『坂本龍馬〜虹を呼ぶ龍馬』







時これ文久二年、勤皇倒幕の雄叫び、京の

一角に上がるや、諸国より熱血の勇士相集ま

りて、憂憤天を突き、地に咽んで風、ショウ

ショウ。                

かねてより帝を頂き奉らんと画策せし長州

は、禁門の変を起こし、思惑やぶれて敗走し

幕府とともに襲いかかった薩摩に対し恨みを

抱いて天に啼く。            

やがて慶応二年、幕府は長州を滅ぼさんと

再び薩摩に対し出兵を命じましたが、ここに

声あり、坂本龍馬。土佐脱藩の一浪人、今ま

さに天下の動静を転じんとして、長崎より出

帆し、大坂を経て戻ってまいりましたのは、

京都、伏見、寺田屋でございました。   

店の前に着きますと、寺田屋に勤めるおり

ょうが掃除をしております。       

「ただいま……ただいま〜ただいま、帰りま

した〜。・・・おりょうさん。お、りょう、

さん」                 

「・・・・あら、どちらさんどすか」   

「才谷梅太郎さんどす」         

「知りまへんなあ。すんまへんけど、うちは

一見さんはお断りどす」         

「や、これは失礼。梅太郎とは公儀をしのぶ

仮の名、坂本竜馬ナオナリと申す」    

「聞かん名前どすなあ。近頃はぶっそうで、

ご公儀をしのぶような方をお泊めるする訳に

いかんのどす。他を当たっておくれやす」 

「おりょうさ〜ん」           

「知りまへん」             

「おりょうさん、そないヘソ曲げんといてえ

な」                  

「ヘソいうのは誰のおヘソでもまんまるどす

まんまるなもん、曲げることでせしまへん」

そのままえおりょうは店に入り二階の部屋

へ上がってゆく、それを追っかけて龍馬、 

「そら、三月も黙って留守にしたんは悪かっ

た。けど、わしゃ、天下国家のために東奔西

走、スッペタコッペタ、忙しかったんじゃ。

そないドクれんと許しておうせ」     

「出た! 困ったらすぐ土佐弁使うて誤魔化

す。そればっかり。ワンパターンなんどす」

「ワンパターンて、そらこないだワシが教え

たったエゲレス語やないか」       

「坂本様。坂本様はこの寺田屋への支払いも

ずいぶんと滞っとるのお忘れどすか。どんな

忙しゅうても、手紙一枚書く時間もないとは

いわしまへんえ」            

「いや、寺田屋とおりょうさんのことは忘れ

たことはなかった。けど、知っとるじゃろ、

ここの支払いのためにも、金を儲けないかん

のじゃ。それで長崎に亀山社中ちゅうのを作

ったんじゃ。そっちの仕事が忙しゅうて、忙

しゅうて」               

「・・・んなこと言うて。長崎の丸山あたり

で遊ぶ暇はあっても手紙を書く暇はないんど

すか?」                

「・・・長崎の丸山て。そら、エゲレスの商

人相手に接待はしたけど、いっぺん足を踏み

入れただけじゃ。それもユニオン号の買いつ

けが終わったらすぐ帰った。遊ぶ暇なんてな

かったぜよ」              

「お元いう女子はんは誰どす?」     

「は? さあ・・・誰やったかな」    

「引田屋のお元はんは、三味線えらいお上手

なそうどすな」             

「いや、お元が上手なんは、三味線やのうて

月琴で・・・あわわ」          

「すぐ帰った割に、ようご存じどすな」  

「・・・誰がそんなことを・・・」    

「薩摩の中村半次郎はんどす。わざわざ手紙

に書いてよこしてくれました。で、お元はん

の月琴は何べんくらいお聞きやしたんどす 

か?」                 

「・・・月がキレイじゃのう」      

「今日は曇りですやろ」         

「海はでっかいのう」          

「伏見から海が見えるわけおまへん」   

「・・・・ええやないか」        

「はい?」               

「ええやないか。わしゃ別におまんと夫婦で

もなんでもないやないか」        

「ほー、逆ギレどすか。ほー、天下国家のた

めにスッペタコッペタしとる坂本竜馬はんが

女相手に逆ギレとは、おいどの穴のかわいい

ことどすな」              

・・・とまあ、だいたい顔をあわせますとこ

んなカンジになります龍馬とおりょうでござ

いました。ケンカをするほど仲がいいと申し

ますが、この二人、今だにまとまったという

訳ではございません。          

そこへ入って参りましたのが、寺田屋の女

主人・お登勢でございます。       

「まあまあ、いつもながら仲のええこと」 

「あ、お登勢さん。助けてくだされ。おりょ

うさんがまたワシのこといじめよるんじゃ」

「いじめるなどと。坂本様が自分の都合だけ

で動き回るから、女将さんも迷惑してると意

見してたんどす」            

「まあまあ。坂本様は天下の浪人でご公儀に

も狙われる身の上。この寺田屋を土佐のわが

家と思うてお使いいただいております。わが

家を出入りするのに何の遠慮もいりません。

いつでも戻ってきておくれやす」     

「ほらほら、お登勢さんもこういうとるがな

あっかんべー」             

「大きななりして、子供か、あんたは」  

おりょうが膨れたまま下へ降りてゆきます

と、竜馬はいずまいを正しまして、    

「お登勢さん。すまん、ここの支払い、もう

ちっと待っておうせ。今ちょうど、大きな取

引の真っ最中なんじゃ。それさえ済めば、そ

れさえまとまればようけ利息をつけて払うか

ら」                  

「よろしいんですよ。このお登勢、損得でお

つきあいしてるんじゃございません、いつで

もお代の出来た時に・・・」       

「や、そりゃいかん。武士には武士の道があ

るように、商人には商人の道がある。いや、

支払いは必ず、必ず近いうちに」     

それには答えず、にっこり微笑みましたお

登勢は、ふところから二通の書状を取り出し

ます。                 

「そうそう、坂本さまのお留守に、手紙が届

いておりました。一通は土佐の姉上さまから

一通は長崎のお仲間からでございます」  

「長崎から? わしゃ長崎から戻ってきたん

じゃが・・・ああ、わしゃ大坂の大久保さん

のトコに寄ってきたから、わしの後ろから追

い越して届いたんじゃのう」       

「大久保さんて・・・え? 大坂城代の大久

保忠寛さまどすか?」          

「ああ、わしゃ大久保さんとは古い知り合い

でな」                 

「・・・・あきれました。公儀に追われてる

本人が、捕まえようとしとる親玉に会いに行

くなんて、気がしれません」       

「いやいや、心を割って話したらええ人ぜよ

・・・どれどれ、乙女姉ちゃんからの手紙・

・・・・・」              

今、竜馬の人となりが今に伝わるのもこの

乙女との手紙のやりとりからと言われます。

大抵楽しいものが多いのですが、読んでいる

うちに竜馬の顔つきが変わっていく・・・。

「どうしました。坂本さま。何か悪い知らせ

でございますか。まさかまた、土佐勤皇党の

お友達が首を切られたとか・・・」    

「・・・いや、ほやない。ええ知らせじゃ、

祝い事の知らせじゃ・・・。幼なじみのかほ

さんが、同志の一人と祝言上げるそうじゃ」

「え? かほさんて、あの、坂本さまと一緒

に勤皇党の活動をしとった、あの神田陽司の

名作<坂本龍馬第二席>で、一緒に勝先生に

会いに言った平井かほさんどすか?」   

「・・・お登勢さん。その話は聞いてないお

客さまも多い・・・。詳しくは陽司のホーム

ページで読んでくだされ。・・・お登勢さん

・・・ちと一人にしておくれやないか」  

「へえ・・・ほな。御膳の支度ができました

らお持ちしますさかいに」        

竜馬、勝海舟とともに神戸にあって日本の

海軍の草分けとなります海軍操練所で塾長と

して励んでおりましたが、長州によるクーデ

ター・禁門の変にその海軍操練所の生徒が数

多く加わっていたことから、海軍操練所はテ

ロリストの養成所とみなされ閉鎖されてしま

いました。以後、竜馬は関西にある時はこの

寺田屋の二階の部屋を本拠として活動して参

りましたが、今は長崎に日本最初の総合商社

を作って活動を始めておりました、亀山社中

これが後に海援隊となるわけでございます。

「坂本さま、坂本さま、入りますえ」   

やがておりょうが箱膳をもって上がりって

まいります。障子を引き開けますと、龍馬は

通りに面した窓の所に腰をかけてぼんやりと

空を眺めております。          

「・・・・」              

「お食事お持ちいたしました。坂本様はよう

食べられますから、お櫃はふたつ持って参り

ました。さっきは失礼いたしました。寺田屋

は儲けだけでやっとる店やおへん、文久二年

の薩摩様のご騒動以来、天下のためを思うて

命をかけてる方々には、損得なしにお泊まり

いただいてる宿、中にも坂本さまは、きっと

大事をなすおひと、あんまりイジめたらあき

まへんと、女将さんにも怒られました」  

「大事ナア・・・・のう、おりょうさん、わ

しゃ、大事を成せるんかなあ・・・」   

「まあま、いつも言うてるやおへんか。今天

下に、北辰一刀流の剣の達人にして、、黒船

を操り、かつ世界の国際法に通じとるのは我

一人。日本を今一度ジャブジャブ洗濯してみ

せる、といつもの大口はどこへ忘れてきたん

どすか。ホレ、大口あわせて大盛りにしまし

たえ」                 

龍馬、力なく這うように膳に近づいてまい

りましたが、いったんは取った箸を止めて、

「・・・剣の達人ナア。けど、ホンマは免許

皆伝という訳やない。薙刀免状だけじゃ。海

軍軍操練所に入ったが、それも閉鎖されてし

もうた。やっと長崎に出て亀山社中を作った

が、ヤル気まんまんでも肝心の資本が一銭も

ないから貿易の仕事も進めようがない・・・

こんなんで、何が天下国家をうごかせるもん

か・・・。ナア、おりょうさん、わしゃ、も

しかしたら、ただのアホウなんじゃろか」 

「坂本さま、お茶碗を置いておくれやす」 

「こうか?」              

「( バシッ!) ええかげんにしなはれ。女将

さんから聞きましたえ。土佐で平井かほさん

がお嫁に行ったそうどすな。昔惚れてた女が

結婚したからそれが何どす。そんなことでい

ちいち落ち込んでたら、ホンマにあんさんは

ただの無駄飯食らいのショータレコキのちゃ

ちゃくちゃのコンコンチキどす。男がそんな

ことで自信なくしてどうするんどす。未練が

ましい」                

「痛い〜。叩かれた。乙女姉ちゃんにも叩か

れたことのないほっぺた叩かれた〜」   

「何をブライトに叩かれたアムロみたいな事

言う取るんどす。過ぎた昔を振り返らず、フ

ューチャーを目指すのが男の生き方やゆうた

やおへんか」              

「いや・・・あのな、おりょうさん実は」 

龍馬、何事か反論しようと思いましたが、

おりょうの目にいっぱいの涙が溜まっている

のを見て、コトバが出なくなった。その時、

宿の入り口の方から、          

「御免、御免、才谷殿、才谷梅太郎殿はおら

れるか、ご在宿か」           

階段の下からお登勢の応える声が響いてま

いります。               

「ハイハイ・・・まあ、桂さま、いつ長州か

ら」                  

「シーッ! 私は桂などというものではない 

広戸屋孝助という町人であります」    

「へえへえ、わかりました。才谷さまはお二

階に・・」               

「では上がらせ頂く、滞在させて頂く」  

声の勢いの割には階段を上がる足音がいた

しません。龍馬の江戸修行時代からののライ

バルで今や長州の代表となった桂小五郎、禁

門の変に破れて以来逃亡生活が長かったため

まずどんな時にも非常口を確認してからでな

いと行動しない、台所まで行って、裏口を確

かめてから、階段を登ってまいりました。 

「ごめん!」              

おりょうは先程、龍馬の情けなさに零れた

涙を袖に拭いながら           

「まあ、桂はん。ご機嫌よろしゅう」   

「機嫌など良くない。それに、僕は、桂など

という者ではない、広戸屋孝助という町人で

ある」                 

「まあまあ、桂さん。今日はわしの他に泊ま

り客もないから、武士に戻ってくだされ。そ

れに、そのキッチリした旅支度、どっから見

ても町人には見えませんぞ」       

「左様か。では、長州藩の桂小五郎に戻らせ

いただく。復帰させていただく」     

さっきから龍馬が「手がけている大仕事」

と言っているのは、もちろんのことこの桂の

長州と、西郷吉之助隆盛の薩摩藩との秘密同

盟のことでした。やっと結ばれる手筈になっ

て、桂小五郎が京に入ったのが慶応二年の一

月の十日。もう今日が二十日ですから、すっ

かり事が済んで、長州へ戻るための旅支度と

見たわけでございます。         

「本当に、桂さんにはご尽力いただきました

手配中の身でありながら京都・薩摩藩邸まで

危険を侵してご足労をいただき・・・この坂

本も骨を折った・・・と自分で言うては値打

ちが下がるが、ホンマ、二年越しで苦労した

かいがございました。で、桂さん、急いで長

州へ報告に戻られるのはええんじゃが・・・

我が亀山社中が仲介の労を取り長州までお運

びしたユニオン号の代金を一刻も早く頂きた

いので。何せいろいろ支払い期限が迫ってお

まして、・・・」            

桂は旅支度の傘を置きもせず右手に握りし

めたまま、               

「坂本君。君は去年から会うと触ると銭の話

だな、金銭の話題だな。勤皇の志士がまるで

商人にでもなったようだな」       

「ハア。しかしながら、わが亀山社中がなけ

れば、現在幕府から海上封鎖を受けておりま

す長州藩が外国から黒船を買える訳もなく。

すなわちわが亀山社中があればこそ・・・」

「坂本君、あの船は薩摩名義で買った船だろ

う。もうあの船を使う訳にはいかん、君たち

に返す。返却する」           

「は?」                

「よって、その代金の三万七千七百両は、お

支払いすることは出来ない」       

「そりゃ困る。支払いの期限が」     

「あと、その名義料として薩摩に進呈した米

・五百俵は君たちが預かっているはずだ。返

していただく。返済していただく」    

「いや、あれは、亀山社中の社員の食料とし

てもう食べてしもうた・・・いや・・・」 

「僕はこれから一路長州へ戻り、幕府軍を迎

えて勝とうが負けようが戦の後に腹を切る。

切腹する」               

「はああ?」              

「お終いだ。薩摩との話は決裂した。長州は

このまま・・・滅びる。滅亡する」    

桂小五郎という人はいかなる時も沈着冷静

その小五郎が目を真っ赤にして大粒の涙を浮

かべております。            

「ちょっと待ってくだされ。桂さん、手筈通

り薩摩藩邸に行ったのじゃろ? そ、そこに

西郷さんはおらんかったのか? 西郷さんさ

えおれば話はスンナリと…」       

「行かなかったのだ! いいかね、坂本君。

確かに薩摩の連中は我々を、この小五郎をは

じめ、田中顕助、品川弥二郎の三人を歓待し

てくれた。幕府が賞金までかけている中、危

険な京都までよく来てくれたと、山海の珍味

贅を尽くした膳を出してもてなしてくれた」

「そらよかった。わしも食べたかったノウ」

「ところが・・・それだけだ。一日たち、二

日たち、七日たち、八日たっても、同盟の話

も軍艦の話も、米の支援の話も出なかった。

ただ贅を尽くした馳走でもてなされた、それ

だけだ。そのうち、誰一人口を聞かなくなっ

た、こっちも喋らない。僕はなんとか雰囲気

を変えようと、剣舞を舞ってみせた。恥をし

のんで詩吟なども披露した・・・。そしたら

どうしたと思う、あの西郷吉之助! いきな

り着物を脱ぐと下帯まで取って! その、灰

吹から火を移してその、下の毛を燃やして見

せたのだ! 我々はあんな愚弄を受けたこと

はない!」               

「・・・いや、あれは西郷さんの持ちネタな

んじゃ、わしも見せられたことがある。・・

しかし、よう早いことはえちょったノウ」 

「たとえあれを冗談としてもだ! とうとう

同盟のことは口にしなかった。我々は引き上

げた。最初から奴らには我々と同盟を組む気

持ちなどなかったのだ・・・。坂本君、お別

れだ。長州はこのまま滅びる。後のことは薩

摩とよろしくやってくれ・・・」     

「ちょっと待って、桂さん・・・」    

「いや、待てん、もう十日も待った。今や一

刻も速く長州に戻り幕府軍の攻撃に備えねば

ならん。顕助も弥二郎も今夜のうちに立つ。

君とは江戸の道場以来、十年以上のつきあい

だ。世話になった失礼する」       

「あ? 桂さん」            

「ん?」                

「肩に蜘蛛がノッチょる」        

「ええっ!」              

一瞬、気を取られた途端、龍馬の拳が小五

郎のみぞ落ちにめり込んでおりました。道場

で戦えば恐らく桂の方が上でしょうが、一瞬

の勝負というものは、常に冷静な者に分があ

ります。                

「おりょうさん!」           

「はい」                

「すまんが、桂さんが目え覚ましたら、よー

謝っちょいとくれ。で、帰るまで絶対宿から

出さんでくれ。わしが一命をもって詫びるか

ら戻るまでいてくれと。お登勢さん、お登勢

さん」                 

「はい、なんでございましょう」     

「たしか、二丁先の吉田屋で、馬を借りられ

るいうとったな、チト口を聞いてくれんか。

あと、客を一人、大飯食らいをつれてくるキ

に、用意をしとってくれ。何か、めったにな

い変わった料理がええな」        

「変わった・・・というと、たとえば・・・

天ぷらかなんかどすか?」        

「ああ、ええな。話は後じゃ、とにかく、急

ぐ、急ぐんじゃ」            

龍馬、馬を借りますと、千里一時虎の子走

り。伏見から京の中心へは12キロですから

三里一時龍馬の走り・・・いつか雲は晴れ、

月は皓々として冴え渡り、昼間のような明る

い夜。京の都は毎日のように起こる天誅騒ぎ

や壬生浪人・新撰組の切り合いのため外出す

るものもなく、シーンと静まり帰っておりま

す。                  

町の外れで馬をつなぎますと、今度は自分

の足でひた走る、自分もお尋ね者の身ですが

そんなことはかまっていられない。二本松の

薩摩藩邸に着いた途端に、あたりも憚らず 

「( ドンドン) 開けろ! 開けろ! 才谷と

申すもの、西郷吉之助に用じゃ。開けろ!」

ギイッと脇のくぐり戸が開きまして、出て

参りましたのは一本の手。オイデオイデをい

たしますから、その手の示す通り、潜り戸を

身を縮めて入りました途端!       

「チェストー」という猿叫とともに、薩摩示

現流の太刀が振り下ろされて参ります。  

ヒラリッと体を交わしますと、そこには顔

中傷だらけの中村半次郎。別名を人切り半次

郎。京の町を恐怖に陥れた幕末の三刺客の一

人でございます。            

「何をするかッ!」           

「ようと来たな。長州人ば寄越してせごさあ

をだせす裏切い者。切い捨ててくうっちゅう」

「お前、よくもおりょうさんにつまらん手紙

を書いてくれたな。ひどい目にあったぞ」 

「やかましか。おりょうさあはもともとオイ

ばすいとったんじゃ。横恋慕しゃって! チ

ェストー!」              

恋は盲目、ラブイズ・ブラインド。この場

合、横恋慕は半次郎の方なのでございますが

・・・次から次へと打ち込んでくる、何しろ

相手は人切り半次郎、龍馬はよけるのが精一

杯で後手後手に回る。          

「仕方がない」と、藩邸の庭にあったホウキ

を掴むと、               

「この構えはあんまり見せとうないんじゃが」

長いホウキをちょうど薙刀のように構える

「チェストー」っと打ち込んで来たた途端に

ヒラリと体をかわしたんで相手がヨロヨロッ

とよろめきます。            

「しまった」と半次郎足を踏ん張ろうとした

とたん「ピシリーッ」とホウキの柄の先、薙

刀でいえばシッテでもって足を払われたもん

ですから、ストーンと横っ倒しに倒れます。

「しまった」と起き上がろうとした時に、首

筋のあたりをピタリと押さえて      

「どうじゃ!」             

「アイタタタタタ。参った」       

「まったく・・・わしゃ、唯一薙刀の技だけ

は得意なんじゃ。あんまり人には見せんよう

にしとるがな・・・西郷さんはどこにお  

る?」                 

「部屋におりもんそ」          

西郷の部屋にヅカヅカと踏み込むと、有無

をもいわせず馬の後ろに乗せ、きた道を再び

伏見・寺田屋へ。            

「薩摩の西郷吉之助ともあろうものが、約束

を違えるとは、失望しました」      

「いや、おいごて、やることはやったんじゃ

桂さあが同盟のこん言いださんから、なんや

雰囲気が悪〜うなってしもうた。その上、剣

舞じゃ詩吟じゃちゅうてトゲトゲしたこと初

めゆうから、なんとか和まそうと思うて、ま

だ生え揃わん大事な若草山を焼いたんでごわ

すが・・・」              

「うーん、こりゃカルチャーギャップじゃな

事は深刻ぜよ」             

二人が寺田屋の二階に戻った時にはすでに

夜半を過ぎておりました。        

寺田屋の二階に参りますと、部屋の真ん中

には天ぷら鍋の用意が。大きな火鉢の上には

油が煮えて準備万端に整っております。  

「おお、ええカンジじゃ。思い起こせば徳川

幕府の開祖、家康の命を奪った天ぷらじゃ。

揚げたてを食うて気炎をあげよう」    

しかし、部屋で待つ桂小五郎は、壁の方を

向いたまま一言も口を聞きません。    

「桂さん、さっきのことはこれ、この通り謝

る。の、一緒に揚げたて食うて、口をすべら

かにしよ、な?」            

「薩摩の者と話すことは何もない」    

「んなこと言わんと。な、ほれ、西郷さんも

こうやって来てくれたんじゃ」      

しかし、西郷も火鉢の前に座ったままた目

を閉じて口を開きません。        

「のう、二人とも、いつまで黙っておるつも

りじゃ。いつまで意地張りおうとるんじゃ?

ちょっとした行き違いじゃないか。長州は薩

摩は信用できというし、薩摩は同盟のことは

自分から言いだせんというし、これじゃいつ

まで立ってもすすみゃせんがな」     

「とにかく、同盟の話は終わりだ。長州は一

藩のみにて幕府を迎え討つ。薩摩の芋侍の世

話にはならん!」            

西郷の太い眉がピクリッ! と動きました

それをみた龍馬は            

「はいはい、桂さんは芋じゃな。おうおう、

お登勢さんがすっかり準備してくれとる、ほ

い、ジューーッと」           

「坂本くん。薩摩の芋を油の中に入れるとい

うのは何かの皮肉でごわすか?」     

「なに言うとるんじゃ、薩摩を上げる! こ

りゃエンギのいいシャレじゃないか。ほ、揚

がった、揚がった。どうぞ」       

二人の間に入って取り繕う龍馬でしたが、

時すでに遅し、と両者思っておりますので、

少しも話が進まない。          

「ええ加減にしいや。おまんらがつまらん意

地で手を組まんと言いだしたら。間に入った

わしはどうなるんじゃ? 亀山社中で仲介し

た、ユニオン号、代金しめて三万七千七百両

誰が払ろうてくれるんじゃ。・・・いつまで

たっても寺田屋の支払いができん。ほな、こ

の天ぷらの代金も・・・」        

「坂本くん!……また金の話かね。君には失

望した。同じ尊皇攘夷、勤皇倒幕の志を抱く

志士と思うから、この、薩摩の芋どもとの同

盟の話にも乗った。確かに今のままでは幕府

の大軍に攻められれば、長州は滅びるしかな

い。だが、薩摩はかつて同じ勤皇の仲間であ

りながら、幕府に寝返ったのだ! そのため

に禁門の変でどれだけの犠牲が出たか、君の

金儲けのための口車に乗った僕が愚かだった

君は志士などやめて、商人にでもなればいい

んだ」                 

「おお・・・今は商人もやっとる。亀山社中

は何でもやる。たとえば、たとえばノウ、今

上海あたりでこの芋がどのくらいの相場かし

っちゅうか?」             

「? そんなこと…」          

「知らんじゃろ。今、大陸じゃ唐芋の不作で

高値で売れる。今度の長州征伐が短期間で終

われば薩摩からこじゃんとこの芋を上海に持

っていく、こら大儲けじゃ」       

「やはり君は… 勤皇倒幕の志は…」   

「だ、か、ら。わしにとっちゃ、この芋を売

ることが、勤皇倒幕なんじゃ。・・・・ええ

かよ。桂さん、ふた言目には<金儲けだ、商

人だ>というが、これからは武士の時代じゃ

ない、商人の時代じゃ。わしが亀山社中を作

ったのもそこを見たからじゃ。だいたい、世

の中ちゅうは、善し悪し別に金を元に回っと

るんじゃ。長州じゃついこないだまで藩政が

逼迫して何べんも大きな一揆が起きておった

それを、村田清風ちゅう偉人が出て藩政改革

をやった。ほかの藩がぴいぴいゆうとる中、

三万七千七百両のユニオン号を買いつけでき

るのも、みなその藩政改革のおかげじゃ。一

方、西郷さんの薩摩。ほんの三十年前まで、

五百万両からの借金をかかえとった。破産寸

前じゃ。ところが、こっちは調所広郷ちゅう

人が出て、両替商に泣きついて借金は二百五

十年割賦、貿易に力を注いで一気に持ち返し

た。いまじゃそのおかげで、製鉄所をもち、

黒船も、新型銃もある単独で幕府と対抗でき
る唯一の藩になった。だからこそ、この芋の
値段を知ることがわしの勤皇倒幕じゃ。それ

で、今度は上海からいろんなもんを買う、ま

たこっちからいろんなもんを売る、そうやっ

てドンドン商売での〓がりを深めていけば、

戦をしかけようにも、お互いが頼ってるから

戦がでけん。ええかよ、「金儲け」と「経済」

は違うんじゃ。経済ちゅうのは「経世済民」

の略じゃ。国を納め、民を救うための手段ぜ

よ。な、桂さん、長州も、今のままじゃ、万

に一つも幕府に勝ち目はなかろう?」   

「・・・・。確かに。それは認める」   

「認めるなら意地張りなや。薩摩と結び、速

やかに戦を終わらせ、わしら亀山社中と組ん

で国力の充実を図ろう、な、そうすりゃ幕府

も簡単に手は出せんようになる。な、むだな

戦はやめとき」             

「坂本君、君の言うのは……ただの理屈だ…

…。君は池田屋を覚えているか?」    

「ああ、忘れるものか。あんたら長州の人ち

らと一緒に、土佐の北添や、望月も新撰組に

切られた、忘れるもんかね」       

「あの時・・・僕は一足遅れで池田屋につい

たのだ。すでに新撰組が踏み込み、その周り

を会津の松平容保の兵が取り囲んでいた。そ

の時、僕は・・・長州藩邸に帰り、援軍を出

すという、仲間を助けにいくという同志たち

を、必死で止めたのだ・・・。今、事を構え

れば間違いなく戦になる。無駄死にになる、

犬死にになる。だからどんなに悔しくともガ

マンせよと・・・。あそこで討ち死にした、

同志たちは僕が見殺しにしたのだ。それまで

して耐えていた我々を、薩摩は裏切った、信

用などできん。君のは理屈だ・・・」   

その弁は講釈師に似たり・実は剣よりも論

で時代を切り開いてきた龍馬でしたが、桂の

くやしさは痛いほどわかるだけにコトバを失

いました。               

西郷吉之助はと申しますと、相変わらず目

をつぶったまま腕組みをしておりましたが、

満を持したように口を開き・・・     

「しからば、オイからもいい申んそ」ヌック

と立ち上がりますと部屋の墨の柱の傷をいく

つか探し、大きな体をかがめ壁の隅を指さし

て                   

「ここは伏見の寺田屋。四年前の文久二年、

薩摩の勤皇の志士が、最初に血を流し、犠牲

となった場所でごわす。グランド・ゼロでご

わす。ここの壁に小さい血の後がありもんそ

こいは、藩主、久光公が先走った誠忠組の同

志を止めようと、藩の手練を向けた時の跡で

もんそ。おいの藩では子供の頃から郷中・若

衆宿ちゅうて一緒に寝泊まりしもうす。いわ

ば皆兄弟も同然じゃ。その兄弟を、止めるた

めに、止められぬ時は切るために・・・。中

にも有馬新七ちゅう人は、道島五郎兵衛をこ

こで押さえつけ、お前一人行かす訳にはいか

ん、抑えとるから、橋口おいごと刺せ、おい

ごと刺せ、ちゅうて橋口吉之丞どんに自分か

ら団子んごつ重ねて刺されて絶命した、その

血を後でごわす。そこまでして時を待ってい

た薩摩を、出し抜いて、勝手に先走って、新

八さあのガマンを犬死ににしたのは長州では

なかか。そん長州が、今、幕府の攻撃を受け

て困ったからちゅうて、ないごてこっちから

手を貸さなならん。有馬さあを、道島さあを

犬死にに、犬死ににしたのは長州でごわす」

「なにを言う、薩摩の方が」       

「桂さあとはもう話すことはなか」    

「・・・・ウー。ウー。ワン、ワン、ワン…」

「どげんした、坂本さあ?」       

「おまんらが、<犬死に、犬死に>気安く言

うから、犬が怒ったんじゃ。・・・なんじゃ

い。人のこと、志士でないの、金の亡者のと

言うから、自分らの志がどれほど高いか思う

たら・・・なんじゃい」         

「なんじゃと」             

「坂本君! 同志に無礼であろう」    

「おりょうさん、聞いとるかの?」    

「はい?」と部屋の外から返事がする。  

「さっき、わしがさっきメシも食えんかった

のは、何もかほさんの手紙のせいやない。長

崎から来た方の手紙じゃ。おまんら、気軽に

いらんの返すのといいよった、薩摩名義で、

長州のために周旋したユニオン号、あのユニ

オン号の買いつけをしたんは、亀山社中の近

藤長次郎ちゅうやつでな。こいつは、わしの

生まれ故郷の、水道町の長次郎ちゅうてな。

子供の頃から勉強が好きで、亀山社中じゃ、

わしの片腕として働いた。いや、わしの両腕

じゃ。ところがそれがねたみをうけての。抜

け駆けじゃちゅうて仲間からいじめられて、

いじめられて、おまけにおまんらの都合で支

払いも滞ったもんじゃから、責任追求された

とうとうエゲレスへ留学しようとした。出発

の日、ザアザアと雨がふった。出航が伸びて

そのせいで仲間にバレて、また責められて、

責められて、追い込まれて、自分で命をたっ

た。切腹したんじゃ。わしさえおれば、おま

んらの意地の張り合い心配してわしさえ長崎

を出なければ死なんで済んだはずじゃ・・・

長次郎殺したんわわしじゃ、わしにそれさせ

たんはおまんらじゃ。なんじゃい、この国は

この世の中は、敵に味方を殺され、味方が敵

を殺す、味方に敵を殺させ、敵に味方敵を殺

させる、しまいにゃ、誰が敵かわからんよう

になって、味方が味方を殺しとるじゃないか 

長次郎、おまん、何をあせっとったんじゃ

何でもうちょと辛抱ができんかったんじゃ。

こんな下らん戦はすぐに終わる、こんな下ら

ん世の中はすぐに変わる、そうしたら、エゲ

レスでも、どこでも、自由に行ける、そうい

う世の中がくると言うたやないか。もうすぐ

そこまで、そんな時代が来てると言うたやな

いか。そのための亀山社中やと言うたやない

か。・・・頑張って頑張って、この国を世界

のどこに出しても恥ずかしいない国に、世界

中を結ぶ虹のような国にするんやというたや

ないか。薩摩の有馬さんらも、長州の久坂も

来島さんも、土佐の竹市さんも、以蔵さんも

松陰先生も、象山先生も、みんなみんな、名

もない志士のひとりひとりが、そんな世の中

のために命をかけたんやなかったんか。おま

んらの心の恨みつらみを晴らすために命をか

けたんやないぜよ」           

「だが・・・それでも仲間たちの無念を忘れ

ることはできん」            

「そいは、おいも同じじゃ」       

「いや、できる、きっとできる! できんと

言うか、できんと言うか!」       

龍馬、何を思いましたか、煮えたぎる油の

鍋を火鉢ごと持ち上げると、それを西郷の方

にあびせかけようといたしました。    

「なに、何をしもんす」         

「ほ・・れ、桂さん、腰が浮いたじゃろ、目

の前で、西郷さんが危ういと見ただけで、腰

が浮いたじゃろ?」           

「いや、これは・・」今度は逆に油鍋を桂の

方へ                  

「坂本さあ」              

「ほれ、西郷さんも、桂さんを助けようと膝

を上げたやないか。目の前で危うい目におう

とるものを助けようとするやないか。それが

人間の本性じゃ、それさえあれば、昔の恨み

なんぞ、必ず必ず、忘れることができるハズ

じゃ」                 

「坂本君、それは理屈だ(動揺)」    

「坂本さあ、人間はそんなに簡単ではごわさ

んぞ」                 

「ホウカイ、ホウカイ、ホニホニ、じゃあ、

じゃあこの話は終いじゃ。長州は滅ぼされ、

薩摩は一国で幕府に向かい、世の中は戦国時

代に戻って元の木阿弥じゃ。わしゃ仲間たち

に申し訳が立たん。立たん以上は、この坂本

お詫びにこの油被って自害する!」    

「坂本君、バカな真似はよせ」      

「坂本さあ、むちゃはよしんしゃい」   

「ほな、ほな、手を結ぶか? 恨みは一旦忘

れるか?」               

「それは」               

「さ、そいは」             

「はよ決めてくれ、げ、限界じゃ」    

「わかった」              

「わかりもした。一旦恨みば忘れて、互いに

手ば握りもんそ」            

「あーーい! ・・・・・この体制で、一人

三役はムリじゃ・・・・・」       

「だが、坂本君・・・・。君が考える新しい

世の中とは何なんだ? 君は違うと言うが、

恨みを忘れても、所詮金儲けだけのために戦

をする世の中になるのではないのか?」  

「・・・わしは十九の時、クロフネを見た、

鉄の固まりが海に浮いとった。その驚きがわ

しの原点じゃ。やがてあのクロフネは空にも

浮くじゃろう。そんなことができる人間が、

そんな愚か者なはずはない、わしは信じとる

信じとるんじゃ・・・・」        

「坂本さま?」             

「なんじゃ?」             

「ほんまは、ちょっとヤケになってましたや

ろ?」                 

「わかるか?」             

「そらもう・・・・。ムチャしはりますなあ

・・・」                

「肩が痛い・・・」           

「うち、オフロ入ってきます」      

「ほうか?」              

「ほうか・・・」            

バタバタバタ・・・・          

「坂本さま! えらいことです! いつの間

にか、取り方に囲まれとります。えらい数だ

す、逃げておくれやす!」        

いつの間にか、寺田屋は、幕府の手のもの

にすっかり取り囲まれておりました。薩摩・

長州の大同盟を実現した龍馬の運命やいか 

に?                  

さーあ、このあとが面白いが!     

血わき肉躍る「講談坂本龍馬」だい四巻は必

ずや来年に・・・・。