さんがこっそり来られたのですが…」 

「カルビン…カルビン大僧正! あの、新興

宗派の指導者のか? それで、ミシエル君は

信者になったのかね?」         

「信者というわけではありませんが…。カル

ビン大僧正はミシエルに、人は必ず死ぬ、そ

して神の裁きを受ける。だから生きているう

ちに使命を果たさねばならぬと話していきま

した。ミシエルは大変感動したようで、それ

以来使命を果たす、使命を果たさねばと…。

それからあの人はまるで、たった一人で世界

を救うんだといわんばかりの勢いで、私やこ

の子たちのことも、目に入らなくなったみた

いで…」                

「フーム、それは、家族の問題ですから、私

からは、何とも…こんなときみのもんたの電

話相談でもあれば良かったのじゃが…」  

「でも、私はついて行くつもりです、人間の

力を信じると言ったあの人に……」    

「…とにかく、とにかく。この処方箋は預か

ろう。わ、しの方でも研究して、ミシエル君

の力になれれば、それに越したことはない…

」                   

「どうぞ、よろしくお願いいたします。とに

かくミシエルの体のが心配で…」     

「わかった、彼が戻ったらよく言っておこう

と、ところで、彼はどちらに向かったのです

かな…」                

「はい、シャルロットの村と思います」  

「そうですか、では」          

この時、スカリ先生の目が、再びあやしく

色を変えたのでございます。       




さて、こちらはシャルロットの村のミシエ

ル。確かに、ミシエルが来て治療に当たるど

の村も、うまい時は十日ほどでペストが収ま

ってしまいます。先にタネを明かしておきま

しょう。ミシエルの薬はペストの病原菌を殺

せるほど強いものでは…ありませんでした。

ただ、口に入れると匂いが強烈なため、ネズ

ミや、ネズミにたかるノミを寄せつけない。

したがって、ペストに移り「にくく」なると

いうだけのものなのです。もちろん、絶対に

うつらなくワケではありません。それでも、

他に方法のまったくない時代、治ると信じる

だけで患者の治癒力も上がり、まさにミシエ

ルの言う「人間自身の力で」かなりの効果を

発揮したようです。ます。        

診療所に入りきれず、道端にまで広がった

患者たち。逃げ出した医者の代わりに看護婦

や村の青年たちに大声で指示をするミシエル

・ド・ノートルダム           

「いいですか。この丸薬を口に含んでゆっく

りなめてください。それでペストは治ります

。あと、亡くなった方々の死体は一か所に集

めて焼いてください」          

「しぇんしぇさま。死体を焼くなんて恐ろし

いことは、教会で禁止されてますんでは?」

「いいから、私の言う通りにしなさい。でな

いとペストは収まりませんよ」      

「はい、分かりましたです。すましぇん」 

「ああ、それにしても、人手が足りない。一

体、この町の医者は、どこへ消えてしまった

んです?」               

「ああ、この町のお医者なら、もうミシエル

しぇんしぇにお縋りするよりないちゅうてシ

ェンシェと入れ違いに、アジャンの町へ行き

ましたよ」               

「な、なんだって? そ、それは、それはい

つだ?」                

「く、苦しい…。しぇんしえが来る前の日だ

から、もう一週間も前……」       

「何でそれを早く言わないんだっ! 大変だ

。私がいなければ、町が全滅するっっっ!」

バラの丸薬を残し、あとの処置は看護婦に

細かく指示をして、ミシエルは、夜の目も見

ずに早馬でアジャンの町へ取って返す。丸一

日走り続けて、町の門の前まで参りました。

「? 門が、門が閉ざされている。遅かった

かっ!」                

馬から下りて門を叩きます。      

「あけろ、私だ、ノートルダムだ。早く門を

開けろ」                

と、門を叩きつづけるミシエルの腕を、ガ

ッキと両側から掴みましたのは、甲冑に身を

固めた、その姿は、戦に行く鎧ではありませ

ん。その黒い鎧が表すものは、そう、あの、

ジャンヌダルクを火あぶりにした魔女刈りで

悪名を馳せました、宗教裁判所の衛兵でした

。「ミシエル・ド・ノートルダム。新興宗派

との交際、および、アジャンにペストを流行

させり罪により、宗教裁判所に連行する」 

「何だって、新興宗派と…それより、早く門

を開けろ、この手を放せ」        

「問答無用!」警棒で殴りつけられ、ミシエ

ルはゆっくりと地面に崩れたのでございます

。                   




………殴られたアタマがズキズキ。ズキズ

キ。ミシエルが気がつきますと、両腕を縛ら

れ、そこは薄暗い宗教裁判所のお白州でござ

います。正面には、いかにも位の高そうな僧

服を着ていかめしい顔つきの三人の異端審問

官が高い所から見下ろしております。   

「ミシエル・ド・ノートルダム、面をあげよ

」「ここは…」             

「ここは、宗教裁判所、今お前は異端審問の

裁きにかけられておる」         

「……、そ、それどころじゃない。アジャン

の町にペストが…」           

「黙れ、そのペストはお前が流行らせたので

あろう」                

「何ですって?」            

「その方は、カトリックに改宗したと偽り、

ユダヤの魔術で多くの患者をたぶらかし、あ

まつさえ、反逆者カルビンと交わって、教会

に反旗を翻した。自ら流行らせたペストを自

ら収めてみせることで、邪教を広めんとの仕

業であろう」              

「何を言ってるんです。私は新教徒じゃあり

ません。そんなことよりペストが…とにかく

、とにかく私を自由にしてください。まずア

ジャンの町のペストを収めてからなら、何で

も聞きますから」            

「言い逃れをするな。これ以上たぶらかされ

てたまるものか」            

「だから、私には治療薬が…。この、懐にあ

る薬を……」              

「大方魔術にて作った薬であろう。その薬を

取り上げよ」              

「やめろ、…返せ。あんたらになんか分かる

ものか。魔術と科学の違いもわからないあん

たらに」                

「黙れ、教会を侮辱すると、異端者どころか

異教徒として、(えと、異教徒はどうするん

でしたかな?)よいか、異教徒は火あぶりに

されるのだぞ」             

「(プチン)やってもらおうか。その代わり

、ペストは収まらないぞ」        

「こ、こやつ、開き直ったな」      

「……どうして分からないんです。私の薬を

使えばペストに勝てるんだ。それなのに、ど

うしてあなたたちはそんなに頭が固いんだ。

ペストだろうが、他の伝染病だろうが、戦争

だろうが、人間がよく考え、智恵を絞り、協

力し合えばかならず解決するんだ。それなの

に、どうしていつまでも神だの魔術だの頼り

続けるんだ。どうして人間の力が信じられな

いんだ…。いいですか、私のこの薬は実際に

多くの村を救ってきた。これを使えば必ず、

絶対にペストは治る。私が死ねば、たくさん

の人々が犠牲になるのですよ、そうなれば、

あなたがたのせいなのですよ。そうなりゃ地

獄に落ちるのは、あんたたちですよ」   

確信にあふれたミシエルの言葉に、気押さ

れた三人の審問官でしたが、そこは何千人の

罪もない人々を火あぶりにしてきた実績がご

ざいます。               

「…だ、黙れ、き、貴様、神にでもなったつ

もりか。だ、だいたい、神の裁きであるペス

トが治る薬などと…そんな薬を作れるヤツは

悪魔に違いない。そ、そうだ。コヤツは異端

者でも異教徒でもない。悪魔の手先だ(えと

、悪魔の手先は…? 最近の法律…破防法が

…)車裂きの上に火あぶりだ」      

「そうですか…。では、あなた方は地獄へ落

ちますよ」               

「し、審問官を脅かす(えと、審問官を…)

とにかく、何でもいいから、火あぶりに…(

コソコソ)」              

この時でございます。下役の役人が、三人

の審問官の所へ来て、何事かを知らせました

。「(ボソボソ)え? スカリ先生から…し

かしもともと…」            

この時、一人の審問官はホッとした顔をし

、一人は憐れみの表情を浮かべ、一人は…確

かにニヤリと笑いました。        

「あー、ミシエル・ド・ノートルダーム。た

った今、貴様は、神の裁きであるペストが、

必ず直る薬を作ったと言ったことにより、悪

魔の手先と見なされたが、その疑いは解けた

。新興教徒の疑いは晴れぬが、追ってまた呼

び出しをする、それまでこの町から出てはい

かんぞ、今後、神への畏敬の念を忘れぬよう

に。以上。縄を解いてやれ」       

何が起こったかさっぱり分からず、呆然と

立ち尽くすミシエルに、退廷する審問官の一

人がぼそりと…。            

「早く家に帰りなさい…」        

このコトバに、ハッと気づき、まるでカミ

ナリに打たれたように、身も世も忘れて走り

出し、黒くそびえ立つ糸杉の並木を駆け抜け

、                   

我が家の門を潜ると、戸口の前には首をうな

だれたスカリ先生、ミシエルを見るとがっく

りと膝と手をつき…           

「ミ、ミシエル君。すまなかった。すまなか

った。わ、ワシが悪いんじゃ。君が新教徒と

交わったと密告したのはワシじゃ…。ワシが

…ワシは、ペストを治す薬の、世界を救う名

誉を、独り占めしようと…魔が差したんじゃ

ワシが悪いんじゃ」           

「何、ナニを言ってるんです。それより、そ

れよりアンリエット、アンリエットはどこに

」 力なく、寝室を指さす老学者スカリジエ

。                   

さす指に導かれ、ドアを開けると、そこに横

たわる、青黒く変わり果てた赤ん坊の姿と、

それに頬ずりするアンリエットも、虫の息。

「ア、あなた…」            

「アンリエット…」           

「あ、な、た。この子が…私ももう…」  

「アンリ…く、薬は…」         

「飲んだわ。この子にも飲ませたわ…。でも

……あなたは立派にやったわ。ただ、生まれ

たばかりのこの子が可哀相で…。でもね、き

っと神さまの所に行くのよね。だから、あな

たとも…また、すぐ、会えるわよね…そしら

、また、一緒に星を見ましょうね………」 

そして静かに息絶えました。      

「………。う、ウ、ウ。許しておくれ。アン

リエット、許しておくれ…。世界を救おうと

して、たった一人を守れなかった私を、ゆる

してくれーェ……」           







この日かぎりミシエルは         

懺悔のため聖母を意味する        

ノートルダムという名を捨てた      




そして十年の              

長きに渡りペストと戦うため       

ヨーロッパ中をくまなく回った      




ペストに感染した患者の         

最後の一人がいなくなるまで       

彼は決して街から離れなかった      




それでもついに             

ペストを完全に治療する         

方法を見いだすことはなかった      




やがてサロンの街で           

再婚したノストラダムスは        

六人の子供を育てあげた         




国王の侍医に任じられ          

財産をつくったがほとんどを       

運河の建設のためにつぎ込んだ      




運命への畏敬の念から          

暗い「予言の書」を著したが       

患者には明るい予言だけをした      




ノストラダムスは            

彼の時代の人々のために生き       

彼の時代の人々のために死んだ      




今を生きる人々が            

彼の予言に何を感じるか         

それは各自の自由である         







一九九九年七の月            

「ノストラダムスの生涯」        

(了)